2024年
3月のつぶやき
3月31日 キャンプ
今週末は、子供たちを連れて、北山キャンプ場で一泊二日のキャンプをした。昨年10月にリニューアルオープンしたばかりの新しいキャンプ場で、これまで行った中では一番良かった。
キャンプ場に行く前に、すぐ近くのプレイグラウンドで遊んだ。新しいローラー滑り台があるということで、早速滑った。ビビリの優一は、速度が上がらないよう手で抑え込んでいるため、私に追突され、更に後ろから来たサチコに私が追突される形で団子になって滑り降りた。新しいだけあって、ローラーの滑りも良く、不思議と尻もそれほど痛くない。
その後、13時にキャンプ場にチェックインした。私達がテントを張ったサイトは、背の高い杉林の中にあり、森の中でキャンプをしている感覚を味わえる。その上虫が少ない。驚いたのはトイレであった。イオンモールのようにきれいなウォシュレット付きトイレで、手洗い場も温水が出る。不思議なことに、夜でも虫が集まってこない。自然の中で過ごす快適な部分だけを味わうことができ、不快な部分、不便な部分を極力取り除くよう、工夫されている。結構頻繁に害虫駆除を行っているのであろう。

バーベキュー。背の高い杉の木がたくさん生えていて、雰囲気が良い

子供たちの好きな「巻き巻きパン」とベーコントマト串。
現地ですぐに仕込めるのが良い
夜は、焚き火をしながら、ドンキで買ったペンライトを振り回したり、花火をしたりして遊んだ。テントに入ってからも、怖い話や、サチコがハマっているゲームの話をしてから寝た。

太鼓の振付をするサチコ。ペンライトの軌道がかっこいい

花火をする優一
朝は、焚き火でご飯を食べながら、優一が考えた「鬼畜どうぶつ将棋」をやった。優一が考えた変なルール「すべての駒が歩の動きしかできない」、「王が獅子王(2回動かせる)」などの謎ルールで遊びながら朝のひとときを過ごした。私は、朝のコーヒーを淹れたのだが、ドリッパーを忘れ、インドネシア式(コップに粉を入れて湯を注ぎ、粉が沈むまで待つ)にして飲んだが、上手く沈まず、粉だらけのコーヒーを飲んだ。
今回のキャンプのテーマのひとつが、「チタン製スプーンでご飯を食べる」であった。ダイソーで300円で売られている、チタン製の折りたたみスプーンにサチコが惹かれ、次のキャンプはこれでご飯を食べようと、約束していた。サチコはお茶漬け、優一はカレー、私は中華丼を食べた。

焚き火でご飯を炊く。この感じが好き。適当に炊いても大抵何とかなる

チタン製スプーンでご飯を食べる

食後の食器洗いをする子供たち。頼もしい
なかなかよいキャンプであった。夜はもっと冷えるかと思ったが、意外に冷え込まず、快適であった。子供たちが成長して色々手伝ってくれるようになり、テント設営や撤収時の運搬などが、かなり楽になった。そして何より、子供たちが終始ニコニコと楽しそうにしてくれていたのが一番うれしかった。
3月29日 ブギウギ
今日がHNK朝ドラ「ブギウギ」の最終回であった。王道でありながら異色のドラマであった。ヒロインの生きざまが、圧倒的な歌唱力で表現されるという意味で、意欲的な作品であった。最終回は、ヒロインの引退コンサートというドラマの設定とともに、女優、趣理がドラマを演じえ終えたという感慨がまじりあい、虚構(ドラマの世界)と現実(撮影の現場)の空気が入り混じり、それが心地よい感動を生んだ。
私が帰宅して、家族で予約録画を観た。ヒロインが「東京ブギウギ」を歌い始めた時、普段はうるさい子供たちも静かになり、私も食事の手が止まった。そこからの圧巻の歌唱で、我が家もテレビに向かって拍手喝采を送り、まるで昭和の家庭のようになった。
最近、反対言葉が大好きな優一は、ブギウギの歌を変えて楽しんでいる。
「♪楽しくないお方も〜 悲しくないお方も〜 誰でも嫌いなその歌は〜 バドジズデジドダー」
「♪寒く〜〜〜 踊らな〜〜い!」
典型的な小学生男子で、ほほえましい。
3月24日 雨の週末
今週末は雨である。今日は、優一の囲碁仲間のヨシト君と花見をする予定であったが、その予定もなくなり家で一日中過ごしている。妻は、寝違えたらしく「ぎっくり背中」になったと言って、背中を曲げられなくなってしまったが、昨日整骨院に行けば劇的に回復したと、喜んでいた。
サチコは、ここのところ毎日のように太鼓の練習をしている。私達が通っている「つくし太鼓愛好会」の暴れ打ちという打ち方が好きらしく、私が座布団を持って、サチコがざぶとんにバシバシ打ち込んでいく。練習量というものは、そのまま実力に反映されるらしく、どんどん上達している。
優一は、ここのところタイピングに夢中である。「タイピングコロシアム」という練習ゲームにはまっており、気付けばパソコンの前でバシバシ打ち込んでいる。毎分300文字打てたと、喜んでいた。デジタル時代では必須のスキルなので、上達するに越したことは無い。
私は「妖星乱舞第三楽章」をフルート3重奏に編曲して、練習し始めた。全部で4楽章まである「ファイナルファンタジー6」のラストバトルの音楽のなかで、一番好きなのが第三楽章であった。宗教音楽を思わせるこの旋律は、バロックの名曲ですと言われれば信じてしまいそうである。いつかリコーダーで演奏したいと思っていたが、転調が多く、運指上できそうになく、フルートでの練習を開始した。かなりの難曲だが、少しずつ練習していればそのうちできるようになるだろう。
3月23日 UNDERTALE
先週から、子供たちに言われて「UNDERTALE」をプレイし始めた。UNDERTALEは、アメリカで作られたRPGで、トビー・フォックス氏が音楽を含むほぼ全てをひとりで作り上げたという。主人公の子どもが、穴に落ちてモンスターの住む地底世界に迷い込むところから話が始まる。ゲームの雰囲気はレトロで、ファミコンを操作しているような懐かしさがある。
「誰も死ななくていいやさしいRPG」をキャッチコピーにしており、戦闘でも必ずしもモンスターを倒す必要はない。モンスターの攻撃から逃げ回っていると、そのうちモンスターと仲良くなり戦闘は終了する。モンスターを倒すかどうかで、ストーリーが3種類に変化するという。そのストーリーはかなり深いらしく、いつかのキャンプで、サチコがその魅力を語ってくれたことがあった。レトロゲームが好きなサチコは、ドライブする時でもこのUNDERTALEの音楽をかけている。
シューティングゲームのように、敵からの攻撃を避ける要素があり、難易度もちょうどよく、楽しい。サチコは、何をすればよいか分かっているらしく、次はどこに行って、等の指示を受けながらプレイしている。
3月19日 葬送のフリーレン
サチコに借りて、漫画「葬送のフリーレン」を3巻まで読んだ。サチコがお小遣いを貯めて買った漫画なので、許可を得て借りなければならない。親から与えられるのではなく、自分で好きな本を見つけて自分の金で買うことにも、成長を感じる。
「葬送のフリーレン」は、「ドラゴンクエスト」のような雰囲気を感じるファンタジーものだが、勇者一行が大魔王を倒し、凱旋するところから物語が始まる。ゲームでいうエンディングが、物語のはじまりである。一行の中の魔法使い、フリーレンは、エルフ族で人間よりもはるかに長生きである。やがて勇者は老人となり、亡くなる。一緒に戦った仲間も年老い、死んでいく。フリーレンだけが、当時と同じ姿のまま、生きている。やがてフリーレンは、かつて辿った冒険の道筋を、新たな仲間とともにたどる旅に出る。かつての仲間に想いをめぐらせる旅そのものが、「葬送」にあたるのかと解釈する。
意図的に、静かで感情の起伏を抑えて描かれている。セリフは少なく、絵で魅せるところが大きい。笑いの要素もあるが、静かな雰囲気だけにジワジワくる。読みながら、これはまさに令和の漫画だと思った。気合や根性は存在しない。戦いのシーンも出てくるが、すでに絶大な力を持った者たちが、涼しい顔で戦う。それでも、美しい絵に魅せられ、必要十分なセリフに共感しながら読むことができる。
サチコが続編を買ったら読ませてもらおうと思う。
3月15日 インフルエンザ
優一が、インフルエンザになった。今週の月曜日から発熱しており、月曜日に検査した時には、インフル・コロナともに陰性であったが、金曜日に再び検査したらインフルエンザB型であったらしい。
2020年に新型コロナウィルス騒ぎが始まって以来、我が家は誰一人コロナにもインフルにもならない、鉄壁の免疫と社交性の無さを誇っていたが、ついにその牙城が崩れた。優一を看病してくれていた妻もゲホゲホ言っているが、熱は無く、土曜日に検査する限り、陰性とのことであるが、おそらく罹患はしているだろう。
発熱している優一は、普通に元気で、下に書いたエディコン魂も健在である。ゲホゲホ言いながら私にちょっかいを出してくるので、私も「マスクして寝てろ、このインフル野郎」と追っ払っている。
3月1日 エディコン
「エディプスコンプレックス」という言葉を知ったのは、宮崎駿のアニメーション映画「君たちはどう生きるか」のガイドブックであった。本作の企画書の冒頭で、「エディプスコンプレックスの罠に囚われ少年は闇濃い世界をさまよい、死せる母をとりもどすためにたたかい成長し、ついに死せる母と生ける母をとり戻し生還する物語。」とある。エディプスコンプレックスとは、少年が無意識のうちに同性である父を憎み、母に恋愛に似た感情を抱く傾向のことをいうらしい。宮崎駿自身が、かつてそうであったという。
優一がまさにそうだ、と思った。「お父さんは嫌いだ」と公言し、私の近くを通るときには、わざと私を踏んだり、蹴ったりしてくる。私がやり返すと、妻のところに行って抱き着き、「お父さんが蹴った〜」と言う。一方で、私が無視して何もしないでいると、「仕返しするなよ〜」と、絡んでくる。これは「仕返しして下さい」という意味である。仕方ないからやり返してあげると、妻に泣きつきに行く。
お父さんを踏む → 仕返しされる → お母さんに抱き着く という流れを楽しんでいるらしい。とんでもないエディコン野郎だ。まあ、このようなやりとりをしてくれるのも今のうちだけであろうから、楽しんでおきたい。
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