2024年
6月のつぶやき




6月23日 ラ・カンパネラとビッグブリッジの死闘

 フジコ・ヘミングの演奏するリストのピアノ曲「ラ・カンパネラ」に魅了された有明海の海苔漁師、徳永義昭氏は、52歳にしてピアノをはじめ、7年の練習を経てついに人前で演奏できるレベルまで上達する。極めて難易度の高いピアノ曲を、ピアノ経験のない50代の漁師が弾きこなせるようになるまでの様子を描いた映画「ら・かんぱねら」は、今秋公開されるという。NHKドキュメンタリーを観たが、その演奏レベルは高い。人に限界というのものは存在しないことがよく分かる。

 話が変わるが、私は最近ファイナルファンタジーXの名曲「ビッグブリッヂの死闘」をフルートで練習している。「ビッグブリッヂの死闘」は、ファイナルファンタジーシリーズの人気曲ランキング2位に入るほどで、サチコはこの曲をこよなく愛し、ドライブに行った際は、あらゆる編曲の「ビッグブリッヂの死闘」を聴き続け、試験勉強中も聴いているという。難易度は高い。というか、原曲は電子音であり、人間が演奏する前提では作られていない。それでも、この曲の人気は根強く、初めてゲームに登場してから30年、色々な人があらゆる楽器で演奏している。

 指使いを覚えたときは、こんな演奏できるわけがないと思ったが、毎週少しずつ練習するうち、ゆっくりと吹けるようになってきた。そして、少しずつ早く弾けるようになっている。それでも、少し速く吹けば音色がカスカスになってしまう。それでも、先週よりは今週のほうが良い、という実感がある。

 私にとっての「ラ・カンパネラ」は「ビッグブリッヂの死闘」である。完成するのは何年後であろうか。


6月16日 学習習慣について

 我が家の子供たちは、幸いにも自主的に宿題をすることができる。少なくとも私は「勉強しなさい」と言ったことが無い。忘れていることはあるので、「宿題やった?」と訊くことはある。この2週間、サチコは中間テストの勉強をしていた。塾には行かせていないが、親の力も借りながら自力で計画を立てて勉強できているようである。

 「学習習慣がついている」ということは、「勉強ができる」ことよりも大切だと思っている。何故なら、学習すること自体は、学校を卒業しても続くからである。勉強が苦痛で、仕方なくやっているのであれば、学校を出た瞬間に、やめてしまう。小学校・中学校で学ぶことは、高校以降で学ぶことの基礎となる。確かに、不向きな科目では苦痛かもしれないが、知っておいたほうがよいことばかりである。中学までに学んだことは、高等教育において、自分が興味がある分野を伸ばしていくための基礎となる。

 私は、勉強することは「世界の秘密を知ること」だと子供たちに言っている。学習を突き詰めていけば、人体の仕組みのように複雑極まりない働きに驚嘆したり、宇宙の法則のように、シンプルな1行の式で表せることに感動したりする。サチコは、毒物に興味があり、ここから化学式の理解につながっている。優一は、マイクラのバグやらレアキャラ出現率等に興味があり、私にはチンプンカンプンだが、数字に強くなり、確率の考え方を理解することができている。

 それぞれ、勝手に好きなことを持って理解を深めているのは、良いことだと思う。


6月16日 瞑想のススメと哲学者とオオカミ

 朝日新聞の土曜日版「Be」で「瞑想のススメ」が連載されている。曰く、ぼんやりあれこれ考えている状態に「デフォルト・モード・ネットワーク」(DMN)という神経回路が活性化され、これが脳を疲れさせる原因になるという。場合によっては、自律神経の乱れやうつ病の原因になりうるという。瞑想では、「今、この瞬間」に意図的に注意を向けることで、DMNの活動を抑え、より消費エネルギーの少ない「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク」(CEN)を活性化させることで脳を休めることができるという。具体的には、自然な呼吸をしながら、ひたすらその空気の流れを「観察」することだという。

 確かに私は、常に何か考え事をしている。それは仕事の懸念事項であり、和太鼓の打ち方であり、食事の調理法であり、とりとめが無い。次の瞬間、さっき自分が何を考えていたかさえ、忘れてしまう。瞑想から宗教色を排したものは、「マインドフルネス」と呼ばれ、ビジネスや医療の場でも活用されている。私は、これらに興味があり、本格的な学習をしたわけではないものの、こういった記事等でぼんやりと理解し、思いついた時に実践している。特に、通勤中の工場までの20分間の徒歩で、意図的に「今、この瞬間」を「観察」することで、確かにすっきりした気分になれる。

 「哲学者とオオカミ」(マーク・ローランズ著、白水社)は、哲学者である著者が、仔オオカミを育て、その死を看取るまでを記した本である。本書の最後、癌に侵されたオオカミ、ブレニンとジョギングをした哲学者が思索をしている描写が印象深い。
 オオカミはそれぞれの瞬間をそのままに受け取る。これこそが、私たちサルにはとてもむずかしいと感じることだ。(中略)
 時間的な動物であることには、明白な短所がある。(中略)明白なそれは、わたしたちが多くの時間、たぶん不釣合いに大量の時間を、もはや存在しない過去やこれから起こる未来に関わることに使うという点だ。記憶にある過去や望まれる未来は、お笑い草にもここ、現在とみなしているものを決定的に形づくる。時間的な動物は、瞬間の動物ができないような形で、神経症になることがあるのだ。

 「今を生きる」。こんなに単純なことが、私たちには訓練を要するほど難しいらしい。


6月9日 父が来る

 金曜日、父が遊びに来た。鉄道の好きな父は、小倉と日田を結ぶ日田彦山線に乗りに来た。日田彦山線は、豪雨被害によりその一部は
「BRTひこぼしライン」(専用路線を走るバス)による代替交通となっている特徴がある。小倉まで新幹線で来て、日田彦山線→久大本線と経由して夕方ごろに着くという。

 金曜の夜にレンタカーを借りて、餃子の王将で食事をしてから近くの公園でホタルを見に行くことにした。父は、餃子の王将の常連らしく、「ゴールドカード」を持っていた。飲食代が7%引きになるらしい。メニューにも詳しく、オススメメニューを教えてくれた。サチコも餃子の王将が大好きで、小籠包、胡麻団子のほか、チャーハンに付いてくるスープが好物らしい。

 夕食後、一ノ瀬親水公園までホタルを見に行った。車で20分くらい走るだけで、山奥に来た雰囲気となり、ホタルがちらほらと飛んでいる。生物は、不思議である。いかなる経緯で、自らの器官を発光させるにいたったのであろうか。ちょうど見ごろらしく、人もホタルも思った以上に多かった。

 次の日、久しぶりに父と対面で将棋対局をした。3局した後、優一と対局した。父と私は、毎週LINEで通話をしながらパソコンでオンライン対局をしている。ああだこうだ言いながら対局しているのを知っている優一は、「僕もおじいちゃんと暴言将棋したい」と楽しみにしていた。飛車を早逃げした優一に、父が「ビビンチョやなぁ」と言うと、優一は「それ明石の言葉?!」と大喜びであった。

 帰り際、父の希望により南京千両でラーメンを食べた。南京千両は、昭和12年に開業したラーメン屋で、とんこつラーメンの元祖といわれる。特に美味しいわけでもなく、元祖を強くアピールするわけでもないので、客はほとんどいない。すぐ隣には別の人気のラーメン屋があり、ぱっと見ただけでは営業しているのかも分かりづらい。これらの事実を考えれば、「元祖」にも真実味がある。少なくとも、本人が勝手に「元祖」を名乗っているのではないのであろう。

 その後、父と別れた。父は西鉄で甘木まで行き、甘木鉄道に乗ってから帰宅するらしい。


6月5日 山歩き

 先月の縄文杉ツアーの後、せっかくだから山歩きを家族の趣味にしようと思い、本屋で手ごろな本を探したところ、「宝満・三郡山系徹底踏査!」(チーム・N編、海鳥社)を見つけて購入した。宝満山は、縄文杉ツアーに向けて練習のために登った山で、その周辺には多くの山道があるという。本書は、そのうち25のコースを選りすぐって詳しく解説しており、しばらく楽しめそうだと思った。家からも比較的近く、あまりお金をかけない週末の趣味にできそうだ。

 先週の土曜日は、竜岩自然の家から大根地山に登って周回するルートを歩いた。登山アプリ「YAMAP」に地図をダウンロードしておけば、電波が届かなくてもGPSで自分の現在位置が分かる。迷いやすい道の案内が写真付きで載っており、山歩きの強い味方である。

 大根地山までの登りの途中には、苔むした石段と鳥居の横を小さな滝が流れる、味わい深い風景が見られた。赤い鳥居が続く道を抜けると、大根地神社があり、ここでお参りをした後に、大根地山頂(651.9m)にたどり着いた。

 下りは、少し難易度の高い急勾配で、迷いやすいところもあったが、YAMAPのお陰でスムーズに下山することができた。YAMAPによれば、移動距離7.2km、4時間12分の行程であった。このくらいであれば、妻もヘトヘトにならずに楽しめると言っていた。

 サチコは、いつかテントを張って山登りをし、帰ってきてバーベキューをして寝るようなことをしてみたいと言っていた。本書をみれば、無料のオートキャンプサイトから出発するコースもあり、いつかチャレンジしてみたい。

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