2024年
8月のつぶやき
8月26日 血尿、その後
先月のつぶやきにも書いた通り、先月末に血尿が出て、泌尿器科を受診した。一か月後に、もう一度尿管にカメラを入れて検査をすることになっていた、今日がその日であった。
この一か月、激しい運動、アルコール、刺激物の摂取を控えるように言われており、太鼓の練習に行っても基本的に見学で、ビールも基本的に飲まず、キムチも基本的に食べなかった。「基本的に」ということは、全く控えていたという訳ではないが、まぁまぁ我慢していた。
今日、私の心はもやもやしていた。この一か月、血尿は再発していない。大丈夫だとは思うが、万が一癌だったらどうしよう、それよりも、あの痛い尿管カメラ検査を受けるのは嫌だとか、そんなネガティブな気持ちが渦巻いていた。そんな気持ちを、癌であったならば、むしろ早期発見できてラッキーだし、カメラ検査は確かに痛いけれども、身体に悪影響があるわけではないとか、これまた色々なポジティブな思いで打ち消そうとしていた。
カメラ検査は、痛かったが前回ほどではなかった。一度経験済みで、覚悟ができていれば我慢できるレベルだとは思った。それでも、体内に異物が入っている不快感は続く。そんな中、情熱的な先生は、モニターを私に見せながら一生懸命に説明してくれる。私は、話はあとで聞くから早くカメラを抜いてくださいと言った。
検査の結果は、前回出血していた場所にはなんの痕跡もなく、私の膀胱はきれいになっているとのことであった。唯一、前回見つけきれなかった位置に若干気になる初見が認められたものの、3か月間様子をみて、問題なければ放置してもよいでしょうとのことであった。妻には、癌の可能性を訊くように言われていたので、念押しで訊いてみたが、とりあえずは大丈夫そうであった。3か月後、エコー検査を受けに来てくださいと言われた。私は、あの痛いやつじゃないんですね、と訊いたら、先生はニヤリとして痛いやつじゃないです、と言った。
久々に晴れ晴れとした気持ちになった。これでビールは飲めるし、太鼓も叩ける。子供たちとキャンプに行くこともできる。カメラ検査の後、二日くらいは、小便をする度に沁みるような痛みがあるが、それも気にならない。ただし、尿検査の結果、血液は混じっていなかったが、糖が検出されたらしい。私は糖尿病の家系である。そろそろ、血糖値のコントロールも始めた方がいいかと、思い始めた夏であった。
8月18日 虹色ほたる〜永遠の夏休み〜
「虹色ほたる」の小説とアニメDVDを、図書館で借りた。「虹色ほたる」は、著者の川口雅幸氏が自身のホームページに掲載していた小説が話題となり、2007年に書籍として出版された。その後、2012年にアニメ映画化される。ストーリーは、交通事故で父親を亡くした小学生、ユウタが、父との思い出のダム近くの森にひとりでカブトムシを捕りに来るところから始まる。そして、ダムに沈む前の村にタイムスリップして、村の最後の夏を共に過ごすという話である。小説は、小学校高学年向け位だが、ストーリーはしっかりしていて、風景描写も素晴らしい。
そして、アニメーション映画がまた素晴らしかった。小説に描かれた文字が、そのまま美しい風景として表現されている。登場人物の動きは、手書きで丁寧に描かれ、躍動感のある動きもあれば、繊細な動きによる表現も絶妙で、アニメーションの神髄を見た思いがする。これは隠れた名作だと思った。Wikipediaによれば、作画は全て手書きでCGは一切使用せず、音楽も全て生音のオーケストラだという。映画からは、本気で作ったという気迫のようなものが伝わってくる。いい映画だからといって、興行的に成功するとは限らない。厳しい世界だと思う。
サチコが虹色ほたるを気に入り、私の借りた小説を読み、DVDも2回くらい観ている。昭和52年の風景が、サチコにとっても「懐かしい」と感じるのは不思議である。優一にとっては退屈なようで、映画をかけるとどこかにいってしまう。
8月17日 クマにあったらどうするか
文庫版「クマにあったらどうするか」(語り手:姉崎等、聞き書き:片山龍峯)を読んだ。アイヌ民族最後の熊撃ちといわれる姉崎さんの経験と考えを、NHKディレクターで言語研究家の片山氏がインタビューしてまとめた本である。本書の構成は、主に前半に姉崎さんの軌跡とアイヌ文化について語られ、後半に具体的なクマ対策、人と自然のあるべき関係性について説く。クマによる被害が深刻化している今だからこそ、読まれるべき本だと思った。
「クマは自分の師匠」という姉崎さんの考えは、首尾一貫していてぶれない。アイヌの伝統を守りながらも、それらを客観的に分析する冷静さを併せ持っている。そんな姉崎さんが繰り返し強調するのが、「クマは本来人を襲う動物ではない」ということである。人がクマを怖がるのと同様、クマも人を怖がっている。人が山に入るとき、クマは人の存在に気付きながら、姿を見せないようにクマの方から身を隠すという。
そんなクマが人に向かってくるのは、クマが寝ていて気付かず、出会い頭にばったり出くわしたときか、子連れクマがいて、母グマの警告に気付かず、人がクマのテリトリーに入った時だという。そんな時でも、クマがいきなり人を襲う訳ではない。向かってきてもじっと動かず、クマの目を見据えて目をそらさず、可能であれば「ウォー」と大きな声を出していると、そのうちクマの方から去っていく。逆に、背中を向けて逃げ出すと、襲ってくるらしい。だから、クマに襲われた時、腰が抜けて動けなくなった方が、助かるという。その他、クマはヘビを怖がるので、ベルトなどの細くてくねくねしたものが有効らしい。また、最近ではクマ避けのスズや笛は効きづらくなっているが、空のペットボトルをベコベコ鳴らす音は不快らしく、そういった音を鳴らしながら歩くと、クマに会いにくいらしい。
そんなクマが住む自然環境も、姉崎さんにとっては「森が死んでいる」ように見えるという。ドングリの生るナラの木が減り、成長の速い針葉樹ばかりが植えられると、クマは生きていくことができず、里に降りていく。一方で人は、山菜取りや渓流釣りでどんどん山に入る。そこでジンギスカン鍋をしたり、カップラーメンの残りを捨てたりして、クマが人間の食料の味を覚える。規制を作っても「クマはルールを守るが、人間のほうがルールを破る」と嘆く。
昔から、クマと人は共生してきた。クマは、山の奥深くで生きる動物ではなく、どちらかといえば人里寄りの森で生きてきた。そんなクマとの理想の関係は「相互忌避」、お互いが「なんか嫌だな」と感じ、近づかないのが理想の関係のようである。
8月16日 夏キャンプ
夏休みは、家族でキャンプに行った。3月と同じく北山キャンプ場である。昨年リニューアルしたばかりで施設がきれいな上、木々が高く、夏でもある程度快適に過ごせる。
テント設営後、優一と持ってきたボードゲームで遊んだ。チェス、オセロ、マンカラと次々に遊ぶ。サチコはテントに引きこもり、絵を描いたりして遊んでいる。家でやっていることと変わらないが、それでも子供たちはキャンプが大好きなのである。しばらくすると、雷が鳴りだして雨が降ってきた。つい最近、「アンビリバボー」で雷の衝撃映像を観ていた子供たちは怖がり、一時車の中に避難したものの、雷はすぐに去り、食事の準備に取り掛かった。

テント設営。子供たちも積極的に手伝ってくれるのでだいぶ楽になった

マンカラをする妻と優一。意外にも妻が最強であった。

テントでごろごろするサチコ
夕食は、「まきまきパン」を作ったのだが、家で作ったパン生地が緩すぎ、ベトベトになってしまった。本来は、細く伸ばして棒に巻き付けるところ、手を汚しながらなんとか棒になすりつけ、無理矢理焼いて食べた。夜は花火をして、ダイソーで買った光る棒を投げ、最後にテントでもう一度オセロをして、寝た。

まきまきパンならぬ「なすりつけパン」。何とか食べられた。
朝5時半ごろ、目が覚めるとヒグラシの合唱が聴こえてきた。すぐ近くで鳴いている。美しい鳴き声だと思った。横では、家族が気持ちよさそうに寝ている。なんという満たされた時間であろうかと思った。私は、キャンプで熟睡できる体質ではないが、そのぶん、こうした時間を楽しめるのは得だと思った。
朝食を食べた後は、片付けをして、帰りにローラーコースターを滑ったり、遊歩道のトンネルの中で歌ったりと、ちょっとした散歩をしてから家路についた。

早起きしてコーヒー片手に読書する優雅な私。「絵になる」と言って妻が撮った。

朝食風景。サチコはまだ就寝中。

遊歩道を散歩する。歌うと反響して気持ちいい。
8月14日 ボードゲームと優一
私が夏休みに入り、毎日優一とボードゲームをして過ごしている。優一は、「世界のアソビ大全51」というゲームを買ってもらってから、色々なボードゲームに目覚めている。しかも結構強く、本気で戦えるので、私も楽しい。
・オセロ・・・滅茶苦茶強い。家族のだれも太刀打ちできない。
・チェス・・・始めたばかりのはずなのに、すでにルールを理解し、同じく初心者の私と同等に渡り合える。
・囲碁・・・ほかのゲームを始めた影響か、囲碁も強くなっている。
・マンカラ・・・私と同レベルくらいか。
マンカラは、世界最古のゲームともいわれ、複数空いた窪みに石を順番に入れていくゲームである。ボードは子供たちと段ボールで自作し、石はダイソーで買ったおはじきを使って遊んでいる。上記のゲームを、次々とやって、勝った、負けたと大はしゃぎしながら夏休みを過ごしている。明日からのキャンプにも持っていくらしい。
8月11日 トンボ捕り
今日は、子供たちと近所の図書館にトンボ捕りに行った。私の住む町の図書館は、敷地内に美しい池を持つ庭園があり、その奥にはちょっとした散策のできる森が広がる、贅沢な作りになっている。池にはコブハクチョウ、アオサギ、カワセミなどが住み着いている。夏になれば、池ではオニヤンマ・ギンヤンマをはじめとするトンボが飛び回る。
私達は、池の周囲を歩き回り、オニヤンマ・ギンヤンマが出会う場所を見つけ、そこに腰を据えてトンボ捕りを始めた。オニヤンマは、池と地面の境界をパトロールしながら飛ぶ。一方でギンヤンマは、池全体をランダムに飛び回る。オニヤンマとギンヤンマが出会うと、自分のテリトリーから追い出そうと、追いかけっこが始まる。
しばらくすると、トンボ捕りに夢中になるあまり、サチコが池にはまった。幸いケガはなく、靴下とスカートが濡れただけであった。靴はクロックスだったので、靴下を脱いでトンボ捕りを再開した。その後、無事にオニヤンマ・ギンヤンマが捕れた。

オニヤンマとサチコ

ギンヤンマと優一
その後、図書館でチェスの本を借りた。最近優一は、あらゆるボードゲームに興味を示し、チェスもやってみたいと言い出したのである。サチコは、花札に興味があるようで、チェスの横にある花札の本が気になるようであった。私は、今週計画しているキャンプに向けて気持ちを高めようと、「とことん焚き火を楽しむ本」を借りた。
その後は、図書館から自転車で15分くらい走ったところにあるショッピングモールに行き、チェスと花札を買った。本屋では、サチコの参考書を購入したのち、帰りにもう一度図書館に寄り、花札の本を借りたのち、軽い昼食をとって家に帰った。
久々の子供たちと自転車でのお出かけは、至福のひとときであった。
8月7日 虎に翼と女王の教室
2005年に放送されたテレビドラマ「女王の教室」は、衝撃的であった。天海祐希が演じる鬼教師「阿久津 真矢」(あくつ まや)のインパクトと、そのセリフの持つ力は、未だに私の生きる指針になっている。
その生徒の中に、「虎に翼」のヒロイン、伊藤沙莉がいた。「虎に翼」を観ていると、寅子の演技のうまさは、「女王の教室」に原点があるのではないかと、勝手に思ってしまう。「ごめんなさい」と謝るときは、「女王の教室」の生徒役、「田中桃」と非常に似ている。一方で、相手を気遣いながらも厳しい言葉をかけなければならない時は、「阿久津 真矢」のような、厳しさと優しさが入り混じったようなまなざしになる。
92話では、疑惑をかけられた少女、美佐江から、「悪いことをすると罰せられるのは分かるが、『それ』がなぜ悪いことと定義されるのか分からない」と問いかけられる。「どうして悪い人からものを盗んではいけないのか、どうして自分の体を好きに使ってはいけないのか、どうして人を殺してはいけないのか」
ドラマは、一気に核心に迫ろうとしている。「女王の教室」でも、問題児の生徒から「何故人を殺してはいけないのか」と訊かれるシーンがある。阿久津真矢は、そこで明確な答えを言葉と態度で示し、自身の生きる指針を決定するきっかけとなる。
「虎に翼」では、この問いに対する答えは保留された。その直後、寅子は、その場に現れた娘の優未を見て、とっさに美佐江から守ろうとする。美佐江の邪悪さを、本能的に察知した行動であった。
美佐江の問いかけに対して、ドラマはどのような結論を示すのか、そして、邪悪なものと対峙した時、寅子はどう接していくのか、注目している。
8月7日 横浜家系ラーメン
今日は、妻子は妻の実家に泊まりに行っており、久々にひとりである。夕食は、会社帰りに「横浜家系ラーメン」を食べることにした。以前、自転車で走っていて「横浜家系ラーメン」の店を見つけ、気になってはいた。店に入れば、テーブルも床も油でぬるぬるしている。「家系」だなぁという感じがして、懐かしくなった。
「横浜家系ラーメン」は、学生時代によく食べた。油ギトギトのとんこつ醤油スープに、太麺、トッピングは海苔、ほうれん草、チャーシューである。食べ始めは美味しいのだが、その脂っこさに気持ちが悪くなり、もうしばらくは食べたくないという気持ちで食べ終えることになる。学生時代でさえ、そのような感じなのだから、40過ぎのオッサンが食べるものではない気もするが、しばらく食べないと、食べたくなるのが「家系」の不思議さである。
何十年かぶりに「家系」ラーメンを食べた感想は、学生時代と同じであった。想像以上の満腹感である。学生時代、ちょっと奮発した昼食であり、飲み会後の〆であったりした家系ラーメン。懐かしい気持ち悪さである。
8月3日 悲願の初勝利
今朝の朝日新聞の天声人語を見て、驚いた。柔道女子52キロ級1回戦において、インドネシアのマリアム・マハラニ選手(ラニ)が初勝利をした。インドネシア柔道にて、オリンピックで勝利するのは初めてであった。
インドネシアに赴任していたころ、私は日本人会の柔道部に入った。毎週日曜日は警察学校の柔道場に行き、練習をしていた。そこでは、記事にも出てくる安斎先生、私のような駐在中の趣味として通う「オヤジ柔道家」に加え、地元の子供たちが稽古に来ていた。そんな中に、ラニもいた。
現地の子供たちの中でも、体育学校に通う子たちの成長は早かった。最初は、教えながら練習しているが、1年もすれば勝てなくなる。記事にもラニの「『速さと根性』が際立つ」と書かれているが、その通りであった。記事によれば、その後、日本の大学に「出稽古」に行くなどして研鑽を積み、オリンピック初勝利にいたる。
記事を読んで、あのころの記憶や感覚が一気によみがえってきた。天声人語の日本語版は、有料記事となるが、英語版は無料で読めるので こちらに掲載しておく。
初勝利、おめでとうございます。試合の動画はコチラ。
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