2004年
9月のつぶやき




9月28日   NHK受信料と寮運営費
 私はNHK受信料を真面目に払っている。私はNHKの番組が好きである。良い番組が多いと感じる。そして、普段はテレビは大体NHKをかけているため、横領などもされているようだが、これからも良い番組を作ってほしいと言う思いを込めて真面目に払うことにしている。

 昨日「寮運営費」なるものを払いに寮のオバハンのところに行った。ここに住んで以来、全く払っておらず、滞納し続けていたのだが、粗大ゴミを出すお願いをしたこともあって払っておこうと思ったのである。

 払ったついでに寮運営費は何に使うのか聞いたところ、「NHK受信料に当てている」という答えが帰ってきた。

 驚いた。私は毎月自動引き落としで1300円ずつ払っている。寮運営費は500円である。私は払う必要も無いNHK受信料を払っていたことになる。

 わずかな寮運営費をケチった為にこんなことになったのであろう。悪いことはすべきでないと、反省した一日であった。


9月26日   環八のタンメン屋
 今日の晩飯は、環八沿いにあるタンメン屋で食べた。ここは、先週ダケデと行ったところである。「この道一筋」みたいなオッサン達が、気合を入れてタンメンを作っている。その時は知らなかったのだが、どうやら「野菜多め」という注文が出来るらしいので、今回試してみた。もちろん無料のサービスである。

 ちょっと多いくらいかと予想していたが、来たタンメンは想像を遥かに絶した。通常のタンメンの倍くらいの野菜が、テンコ盛りになって出てきた。通常のタンメンでも、麺が見えない程の野菜が乗っかっていたのに、「野菜多め」は、野菜をガツガツ食べて、やっと麺を発掘できるくらいの量であった。

 麺のコシではなく、野菜の噛み過ぎであごが疲れた。とてつもない満足感が残った。


瀬谷区音楽祭
 先週末の話になるが、笛部で瀬谷区音楽祭に出場してきた。瀬谷区音楽祭は、去年笛部が大学以外で初めて出場したという、思い出深いステージである。今年のメンバーは、カオリ、クミコ、ホシノ、マツバラ、マサカワ、私である。祭日の月曜だった為、残念ながら生協組のサクモト、アユミは来れなかった。

 曲目は、以前やった定番曲2曲の他に、「天才デキサラダイバー」ダケデによる「ファンタスティック イリュージョン」である。ダケデは、仕事の合間に携帯電話と「かなで〜る」で作曲し、エクセルとパワーポイントで楽譜を作るという荒業を成し遂げた。この日彼は、宇都宮から腰痛を押して駆けつけてくれた。

 今年は、去年のように合唱や吹奏楽は無く、独奏や独唱が多かったため、客はやや少なめであった。演目の中でも最もびっくりしたのは、「薩摩琵琶による『白虎隊』」であった。下手をすれば、過激な福島人に袋叩きに会うかも知れない。他に、「音程のとれない老人による『ステンカ・ラージン』」もあった。「ステンカ・ラージン」はロシア民謡で、姫をヴォルガ河に投げ捨てるといった内容の歌詞が、民研女子に不評だった記憶がある。他にもピアノの素晴らしい演奏もたくさんあって、聴き入っていたりもした。

 私たちの演奏はそこそこ上手にいった。色々間違えたり、音を外したりしたが、ホールの音響が良い為、それ程情けなく聴こえないのである。終わった後席に戻ると、隣りのオバハンに「若いっていいわね〜」みたいなことを言われつつ、褒められた。この種の賞賛は一体いつまで貰えるのか。貰えるうちが華だと思った。

 終わった後、レンタルしていたドラムセットを返すとともに、ダケデを練馬まで車で送った。道に迷った上、道が混んでいた為かなり遅くなってしまった。ダケデは渋滞の時、隣りの車線よりも私たちの車線が動き出すと「アドバンスしとる」と言っていたのが印象的であった。彼は「次の曲もがんばる!」と言っていた。とても楽しみである。


9月23日   チャルメラを食う
 今日は11月のマラソンに向けて、隣り駅まで走った。夜の9時頃である。帰りにコンビニで冷凍の長崎チャンポンを買って家路に着こうとすると、チャルメラの音が聴こえてきた。音の聴こえる方に近づいていくと、赤い提灯をつけた軽トラの移動ラーメン屋があった。

 私は、一旦はそのまま通り過ぎた。すでに夕飯は買っている。しかし、なんとなくチャルメラのラーメンが食べたくなって引き返した。すると、50歳位のオッサンの先客がいた。

 そのうちオッサンの奥さんらしき人が寝巻のまま現れ、3人でラーメンを食べた。あまり美味しいラーメンではなかったが、オッサンは「美味い!」を連発していた。そして、「美味いだろ?」と振られたので、とりあえず「美味い」と答えていた。オッサンは酔っ払っているのか、何度も「美味い美味い」と言っていた。

 私は先に食べ終わり、席を立とうとすると、なんとオッサンはおごってくれると言う。私はビールも飲んでおり、見知らぬオッサンにおごられるのは嫌だと、一旦は断ったが、結局は言葉に甘えることにした。

 得した一日であった。


BSE考
 最近新聞を見ていると、アメリカの牛肉輸入を再開すべく動き出していると言う記事を見かける。その中でのキーワードは「20ヶ月以下の牛の不検査」であろう。

 国内における研究では、「20ヶ月以下の牛を検査してもBSEを発見するのは難しい」らしい。だから、日本は「20ヶ月以上の牛のみ検査」を主張しているのに対し、アメリカは「30ヶ月以上の牛のみ検査」を主張している。

 ちょっと待って欲しい。それ以前に、もっと基本的なことを考えて欲しい。現在、20ヶ月以下の牛はBSEであるにもかかわらず、市場に流出している可能性があるのである。つい先日熊本で12頭目のBSE感染牛が発見されたという記事があった。BSEは未だに解決していない難題である。

 「20ヶ月以下の牛におけるBSE発見が難しい」のであれば、「20ヶ月以下の牛は市場に出すべきではない」というのが妥当な考えではないだろうか。企業活動においても、良品か不良品か判別しかねるグレーゾーンは、流出させないのが常識である。しかも、この問題は、人命に関わる重大事である。

 「そんなことをしていたら、畜産業者が廃業する」という考えも分かるが、それを守る為に人命の危険と言うリスクを負っても良いものだろうか?そして、世間のヒステリックな方々が以前の様に、このことに対して騒がないのが不思議である。前は「牛は絶対食べない!」みたいな主婦がテレビに出たりしていたのに。みんなそんなに牛が食べたいのであろうか。

 私の勝手な思い込みでは、肉骨粉みたいなものを食べさせて、共食いみたいなことをさせるからこんなことになったのであろう。牛もかわいそうである。


9月15日   9・11長野結婚式
 恐らくこれは、私にとって2004年の最も素晴らしい思い出になるであろう。長野までアツシ、フルカワ結婚式に行ってきた。あまりに沢山面白いことがあったので、どこから書いていいのか分からない。まあ、思いつくままに書くこととする。また、今さら「チカチャン」とは呼べないので、旧姓「フルカワ」と表記することとする。

 行きは、例の如く深夜に車で出発し、明け方に「信州健康村」という24時間やっている温泉施設に到着した。ここで風呂に入り、仮眠をとった。仮眠を取っていると、突然新潟県職員タザワから電話があった。以下その抜粋、

「あのー! 寝坊したんでぇ!! タクシーで行くんでぇ! 迎えに来なくていいです!」
自分に対する怒りであろうか。


結局彼は披露宴からの参加となる。

 その後、私たちは式場である信州松代ロイヤルホテルに向かった。皆、短パンやサンダルなど、およそこれから結婚式に向かうとは思えないような格好でホテルに乗り込んだ。一応正装になって落ち着いていると、新郎新婦が現れた。非常に美しい姿に感動して皆で写真を撮っていたが、最も張り切っていたのがこの男、なぜか背後から撮る。


後ろから激写するシゲオ

 結婚式での最も印象に残ったのは、フルカワの父の悲痛な表情であった。その表情を見て、私は思わず泣きそうになってしまった。父にとっては「娘を奪われる」といった感覚は消せないであろう。もし人間が理性的生物でなければ、ここで死闘が起こるに違いない。そして、それとは対照的に自分に酔うシビルミニスター。


左:チャペルに登場するフルカワと父         右:自分に酔うシビルミニスター

 披露宴では、新郎の同期男は一箇所に集められ、自称「汚物」と呼びつつ無駄に騒いでいた。新郎新婦は、まるで結婚式場のカタログのような美しさで、笑顔を振り撒いていた。印象的だったのは、峯村家の明るい家族達である。アツシの父、母、叔父、叔母がわざわざ「汚物」席に乾杯に来て、それぞれ面白いことを言って帰っていった。アツシの兄弟も仲良さげで楽しそうであった。対照的に、フルカワの弟は非常に真面目そうな青年であった。

   
左:写真小僧達  中:ケーキ入刀  右:余興の八木節

 二次会は、ホテルの中にあるカラオケルームっぽいところで行った。二次会の運営は同期に任されていたため、みんなかなり気合が入っていた。みんな自己表現のはけ口として二次会を位置付けている様子だった。

イラハ:滞りない司会
タザワ:絶妙なBGMによる演出
シゲオ、ミヤチ:マシンガンズ
イワオカ:変態衣装
ダケデ:ダケデクイズ

等々。二次会が進むにつれ、なんとなくフルカワの表情が暗くなっていく気がした。ちょっとやりすぎであったろうか。

   
左:司会イラハ  中:新婦への手紙  右:プレゼントされたエプロンを着けるフルカワ

 三次会まで終わった後、部屋に戻った。私の部屋のメンバーはイラハ、ダケデ、ミヤチ、私であった。ミヤチは酔っ払っており、若干だるい状態であった。ミヤチは何を思ったか、シゲオを呼び出した。シゲオはすぐに来て、ミヤチの布団でくつろぎ始めた。ミヤチは「俺の布団で寝るんじゃない!」怒り、シゲオのカップめんをこぼすなどしして暴れたところ、シゲオに騙されて部屋を追い出されてしまった。彼は結局サクモトの部屋に行き、ソファーで寝ることになる。

 次の日、戸隠にある「ちびっこ忍者村」に行くことになった。かなり本格的なアスレチックである。アツシ、フルカワによれば、かなり面白いとのことであった。そして、新郎新婦も一緒にいくことになった。彼らは、昨日とは打って変わって、ごくごく普通の格好をしており、昨日の晴れやかなひと時が夢のように感じられた。

 ここで私たちは、この旅最も凄い現象を目の当たりにすることになる。たまたまカンダが、この貴重な瞬間を映像に収めたので、すでに色んなところで公開されているが、ここでも紹介することとする。

衝撃映像(Aviファイル 2.23MB)



その直後、「ずぶ濡れ」ダケデ英雄を囲う

 その後は、帰路に着いた。長野駅でイラハ、ダケデと別れた。イラハは「いむらや」(甘くてまずいあんかけ中華を出す店)に行きたがっていたが、時間の都合で行けなかった。そんなとき、たまたま別行動していたヤマダイがお土産として「いむらや」のあんかけ中華を買ってきた。

 イラハは、へこんだような、微妙な表情をしていたという。要するに口先では行きたがっていたが、、本当は行きたくなかったのであろう。結局「いむらや」へは、ミヤチと私ふたりで行った。

 「いむらや」で食べたあと、ミヤチは「もっと美味しいものを食べればよかった」と、かなりへこんでいる様子であった。結局他の人に加わって、口直しにカレーを食べた。すると、食べ過ぎとなり、さらに気持ち悪くなった。

 帰り道、途中のパーキングエリアで休んでいる時に、この旅が終わると同時に廃車となるシゲオカーを祝福しようという話になった。車に色々寄せ書きなどして、華やかな感じにしたいなどと言い合い、シゲオも賛同していた。

 持っていた筆ペンを取り出し、私は車に「しげお」と書いたあと、真ん中に「あつし」「ちか」の相合傘を書いた。その後、ボンサンが「ラブワゴン・恋人募集中!!」と書いた。

 それを見たシゲオは「俺の車を便所の落書きみたいにしやがって」と怒りだした。しかも、帰るまでにガソリンを入れるという重大な任務があり、「こんな状態ではスタンドに行けない」と嘆いていた。

 
落書きされたシゲオカー

 シゲオはかなり本気で消したがっていた。次のサービスエリアでは、車にペットボトルのウーロン茶をかけてタオルで擦ってみた。しかし、全く消えない。そんな時、ボンサンが「伊藤家の食卓」で「書いたペンでもう一回なぞってすぐに消しゴムで消せば消える」という情報を提供した。さらに私が便所から手洗い用石鹸をコップで汲んできてシゲオの車にかけたりした。

 どちらもそこそこの効果があり、四苦八苦後、なんとか消えた。この後は、本格的に帰路に着く。

 そろそろこの旅も終わる。結局この後必死で運転して、家に帰ったのは夜中の2時半であった。そして、三日かけてだらだら書いたかつてないこの「つぶやき」も終わる。かつてない気合の入れようであろう。思ったことは、この代の同期でよかったということである。なぜ集まるだけでこんなにばかばかしい事件が多発するのか。ともあれアツシ、フルカワの幸福を心より祈る。
(写真及び動画は一部イラハのHPより流用)

 




9月3日   夏合宿追想
 先週末は長野に行った。「夏ステを見に行く」という目的で行くと、いまいち満足度に欠け、わざわざ大金かけて長野まで行った甲斐がない気がするので、「長野旅行するついでに夏ステも見る」というスタンスでいることにした。

 行きは大学に夜中の12時半に集合して向かった。しかし、ハンベイだけがいない。彼は和田町に向かっている途中らしく、誰かが和田町まで迎えに行って拾うという話になった。必然的に同期である私が拾いに行くことになったら、「仕方ない」という感じのヤスと、酔っ払ったハイテンションのケイジが付いて来た。3人で拾いに行ったらハンベイ曰く、

「だれが迎えに来るかと思ったら、おまえらが来て正直がっかりしたよ」

 がっかりしたのはこっちだと思った。その後、長野に向かった。私はその日は遅くまで仕事をしており、疲れていた。高速で何度も眠りそうになったが、他愛もない話で持ちこたえていた。

 そうしているうちに、前を怪しい動きをするタクシーが走っている事に気付いた。そのタクシーは、左右に大きく揺れている。並走してみると、なんと運転手が居眠りしていた。私たちは、タクシーの後ろに周り、クラクションを鳴らしたりパッシングをしたりした。すると、タクシーはまっすぐ走り始め、近くのジャンクションで降りていった。「人助けをした」などと、みんなで喜んでいた。

 車内は暇であった。暇だったので皆のびっくり体験を話すことになった。ケイジが頭に「フツーに」を付けながら、およそ普通とは言えない事故った話やら先生に酷い体罰を受けた話やらを話しているのが印象的であった。

 鈴荘ついたら蕎麦を食いにいくという話になった。「ヤマゴボウをつなぎに使った」という、「山奥のおばあちゃんが昔ながらの民家で打つ蕎麦」らしい。「蕎麦嫌いの長野人」ヤマダイを筆頭として10人くらいでぞろぞろ向かった。

 着いたら、おばあちゃんに言われるがままに蕎麦を注文した。かなり美味しかったが、ヤマダイのテンションは低かった。蕎麦以外にも色々な郷土料理が出てきたのだが、どれもヤマダイの口に合わないようだった。故郷の食べ物がことごとく嫌いとは、なんとかわいそうなことだろうと思った。

 そのうち、ヤマダイは料理を罵り始め、微妙な空気となったまま店を出た。

 その後、ミヤチ、ハンベイとともに野沢温泉に行き、地ビールを飲んだ後、千曲川に行って川に石を投げていた。ミヤチは石切りが上手く、石が水面をポンポン跳ねていた。彼は「石切がオリンピック競技にならんかな」としきりに言っていた。そして、投法に名前を付けたりして盛り上がっていた。後で思えば、なんともだるい時間である。

 その後夏ステを見に行った。ハンベイやらカンダやらが、アンケートに、見もしないうちに「番傘の腰高い。上級生たるんどる」とか「秩父初切り要練習」など、ありそうなことを想像で書いて盛り上がっていた。

 夏ステが終わった後、あらかた片付けも終え、OB達はこともあろうに泉台小学校でボール遊びに熱中していた。そのとき、誰かが打ったボールが高く飛び越え、掃除中のナオに直撃した。

 ナオに睨まれ、急いでボールを片付けた。

 その後、例年同様ストームに失敗し、寝た。

 帰りのメンバーは、ハンベイ、ヤス、ホシノ、私であった。ケイジがホシノに変わっただけである。あれだけ行動を共にしたケイジが、手のひらを返した様に私たちを蔑みの目であざ笑うのが許せないと思った。「次は『いむらや』集合」と約束して鈴荘を後にした。「いむらや」というのは、甘いあんかけそばを出す店で、よそ者にとっては非常にまずいが、長野人は大好きという、不思議な店である。

 しかし、「いむらや」に着いても誰もいなかった。店は結構混雑している為、先に入って食べた。しばらく食べないと食べたくなるが、いざ食べると強烈な味であった。甘さを消そうとして酢味噌やら醤油やらをふりかけるのだが、すぐに効力がなくなってしまうのである。

 四苦八苦してあんかけそばと格闘していると、他の連中が来た。しかし、彼らは店には入らず、私たちを置いて他の店に行ってしまった。

 その後、東部湯の丸の温泉に行った。入ると、ちょうど先発していたアユミが出てくるところだった。彼女はびっくりするほどきれいになっており、私とハンベイで、心から「きれいになったね」と言った。

 するとアユミは怒り出した。「清潔になったね」位の意味でとられたのであろうか。後で知ったが、ここはアルカリ泉の為、皮膚の表面が解けてつるつるになるのである。

 そのまま帰途についた。車の中では、主にラピュタのCDで盛り上がり、男4人で「シーター!!」などと絶叫していた。

 東京まで来て、環八を通るか首都高を通るか迷ったが、環八が混んでいることを想定して首都高で帰った。しかし、事故があり、車が全く動かなくなった。そこで、私たちはこの夏一番の衝撃を受けることになる。

 なんと、すぐ斜め後ろに本物の戦車がいたのである。私たちは慌てふためき、窓を開けて身を乗り出して見入った。そして「すげー!」を大声で連発していた。すると自衛隊の運転手が笑っていた。そりゃさぞかしおかしいであろう。
 そして写真を撮ろうということになり、カメラを持ち出して構えたところ、自衛隊の運転手が

「ばっちり撮ってくれよ!」

と笑って言った。下手すりゃ怒られてカメラ没収とかになるかと思っていたので意外であった。

 結局夜中の11時頃に横浜に戻り、解散した。非常に疲れた2日間であった。そう言えば2週間後にまた結婚式で長野に行くのである。私は長野が大好きなので、何度でも行きたいと思う。

 これを書いている途中、「夏ステ」と書こうとすると、「夏捨て」となってしまう。このイベントはOBにとっては「夏捨て」なのであろうか。   

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