2024年
11月のつぶやき




11月30日 ぼくがぼくであること

 「ぼくがぼくであること」(山中恒著)を読んだ。この本は、1969年に刊行された児童文学だが、何度も版を重ね、読み継がれている。朝日小学生新聞で紹介されているのを見て、図書館で借りて読んだ。サチコも興味を示している。

 5人きょうだいの下から2番目の主人公、秀一は、勉強ができず、母にいつも怒られている小学6年生である。物語は、彼が授業中に、首筋の垢と、鼻糞を混ぜて丸めた「丸薬」を、パチンコで撃ったところ、先生の口の中に入ってしまい、立たされるところから始まる。令和のこんにち、このようないたずらを思い付きすらしないあたり、いきなり強烈である。

 そんな秀一が、家出をして見知らぬ田舎に行き、祖父とふたりで住む同い年の少女、夏代と出会い、農家の手伝いをしながら成長していく。そこには殺人事件があり、武田信玄の埋蔵金伝説があり、夏代の両親に関する秘密があり、物語は重層的に進む。そんな中でも、重点をおかれて描かれているのは、母との関係である。

 本書における母は、邪悪な存在といってもいいくらい、悪意をもって描かれている。最初は、ちょっと口うるさい教育ママくらいであったのが、物語が進むにつれどんどん常軌を逸した言動を行う。そんな母に対し、秀一はどう立ち向かい、そして最後は赦すのか。子供が両親に保護される存在から、独立した個へと成長していく過程が丁寧に描かれているあたりが、世代を超えて読み継がれているゆえんであろうと思った。


11月29日 石渡先生のこと

 学生時代に所属していた音楽サークル「民謡研究会合唱団」(通称「みんけん」)の常任指揮者であった、石渡先生が亡くなったとの情報が、SNSで流れてきた。記憶は定かでないが、2001年の発表会の時に「御年70歳」と紹介されていた気がするので、90歳を超えておられたのであろうか。

 私の音楽の原点は、間違いなく「みんけん」にある。それどころか、私の人格形成にも少なからず影響していると言える。「みんけん」に入っていなければ、当然妻との出会いもなく、私の人生は全く違ったものになっていたであろう。

 石渡先生との思い出は、必ずしも楽しいものばかりではなかった。発表会に向けての選曲の方針で真っ向から対決し、一切の妥協が無かった。私達の成長を見守るような姿勢ではなく、私達にやりたいことがあるのと同様、石渡先生にもやりたことがあったのだと思う。

 私は、3年生のころ、学生指揮者をやった。月に1回程度、石渡先生の家に通い、指揮者の指導を受けた。古い家には、その広さに不相応なグランドピアノが置かれていた。ただ手を振っていればいいのではなく、団員が力を発揮できるように振るコツを教わったが、最後まで満足できるようにはできなかった。

 みんけんの源流は「うたごえ運動」にあると言われている。かつては過激な学生運動にかかわっていたとの噂もあったが、私が入団したころは、すでに政治色は皆無であった。それでも、地方に伝わる芸能を現地で習って発表したり、ロシア民謡を歌ったりするあたり、いたるところにうたごえ運動の名残はあったように思う。そんなみんけんの変化のほぼすべてに係わってきた石渡先生は、音楽はそれ自体が素晴らしいということと、音楽で社会が変えられるということの間で揺れ動いていたようであった。

 突然話は変わるが、今週、出張に行く新幹線の中で、映画「独立少年合唱団」を観た。1970年代の田舎の全寮制中学校の合唱部を描いた映画の中で、香川照之が演じる顧問の先生が、革命思想にかぶれた生徒に話すシーンが印象的である。

「歌ってのはさ、何のためでもないから大切なんだよ。歌に特別な意味なんかない。意味がないから歌ってのは、良いんだよ。」

 人柄は全然違うのに、みんけんや石渡先生のことを思い出した。ご冥福をお祈りします。


11月23日 曇り男

 山歩きに行くため、レンタカーを運転して高速道路を走っていると、虹が見えた。太陽は出ているが、たまに小雨が降るような天気で、運転中のほか、下に書いた米ノ山山頂でも虹がみられた。優一にお天気雨の時に虹が出やすいよ、と教えてあげたら、サチコは晴れ女で、私が雨男だから、晴れ女と雨男のせめぎあいで、虹が見えたんじゃないかという話になった。

 そこで、優一が「ぼくは『曇り男』だ」と言ったのがおかしかった。そんな中途半端な男は聞いたことが無い。「あいつがいると天気はいっつも曇りだ」みたいなのは、話題になりづらいであろう。

 「曇り男」。じわじわ笑える表現だと思った。


11月23日 山歩き

 今日は、子供たちと山歩きをした。篠栗にある若杉楽園キャンプ場に駐車し、若杉山、米ノ山の山頂を経て、大和の大杉を見て戻る周回コースで、戻ったらキャンプ場でバーベキューをして帰る計画を立てた。終了後のYAMAPの記録によれば、4時間43分、移動距離7.2km、標高差560mであった。

 登山道に入れば、ひんやりとして気持ちのいい空気である。「宝満・三郡山系徹底踏査!」でコースを選び、スマホアプリYAMAPを頼りに歩く。杉の人工林の森から始まり、しばらく登ると、鬱蒼とした自然林に変わっていくさまが面白い。子供たちも元気で、順調に登ることができた。


ふたりとも元気

若杉山山頂付近にある太祖宮は、ステンレス製のぴかぴかの賽銭箱であった。こちらに参拝したのち、少し下ったところにある奥ノ院に向かった。ここには「はさみ岩」という細い岩の隙間を通り抜ける場所があり、悪人が通ると挟まれるといわれる。「優一はいい子?」と訊くと、「いつも父ちゃん殴ってるから」心配している。とりあえず、ふたりとも無事に通り抜けることができた。挟まれる心配よりも、急な上、下の石が滑りやすいため、慎重に通った。


はさみ岩を無事通り抜けた善人サチコ

 若杉山の山頂は、無線中継所の建物があり、眺望も悪く、「宝満・三郡山系徹底踏査!」でも「言葉は悪いが、凡庸である」と酷評している。そこから少し下ったところにある「若杉ヶ鼻」まで行き、絶景を眺めていると、山道を走って太宰府まで行くというツワモノが通りかかり、写真を撮ってくれた。


撮ってもらった写真


若杉ヶ鼻からの絶景

若杉山から米ノ山までの道は、整備されていて歩きやすい。場所によっては、遊歩道に杉のウッドチップが敷き詰められており、ふかふかしている上、香りも良い。きれいに整備されている割に人はほとんどおらず、穴場だと思う。米ノ山では、展望所で固形燃料でお湯を沸かし、おやつラーメン(小さいチキンラーメンみたいなもの)を食べた。


絶景を見ながらおやつラーメンを食べる人たち

その後、大和の大杉、七又杉、綾杉と、巨大杉を見ながらキャンプ場に戻った。巨大杉があり、苔むした風景や豊かに湧き出でる水など、屋久島に通じるところがあり、サチコも楽しんでくれた。難易度もちょうどよく、道に迷うこともほとんどない登山であった。

 キャンプ場に戻り、バーベキューをしようとすると、なんと焚き火台を持ってくるのを忘れていた。痛恨のミスである。仕方なく、食材はそのまま持って帰り、夜のお好み焼きの具材にした。


11月19日 無題

 トランプ大統領が当選したのに続き、兵庫県知事選において斎藤氏が勝利したことに驚いた。もちろん、この両者が性質において全く異なるものではあるが、既得権益に対する挑戦といった構図が、日本でも成功してしまったことに、驚いている。

 斎藤氏に投票した人の多くが、ネット記事やYoutubeで情報を得ていたという。立花孝志が、斎藤氏を応援するために立候補するという、訳の分からない事態になり、これが斎藤氏の追い風になった。私の感覚では、パワハラを行い、更には公益通報制度に反する行為を行った者が、社会的に認められること自体が考えられない。

 私の情報源は、基本的に朝日新聞である。ネットニュースは、意図的に見ないようにしている。朝日新聞の論調に偏りが無いわけではないが、少なくともネットニュースよりは信頼できると思っている。その理由は、お金を払っているからである。私が払う購読料は、訓練を受けたプロの記者によって書かれた記事が、その正確性を吟味された上で届けられるためにかかるコストだと思っている。完全に正しいとまではいえないものの、クリック数を稼ぐための、目を引くタイトルのネット記事やYoutube動画とは、次元の異なるものだと思っている。

 そんなことを書いている私も「既得権益側」の人間で、これから日本も、アメリカのような思想の分断が起こるのであろうか。


11月16日 家族で走る

 夕方ごろ、ジョギングをしに行こうと準備しているとサチコが私も走りたい、という。続いて優一も走ると言い出した。妻もちょうど散歩に出かけようとしており、家族で走ることになった。

 サチコの走り方はストイックで、黙々と一定の速度で進む。一方で優一の走り方はちゃらんぽらんで、静かにしていられないらしく、何かしら喋りながら走る。それでも、意外とばてたりしないから不思議である。子供たちと走るのは初めてだが、意外に体力があるとは思った。

 ダイソーで妻とは別れ、買い物をした後、サチコが職業体験でお世話になった農園をまわり、ゲオで映画を借りて帰宅した。なんだかんだで、2時間近くの外出となった。ひとりで気ままに走るのも良いが、子供たちと走るのも楽しい。


11月10日 ワンショルダーバッグ

 最近、ジョギングを再開したことは下に書いた通りだが、その際に肩からかけるショルダーバッグを探していた。今持っているものは、腰のあたりにぶら下がるため、走っているうちにどんどんずれてくるので、リュックサックのように背負えて斜め掛けできるタイプを探していた。

 優一と親子囲碁教室に行った帰り、リサイクルショップを覗くと、760円で良さげなワンショルダーバッグがあったので購入した。いいものを手に入れたよ、と妻に見せると、本来の価格はいくらなのか知りたいという。グーグルレンズで買ったバッグを撮影して検索してみると、「ビアンキ」というイタリアの自転車メーカーのブランド品で、新品では8千円くらいする代物であった。

 私と妻は「9割引き以上だ!」と歓喜した。


11月10日 ジャッキーチュンと天津飯

 最近、優一が「約束のネバーランド」を読み終え、新しい漫画を読みたいと言うので、段ボールにしまってあったドラゴンボールを出して、本棚に並べて置いたら、面白がって読み始めた。

 11巻において、亀仙人扮するジャッキーチュンと、悪の道に染まろうとしていた天津飯が、天下一武道会で戦うところが印象的である。試合の最中、亀仙人が、天津飯に正しい道を進むよう、導く。

「おぬし それほどの技を なぜ正しき道に 使わぬのじゃ! なぜ悪に走る… 技が泣いておるぞ!鶴仙人とは縁をきるのじゃ!」
「安易な悪の道からぬけだせ!!陽の光に満ちた世界を走ってみよ!!」

 その後、天津飯の実力を認め、また、正しい道を歩んでくれることを確信した亀仙人は、「こういう若者達があらわれるのを 楽しみに待っておったのじゃ」と言い残し、自ら武舞台から飛び降り、敗北する。

 これを読んだ優一は、「なんでジャッキーチュンは、飛び降りちゃったんだよ?」と、このあたりの機微が分かっていないようである。もう少し大きくなって読み返したら分かるようになるよ、と言ってあげた。

 優一のお気に入りは、その前のチャオズとクリリンの戦いであった。超能力により腹痛を起こさせたチャオズに対し、クリリンが計算問題を出すと、慌てて指で計算しようとするために超能力が解け、クリリンが攻撃をすることができた。

「9−1は!?」

といって、チャオズが「あわわわ…!!」と迷っている間に場外まで殴り飛ばして勝利した後、

「答は8(パー)だ」いうシーンが気に入り、優一は、私に「9−1は?」と訊いて、私を殴り、「答はパーだ」という遊びを、何度か繰り返している。


11月3日 ダイソーの〇×ゲーム

 優一を連れて、ちょっと遠くの公園まで遊びに行った。途中、ダイソーに寄っておやつやおもちゃやらを物色していると、優一が「逆転〇×ゲーム」を見つけた。紙に「井」の字を書いて、〇と×を順番に書き込んでいき、ビンゴゲームのように縦・横・斜めのいずれかに3つ揃えることができた方が勝ちというゲームを、プラスチック製品で楽しめるものらしい。〇×ゲームは、熟練したものどうしで行うと、必ず引き分けになる、シンプルなゲームである。どうせすぐ飽きるだろうなと思いつつ、100円なので買ってあげた。

 公園にテントを張り、クッキーを作るためのどんぐりを拾ったり、アスレチックで遊んだりしたあと、テントの中で〇×ゲームをやってみたところ、このゲームには展開を複雑にするための仕掛けがあり、思った以上に夢中で遊んだ。通常の〇×のほか、その上にかぶせて置ける〇×もあり、更にはこれらを移動することもできて、奥深さがでている。

 優一と存分に遊んで、公園を後にした。


11月2日 走る

 最近、体が重い。体の可動域が狭くなっていると感じる。腰も痛み、耳が詰まったような感じでいつも以上に耳鳴り、難聴が酷い。年のせいもあるだろうが、筋力が落ちていることもあるのではないかと思い、今日は久しぶりに走りに出かけた。

 雨上がりの夕方、Tシャツにハーフパンツで外に出れば、ひんやりとした風が心地よい。本当に久しぶりなので、ふくらはぎがきついが、ゆっくりと走っていると、次第に感覚を取り戻してきた。私の自律神経が、目覚めるのを感じる。体の中から暖まってくる感覚はなんとも心地が良い。いつもの川沿いの道を、無理のないペースで30分程度走り、帰宅した。

 体も心もすっきりした。通勤で片道20分の自転車と、20分の徒歩があるので、運動は十分だと思っていたが、もう少し負荷の高い運動が必要なようである。今後も、週に2回程度のペースで走ろうと思った。

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