2025年
3月のつぶやき
3月30日 眼鏡を作る
今かけている眼鏡が、表面に傷がたくさん入ってきたため、作り直すことにした。会社ではマスクを着用する場面も多いため、曇り止め加工の機能も気になっていた。
服装には無頓着な私も、眼鏡を選ぶのは、なかなか時間がかかる。眼鏡によって印象ががらりと変わるため、なかなか決めきれないのである。色々逡巡したあげく、眼鏡のフレームを選んだ。続いて、店員に話しかけると、視力検査をしてレンズを選ぶという。
年配の店員であったが、かなり丁寧に説明してくれた。曇り止め加工は、曇りにくい代わりに、汚れやすい、傷がつきやすい、反射防止コートが付けられないため映り込みが気になるなど、全くお勧めしていないようだったので、やめた。続いて、いろいろな検査をしてくれた。他の客もほとんどおらず、1時間ちかくは検査をしていたように思う。検査をしているうちに、目が疲れてきて、いろいろ訊かれているうちによく分からなくなってきた。当てずっぽうで答えているうちに、私の視力やら乱視の具合などが判明してきた。
驚いたのは、現在の眼鏡では視力は片目で0.5〜0.7くらいしかないことであった。これは、レンズの痛みによるもので、同じ度数でもレンズを新調するだけで0.9〜1.0くらいにはなる。
そして今回、初めて遠近両用を試してみることにした。読書は特に問題ないが、小さなものを観たり、細かい作業をするときは眼鏡をはずしている。店員曰く、老眼が進む前に遠近両用に慣れておいた方が良いらしい。今の遠近両用は、いきなり度数が変化するのではなく、レンズの中央から下部にかけて、連続的に度数が変わるため、レンズに境目の線はみえないらしい。
眼鏡ができるのは一週間後である。楽しみな一方、遠近両用を買うことで、年を取ったことを一気に実感した。
3月28日 ギコギコはしません
以前からの話だが、優一とオセロをしていると、
「ギコギコはしません、一度刃が入ったらスーーーーッ!」
と言いながら、私の石を大量にひっくり返してくることがある。どこぞのユーチューバーの真似事をしているのだろうと思いつつ、気にしていなかったのだが、先日、神奈川に行ってホテルでふたりで話しているときに、優一に元ネタを教えてもらった。
↓ギコギコはしません
https://www.youtube.com/watch?v=iuhLz0WENik
まさかのテレビショッピングであった。「ギコギコはしません」と言っておきながら、ギコギコしながらパンを切っている様子が面白く、私も爆笑してしまった。優一は、YouTubeでオセロの動画を観ていて、ユーチューバーが「ギコギコはしません」と言いながら大量に石をひっくり返すのを知り、元ネタにたどり着いたらしい。ニコニコ動画では、ギコギコする瞬間はコメントの弾幕が多すぎて、もはやパンを切っているようすが見られないほどになっていた。
その後、この「ギコギコはしません」が、鬼滅の刃で鬼の首を切るところとコラボしたりと、大変なにぎわいぶりを教えてもらった。ばかばかしいと思いながらも、面白いと思った。
3月23日 母と妹に会いに行く
金曜日に有休を取って4連休をつくり、家族で母と妹が住む神奈川まで行った。新幹線での長旅であったが、久しぶりに会う母、妹、そして元気な姪たちに会えて、楽しい3日間であった。
3月20日
朝、9時半ごろの新幹線に乗り、14時半ごろに最寄り駅である小田原に着く。それまでは2回の乗り換えがある。事前に、妹より最近優一がハマっている謎解きを用意してくれていると言われていたので、優一は楽しみにしていた。また、オセロの腕前に自身のある妹が、優一とオセロ対決をするとのことで、車内でタブレットでCPUと対戦して腕を磨いていた。
もうすぐ富士山が見えるという頃、優一が嘔吐した。新幹線で酔ったらしい。新幹線は、意外に変な揺れ方をするので、私も出張の帰りに酔ったことがある。可哀想に、事前に酔い止めを飲ませればよかった。隣の人が乗務員を呼んでくれ、ひととおり片付いた後に、雄大な富士山が姿を現した。

車窓から見た富士山
小田原からレンタカーでホテルにチェックインし、そこから徒歩で妹宅に行けば、優一のために想像以上の手の込んだ謎解きを作ってくれていた。謎々の入った5つの封筒を家から探し出し、全ての謎を解き、かつ妹にオセロで勝利すればプレゼントがもらえるらしい。謎々は、全て手書きで可愛らしい。姪のユウリとサクミも手伝って作ってくれたらしい。優一は、夢中で謎を解き、サチコも手伝いながら、5問中4問は解けた。残りの1問については、宿題となりホテルに持ち帰ることになった。

優一のために作ってくれた可愛らしい謎解き
続いて、妹と優一がオセロ対決をした。妹は、腕に自信があるようだったが、優一が勝った。優一は一時期オセロにハマり、徹底的に研究している時期があった。悔しがった妹は、再戦を申し込み、もう一度対決したが、やはり優一が勝った。ふたりの姪は、母が負けるのを初めて見るのか、大喜びであった。

全員が見守る中、オセロをする妹と優一
3月21日
朝6時前に起きると、優一はすぐに「宿題」に取りかかった。しばらくしたら、解けた。これで5問の謎解きに正解し、妹とのオセロ対決にも勝ったので、プレゼントがもらえると、喜んでいた。
2日目は、妹の農園で農作業をさせてもらった。妹は、会社員として働くかたわら、友人と共同で農園を持っており、育てた野菜を道の駅で売って副収入を得ている。サチコは、中学校の職業体験でさつま芋掘りをしたのが楽しかったらしく、農業に興味を持っている。この日、子供たちは「子持ち高菜」という高菜の脇芽部分を収穫し、洗って袋詰めしたのち、道の駅まで持って行ってラベルを貼って売り場に並べるまでを体験させてもらった。しかも、売り上げは子供たちのお小遣いになるという。
農園からは、富士山がきれいに見えた。子供たちは、楽しく農作業をして、自分の収穫したものが店に並ぶまでを体験した。滅多にできない体験であった。この日に収穫した子持ち高菜は、次の日までには完売し、サチコと優一はふたりで3240円をもらった。

妹の指導のもと、収穫をする人たち

収穫をする母とサチコ。富士山がよく見える

収穫した野菜を道の駅に陳列するサチコと優一
その後、妹に家に行き、妹は優一とオセロのリベンジマッチをしていた。サチコは、母にギターの体験レッスンをしてもらっていた。サチコは弦楽器に興味があるらしく、中学校で筝の体験をしたときも楽しかったらしい。私は、家からフルートを持参していたので、母と初めての対面での合奏練習をした。オンライン合奏は毎週しているが、実際に面と向かって演奏するのは、実に楽しかった。

リベンジマッチをする妹と優一

母にギターを教えてもらうサチコ

フルートとギターで合奏する母と私
3月22日
最終日は、サクミの卒園式ということで、我が家の4人と、母、ユウリの6人でビオトピアに行き、卒園式が終わり次第、合流することになっていた。ビオトピアは、「未病」をテーマにした体験施設で、そのうちの「ラポラポラ」を体験した。森の中の遊歩道を、タブレット端末を持ちながら歩き、いくつかのポイントでちょっとしたゲームが体験できるというプログラムである。優一とユウリがタブレットを持ち、GPSに示された現在地を確認しながら道を歩いた。
気持ちの良い天気の中、ヤマガラを見つけたり、くっつき虫を付けあったりしながら歩いた。桜の開花も始まり、気持ちよく歩くことができた。その後、卒園式に参列していた妹夫妻とサクミと合流し、ランチをした後、施設内の体力テストやら知能テストやらに次々と挑み、新幹線までの時間をつぶした。

ラポラポラの森の入り口にて

タブレットで道を調べながら進む。ちょっとした探検気分

「瞑想の広場」でだらだらする人たち
非常に良い経験のできた3日間であった。子供たちのために楽しい謎解きや、農作業の準備をしてくれた母、妹、そして姪たちに感謝!である。
最終日のランチで、妹はサチコに、自分の生き方について明確に語ってくれた。10代の時、世界の不平等を知りそれを正す仕事をしたいと思ったこと、そのために農業の知識とスキルを得て、それを仕事にしていること、仕事は、お金を稼いで生活をするためにするものであると同時に、社会をありたいと思う姿に近づけるためにすることなどを、率直に話してくれた。
世の中には色々な大人がいるが、こんなに格好いい生き方をしている大人は少ない。そしてその大人が、真剣に自分のことを話してくれる機会も少ない。学生時代までは、ある程度一様な生活をしていても、大人になればその生き方は多様であり、自分の努力と度胸しだいで、こうしたいと思う生き方を選ぶことができる。サチコも将来を見据える年ごろとなり、両親以外の大人の話を聞かせてもらい、貴重な機会となった。

楽しい3日間でした!
3月16日 カルロ・ロヴェッリの科学とは何か
イタリアの理論物理学者、カルロ・ロヴェッリの著書「時間は存在しない」は、美しく、難解な本である。単に理論物理学の解説だけでなく、古代の叙事詩等の美しい文章と共に、世界の仕組みを垣間見せてくれる。読む本がなくなったとき、決まってこれを取り出してきて、好きなページから読み返している。
同じ著者による「カルロ・ロヴェッリの科学とは何か」を、図書館で借りて読んでいる。本書の前半は、古代ギリシャの哲学者、アナクシマンドロスの功績と、彼を生みだした歴史的背景に焦点があてられる。現代科学の原点となったのは、アナクシマンドロスの功績によるというのが、本書の主題である。
約2600年前を生きた哲学者、アナクシマンドロスは、ピタゴラスやプラトンよりも知名度は低い。それでも、彼が発見したとされる考えは以下に列挙される。
・天候は自然現象である。雨水はもともと海や川の水であり、太陽の熱で蒸発したものである。
・大地は宙に浮遊している。大地が落下しないのは、落下する特定の方向を持たないからである。
・人間の祖先は、海に住んでおり、魚のような形態であった。
・事物はすべて、唯一の根源「アペイロン」から生じている。
などなどである。この時代は、自然現象は神々によるものと信じられていた。大地は、亀の上に乗った象が支えていると信じられていた。アナクシマンドロスは、神話的な世界を、自然主義的に読み解くことを提案した最初の人物である。それも、世界に現に在る事物を観察し、分析することで説明するシステムを提案した。
例えば、星々を観察すれば、それが東から昇り、西の空に沈むことが分かる。次の日、再び東の空から現れることを考えれば、大地の下に星々が通過するための空間が存在すると考えるのが自然である。
以下、本書72ページより引用
多くの読者は、小学校の理科の教科書で、その水が川に流れ、海にいたり、太陽の熱によって蒸発し、風に運ばれ、また雨となって降り注ぐ・・・これは、わたしたちが住まうこの美しい世界が複雑であること、そしてなにより、理解可能であることを示す素晴らしい一例である。ほとんどの教科書には書かれていないが、水の循環過程を世界で最初に理解した人物こそ、ミレトスのアナクシマンドロスである。
アナクシマンドロスの功績からはじまり、科学の本質とは何かをさぐる冒険の書として、非常に面白い。
3月14日 印刷日・発行日
今週、遠方に出張する機会があり、移動中のお供にと、本を買った。ユヴァル・ノア・ハラリ氏の最新作「NEXUS 情報の人類史」である。イスラエル出身の歴史学者である著者は、「サピエンス全史」で一気に有名になった。その後の「ホモ・デウス」等の作品も含め、人類の歴史にかんする全く新しい視点と、そこから読み解ける未来予想図の的確さに感銘を受けた。私は、今一番の「知の巨人」と位置付けている。
出張の日(3/11)の朝、バスの中でぼんやりした頭で本書を読み始めた。ふと気になって、出版日が書かれた最後のページを見て脳がバグった。
2025年3月20日 初版印刷
2025年3月30日 初版発行
前日、体調がすぐれなかったこともあり、私は何か勘違いをしているのだろうかと思った。知らない間に、何日も眠り続けていたのか、あるいは、未来へタイムスリップしてしまったのか。スマートフォンの日付を見れば、3/11となっている。ひとまず、異世界に行っていなかったことに安心した。
後で知ったところによると、書籍の発行日についての明確な基準は無いらしい。本を少しでも新しく見せるために、発行日を未来に設定することはよくあることだという。最新の書籍を買うこと自体があまりなかったので、知らなかった。
3月9日 頭の体操
太鼓の本番で天神に行ったとき、優一とジュンク堂に寄った。天神のジュンク堂は、恐らく九州一の大型書店で、ぶらぶら見て回るだけで楽しい。算数の好きな優一は、小学校4年と5年の算数を先取りしたいと言い、これらのドリルを購入した。私は、謎解きが好きなサチコや優一が好きになるかもしれないと思い、多胡輝の「頭の体操」を購入した。
「頭の体操」第1集は、1966年に発刊されたパズル・クイズ集で、私が子供のころ、家にあって夢中で読んだ。サチコや優一は、謎解きのYoutubeを観るのが好きだが、「頭の体操」はこれらの元祖にあたるかもしれない。
子供のころは読み飛ばしていたであろう、序文を読んだ。そこには、戦後の混乱期、常識に縛られたばかりに粗悪品の石鹸を買わされるという詐欺被害に遭った経験が語られていた。そして、ビジネスにおいて新しいものをスピード感を持って生みだすためには、常識を疑う必要があり、そのためにはブレーンストーミングや、心理的安全性の高い組織風土が求められると書かれている。
60年も前の本に書かれていることが、全く色褪せていないことに驚いた。一気に読んでは勿体ない。少しずつ、優一と楽しみながらクイズを解いていこうと思った。
3月7日 一票の格差
昨年10月の衆議院選挙において、最大2.06倍の「一票の格差」があったことに対し、全国の裁判所すべてで合憲との判決が下されたとのニュースがあった。ちなみに、それ以前の2.13倍では違憲であったらしい。
「一票の格差」という概念は、小学校で習ったような気がするが、その時ももやもやしてよく理解できなかった。そして、未だに理解ができない。一票の格差は、1倍ぴったりでなければならないのか、それとも何倍以下であれば許容できるのか。そこにだれもが納得できる説明は存在しうるのか。そもそもなぜ、一票の格差が問題となるのか。
たとえば、1万人の有権者が住む都会に、2人の候補者がいたとする。一方、そこから船で1時間くらい行ったところに、100人の有権者が住む島があり、2人の候補者がいたとする。都会と島、それぞれが1つの選挙区であったならば、一票の格差は100倍になる。これを解消するために、都会と島をひとつの選挙区にして、10,100人から2人を選ぶとなれば、ほぼ間違いなく都会の候補者2人が当選するであろう。その場合、島民の意思は完全に無視される。
あるいは、狭い地域に密集して5千人が暮らす軍艦島のような地域と、山間の広大な地域に、分散して5千人が暮らす地域があるとして、自分の考えを伝えるのはどちらが大変であろうか。軍艦島であれば、中央広場に立って演説をすればほぼ全ての住民に届く。一方で、人口密度の少ない山間の村は、広大な地域をまわり、戸別訪問で伝えるしかない。一票の格差に、人口密度は考慮しなくてよいのだろうか。
ネット少し調べてみたが、一票の格差は少ない方がよいらしい。ということは、私が間違っているのだろうが、やはり納得できない。
3月5日 汝、星のごとく
図書館で予約していた、凪良ゆうの「汝、星のごとく」がようやく順番が回ってきたので、借りて読んでいる。人気の本は、百人以上の予約待ちになるので、忘れたころに借りることになる。まだ途中までしか読んでいないが、瀬戸内海のある小島を舞台に、それぞれ家族に深刻な問題をかかえる高校生の男女が出会い、恋に落ちていくストーリーである。
凪良ゆうの小説を読むのは初めてだが、読み始めはふわっとした青春小説のようなものだと思っていた。しかし、読み進めるにつれて、著者の明確な意思表明が読み取れる。それは、ストレートな表現をすれば、「死にたい」と思っている若者に対し、「どんな手段を使ってでも生きろ」と呼びかけているように思える。もちろん、小説内にそのような露骨な表現があるわけではないが、その姿勢は潔い。主人公の男女は、未成年でも酒を飲み、性行為をする。そして、周囲にはそれを認める大人がいる。「そうでもしなければ自分自身を破壊しかねない」境遇に置かれた少年少女に対し、それを「必要なこと」として見守る態度が貫かれている。今の時代、このような姿勢を貫くのは、けっこう勇気のいることにちがいない。
著者の凪良ゆうは、母子家庭で育ち、母に見放され、その後は児童養護施設で暮らし、15歳で働き始めるなど、過酷な半生を生き抜いてきたという。そんな彼女だからこそ描ける表現があり、若者に対する応援の仕方があるのだと思った。
3月4日 映画ドラえもん のび太の地球交響楽
先週末、「映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)」が地上波初放送されたので、予約録画して子供たちと観た。のび太のリコーダーが活躍するということで、気になってはいたのだが、映画館で観ることは叶わなかったのである。
この映画は、「音楽が世界を救う」といった妄想をするアマチュア楽器奏者向けに作られた作品で、ストーリー性に乏しく、客観的にみれば駄作とも思える。それでも、音楽好きにとっては名作かもしれない。リコーダー奏者のはしくれである私としては、あまりにリコーダーが小学生が学校で吹く取るに足らない楽器、と位置付けられている点で不満があるものの、このようにリコーダーを楽器編成のひとつとして取り上げたことは嬉しかった。
のび太のリコーダーによる「の」の字の音が印象的であった。リコーダーの頭部管だけを、下部を手で支えながら吹いた音かなと思った。ネットで調べると、頭部管を水槽の水に近づけて吹いて再現した音らしい。
映画が終わり、エンドロールを見ていると、栗コーダーカルテットの栗原正己、川口義之、関島岳郎など、そうそうたるメンバーである。いずれもインドネシアで会ったことのある人たちである。リコーダーの世界は狭い。
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