2025年
4月のつぶやき




4月29日 みんけん

 今日の朝日新聞に、横浜国立大学の民謡研究会合唱団(通称「みんけん」)が載っていた。「わっかフェス」という富山の郷土芸能を盛り上げるイベントに、おわら風の盆の踊り手として参加したとのことであった。みんけんは、妻と私が学生時代に所属していた音楽サークルで、おわら風の盆のほか、同じ記事に紹介されている「むぎや節」「御陣乗太鼓」も演奏したことがある。

 記事によれば、私たちが引き継いできたおわらの踊りは、コロナ禍で絶えてしまったらしい。それを取り戻すべく、保存会に習いに行き、ステージデビューを果たした。私たちは、代々伝わる数々の和太鼓曲や舞踊曲を先輩から習い、後輩に伝えてきた。それだけでなく、毎年現地に足を運び、先輩から教わったことと、現地に学んだことを融合させて、自分なりの表現を磨きあげた。コロナ禍は、社会人以上に学生への打撃が大きかったようである。

 おそらく、コロナで伝承が絶えたのはおわらだけでなく、ほとんどの和太鼓曲・舞踊曲であろう。おわらのような有名な曲であれば復活ができても、庄原の田楽、棒踊り、お駒花笠など、マイナーな演目は修復不能かもしれない。

 それでも、みんけんがいまだに存続し、こうして活動していることが嬉しいと思った。




4月27日 優一 10歳

 キャンプから帰った日の夜は、優一の誕生パーティをした。刺身、オクラ、いちご、ぶどうなど、優一の好きなものがテーブルに並び、ケーキでお祝いをした。2分の1成人だなと思っていたが、今は18歳で成人になるようなので、5分の9成人である。

 ここのところ、優一の成長を感じる。顔つきが精悍になり、体も大きくなった気がする。数学が好きで、複素数やら三角関数やら確率やらに興味を持っている。小4からのクラブ活動では、ボードゲームクラブに入ったらしく、囲碁やオセロは今後は私は勝てなくなるかもしれない。

 今後も成長が楽しみである。


4月27日 キャンプ

 3月の春休み、サチコがキャンプに行きたい、と言った。春休み中は予定が厳しく、4月12日に計画したのだが、あいにくの雨で中止にした。そして今週末、GW初日だが1か所だけ開いており、子供たちとキャンプに行くことができた。キャンプ場は、いつも使っている北山キャンプ場で、今回は2日目が午後3時までいられる、レイトチェックアウトにした。通常の11時のチェックアウトだと、朝食を食べたらバタバタと撤収して帰るのだが、今回はのんびりできた。また、その間にテント等を干せるので、家に帰ってからの後片付けが圧倒的に楽であった。

 一日目は、2時ごろにチェックインし、テントを張った。子供たちが手伝ってくれるようになったので、だいぶ楽になった。ひととおり落ち着いたら、ボードゲームをしたり、散歩をしたりして過ごした。夜は、いつも通りバーベキューをして、寝た。夜はだいぶ冷えたが、ウルトラライトダウンを持ってきていたので、何とか乗り切った。

 二日目は、サチコが珍しく早起きした。焚火にあたりながらココアを飲み、参考書を読んでいた。さすが受験生である。しばらくすると、優一が起きてきて、一気ににぎやかになった。朝食後は、北山湖を周回する6kmのサイクリングコースを散歩した。こういった時間の使い方ができるのもうれしい。そして、昼食は、私が以前よりやりたかった、焚き火チャーハンを作った。おやじキャンプ飯の第一話を観てから、いつかやろうと思っていたのである。焚き火の火力は、自宅のガスコンロとは全く違った。チャーハンはパラパラに仕上がり、子供たちにも好評であった。

 その後、テントを干しながらのんびりと過ごし、帰宅した。今年はサチコが受験勉強に入ることもあり、最初で最後のキャンプになるかもしれない。そんなことも考えながら、思いきり楽しんだ。


いつも通り、早速ボードゲームをする


今回持ってきたジップストリング不思議な見た目で面白い


バーベキュー。いつもの「まきまきパン」をサチコはクッキー状にして焼いていた。
優一のは分裂していた。小麦粉をこねただけのものだが楽しくて美味しい


焚き火でマシュマロを焼く人たち


朝、焚き火の前で参考書を読むサチコ


湖を周回するサイクリングコースを歩く。気持ちの良い道が続く。


【動画】「おやじキャンプ飯」の影響を受けて、焚き火でチャーハンを作る私
鍋振りで米粒が多少こぼれても気にしなくていいのも良い




4月25日 あんぱん

 4月から始まった朝の連続テレビ小説「あんぱん」が面白い。この面白さを存分に享受できるのは、私たちの世代かもしれないと、妻と話していた。すなわち、アンパンマンに夢中になる子供を育てる親の世代である。私自身は、幼少期にアンパンマンを観て育ったわけではないが、サチコや優一は、一時期「アンパンマン教」の信者になるほど夢中になる時期があった。そのころ、アンパンマンの原作を読み、その圧倒的なエネルギーに震え、涙した。

 「あんぱん」でまず笑ったのは、「ヤムおんちゃん」こと屋村草吉で、顔はジャムおじさんそっくりなのに、がめつい性格である。ヒロインの家に作ったパン焼き窯は、ジャムおじさんの家にあるものとうり二つであった。そして、ヒロインの母、羽多子はジャムおじさんの助手、バタコさんであろう。ヒロインの友人に「うさこ」さんがいるのは、そのまますぎる。

 それでも、このドラマはこれから戦争の時代に突入せざるをえない。どのような展開になるのか、今から楽しみである。


4月25日 ブラックホールは白くなる

 物理学者カルロ・ロヴェッリの最新作「ブラックホールは白くなる」を読んだ。ブラックホールはどのようなもので、その中に入ったら何が起こり、どのような世界が見えるのかを、ダンテの「神曲」からの引用とともに語られる。

 私たちがこの世界の仕組みを語るとき、あたかも「私自身」は世界の外側からみているような視点で語る。しかし、私たちの身体、脳がすでに「この世界」に含まれており、世界の内側からの視点でしかものごとを認識することができない。本書は、そのギリギリの視点から世界を見渡すことができる点で、良書だと思った。

 私がカルロ・ロヴェッリの本をはじめとする宇宙論の本を好むのは、これらを読むと癒されるからである。日々の視点から俯瞰できる視点に立つことで、悩みが消えていく。「時間は存在しない」とともに繰り返し読む本になるだろうと思った。


4月6日 遠近両用眼鏡

 今日、家族で花見に行く前に、先月のつぶやきに書いた、遠近両用眼鏡を受け取りに行った。

 眼鏡屋で、出来上がった眼鏡をかけて、その視界の良さに驚いた。視界はクリヤで、世界が明るくくっきりしたような感じがした。今まで私が使っていた眼鏡が、いかに劣化していたかを痛感した。今回初めての遠近両用であったが、眼鏡の中央から下部にかけて、連続的に度数が下がっていくようになっており、これまで使用していた眼鏡と比べた違和感は全く感じなかった。

 それでも、遠近両用眼鏡を使い始めたこと自体に対する感慨はある。一般的に、老化は連続的に、ゆっくりと進む。年齢は毎年ひとつずつしか取らないし、老眼も日々気付かないくらい、ゆるやかに進行していく。それでも、遠近両用眼鏡を使い始めるタイミングは、今日という日に突然訪れる。眼鏡の種類と言う観点でいえば、私は今日、非連続的に老化したのである。

 これからも、人生の節目に、非連続的な老化を体験することであろう。遠近両用眼鏡は、その第一歩かもしれない。


4月5日 幸せな家族 そしてその頃はやった唄

 図書館で借りて、「幸せな家族〜そしてその頃はやった唄」(鈴木悦夫著)を読んだ。1989年に出版された古い本ながら、2024年に復刻版が発行されており、予約してから借りられるまでかなり時間がかかった。そのため、どこでこの本のことを知ったのかさえ忘れてしまったが、おそらく朝日小学生新聞あたりの書評に載っていたのだと思われる。

 書評の内容どころか、予約していたことさえ忘れていたまま、何の前知識もなく読み始めた。内容は不気味で、それでも早く先が知りたく、一晩で一気読みしてしまった。本書は、児童向け長編ミステリーで、「幸せな家族」というテーマで保険会社のCM撮影をするために、ある家族に撮影スタッフが1年間に渡り撮影をする企画が始まったとたん、家族が次々に殺されるという内容である。その内容は、ひとり残った主人公の「ぼく」が、テープレコーダーに記録するという形で語られる。

 読後に、インターネットで調べたところ「トラウマ児童文学」として認知されているらしい。本書に登場する気味の悪い「その頃はやった唄」という歌も、作中の創作かと思いきや、どうやら実在する歌らしい。子供だからと言って容赦しない。子供だって多様な作品に触れていいはずだ。本書からそんな著者の思いを感じた。それでも、大人の私でも怖かった。

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