2025年
6月のつぶやき




6月19日 2本のペットボトル

 優一は、私と一緒に風呂に入るとき、2本の500mlの空のペットボトルを持ち込んでくる。これで、私と対決をするのである。

 はじめに行うのは、風呂の湯を満たしたペットボトルを、どちらが先に空にできるか対決である。ペットボトルを少し回すことで、中のお湯が渦巻き状に出て、お湯は早く抜ける。そんなコツを使いながら、対決をする。2回戦は、「邪魔有り」で、相手のペットボトルを手で塞いだり、湯船に漬けたりして、お湯が抜けるのを妨げることができる。

 続いて行うのが、「落ち着いた男対決」。どちらがいかなるときも平常心を保てる落ち着いた男かを試すべく、空っぽのペットボトルに、お湯を満たしたペットボトルからお湯を移し替える。その際、いかにお湯をこぼさずに行えるかを競うのである。こちらも、1回戦は邪魔なしだが、2回戦は邪魔有りで、わざと笑わせたり、奇声を発したりして相手の平常心を失わせ、その中でお湯をこぼさずに移し替えられるかを競うのである。

 そんな、実にばかばかしいことを日々やっている。


6月18日 菌と鉄

 片山あやかのマンガ「菌と鉄」が凄い。アミガサタケが支配し、人類が完全に管理されたディストピアを描いた作品で、ジョージ・オーウェルの「1984年」に憧れて描いたと、1巻のカバーに書かれているが、アミガサダケが支配する世界としては、ブライアン・W・オールディスのSF小説「地球の長い午後」もモチーフになっているであろう。マンガ版「風の谷のナウシカ」の面影も感じる。

 著者の稚拙さが出ていることが、かえってこの作品の魅力になっている。ストーリーは追いづらく、一度読んでもしっくりこない。登場人物の能力がすごすぎて、現実味に欠ける。そのようなマイナス面も含めて、作者の作品にかける勢いのようなものを感じる。そして、人類の本質について、容赦なく、恐れることなく切り込んでいく。

 この先、話がどう展開していくのか、今から目が離せない。


6月18日 服を買う

 ここのところ、特にTシャツがボロボロになってきた。私の持っているTシャツは、インドネシアにいたころに、会社のイベント等でもらったものが多く、特に買い足したりもしていなかったので、襟の部分がボロボロになってきていて、さすがにみっともないと思い始めたのである。

 近くのリサイクルショップに行けば、良い状態のTシャツが500円程度で売られている。「プレミアムモルツ」と書かれたものや、知らないサーフィンクラブのTシャツなど、デザインは関係なく、サイズと状態の良し悪しだけで判断して、少しずつ買い足した。


6月18日 続・選択的夫婦別姓

 下で、選択的夫婦別姓という、「選択肢の拡大」に関することに、反対する人の気持ちが分からないと書いたが、自分ごととして選択的夫婦別姓に反対できるケースが、朝日新聞デジタルに載っていた。2025/6/10の記事によれば、「(選択的夫婦別姓に対する)慎重派は、選択肢が増えることで婚姻の合意に至らず、かえって障壁になると強調した。」とのことであった。

 簡単に言うと、結婚する男女のうち、男性は別姓にしたくない、一方で女性は別姓にしたい場合に、破談になるケースがありうるということだろうと解釈できる。別姓を許さない現行のルールであれば、そもそもそんな議論をしなくてよいから、そのほうがいいということらしい。

 なんという幼稚な発想であろうか。同性にするか、別姓にするか、そう言ったことに対し、真摯に向き合い議論を交わして結論を出せるのが、成熟した国家の、成熟した人々が行うべき態度であろう。法律を笠に着て、有無を言わさず従わせるほうが良いとは、よくもそんな恥ずかしいことがいえるものである。


6月10日 あの日

 図書館で借りて、「あの日」(小保方春子著)を読んだ。2014年に、STAP細胞の論文で一躍有名となり、その後の研究不正の疑惑により激しいバッシングを受けた著者による自伝である。当時の騒ぎようは、異様であったのを覚えている。「リケジョの星」を応援する声と、それを快く思わない人たちによる避難が報道を過熱させ、冷静さを欠いていたように思う。

 本は、研究者らしく、事実とそれに対する自身の感じ方がある程度客観的な視点で描かれてる。本書を読んでも、ここに書いてあることが真実かどうかは、分からない。しかし、ここに書かれていることは、小保方春子氏が、死のギリギリまで追い詰められた精神状態の中、絞り出すように発せられた言葉だと思った。最後まで読んでも、精神的な救いが一切ないまま、本は終わる。後半は、ただひたすら、痛々しい内容であった。

 本書を読んで、この人の性(さが)として、自分よりも他人を、そして公共の幸福を追求しているように思った。もしかしたら、両親からそのように教育されてきたのかもしれない。美徳ではあるが、自分を大切にしていないという点では、必ずしも良いことではない。研究を通して世の役に立ちたい、お世話になった先生に迷惑をかけたくない、理研に迷惑をかけたくない、その思いとは裏腹に、世間のバッシングは自身に集中放火され、その後どのように弁解しても、聞き入れられなくなってしまう。

 途中、何度か「心のギプスを巻き、ガチガチに固めて」といった表現がでてくる。食欲も無く、眠れず、入院生活を送っている中でも、彼女は記者会見で答え、再現実験に参加する。自身の優先順位を下げて、「頑張る」ことが彼女にとって美徳であった。しかしそれが裏目に出て、博士も学位もはく奪されるという、最悪の結末になってしまった。


6月10日 夫婦別姓のこと

 選択的夫婦別姓の法制化について、議論されている。立憲民主党と国民民主党が推進派であるのに対し、自民党は慎重姿勢、日本維新の会は旧姓の通称使用を推進しているあたり、自民党に近いように感じる。

 私は、そもそもなぜ議論する必要があるのかが、分からない。仮に、夫婦別姓が義務化されるような法改正であれば、当然大きな議論を行うことになるであろう。しかし今回は、「選択肢の拡大」である。夫婦別姓をしたい人はすればよい、したくない人はしなくてよい。それぞれがそれぞれの判断で決めてよいことに、反対する人の気持ちが分からない。

 「夫婦別姓により、家族の一体感が失われる」
 →確かにそうかもしれない。そう思うならば、「あなた」は別姓にしなければよい。

 「親と性が異なることで、子供が可哀想だ」
 →確かにそうかもしれない。しかし、それは「あなた」の子供ではない。

 選択的夫婦別姓に反対する人は、他人のことまで自分ごととして心配するような、お節介好きのひとなのではないかと推察する。私自身は、夫婦別姓に対しては、とくに意見は持っておらず、賛成でも反対でもない。しかし、「選択肢の拡大」に反対する理由は無いのである。


6月8日 地引網

 日曜日は会社のイベントがあり、優一とバスに乗って唐津に行き、地引網を引いた。地引網がどういうものなのかもよく分からないまま、砂浜で沖合に伸びた2本のロープを、皆で綱引きのように引いた。結構な重労働で、感覚的には数百メートルも綱を引いていた。沖合に仕掛けられていた網が近づいてくると、テンションは上がり、網には大量のクラゲとともに、さまざまな魚がかかっていた。

 私は、保冷袋に2匹の魚をいれた。「アラカブ」というらしいが、カサゴの九州での呼び名とのことであった。

 家に帰って台所に置いてみると、2匹の魚で特徴が異なっていた。並べたまま放置していると、台所から妻の悲鳴が聞こえた。魚の種類を調べるために、魚を持ってスマホで撮影していると、突然魚が暴れ出したらしい。氷漬けにして数時間が経過しているのに、なんとまだ生きていたらしい。妻によると、2匹のうち1匹は、「キジハダ」という魚であった。どちらも、高級魚らしい。

 煮つけにするために、下処理をした。生きた魚を捌くのは初めてなので、どきどきした。鱗を取り、えらを外し外し、内臓を取り出しているうちに、魚は弱っていった。魚は「生き物」から「食材」へと、連続的に変化していった。「命をいただく」という感覚が分かった。

 煮つけは、とても美味しく、釣りをしない我が家にとって、普段なかなか味わえない体験をすることができた。


6月7日 餃子を作る

 土曜日の昼食と夕食は、私が作ることになっているが、今は白菜が異常に安いので、今日の夕食は餃子を作ることにした。餃子はコスパが良く、千円ちょっとで120個ぶんの餃子の材料がそろう。

 餃子を包む段階になると、子供たちが手伝ってくれた。サチコは、独特のひだの形の餃子をきれいに作れるようになっていた。優一は、「おふざけ餃子」と称して、不定形の餃子を作っている。サチコが小さいころは、「あめちゃん餃子」「お姫様餃子」など、形にコンセプトがあったのに対し、優一が作る餃子は、そういったものが無い。あんこの入った「あんこ餃子」も含めて、120個の餃子ができた。

 私が小さいころも、母の横で色々な形の餃子を作って遊んだことをおぼろげに覚えている。子供が餃子包みを手伝うと、最初は邪魔だけど、我慢して好き勝手やらせていると、そのうち戦力になってくれると言った意味のことを言っていた気がする。

 優一が作った、具のはみ出たペラペラの「おふざけ餃子」は、パリっとしていて意外に美味しかった。


6月5日 ボイラー技士試験

 今日は、ボイラー技士1級の試験を受けに行った。試験時間は4時間であるが、選択問題が40問あるだけなので、1時間半程度で最終確認まで終わり、席を立った。そのころには、半数くらいの人はすでに試験を終えていた。試験の出来としては、ほぼ間違いなく合格しているであろう。

 ここ1か月、読書の時間を勉強に充てていたので、ようやくこれで本を読める。帰りに図書館で予約した本を受け取り、残りの時間をテレワークして、一日を終えた。


6月2日 人新世とZABADAK

 昨日放送された「サイエンスZERO」は人新世に関するものであった。人類の活動が地球に与えた痕跡を探ることで、新たな地質年代を、「人新世」と名付けることで、人間活動に対する警鐘としたいと、地質学者たちが始めた運動である。

 番組によれば、1950年ごろから、世界中の地層において、化石燃料が大量に大気に放出された痕跡や、マイクロプラスチックが排出された痕跡がみつかるという。更に悲しいことに、水爆実験によって放たれたプルトニウムがいたるところで地層に痕跡として残される。

 地球の温暖化については、私が小学生くらいのころから言われていたと思う。それでも20代くらいまでは肌感覚としての実感が無かった。今は、毎年の猛暑で、温暖化の影響が肌感覚として感じられる。サチコや優一のためにも、ひとりの生活者として、そして、製造業で働く会社員として、自分ができることをやっていかなければならない。

 あまり有名ではないが、ZABADAKの「Goodbye Earth」という歌がある。学生のころに知り、何度も聴いた。英語の歌詞だが、日本人が作った歌である。ポップソングといえば、恋愛ものばかりであったころ、ひたすら人間による環境破壊を嘆く、異色の歌である。一人称の「I」が地球そのもので、地球視点での歌詞が印象的であった。これで、単語を覚えたりもした。以下、その歌詞。

Still i do remember
How many tree they've cutting down
Surely i am aware of now
How many speies rooted out

Development...cultivation...improvement
We believe it
Irrigation and dredging...reclamation
We believe it

It seems like an achievement
It's nothing but defilement
for mother earth

Seals had been liveing in northern sea
Thrown on the shores with muddy oil
Whale rounding in the ocean
Stored up many poisons in the their fresh

Mathematics and physics....chemistry
We believe it
Architecture...engineering...agriculture
We believe it

It seems like an achievement
It's nothing but defilement...

Well i have one question for you
Why do they think they're so clever
Turely it is so strange to me
WHY is MAN the lord of creation

Streams...and reivers...the ocean
We destroyed it
Many woods....and forest....the jungle
We destroyed it

If we can't stop it
Maybe we must say good-bye to mother earth


6月1日 山登り

 今週の土曜日は、久しぶりに子供たちと登山を計画した。以前購入した「宝満・三郡山系徹底踏査!」(海鳥社)に載っているルートで、一本松公園から頭巾山、三郡山を経て周回して帰ってくるというコースである。終わったら、一本松公園で簡単にバーベキューをして帰ってくるつもりであった。

 初めてのコースであり、私が道を間違えたり、登山口からかなり離れたところに駐車してアスファルトの道を歩いたりしたこともあり、登山を始めることにはサチコは疲れている様子であった。登り始めると、いきなり急登が現れた。本書によれば、ローブ場とのことであるが、ロープは見当たらず、なんとかよじ登っていったが、サチコが怖がってしまい、引き返すことにした。

 周回コースの反対側から登り、山頂で引き返すことにしたが、明らかにサチコが疲れており、登山は中断した。受験勉強で運動不足となり、久々の登山をする体力が失われていたらしい。

 一本松公園に戻り、バーベキューをした。この公園は、直火は禁止ながら、バーベキューやキャンプは自由にできるらしく、色々なところで、テントを張ってバーベキューをしている人たちがいた。木々も高くて日差しを遮ってくれるし、小川もあり、素晴らしい環境である。本格的にやるつもりはなかったので、冷凍焼き鳥やコンビニで買ったパン、おにぎりなどを炭火で温めて、公園を後にした。

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