2025年
10月のつぶやき




10月26日 ハンバーガーショップ

 最近、太鼓の本番に行くため、レンタカーで優一とドライブすることが多い。車内では、優一にスマホを渡し、スマホに入っている曲を、ブルートゥーススピーカーで聴いている。

 最近、優一は嘉門達夫の歌を気に入って聴いている。家にあったカセットテープをMP3に変換したもので、ウェブサイトで調べると、発売されたのは1992年らしい。私が子供のころ、父が買ってきたものだと思われる。下ネタもあるが、「アホがみるブタのケツ」「バス」「自転車」など、子供でも笑える曲がいくつかあり、それを聴いてはゲラゲラ笑っている。

 その中のひとつ、「ハンバーガーショップ」は、「徹底した社員教育により、同じセリフしか言えないアルバイト学生」に戦いをいどむ歌である。

店員:「こちらでお召し上がりですか?それともお持ち帰りですか?」
俺:「どっちも嫌」

店員:「お勘定は先にさせていただいてもよろしいですか?」
俺:「モノ持ってきてからやなかったら、カネ払わん」

といったやり取りが続き、最後は「責任者でてこ〜い!」と叫ぶ。現代においては不適切極まりなく、カスハラであるが、当時はこの歌が面白かった。日本は変わったものだと思う。この歌を面白がっているからと言って、単純に昔の日本人が狂暴だとか、モラルが低いとはいえない。

 おそらく、昔の商店街などでの店と客の関係というのは、今では想像もつかないくらい、心の距離が近かった。母の実家はかつて八百屋をやっていたらしいが、ツケで払う客が一定数いたという。祖父母は、ツケの内容を黒板に書いていくが、黒板がいっぱいになると、古い方から消してしまう。何ともいいかげんな商売だが、おそらく、ツケを払えないことは分かっていて消したのであろう。当時、貧乏はお互いさまだった。そんな話を、祖父の葬式で母から聞いた。

 その時代からはかなり下るが、昭和の時代に海外からやってきた「ハンバーガーショップ」は、極めてシステマチックで、物珍しく、当時の人には面白く奇異に映ったのかもしれない。加えて、画一的な教育、強権的な政府、マニュアル化された企業のシステム等に対する反骨心のようなものは、間違いなくあった。それが「ハンバーガーショップ」の怒りと笑いの源泉だと思う。

 だからなのかは知らないが、続く「ハンバーガーショップ」の2番は、「俺」がハンバーガーショップの店員になって、無茶苦茶な応対をするという内容になっている。


10月25日 春巻き

 毎週土曜日は、私が食事係である。今日は、初めて春巻きを作ってみた。我が家では、春巻きはスーパーの総菜コーナーで買うものであった。餃子であれば、基本的に生の材料を混ぜ合わせ、皮で包んで焼くだけだが、春巻きは、まず全ての具に火を通す。料理として完成した野菜炒めを、更に皮で包んで揚げるから、手数が多い印象があり、なかなか自作しようと思わなかったのである。

 かつて、母が家で作ってくれた春巻きが非常に美味しかったと記憶しており、このイメージを思い出しながら作った。レシピをいくつか検索して調べた。スタンダードなレシピのうち、春雨は入っておらず、代わりにもやしが入っていた気がする。具は、豚ひき肉、もやし、干ししいたけ、たけのこ、にんじんに決定し、これらをしょうがで香りを付けて炒めた。

 皮に包む作業は、餃子よりも簡単であった。中に入れる具材の量の融通が利き、作った具材に合わせて調整できる。餃子のように、具が足りず皮が余ったり、その逆が発生しづらい。

 できた春巻きは、大変美味しかった。手数も、餃子と比べて著しく面倒というほどでもなかった。これからの定番にできそうである。


10月25日 題名のない音楽会

 今日の「題名のない音楽会」は「絵画から生まれた名曲を楽しむ音楽会」というテーマで、東京混声合唱団による4曲の演奏があった。妻と私は、学生時代にみんけんで合唱をやっており、今回登場する三善晃・間宮芳生などの作曲家の曲にも触れたことがあったので、興味深く視聴した。

 最初の3曲は、パウル・クレーの絵画から着想を得た谷川俊太郎の詩に、三善晃が曲を付けた合唱曲「クレーの絵本 第一集」からである。

 三善晃の曲は、学生時代に「混声合唱のための『五つの民謡』」の「ソーラン節」「木曽節」を歌ったことがある。いずれも、発表会の終曲として歌ったと記憶しているが、難易度が高く、迫力のあるサウンドであった。谷川俊太郎の詩を、三善晃、またはその弟子である鈴木輝明が合唱曲にするというパターンも、学生の合唱コンクールの曲として定番である。いずれにせよ、和声・メロディ進行ともに素直な感じではなく、斜め上、あるいは変態的な現代音楽というイメージがあり、万人受けするものではないが、ハマってしまうと癖になるタイプである。

 そして終曲は、間宮芳生の「合唱のためのコンポジション第5番 鳥獣戯画」から第4楽章であった。音程のない全員の大爆笑から始まる不思議なこの曲は、これまでの3曲をはるかに凌駕する変態度で、全てをかっさらって行った感が凄すぎる。静と動の使い分け、はるか昔の日本の風土に本当に存在していたのではないかと思わせるような独特のサウンドは、久々に聴く間宮芳生ならではのものであった。妻と私は、合唱曲の選曲もしたことがあり、間宮芳生の曲も調べたことがあるが、「合唱のためのコンポジション」は、難易度が高すぎて選べなかった。変態度を少しマイルド(?)にした「合唱のための12のインヴェンション」には、大変お世話になり、演奏会の定番曲となっていた。

 そんなことを妻と話しながら、家族で視聴した。歌が好きで、変態的なボカロ曲が好きなサチコも、面白がって観ていた。


10月19日 大人気(おとなげ)

 今朝、優一がゲームを持ちかけてきた。交互に数字を言って、最初に17以上の数を言ったほうが負け、というゲームらしい。ルールは以下のとおりである。

@最初に言う人は、1〜3のいずれかを言う。
A以後、前の人が言った数字に1〜3のいずれかを足した数字を言う。

 お父さんが先手でいいよ、というので、早速やってみた。

私:「1」→ 優:「4」→ 私:「5」→ 優:「8」→ 私:「10」→ 優:「12」→ 私:「15」→ 優:「16」→ 私:「・・・17」

 私の負けである。2回連続で負けた後、先手必勝だということに気付いた。後手は、4の倍数になる数を言えば、必ず勝てるのである。

 このやりとりを見ていた妻が、自分は優一からゲームを持ちかけられたときからこのトリックに気付いていたと言った。そして、ゲームをしなかったらしい。なんと大人気ないことであろうか。そのあたり、怪しいと思っても、いったんはゲームをしてやり、負けてやり、驚いてあげるのが、正しい大人の態度ではないのか。私がそのように揶揄するなどして、穏やかな日曜日の朝は過ぎていった。


10月13日 キャンプに行く

 3連休は、子供たちを連れてキャンプに行った。キャンプ場を予約したのが3連休直前であったこともあり、何とか空いていた、初めて行く場所である。10月にリニューアルオープンしたばかりのキャンプ場で、予約したときには口コミ等の評価はまだ無かった。しかしキャンプ前日に確認すると、評価は最低の星1つが付いていた。曰く、スズメバチが出る、トイレが汚い、シャワールームがクモの巣だらけ、など、散々な書かれようであった。

 当日、子供たちのテンションはだだ下がりであった。スズメバチが怖いらしい。キャンプ場に着いても、なかなか車を降りようとしない。サチコは、暑いのにパーカーを着て、フードをかぶって完全防護で出てきた。いくら口コミに書いてあるからと言って、車を降りた瞬間にスズメバチの大軍が襲ってくるはずがない。もしスズメバチの脅威がありそうなら、場所を変えてもらおうと思っていたが、設置する場所には、スズメバチは全くいなかった。キャンプ場内を散策すると、高台にある奥のサイトで、オオスズメバチを見かけただけであった。

 一方で、キャンプ場としてはかなりイマイチである。リニューアルオープンどころか、古い施設がそのまま使われている。施設についての説明もなく、割り当てられたエリアも斜面で、かつ掘り起こされたような跡がある。ゴミ捨て場もなく、ゴミは全て持ち帰りとなる。これが利用料千円とかであれば、全く問題ないが、8千円もするキャンプ場のサービスとしては、全くダメダメだと言わざるを得ない。

 テントを張り終え、しばらくすると、子供たちもスズメバチがいないことに安心しはじめた。優一が「落ち葉で焚き火をして焼き芋を作ってみたい」と言っていたので、落ち葉をかき集めてきて芋を焼いたり、好きなものを焼いて食べた。テントの中では、優一の「謎解き」ごっこをしたり、ボードゲームをしたりして過ごした。


落ち葉で芋を焼く優一


色々焼いて食べる人たち


翌日の朝、早起きして一人で焚き火とコーヒーを楽しむ私

 帰り道、近くの海が「かがみの海」であることを知り、寄り道した。ちょうど、土曜日の朝日小学生新聞で「ウユニ塩湖」に行った気分になれると紹介されていた。せっかくだからと、波が引いた海の上に立ち、優一に写真を撮ってもらったところ、顔から下しか映してくれなかった。現象にしか興味がないらしい。サチコに撮りなおしてもらい、それらしい写真が撮れた。


優一の撮った写真。顔を映してくれない。。。


左:サチコに撮りなおしてもらった。 右:優一も鏡の上にいるよう


10月5日 ソーラン節

 今日は、優一の運動会であった。コロナ後の運動会は、午前中で終わるので楽である。優一は、リレーを走り、ソーラン節を踊っていた。優一は、思った以上の速さで走り、思った以上にカッコよくソーラン節を踊っていた。「太鼓と似ている」と言っていた。そのあたり、意外とよく分かっている。日本の芸能は、腰を低く落とて下半身はどっしりを構え、上半身は力を入れすぎずしなやかに行うことで、見栄えが良くなる。

 ソーラン節は、北海道の民謡でニシン漁の際に唄われる労働唄である。日本の運動会で踊られるソーラン節は、「南中ソーラン」というものらしい。Wikipediaによれば、北海道民謡のソーラン節をアレンジして、稚内市立稚内南中学校の教員と生徒が考案したとされる。一方で、高知県のよさこい祭りと融合させた「YOSAKOIソーラン」も生まれ、ソーラン節は古臭い過去のものではなく、今を生きる現代の民謡に変貌する。

 「南中ソーラン」の振り付けは、網を引く、ニシンを運ぶなど、労働唄としての性質を残しつつ、子供たちが楽しめるように工夫されている。優一が、家でもソーラン節の練習をしていたのだから、楽しかったのであろう。


10月4日 父と雨

 明石に住む父が、我が家にやってきた。鉄道好きの父は、二日かけて九州を一周する計画を立て、そのついでに私と将棋を指しに、我が家に寄ってくれることになっていた。毎週、オンラインで将棋を指しているものの、リアルで将棋を指す機会は滅多にない。

 今日は、午前中優一の運動会の予定であったが、雨予報ということで延期になっていた。結局、雨はほとんど降っていない。父の来る午後、レンタカーを借りて駅まで迎えに行くと、ポツリと雨が降ったが、すぐに止んだ。

 久しぶりに会う父は、以前よりも元気そうにみえた。まずは、父と家の近くのスーパーに行き、「久留米ホットドッグ」(コールスローとハムを挟んだパン)をはじめ、現地でしか買えないローカルフードを物色して購入していた。

 その後、自宅で優一がマジックを披露し、私と将棋を指した。将棋を指していると、雨が降り始め、そのうち土砂降りになった。天気予報は雨時々くもりで、こんな土砂降りは聞いていない。父を駅まで送るころ、雨は最高潮となり、道路は冠水し始めた。土砂降りの中、無事に父を駅まで送り届けると、雨は小降りになった。自宅に戻り、しばらくすると雨は完全に止んだ。父は筋金入りの雨男だと思った。かつて、父とキャンプの計画をした時も、たいていは雨であった気がする。

 家の前の公園を見れば、雨水が冠水しており、木々から滴り落ちる雫が、美しい波紋をえがいている。サンダルを履いて、子供たちと冠水した公園をじゃぱじゃばと散歩し、いつもと違う風景の公園を満喫した。

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