2025年
11月のつぶやき
11月24日 ぬる〜い
日曜日、優一と囲碁教室に行く前に自販機で飲み物を買った。優一は、これまでは冷たい飲み物を買っていたのだが、寒くなってきて、ホットを欲しがっていた。しかし、ココアなど、優一が飲めそうな飲み物は無く、缶コーヒーくらいしか残っていない。自販機には、ホットを示す「あったか〜い」という赤い表示と、コールドを示す「つめた〜い」の青いマークがあった。
優一は、「『ぬる〜い』はないのかなぁ」と言った。私は、笑ってしまった。おそらく、常温の飲み物が欲しいということなのだろうが、自販機に「ぬる〜い」と書かれた飲料があったら、あまり飲みたくない。色は茶色くらいであろうか。こういった優一のユーモアセンスには脱帽である。
11月19日 駐輪禁止について
最近、週に二回はジョギングをしているが、駅前のロータリーを通るたびに思うことがある。
駅前のロータリーは、不法駐輪との戦いである。でかでかと掲示をしたり、シニアスタッフを雇って、自転車に貼り紙をしたり、声掛けをしたりしていたが、不法駐輪は一向に減らず、市はついに、強硬手段に出た。不法駐輪をしていた場所を三角コーンで囲い、プラチェーンを張って、立ち入り禁止にしたのである。
これでは、本末転倒である。不法駐輪により、通行スペースが狭くなっていたことが問題であったのに、それと同じ面積を立ち入り禁止にしたら、不法駐輪が無くてもスペースは狭いままである。しかも、不法駐輪は、立ち入り禁止スペースの外側にて相変わらず行われており、立ち入り禁止スペース + 不法駐輪で、駅前ロータリーの歩道は、以前よりもさらに狭くなった。
問題は、このあたりにダイソーやスーパーがあり、ちょっとした買い物のために駐輪する人が多いことである。掲示には「短時間でも違法です!」と書かれているが、私も、5分程度のダイソーでの買い物のために、わざわざ遠くの地下市営駐輪場までは行きたくない。ここに自転車を置いて電車に乗るのは駄目だが、ちょっとした買い物のために駐輪するのは認めるべきではないかと思う。
11月16日 命の灯火
最近、優一と遊んでいるゲームが、任天堂SWITCHの「大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL」である。古今東西のゲームキャラクターがひたすら戦い、戦いの舞台から落下したら負け、というシンプルなゲームである。優一と私は、現実世界でも「落ちろ落ちろごっこ」と称して、高いところやら川べりを見つけるたびに、落とし合いをしている仲なので、このゲームについての優一の説明は、「落ちろ落ちろごっこだよ!」であった。
登場するキャラは実に多様で、古くはパックマンから、新しくはスプラトゥーンのインクリングまで、ゲーム機体やゲーム会社を問わず、あらゆるキャラが登場し、戦う。ストーリーらしきものはあるらしいが、なぜ彼らが戦うのかは、分からない。しかし、ゲームの歴史を刻んできたキャラクターが、ただただひたすら戦うこのゲームをしていると、それらを作り上げてきた人たちに対する畏敬の念をいだいていることを感じる。
主題歌「命の灯火」は、そんな製作者の思いが凝縮されているように思え、久しぶりに気に入った曲となった。
命の灯火 リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=MVdqPUf6NFY
11月15日 ホタルの歌
図書館で借りて「ホタルの歌」(原田一美著)を読んだ。本書は、1971年に出版されたものの、1998年に絶版となった。私が手にしているのは、その後2008年に出版されたリメイク版である。
徳島の山奥の村で、小学校の教員をしていた著者が、宿直のさいに教え子たちに誘われ、ホタルを見にいくところから、全ては始まる。子供たちと始めたホタル研究は、数年がかりの息の長いものとなり、ついに人工ふ化に成功する。研究成果は、県の科学体験発表会で優勝し、この地域のホタルは国の天然記念物に指定される。今では、8億円を投じて「美郷ほたる館」ができ、地域振興と自然保護の両面から取り組みがなされている。
家族からどなられても研究をつづける子、休日に、往復4キロもの道のりを、水替えのために登校する子、母親が癌になり、家事をしながら研究発表の練習をする子、ホタルの研究がこれほど熱心に続けられた原動力は何だったのか。下に引用した圧巻の描写からは、ホタルが今ほど珍しくなかった昭和の時代ですら、人を虜にする力があるらしい。
あたりはホタル、ホタルでいっぱいです。いつもながらにすばらしいながめです。
ところが、じっと見ていると、わたしたちのまえのホタルたちがついたり消えたりするたびに、だんだんその距離をせばめだしてきたのです。
「あれっ、ホタルのやつかたまりだしたぞ!」
芳明君がびっくりしていいました。
五ひきや十ぴきの小さいかたまりは見なれていて、ふしぎとも思いません。その小さいかたまりが消えて、つぎにつくときはその倍にも三倍にもなっているのです。
わたしたちのすぐ目のまえで、そのかたまりは、みるみるうちに大きくふくらむように広がっていくではありませんか。
すこしはなれたところで光っていたホタルがあわてたように、その火のかたまりにむかって飛んできます。
二秒間かくの点滅が、なんだか一秒ごと、いやもっとはやくなったような気がします。
わたしたちは、あっけにとられて見つめました。なん百、なん千のホタルが、谷一面のホタルが一か所にすいよせられるように集まり、上から下へ、下から上へぐるぐるまわりながら、飛びちがいだしたのです。
それはまるで砂漠におこるたつ巻きのように、一本のふとい柱になって、ついたり消えたりするのです。
まっくらな川の上に立つ、まぼろしの光の柱。
下のほうがぐんと、広くふくらんだかと思うと、つぎの瞬間にはすっと消えて、上のほうへさあっとふとくひろがってのびて光るのです。
「先生、すごいな、すごいな!」
小説やアニメにもなった「虹色ほたる」のクライマックスの描写は、ファンタジーだと思っていた。しかし、少し前の日本では、実際にみられた光景であったらしい。
11月13日 成瀬は天下を取りにいく
表題の本は、図書館で予約して半年くらい待ち、ようやく借りることができた。宮島未奈氏のデビュー作で、2024年の本屋大賞となった作品である。
「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」から始まる本書は、主人公、成瀬あかりの中学二年生から高校三年生までをえがいた作品である。章により一人称は変わり、さまざまな視点から成瀬あかりの際立った個性が語られる。そして、最終章の「ときめき江州音頭」だけは成瀬の視点で語られる。
本を読み始めてすぐに引き込まれ、一気に読んだ。なんといっても、主人公、成瀬あかりの個性が際立っている。周囲になんと思われようとも、我関せず自分の決めた道に突き進む姿勢は、すがすがしい。子供のころ、(大人になってからも)変り者と言われてきた私にとって、成瀬あかりは、自分がこう生きたいと思ってきた手本であり、気持ちよいほどに体現してくれる存在である。決して、虚構の存在ではない。
一方で、本書の背景には、アニメーション映画「すずめの戸締まり」にも通じる地方の衰退が、通奏低音として鳴り響いている。本作の中心軸は、大津市唯一のデパート「西武大津店」の閉店である。閉店までのカウントダウン、西武大津店のパネル展や寄せ書きなど、閉店にいたる人々の思いが交錯していく。斜陽に向かう日本の中で生きる人々、というテーマが、「すずめの戸締まり」にも通じるところがあり、心が揺さぶられた。
続編「成瀬は信じた道をいく」も予約した。
11月12日 健康診断
会社の定期健康診断の結果が出た。例年、糖代謝(HbA1c)とコレステロールで「要精密検査」となるのだが、今年は「要経過観察」で済んだ。遺伝の影響で、父からは糖尿病を、母からは高コレステロールの血を受け継いでおり、ある程度仕方ないと思っていた。「要精密検査」と言っても、会社の指定する産業医の病院に行き、同じ血液検査を受ければ、だいたいパスする。
この一年での変化と言えば、週に2回程度のジョギングを始めたことである。私は走るのが好きである。走ることによる心地よい疲労感も好きだし、季節の変化により、暑い・寒いの感覚が感じられることも、気分がすっきりして良い。食事については、特に意識はしておらず、好きなものを食べ、晩酌も毎日している。
11月3日 どんぐりクッキー
三連休最後の今日、子供たちとどんぐりを拾いに行った。サチコの友人、Mも来てくれた。どんぐりを拾うのは、食用としてである。我が家では、何年か前からどんぐりを秋の味覚として食用とし始めた。どんぐりの本を買い、一応見わけもつけられる。
あてにしていた、アクの少ないマテバシシのどんぐりは、今年は生っていなかった。生でも食べられる、ツブラジイはたくさん落ちていたが、小さくて殻を剥くのが大変なため、今年はコナラのどんぐりをメインで拾った。公園で、水に浮かせて選別し、殻を剥いて家に持ち帰った。
家では、重曹で煮てアクを取り、太鼓のバチで叩いて砕いた。かなり面倒な作業だが、Mはどんぐりを一つ一つ、手で引きちぎるという、途方もない作業を始めた。サチコは、タブレットで「ソーラン節」を流し、そのリズムに合わせてバチで搗き始めた。まさに労働歌である。昔の人類は、労働の辛さをまぎらわせるために歌を歌い、それが民謡として芸能の形になった。現代では歌と労働は切り離されたが、歌の源流というのは、労働にある。
どんぐり粉に小麦粉、砂糖、塩、バター、サラダ油を混ぜて、オーブンで焼けば、秋の味が出来上がった。素朴で、秋しか味わえない、季節の味である。
11月1日 おならの臭いについて
私が家でおならをすると、優一は臭い、臭いと騒ぎ出す。何とも愚かな男である。おならは臭いという、固定観念に縛られており、臭気を客観的に判断する能力に欠けているらしい。健康な時の私のおならは、臭くない。
ところが、ここ数日、おならが臭くなった。私は、おならの臭いを、健康のバロメータとして考えている。臭くないのが普通で、臭いときは、健康に何らかの問題があると思われる。特に、食事のバランスが崩れたときにおならが臭くなる。肉をひかえ、食物繊維や発酵食品を多く摂ることで、おならの臭いは元に戻った。
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