2025年
12月のつぶやき
12月6日 優一マジックショー
今日は、太鼓の本番があった。公民館で、高齢者の年末のつどいのイベントで演奏するという内容で、アットホームな雰囲気で太鼓を叩いた。太鼓を叩いた後、マジック好きの優一に、マジックも披露してほしいとのオファーが来ていた。優一は、高齢者に受けそうなマジックを考え、「水がカルピスに変わるマジック」をすることにした。それから、いろいろ自分で考え、私を助手にし、私は言われるがままに優一の手伝いをすることになった。
結局、下の動画のようなマジックを披露することになり、思った以上に受けた。人前でこれだけのことをやれるとは、意外に度胸があるなぁと思った。優一は楽しんでやっていたらしく、よい機会になった。チャンスを与えてくれた関係者の方々に感謝!である。
↓優一のマジックショー
https://www.youtube.com/watch?v=JCWBZRM7vc0
12月3日 秩父夜祭
12月3日といえば、秩父夜祭である。秩父夜祭は、日本三大曳山祭りのひとつで、絢爛豪華な曳山と、その中で演奏される屋台囃子の演奏、そして冬の夜空に打ち上げられる無数の花火が魅力である。妻と私は、学生の頃、なんどかこの祭りを観に行ったことがある。
屋台の中で演奏されるお囃子は、祭りでは音しか聴こえないが、鬼太鼓座、鼓童など初期のプロの和太鼓集団が、これを学び、舞台芸術として磨き上げ、今ではアマチュアの和太鼓団体でも取り上げられるメジャーな曲のひとつとなっている。それでも、地元で演奏される屋台囃子は、地元の人にしか演奏できないと感じる。地のリズムは、8分音符の連打からは微妙に外れ、楽譜に落とせないようなわずかにつんのめるような「テケテッケ」のリズムになっているあたり、プロの和太鼓集団でさえも再現できていない。これこそが伝統芸能の面白さだと思う。
今では、Youtubeのライブ配信で、お祭りの様子を知ることができる。夕食を食べながら秩父夜祭の映像をライブで見て、家族で祭りの話をしていた。
12月3日 優一寝ろ寝ろ
優一は、家族共用のタブレット端末に、いくつかのアラームを入れている。起きる時間、アレルギーの薬を飲む時間などを入れて、管理しているらしい。こういった姿勢は、妻の血を受け継いでいると感じる。私は、どちらかといえば気ままにやりたいほうだからである。
その中に「優一寝ろ寝ろ」というアラームがある。そろそろ寝る時間だということを知らせるのが目的らしい。ある日、優一は、いつもより早く眠気が来たらしく、早めに布団でうとうとしていた。すると、「優一寝ろ寝ろ」のアラームが鳴った。せっかく寝ようとしているのに、「寝ろ寝ろ」のアラームで起こされ、わざわざアラームを消しに行く優一を見て、妻と笑いをこらえるのに必死であった。
その後、「優一寝ろ寝ろ」アラームは削除されたようだ。
12月1日 優一アップデート
先週の土曜日の夕方、優一が発熱した。その日の朝は、「ナゾトキラボ」の動画で、是開一難しい論理クイズを観ていた。優一が突然発熱するのは、年に1度くらいあり、妻と私は「優一アップデート」と呼んでいる。パソコンのOSがアップデートされるときとかに、CPUの利用率が高くなり、発熱する現象に似ているのである。優一は、39度くらいの熱が出ているのに、風邪の症状はなく、少し頭痛い、と言っている程度である。それほど辛そうでもなく、私にちょっかいを出すくらいの余力はある。
日曜日、囲碁教室と太鼓の練習は休んだが、夕方には元気になった。知恵熱のようなものなのか、これに従い優一の能力がアップデートされたのか、そのあたりはよくわからない。
12月1日 ベルトラッキ贋作事件と交響曲第1番「HIROSHIMA」
NHKの「未解決事件」でベルトラッキ贋作事件が取り上げられていた。天才贋作師とよばれるヴォルフガング・ベルトラッキ氏による作品は、世界中の鑑定士を欺き、高額で落札され、世界の名立たる美術館に飾られる。それまで最高の賛辞をもって語られていた作品は、贋作と判明したとたんに、落胆され、貶められる。作品そのものは、いささかも変わっていないのに、ある日を境に、その作品に対する評価はがらりと変わる。
私たちは、芸術作品について、真に客観的にその良し悪しを判別する術をもたないらしい。誰が描いたとか、その背景にどのようなドラマがあるのかとか、作品そのものの美しさとは関係ないところに、その価値を見出しているのである。番組を観ていて思い出したのが、佐村河内守氏による「交響曲第1番《HIROSHIMA》」であった。
私がインドネシアに住んでいたころ、上記作品が話題となり、日本に一時帰国した際に、「kalafina」のCDと一緒に購入した。全聾で被爆二世の作曲家が苦しみぬいて作り上げたとされる本作品は、実はゴーストライターにより作曲されたもので、佐村河内氏も、全聾ではなく中程度の難聴であったことが判明し、作品の評判は地に落ちる。作られた曲自体は何も変わらないのに、これまで素晴らしい作品と言われていたのに、急に作品の出来まで批判され始めたのが、不思議でならなかった。
番組では、ベルトラッキ本人と、贋作を手にしている美術館担当者との直接対話も実現する。作品そのものの価値を主張するベルトラッキに対し、真贋性の重要さを主張する美術館担当者、話は平行線であった。番組は、ベルトラッキの悪質さを強調しているように思えたが、正直言うと、私はベルトラッキの主張に同意することが多かった。
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