2026年
3月のつぶやき




3月29日 カギとスマホ

 下に書いた通り、ジャカルタではキャッシュレスが進んでおり、現金を使う機会は限られそうである。代わりに重要なのがスマホで、これをなくしたら大変なことになると思った。最近、日本人がスマホのひったくり事件に遭うというケースも発生しているらしく、スマホは厳重に管理しなければならないと思った。こちらについては、万が一の際に、タブレット端末からも追跡できるように設定した。

 もうひとつ、大切なのがカギである。当然だが、カギをなくしたら、家に入れない。GPSタグを付けようと、今日インドネシアのベスト電器をうろうろしたが見つからなかった。とりあえずは、なくさないように厳重管理をしなければならない。


3月29日 日曜日

 今日は、ジャカルタで毎週日曜日に行われている、カーフリーデーである。午前中、ジャカルタの目抜き通りが歩行者天国となる。家から歩いて行けるので、広い車道を気持ちよくジョギングした。下にも書いた通り、インドネシアでも健康意識が高まっているのか、走っている人や、自転車をこいでいる人がたくさんいて、私も気持ちよく走ることができた。

 家に帰ってからシャワーを浴び、再び出かけた。目的は、MRTに乗ることである。MRTは日本企業も参加して行われた、インドネシア初の地下鉄事業で、2019年に開業した。前回赴任時はまだなく、建設中のシールドマシンを見学するという、貴重な機会を得た。

 MRTは、思った以上に快適であった。自宅の最寄り駅は地下鉄だが、目的地であるブロックM駅は地上となる。高架橋からみる車窓の風景は、美しかった。ジャカルタの変貌ぶりに驚いた。MRTもそうだが、キャッシュレスが非常に進んでおり、現金を使う機会が少ない。道歩く人は若者が多く、みんないい目をしている。未来が明るい表情である。

 ブロックMでは、ラーメン屋の「越後屋」で食事をした。以前は客はほとんど日本人で、席もまばらであったが、今はほとんどがインドネシア人で、しかも満席である。人気No.2の「モナスラーメン」というのを注文した。「モナス」は、ジャカルタにそびえたつ、高さ137メートルの国家独立記念塔である。そのくらい、高くもやしが積まれているということで、野菜不足の単身赴任生活を解消するために注文した。

 来たラーメンをみて、後悔した。いわゆる「次郎系」のラーメンで、とんでもない量である。何とか食べきることができたが、おなか一杯になり、夕食はビールとキムチだけで済んだ。


3月28日 ハーディー・リトルウッド方式

 私がインドネシアに赴任するのを機に、家族のグループラインを作った。下に書いたキャンプでは、家に残った妻とのやりとりで大盛り上がりであったし、赴任して以来も、LINE通話やメッセージでやりとりをしている。私が大事にしたいのは、素数の秘密に迫る予想をした二人の天才数学者、ハーディーとリトルウッドの共同研究の態度である。「素数の音楽」(マーカス・デュ・ソートイ著)によると、ふたりは共同研究を行うにあたり、以下のような「公理」を掲げたという。

公理一 互いに向けて書いたことは、正しくても間違っていてもかまわない。
公理二 相手から手紙が来ても、返事を書くどころか、読む義務もない。
公理三 相手と同じことを考えないようにする。
公理四 もめ事を避けるために、片方がまったく貢献していなくても、論文はすべて連名で発表する。

 インドネシアで家族とやりとりするにあたり、私が大事にしたいのは「公理二」である。これから長丁場の離れ離れの生活である。私は、時間ができたらグループ通話を立ち上げる。誰かが入ってきたら入ってきてもいいし、誰も入らなくても良い。グループ通話が始まったからと言って、無理して話す必要はない。メッセージが来ても、返事をしてもしなくてもよい。そんな感じで、家族でゆるく長く、つながっていたい。


3月28日 インドネシアへ

 インドネシアに着いて、一息つけたのでこれまでのことを記しておく。

3月25日

 朝、工場に行って最後の挨拶をした。テレワーク用のパソコンや、社用携帯を返却した。この日の服装は、珍しくスーツにネクタイであった。このまま、インドネシア赴任の挨拶まで同じ格好で移動することになる。

 その後、いったん家に帰り、持っていく荷物の詰込みをした。航空便が着くまでの一週間は、これから持っていく荷物だけで生き延びねばならない。大きなスーツケースに必要なだけ詰め込んだら、最大容量の23sを軽く超えてしまった。仕方がないので、比重の大きい荷物をリュックサックに詰めなおした。持っていく荷物は、以下の5個となった。

・23sのスーツケース(預入用)
・15sくらいあるリュックサック(預入用)
・パソコン、タブレット、ゲーム機、フルートなど、大事なものを入れたバッグ(手荷物、結構重い)
・ホテルでの着替え、仕事で使用するもの等を入れたビジネスバッグ(手荷物、まあまあ重い)
・財布、携帯などを入れた小さめの肩掛けバッグ(手荷物、そんなに重くない)

 これらを持って、夕方、家族で福岡空港に向かった。

 空港でチェックインし、最後の食事をした後、保安検査場前でお別れとなった。家族は、優一が学校で作ったという手紙をくれた。中には、妻と子供たちのメッセージが入っている。私は、妻、サチコ、優一にそれぞれ、結構気合を入れて書いた手紙を渡した。その後、成田のホテルに一泊。

3月26日

 朝、ばけばけを観てから空港に向かった。ホテルのエレベーターが混んでいたので、スーツケースの上に、大事なものを入れたバッグを置いたところ、なんと落としてしまった。中には、ノートパソコンやらフルートやら、私が一番落としたくないものが入っていた。壊れていないか、心配になった。(インドネシアに着いてから、すべて問題ないことを確認した)

 保安検査を終えて搭乗口に行くと、「技能実習生」というワッペンを付けたインドネシア人の若者がたくさんいた。みんな、晴れやかな顔をしている。久々の祖国が楽しみで仕方がないといった表情であった。家族と、こまめにLINEでやりとりしながら、飛行機に乗り込んだ。

 8時間のフライトを終え、ジャカルタの国際空港に着いた最初の印象は「寒い」であった。出発前の日本より寒い。エアコンがよく効いているらしい。続いて感じたのは、「間違えて別の空港に来てしまったのではないか」という不安であった。それほど、何もかもが変わっていた。東南アジアのエスニックな雰囲気は消え失せ、最新鋭の国際空港に変貌していた。入国審査は、無人システムにより顔認証で済まされ、税関も一瞬で終わった。その後、出口で迎えに来てくれた人と無事に出会い、アパートに荷物を置いて、日本食スーパー、夕食に連れて行ってもらった。何とか、ジャカルタに着けてホッとした。

3月27日

 朝、久しぶりのインドネシア語で挨拶をしてから、初日のオリエンテーションやら、パソコンの設定やらをした。久しぶりに話すインドネシア語は、頭で思い描く発音と、口から出る発音に差異が発生し、活舌が悪くなっている感じがした。これは何とか慣れるしかないが、コミュニケーションは何とか取れそうだと感じた。オンラインで領事館に在留届を提出しなければならないのだが、新しいパソコンで、どうしても日本語入力ができない。確認したところ、日本語のパッケージがまだ入っていなかったらしく、それをダウンロード・インストールしたら、思った以上に遅い時間になってしまった。

 帰りに、日本食スーパーのPAPAYAで夕食を買った。どきどきしながら、サーモンの刺身丼を買って食べたが、普通に美味しかった。

3月28日

 朝の4時ごろに目覚めた。これまでも睡眠時間は短い方であったが、インドネシアに来てから、さらに短く、睡眠時間は4時間くらいになっている。せっかく早く目覚めたので、ぐちゃぐちゃになっていた家の荷物の整理をした。また、父とオンライン将棋をしたところ、日本でやるのと全く同じ感覚でできた。続けて、優一と「スマブラ」のオンライン対戦をした。こちらも、多少重さは感じるものの、普通に遊べた。技術の発達は凄い。

 その後、散歩がてらショッピングモールに行き、必要な備品を買いつつ、大戸屋で昼食を食べた。物価は日本の感覚とほぼ同じか、やや高い。昨日は、吉野家の牛丼と味噌汁で7万ルピア(約700円)。大戸屋で黒酢あんかけ唐揚げ定食を食べたら、12万ルピア(約1200円)である。

 家に戻ってから、少し走ろうと思い、アパートにジョギングトラックがあるということでフロントに訊いて行ってみたところ、プールの周りの細い道を行ったり来たりするだけのコースであった。しばらく走っていたが、すぐに飽きたので、アパートの外を走った。歩道は広く、排ガスの匂いもあまり気にならず、思った以上に走りやすい。インドネシア人も、自転車をこいだり、ジョギングをしている人が増えており、そういった人たちに溶け込めた気がした。


3月24日 今週

 月曜日は、サチコと神戸、大阪に行った。神戸では、叔母に会った。叔母は、73歳になっても昔と全く印象が変わらず、元気であった。叔母の作ってくれたカレーは、相変わらず絶品であった。聞けば、具には干しエビを入れ、水の代わりにカツオと昆布の出汁を入れているという。野菜はほうれん草のほかに、コレステロールが下がるということで、キャベツが入っているらしい。

 叔母は、どうしても解けない漢字パズルがあるということで、見せてくれた。図書館にも行って、漢字辞典を引いたが解けないという。スマホで画像を撮影し、AIに訊いたら、すぐに答えが出てきた。すごい時代になってしまったものだと、思った。

 その後は、大阪に行き、インドネシアで知り合った、マツウラさん一家と会った。奥さんと私が、インドネシア時代のリコーダー仲間である。マツウラ家の一人娘、ユウちゃんは、幼稚園時代、サチコと同じ幼稚園に通い、バリダンスを習い、リコーダーの練習に付き合ってくれた、友人である。中学を卒業したユウちゃんは、当然ながら見違えるように大きくなっていた。旦那さんは、インドネシアに単身で再赴任しており、私と似たような立場にある。こういったつながりを大事にしたい。

 サチコは、ぐったりとしてしまった。都会の人ごみに疲れてしまったらしい。神戸、大阪は人が多く、私も疲れた。


 火曜日は、移動前日ということもあり、荷物を詰めた。たいていのことは何とかなるが、ここで重要な持ち物を入れ忘れたら、なかなか取り返しがつかない。荷物の重さは23sまでと決まっているので、トランクに荷物を入れつつ、重さを測って、入念に準備をした。

 家の前の公園を見れば、桜が咲いていた。他よりも咲くのが早く、妻とレジャーシートを持ち出して、花見をした。最後に桜が見られて、本当に良かった。早めに咲いてくれた、公園の桜に感謝である。

 我が家最後の夜は、妻がカニを用意してくれた。カニは、サチコが苦手なため、我が家の食卓に上がることはまず無い。匂いすらも苦手ということであったが、今回はサチコの了解を得て、妻がカニを焼いてくれた。結果、サチコはカニを食べることができた。美味しいという。おそらく、これまで経験したカニの臭みが強く、悪い印象があったのかもしれない。今日妻が用意してくれたカニは、本当に美味しく、貴重な我が家最後の夜を過ごした。


3月21日 ラストキャンプ

 インドネシア赴任前最後の土日は、子供たちとキャンプに行った。妻は、寒さに耐えられる気がしないということで、不参加であった。場所は、何度もリピートしている北山キャンプ場である。なんといっても、トイレがきれいなのが良い。とりあえず、着いたら北山湖(1周約6q)を歩いてまわった。

 夜はいつものようにバーベキューをしたのだが、今回のキャンプの「めあて」は、ブレッツェルを作ることであった。いつもは、「巻き巻きパン」を作っているのだが、これの形状を変更し、ドイツの本格ブレッツェルを作ることにしていた。生地は、事前に準備しておき、キャンプ場で三等分して、私、サチコ、優一でブレッツェルの形にして、網で焼いた。


焼く前のブレッツェル。上が優一、左が私、右がサチコ。優一のは犬っぽい。


焼いたら私とサチコのブレッツェルは穴が塞がる。優一のが一番ブレッツェルぽくなった。

 夜は、いつものように妻とビデオ通話をして、光る棒を振り回しではしゃぎにはしゃいで、寝た。夜は、結構寒かった。ふたつの寝袋を連結してひとつの大きな寝袋にし、優一を真ん中にして固まって寝たら、何とか眠れた。

 朝は、いつものようにコーヒーを淹れ、米を炊いて朝食を食べた。この日は、午後から雨予報である。何とか昼食まで持たせたいと思い、いつ雨が降っても良い様に、先にテントを撤収してからのんびりした。昼食のホットサンドを食べ終え、完全撤収して車に乗り込んだら、雨がポツポツ降ってきた。最高のタイミングである。最後のキャンプは、大成功であった。


キャンプ場でもけん玉に夢中の優一


夕暮れ時の絶景


朝からけん玉に夢中の優一


最高の二日間でした




3月17日 宝満山

 今日は、子供たちと宝満山を登った。宝満山は、太宰府市にある標高829mの低山で、山頂までが竈門神社の境内にあたる、霊峰である。山頂まではさまざまなルートがあり、福岡県で最も登山者が多い山と言われる。私たちも過去に2回位登ったことがある。

 今回は、麓の竈門神社から山頂を結ぶ最も一般的なコースである、正面ルートで行くことにした。出発前に竈門神社に参拝した。竈門神社は、鬼滅の刃ファンの聖地になっており、吊るされている絵馬には、さまざまな鬼滅の刃のイラストが描かれている。絵馬が、イラストレーターたちの自己表現の場になっていて、面白かった。

 私たちは、久しぶりの登山ということもあって、かなりゆっくりなペースで登った。正面ルートは、休憩用のベンチも多く配置されており、登りやすい。山の中は、ひんやりとしていて気持ちが良い。久しぶりにこの感覚を味わった。子供たちも、楽しそうであった。

 山頂に行ってしまうと、そこからトイレのあるキャンプセンターに行くには、鎖場の崖を通らなければならない。サチコが鎖場は怖いということで、山頂には行かず迂回してキャンプセンターに行き、そこでお椀用のインスタントラーメンを食べて、下山した。

 下山中、サチコの足が震え始めた。久しぶりの登山で太ももを酷使したためらしい。それでも、何とか竈門神社まで戻ってきて、帰宅した。登山アプリ「YAMAP」によると、活動時間5時間2分、移動距離4.8s、標高差650m。充実した一日であった。


登山中


キャンプセンターにて


シェラカップで食べるインスタントラーメン


下山中

3月16日 引越荷物引取

 今日は、インドネシア異動に向け、引越荷物の引き取りがあった。利用するのは航空便で、赴任後、1週間程度で新しい自宅に届くという。赴任後すぐに使用するものは、ハンドキャリーで持って行った方が良いということである。初めての単身赴任で、シミュレーションしながら持っていくものを選んだ。

 衣類は、一時帰国時の冬服1着と、スーツの予備くらいである。下着やタオルは、すぐに使うのでハンドキャリーで持っていく。ハンガーや、物干し用の道具は入れておいた。

 調理器具は、鉄板、圧力鍋、フライパン、包丁などを入れた。何より、向こうで広島焼きを作ることが、私のQOLを大きく左右する。圧力鍋は、時短で根菜の煮物を作り、大量にストックしておくためである。食器や調理器具は、向こうに一式用意されているとのことであったが、こだわりたいところであったので、持っていくことにした。

 笛は、全部持っていくことにした。フルートだけは、繊細なので自分で持っていく。吹くかどうかわからないが、オカリナや尺八、ケーナも入れた。楽譜は、向こうでも使うかもしれないものを選んだ。その他、向こうで柔道を再開するので柔道着、会社でソフトボールチームがあるので、グローブを入れた。

 概要は以上であり、生活必需品という意味では大したものが入っていない気がする。本当にこれで大丈夫なのか、不安になる。


3月15日 Python

 長めの休暇を利用して、「Python」の勉強を始めている。「Python」は、プログラミング言語のひとつで、他のプログラミング言語と比べてシンプルで使いやすいらしい。以前、社内展示会に行ったときも、Pythonで作ったプログラムがあった。こういったスキルがあれば、業務で役立つかもしれないし、今後の変化においても、私自身の生きる力につながるかもしれないと感じた。

 図書館で、独力でゼロから学ぶのに一番適していそうな本を選んで購入し、少しずつ進めている。簡単なプログラムを打ちこんで実行すること自体が楽しいし、何より新しいことを学んでいる感覚が楽しい。このホームページも、html形式のマークアップ言語をメモ帳で編集するという、昔ながらの方法で作成しているので、本に書いてあることはすんなりと理解できる。

 プログラミング好きの優一が、興味を示している。優一は、「はじプロ」「スクラッチ」などでプログラミングをやっているので、私より詳しい。Pythonも、Youtueなどの動画で下調べをしているらしい。

 私は、プログラムの仕組みは理解できるが、それがどのようにブラウザで動くのか、アプリ、ゲームなどとどう結びつくのかが分かっていない。そのあたりの肌感覚が分かれば、さらに面白くなりそうだ。


3月13日 サチコ卒業

 今日は、サチコが中学校を卒業した。高校も、希望していたところに受かり、一安心である。

 インドネシア転勤を打診されたとき、一番の気がかりがサチコの進学であった。サチコの進学が決まるまでは、日本に居たいと希望した。私がいるからといって、何が変わるわけでもない。サチコも優一も、親がうるさく言わなくても自分で計画立てて勉強ができる子たちだ。私自身が「精神的支柱」のつもりでいたかったにすぎない。

 サチコは、まず第2希望であった近場の私立高校に受かり、続いて第1希望の公立高校にも受かった。初めての電車通学である。これから、サチコにとって「初めての○○」がやってくる。私も、初めての海外での単身赴任生活が始まる。下に書いた感謝状の中で、特に心に残る言葉が「(私には)困難を楽しみに変える事ができる」であった。

 そう自分に言い聞かせて、楽しく生きよう。サチコ、卒業おめでとう。


3月13日 市役所手続き、出勤最終日

 今朝、海外への転出手続きのために市役所に行った。1階で転出手続きをすると、その後の流れを説明された。@市民課で転出手続き、A16階の「子ども未来部」で児童手当の振込先変更手続き、Bマイナンバーカードの手続き を順に行うとのことで、市役所内をうろうろした。

 一番時間を要したのは、マイナンバーカードであった。その理由は、デジタルとアナログが複雑怪奇に絡み合っているためだと感じた。例えば、私が紙の申請書に情報を記入すると、職員さんがそれを元にパソコンに打ち込む。そして、打ち込んだ内容をプリントアウトして、記載内容が正しいことを私が確認する。といった具合に、デジタルに成りきれていないのである。返却されたマイナンバーカードを見ると、電子証明書の有効期限は手書きで更新され、「国外転出」のメモは印字されている。この中途半端さは、何なのだろうか。

 手続きを終えて、出社した。今日は、異動前の最後の出社日である。これから赴任までの10日程度、有給休暇を使用して家族と残された時間を過ごすことにしている。昼のミーティングでは、ささやかなセレモニーを開いてくれ、感謝状とプレゼントをもらった。想定していなかったので、嬉しい驚きであった。引継ぎも終わり、荷物も整理してしまったので、午後は業務としてやることもなく、現場作業の手伝いをして、日本で最後の仕事は終わった。


3月8日 父が来る

 この週末は、父が我が家に来てくれた。来てすぐ、「徳兵衛うどん」に向かった。父によれば、ケンミンショーで取り上げられており、徳兵衛うどんには無料のお惣菜が揃えらていて、「ケンミン」は注文を終えるとまず、総菜コーナーに群がるという。

 ちょうど昼時だったので、店内は混んでおり、席に着くまでしばらく待った。確かに無料の総菜コーナーがあり、おから、たくあん、ゼリーなどが揃えられている。父は「テレビでやってたほどは群がってへんな」と言った。うどんは美味しかった。

 うどんを食べた後は、近所のスーパー2階のゲームコーナーで、優一による「太鼓の達人」の演奏会であった。最近の来客時の定番となりつつある。私も父と1回だけプレイした。その後、自宅に行き、対面での将棋対決をしたり、優一がトランプマジックを披露したり、サチコがプロセカ(音ゲー)を披露したりした。

 夜は、近くの焼き鳥屋で食事をした。持ち帰りメインの焼き鳥屋だが、急な階段を登ると個室があり、隠れ家的な雰囲気で食事ができる。飲み物は、冷蔵庫から勝手に出して飲むので、自宅でワイワイやっているような雰囲気となった。優一は、けん玉で遊びながら食事をして、楽しいひと時となった。

 その後、父をホテルまで送って、分かれた。鉄道好きの父は、次の日朝早くに熊本まで出て、阿蘇カルデラ横断鉄道で大分まで行くという。インドネシアに行く前に、元気そうな父に会えてよかった。


3月3日 無題

 第三次世界大戦が、不可避だと確信した。アメリカがイラクを攻撃し、最高指導者であるハメネイ氏を殺害したからである。

 私は、一応「西側諸国の価値観」を正しいと信じている。自由、民主主義、人権や多様性の尊重、法による支配などであり、力による現状変更を試みる国に対し、批判をする立場である。その「西側諸国の価値観」が、崩れ去ってしまった。トランプによる、ベネズエラに続き、一国の最高指導者を軍事力で無力化するという行為が、常態化している。ロシアがウクライナにしたことと同じことを、アメリカがしている。国連も、EUも、日本も、アメリカによる「力による現状変更」を、強く咎めることができない。「西側諸国が正しくて、ロシアや中国が間違っている」のではなく、どちらにも身勝手な正義がある状態になってしまった。

 タモリは、2022年12月の「徹子の部屋」で「来年はどんな年になりますか?」と訊かれ、「『新しい戦前』になるんじゃないですかね」と答えたという。その時以上に、今はきな臭い。世界大戦が起こったら、日本は爆撃されるかもしれないし、日本国憲法が改正され、私は徴兵されるかもしれない。第一優先に考えるべきは、私と家族の安全である。そのためにどんな準備をしておくか、考え始めておかねばならない。  

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