2026年
9月のつぶやき




9月27日 ゆうき君のこと

 アジア大会のeスポーツ部門の「ぷよぷよ」で、小学5年生の栗原悠輝君が金メダルを取った。決勝まで圧勝だったようで、その強さは異次元であったようだ。

 ゆうき君のことは、以前ぷよぷよの研究をしていたときにこの動画で知った。元プロの大人が、ごちゃごちゃ言いながらゆうき君にボコボコにされる動画で、トークが面白くて結構笑った。その後、彼が大会で出てくるのをたまに見て、気になってはいた。

 ぷよぷよは、2個セットで落ちてくる「ぷよ」を4個以上合わせると消え、組み方によって発生する「連鎖」によって、相手を攻撃するパズルゲームである。ルールは極めてシンプルながら、思考力、反応力を要するゲームで、囲碁や将棋のように普遍的な面白さを秘めていると思う。

 中学生の時に「ぷよぷよ」に出合って以来、ずっとこのゲームが好きである。今でも、下手くそながらも少しずつ練習している。今回の優勝を機に、「ぷよぷよ」がさらにメジャーになってくれればと思う。


9月22日 歩く速さについて

 8年ぶりにジャカルタに来て思ったのが、インドネシア人の歩行速度が速くなったことであった。今でも、私の歩く速さはインドネシア人の平均よりは速いものの、以前ほどの差がなくなったように思う。そんな話を、ここで長年ジャカルタに住み、柔道の指導をしておられる先生にしたところ、良い気付きだね、と言われた。

 最近は、インドネシア人も時間に追われるようになったのだと言う。先生によれば、最近、折りたたみ傘やレインコートを持っているインドネシア人が増えたらしい。以前は、雨が降れば、雨が止むまでのんびり待つのが普通であったが、今ではやるべきことがあり、雨の中を突き進む必要が出てきたらしい。

 幸せとは何だろうかと、考えさせられるやりとりであった。


9月20日 吹奏楽本番

 今日の午前は、吹奏楽の本番演奏があった。毎週の練習場所を提供してくれている幼稚園のイベントに呼ばれ、子どもたち向けにジブリ等の曲を演奏したのである。

 非常にコンパクトなステージで、私たちが演奏しているすぐ目の前には幼稚園児たちが座っている。その姿が可愛らしく、演奏しながら逆に癒された。サチコや優一も昔はこんなだったなぁと思いながら演奏した。日本人向けの幼稚園で、おそらく父母を含む聴衆のほぼ全員が日本人であった。インドネシア人の聴衆は、熱狂的に盛り上げてくれるのに対し、日本人の聴衆は、行儀良く聴いて、拍手をくれる感じであり、このあたりの態度の違いが面白いと思った。

 その後、昼食を食べ、午後は同じ幼稚園で練習をした。充実したが、ずっと演奏して心地よい疲れの一日であった。

演奏の動画
https://youtu.be/J0e5uroxhRQ?si=MQBkPvxzTkqTzwZx


9月12日 地震

 今日、朝の4時半から優一とスマブラ対決をするために早起きした。準備をしていると、部屋中からきしむような異音がしてきた。私は、ポルターガイスト現象が起こったのかと思った。ちょうど、昨日会社の人たちと飲んでいるときに、幽霊が出る(怪奇現象が発生する)という理由でアパートを引っ越した人がおり、こういうこともあるのかなと思った。

 天井からぶらさがっている照明を見ると、ゆっくりと揺れている。きしむ音も、ある一定の間隔になってきた。どうやら地震が発生したらしい。それにしても揺れ自体は感じることなく、部屋のきしむ音だけがするので不気味であった。私の部屋は19階にあるのだが、高層階ではこういうものなのだろうか。

 ツイッター(現X)を見ると、インドネシアの気象庁が速報を発行していた。マグニチュード5.9の地震がジャカルタ付近で発生したらしい。家族のグループラインで報告すると、妻から一度は階段で下まで降りてみたほうが良いとのアドバイスをもらった。優一とのスマブラ、父との将棋対決をした後、非常用階段を降りて、朝のジョギングに向かった。


9月5日 イグアナの娘

 我が家には、文鳥のカレンダーがあるのだが、9月の文鳥の表情がちょっと爬虫類ぽく、イグアナに似ていると思った。そんな文鳥を眺めているうちに、1996年に放送されたテレビドラマ「イグアナの娘」のことをを思い出した。

 「イグアナの娘」は、萩尾望都の短編漫画を原作としたテレビドラマだが、漫画のエッセンスを深く掘り進め、非常に味わい深い内容に仕上がっている。ドラマでは、主人公の母は、娘である主人公の姿がどうしてもイグアナに見えてしまう。そして、いつしか主人公も鏡に映った自分の姿がイグアナに見えてしまう。イグアナというメタファーを使って、わが子を愛せない母の苦しみ、容姿にコンプレックスがあるために自身を愛せない主人公など、現実世界に実際に存在する葛藤と、それを乗り越える姿を描き出していく。

 すごく久しぶりに、かつてVHSビデオから焼いたDVDで、第一話を視聴してみた。30年前のドラマだが、すぐに引き込まれ、その内容が全く色褪せていないことに驚いた。文鳥から、飛躍したものである。


9月3日 ネパールの学校のこと

 今朝の朝日新聞の一面には、土石流にて多くの死者・行方不明者を出したネパールにおいて、濁流の迫る校舎から速やかに高台に避難し、900人以上の生徒が助かった学校があったと、報じていた。記事によれば、そこらじゅうが水浸しになっている状況から、校長が「この情報がもし間違いでも、授業を1日休むだけのことだ」と判断し、すぐに避難を開始したという。避難を終えた直後、校舎は濁流にのまれた。

 内田樹氏の著書「邪悪なものの鎮め方」は、理不尽な暴力や自然災害など「どうしてよいか分からない状況」に直面した時、適切にふるまうには何が必要かを記した本である。本書は、これに必要なキーワードとして「礼儀正しさ」「身体感度の高さ」「オープンマインド」を挙げている。いずれも、武道を志す人がめざすべきものである。

 私は、このネパールの学校の校長が、特に心配性で、常に安全な選択だけをする人だとは思わない。正常性バイアスが働いて、避難が遅れる人もいる中、「事態がどういうものか分からないが、何か大変なことが起こっている」ということをいち早く察知し、決断するのは、身体感度の高さゆえだと思う。ネパールの災害は心痛いが、不確実性の高い海外に暮らすひとりとして、この校長の判断は心にとどめておきたいと思った。

 私も「礼儀正しさ」「身体感度の高さ」「オープンマインド」を養うために、たま〜に柔道に行き、汗を流して、昼食にビールを飲んでいる。


9月1日 Facebook

 8月28日の朝日新聞の一面に、メタ(旧フェイスブック)の記事が載っていた。以下、記事の抜粋

「子どもの依存症対策を怠ったとして提訴されていた米国のメタ(旧フェイスブック)は26日、和解金として10年間で最大180億ドル(約2兆8600億円)を支払うことで48州と和解した。」
「原告の48州は、メタが自社製品の中毒性を知りながらも利用拡大を優先し、子どもたちに依存症や精神的な害を及ぼしたとして提訴した。」

 Facebookは、ハーバード大学の学生であったマーク・ザッカーバーグが、学生同士の交流を促すために作ったのが始まりとされる。それが他の大学にも広まり、ついには世界中に広がるにいたる。今では、更に新しいSNSがどんどん開発され、Facebookは主に年配の人が使うSNSになっている。

 思えば、FacebookやTwitterの全盛期は、おおらかな時代であった。インターネットを介して人と人がつながり、やりとりが活発になればなるほど、世の中は良くなるものだと、何となく思っていた。Facebookの原点が、人と人がつながることの喜びにあることは間違いない。私たちは、それを純粋に受け入れ、享受した。

 その原点となる価値が失われ、子どもをSNS漬けにすることで広告収入を得ることが主目的になるとしたら、会社としての社会的意義は失われ、ひいては存在価値にもかかわるであろう。会社の理念というものがいかに大事かと、記事を読んで改めて思った。

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