2002年
1月1日〜2月8日のつぶやき




・2月8日   卒論発表会に向けて
 明日は卒論の発表会である。持ち時間は発表7分、質問2分、交代1分の合計10分である。何度か発表のリハーサルをやってみたが、7分という時間はしゃべりたいことをしゃべりきるには短すぎると思った。しかも、なんと昨日新たな発見があり考察することが一つ増えた。これまで無秩序だと思っていた実験データをよく見たら、非常に理にかなった相関が見られたのである。しかし決して押すわけにはいかない。一人10分でも朝から晩までの長丁場である。しかも一人一分押すとさらに1時間延長される計算になる。
 まあとにかく、2,3年生もわざわざ聴きに来てくれる(来させられる)のだから、言いたいことは全部しゃべれなくても、できるだけ分かりやすく、興味を持って聴きたくなるようなプレゼンテーションができればと思う。


        「天空のオリオン」のこと
 おれは普段生活しているときにも頭の中で何かしら音楽がなっているのだが、最近はずっと宗次郎の「天空のオリオン」のメロディーが流れている。宗次郎は有名なオカリナ奏者で、いわゆる「癒し系」の曲が多い。初めて聴いたとき、「天空のオリオン」のメロディーは、夜空に輝くオリオン座の壮大さを感じさせるような気がした。
 オリオン座はどんなに星座に疎い人でもわかるし、その存在感は他の星座とは比べ物にならない。不思議なことに、あの形は夜空を探さなくても見上げた瞬間目に飛び込んでくる。あの形をを古代人はよく「オリオン座」と名づけたものだと思う。宗次郎はそんなオリオン座に対する感動を、音楽にしたかったんじゃないかと勝手に想像した。
 ところで、「天空のオリオン」はオカリナの曲なので、もちろん歌詞はないのだが、もし「天空のオリオン」という題名を知らなかったとしたら、メロディーだけ聞いてそういうことを感じられるであろうかと思った。もし題名が「天空の北斗七星」ですと言われたらそうだと思うかもしれないし、「初恋」ですと言われたら信じるかもしれない。そう考えるとメロディーという、言葉でない手段で何かを伝えるのは非常に難しいようである。しかし、その分言葉で言い表せないことを伝えられる素晴らしい表現手段でもあると思う。おれにとって「天空のオリオン」は「天空の北斗七星」でもなく「天空のさそり座」でもなく、「天空のオリオン」だと言い切れる気がする。もちろん主観が多分に入ってしまうが・・・


・2月6日   素早い人たち
 今日自動車学校の申し込みを済ませてきた。紹介者を連れてくると、紹介者に5000円の紹介料がもらえるということで、研究室の先輩についてきてもらった。
 一番驚いたのは、受付の女性の素早さである。「写真をとって視力を測るので写真室にきてください。」と言われたので写真室に行けば、さっきまで目の前で話していたはずの受付の人が、すでに写真室の中で待っていた。写真はいすに座ると同時にシャッターが押され、視力もものすごい速さで測定された。おそらく合わせて一分とかからなかったであろう。終わって写真室を出ると、さっきまで視力を測っていたはずの受付の人がすでに元の場所に座って待っていた。他にも色々な説明をしてくれたが、早口でよく分からなかった。
 ついて来てもらった研究室の先輩と2500円づつ山分けしてちょっとした小遣いが入った気分になった。

 素早いといえば、今日NHKの「にんげんドキュメント」で百人一首の女王のことをやっていた。その速さは尋常ではなかった。句が読まれる寸前に「カッ」と目を見開き、句が読まれた瞬間にはすでに手が出ている。女王の必殺技は、句が読まれる寸前の読み手が息を吸う音で判断するという、恐るべきものであった。女王の指の靭帯は激しいぶつかり合いで緩んでおり、テーピングが巻かれていた。膝には激しい動きにも耐えられるよう、バレーボール用のサポーターがされていた。別名「畳の上の格闘技」という、激しいスポーツであった。


・2月5日   メイルの着メロをかんがえる
 どうも既定の携帯電話のメイルの着信音が気に入らず、自分で作った。何が気に入らなかったかというと、あの「ピリピリ」という音のヒステリックさである。メイルは電話着信と違って緊急を要さないはずである。別に他のことに夢中になっているときならば、後回しにしてもよいのである。それなのにメイルが来るたびにピリピリ鳴り続けるのは不愉快であった。しかしどんなメロディーにしようか非常に迷った。鳴ってもびっくりせず、耳障りでなく、できれば癒されるような音がいい。始めはCメジャーの音をただじゃ〜んと鳴らすだけにしてみたが、いまいち冴えない。今度は「母なるヴォルガを下りて」の一部分をパクッて採用してみたが、やはりいまいちである。確かに美しいが、存在感がありすぎるのである。存在感がある分、鳴り始めはうるさく、鳴り終わったときに空虚さももたらしてしまう。
 色々試行錯誤したあげく、間宮芳生氏の合唱曲「知覧節」の「音取りの際に鳴らす音」を採用した。「知覧節」のはじめの和音を上からひとつづつ鳴らすだけである。これが非常に気に入った。「メイルが来ましたよ」と優しく教えてくれるようである。また、この携帯は電話を取るまで繰り返し鳴り続けるクセがあるので、音取りの音を入れた後、限界まで休符をいれて、繰り返しならないようにした。こんなことの為に、2時間近くも費やしてしまった。終わったあと、非常に疲れた。

 ところで、これを書いている間、ずっとうちのブンチョウが立てたひざの上に乗っかって寝ていた。その丸くなった姿は非常にかわいく、思わず見とれてしまうほどであった。しかし、ブンチョウが飛び去り、ふと見るとパソコンの上にウンコがひとつ置いてあった。


・2月4日   最近思ったこと
 最近ヒマなようで何かと忙しい。この忙しさの原因は、民研にいた頃の忙しさとは違う質のものであると思う。やりたいことを必死でやるから忙しいのではなく、やるべきことをやらなければならないので忙しいのである。やりたいことを容易にできないときほど本当に自分がやりたいことを本気で考えられるのではないか。これは高校時代、受験勉強をしていたときに強く思ったことだが、今の自分には当てはまらない。今の自分はそういうときにやるべきことをやらずに済まそうとするからである。

 最近大学に入った頃のことを思う。おれはどんな場所にもその場所の「におい」があると思っているし、現に匂うのだが、その場所にずっといると匂わなくなる。今はまったく匂わなくなったが、大学に入った頃はサークル棟の匂いが印象的だったのを覚えている。今でもふとしたときにその匂いを感じると、その頃のことを思い出し、その頃の自分を思い出すような気がする。

 最近久しぶりにリコーダーを吹いてみた。吹いていて気付いたのだが、リコーダーは吹き始めはあまり良い音がしない。10分くらい吹いているとだんだん澄んだ音になってくる。もしかしたら管の中の湿気などが関係しているのかもしれない。リコーダーに飽きたらフルートを適当に吹いてみた。うちには貰い物のフルートがあって、それを独学で吹いていたのである。吹きながら自分は笛が好きなんだなあと思った。それ以外にもプラスチック製の尺八やらみやげ物のケーナやらわけの分からない竹笛やら気付いたら色々所有している。高校時代は受験勉強に飽きるとそれらを吹いて一息ついた記憶がある。

  ここまで書いてみたが結局自分が何を言いたいのか分からなかった。いつもは書くことが決まってからこの「つぶやき」を書き始めるのだが、今日は書きながら何かを探ろうと思い立ち、書いてみたが結局分からなかった。今後これを見たときに何かつかめると良いと思う。
 それにしても予期せず異色な「つぶやき」になってしまった・・・


・2月3日   袋ラーメンの食べ方
 最近気付くとラーメンを頻繁に食べている。少なくとも毎日一杯はカップめんか、袋ラーメンか、ラーメンを食べている。今日は合計4杯食べた。うち二つは家で袋ラーメンを食べたのだが、ここでは袋ラーメンの美味しい食べ方について紹介したい。
 一番こだわるべきところは、卵を入れるタイミングである。せっかく袋ラーメンを食べるのに、ラーメンが完成してから入れるのではもったいない。卵はゆで時間が残り1分から30秒位のところで入れたほうが美味しい。実はこのタイミングが難しく、黄身がどろっと麺に絡みつくタイミングを知るのにだいぶ時間がかかった記憶がある。
 あと、麺をゆでるお湯でモヤシや白菜、キャベツなどを煮込んでおくことである。とにかく冷蔵庫にある材料で使えそうなものはとことん使うことが大切である。もうひとつ、これは好みによるが粉末スープを全部入れないことである。おれは一時期、3分の2くらいしか入れていなかった。健康のためである。スープを全部飲み干すには袋ラーメンは塩分が多すぎるので、全部入れないようにしていた。

 ところで、今日最後の袋ラーメンはなんとカニラーメンであった。夕飯がカニだったので食べ終わったカニのガラを煮込んでラーメンスープにしたのである。カニのうまみの詰まった、非常に豪華な「日清のラーメン屋さん」になった。カニのガラも捨てたものじゃないと思った。


        またもや歩いて帰る。
 昨日またもや終電で寝過ごし、かしわ台という駅から歩いて帰るはめになった。以前湘南台から歩いたときは、線路沿いを行けば間違いなく最短ルートで帰れたが今回は線路沿いを歩くと間違いなく遠回りである。とりあえず線路に対して45度の向きに歩き始めた。途中派出所があったので道を聞こうと思い、立ち寄ったが明かりだけついていて誰もいなかった。一瞬この中で寝て朝まで過ごそうかと思ったが、思いとどまった。その後、コンビニで道を聞き、歩き始めた。途中両側が森という道があり、森の中からニワトリの鳴き声が何度も聞こえ、前の方から車のドリフトする音が聞こえた。非常に怖くなり歩調を速めた。
 家の近くまで来てからラーメン屋に立ち寄りラーメンを食べた。そのラーメン屋は大根キムチ食べ放題なので、ラーメンが来るまでの間ここぞとばかりに食べ続けたところ、ラーメンが来る前に舌がマヒしてしまった。
 結局家に帰るのに2時間半くらいかかったが、なぜかあまりしんどいとも思わなかった。


・2月1日   卒論を提出する。
 ついに卒論を提出した。すべてプリントアウトしてまとめてみると50ページを超える大作であった。それなりにがんばったが、別にたいした研究をしたわけでもないと思っていたのに、その分厚い束を見てみるとあたかもすごい研究をしたような錯覚に陥った。
 最後のまとめは提出の前日に一気に仕上げたのだが、その日は明け方まで部室で飲んでおり、数時間だけ部室で寝た日だった。起きてすぐは部室でだらだらしていたのだが、今日一気に仕上げようと思い立ち、研究室へ行った。それからの集中力は自分でもすごいと思った。気付いたら夕方まで飲まず食わず、トイレにも行かず作業をし続けた。前日の夜は飲みに行っているので酒以外はほとんど口にしていなかった状態である。夕方、空腹に気付き焼きそばUFOを食べた。あまりの美味しさに感動した記憶がある。
 作業が終わってから視力がさらに下がったような気がした。


・1月29日  自転車で坂を登る
 今日学校に行くときに自転車で坂を登っていると反対側の歩道を同じように登ってくる若者がいた。駅から学校までは長いなだらかな上り坂が続くのだが、彼はいいペースで登っていた。その時一瞬民研の後輩に似ていると思ったが、すぐに他人の空似だろうと思った。前を走る彼のほうが自分よりも若干速く、少しづつ引き離されていた。おれは若干スピードアップした。「負けるか」と思ったのである。半分くらい登ったところで彼は立ちこぎを始めた。「バーカ」と思い、何とかおれは座りこぎのまま追いついてやると思ったが、またどんどん引き離されはじめたので、仕方なく立ちこぎをした。そのまま彼の後ろをぴったりくっついて通用門のところまで来た。彼は自転車を一回降りて通用門のポールを通過した。おれは「勝った」と思った。おれは自転車に乗ったまま狭いポールの隙間を通過できるからである。最後の坂を登りきり気付いたことは、他人の空似だと思っていた彼が本人だったことである。それまでのドラマを彼に語ったところ、「何オレの知らないところでがんばってんスか」といわれた。確かにそうだと思った。

  自転車といえばいつもささやかな楽しみにしていることが、通用門までの下り坂の左カーブをノンブレーキで攻めることである。最近は必ずうまくいくが、始めた頃は曲がりきれず植え込みに突っ込み恥ずかしい思いをしたりしていた。


・1月22日  「鬼太鼓座」の貝殻節
 今日「鬼太鼓座」のCDの「貝殻節」を何度も聴いた。17分くらいの非常に長い曲なのだが、初めて聞いたときに大好きになった曲である。ユニゾンで始まり、歌うにつれどんどん和声が広がってゆき、中盤で完全5度の力強いハーモニーとなる。その下では(多分)筝が哀愁漂うメロディーを淡々と弾き続ける。「『貝殻節』を通して人間のもつ哀しさ、やさしさといったものを表現しようとした」と書いてあるが、聴いているうちに色々なイメージやインスピレーションが湧いてくるとてもいい曲だと思う。これを聴きながら、「Chanticleer」の「Wonderous Love」という曲に似ていると思った。アメリカの聖歌なのだが、曲の構成が似ており、ハーモニーも通じるものがある。両方ともなにか、人間の生の叫びのようなものを感じられて、聴き入ってしまう曲である。単に個人的な好みに過ぎないとは思うけど。両方とも部室にあるので興味のある人は聴いてみて下さい。


        イワオカーと「鬼太鼓座」
 今日最近ずっと思い続けていた夢がかなった。イワオカーで「鬼太鼓座」のCDを聴くことである。「鬼太鼓座」というのは世界的にも有名なプロの和太鼓集団で、気迫のこもった素晴らしい演奏をする。「鬼太鼓座」をイワオカーの重低音の響くオーディオで聴いたらさぞかし凄いことになるであろう。下手をすれば振動のあまり車が壊れたりガラスが割れたりするかもしれない。そんなことを思いながら、「秩父屋台囃子」を聴いたのだが、凄かった。太鼓を打つたびにトランクの中のスピーカーがバクバク振動し、車がゆれた。車が悪い病気にでもかかったように見えた。後部座席に座って聴いたらもっと凄かった。鼓膜が圧迫され全身が振動した。生の太鼓の音を聴いているような感じがした。CDのサブタイトルが「極大の拍動(バイブレーション)!!」であることが納得できた。聴いているときにイワオカが太鼓の音を2オクターブ下げた。するととたんに太鼓の音が巨神兵の足音みたいな音になり、寒気がした。世界の終わりを連想させた。
 聞き終わったあと、映画館で映画を見たような満足感を覚えた。


・1月20日  携帯電話を買う
 今日携帯電話を買った。これまではPHSを使っていたのだが、社会人になるに当たって携帯電話にしておこうと思い、DOCOMOの携帯電話を買った。なぜDOCOMOかというと、妹が「社会人ならDOCOMOだ」と言ったからに尽きるといっていい。DOCOMOと言えば、メイルが登場した頃、「DOKOMO」と入力して送信できなかった記憶がある。「なぜ一文字違うくらいで送信できないんだ!」と、IT社会の融通の利かなさに腹を立てたような気がする。
 さて、携帯を買うときに迷ったのが、「どこに携帯は売っているのだろう」ということである。まず、東急ストアに行ってみたがなく、オリンピックに行ってみてもなかった。コジマ電気にもなく、いったいどこにあるのだろうと思っていたら、家の近くの電気屋さんに置いてあった。店員さんに「安くて、少々落としたり濡らしたりしても壊れないものはありますか?」と聞いたところ、それはAUにしかないということなので、店員お勧めの100円の携帯を買った。100円とはいえ、一昨年前の新作らしく、何か操作をするごとに画面上の女の子がニコニコしたり、怒り出したり、ハートマークを出したりと、必要以上に親切すぎる携帯であった。そんなことはいいからもっと丈夫で長持ちしてほしいと思う。


・1月19日  ハリーポッターを見る
 今日はひさしぶりに暇だったので「ハリーポッターと賢者の石」を見に行った。とにかく映像がすごかった。空を飛んでいるシーンなどほんとに自分も飛んでいるような気になれた。ストーリーも多少強引だとは思ったがそれなりに楽しめた。日本語吹き替え版のほうを見たのだが、事あるごとにナレーターが解説を入れるのが邪魔だった。ケーキに「happy birthday」とかいてあるシーンで「誕生日おめでとう」とナレーションを入れたときには閉口した。見始めて30分くらいたったときにトイレに行きたくなった。しかしせっかくだからと思い、我慢して最後まで見た。見終わってから、尿意のせいで映画を心から楽しめなかったことに気付き、後悔した。今後に生かそうと思う。


        WinMXのこと
 最近我が家のパソコンに「WinMX」を導入し、色々な音楽をダウンロードしている。特に、昔好きだったけどいまさら手に入らないような音楽が手に入るので、とても重宝する。その中のひとつが、NHKのみんなの歌の「こだぬきぽんぽ」である。優しい女の子から赤い手袋をかりたタヌキが、その子に手袋を返すために雪国の駅でずっと待つというなんとも物悲しい歌だが、大好きであった。幻想的なアニメーションと切なげな歌が小さい頃の自分の心を揺さぶった記憶がある。もう一生聴くこともないだろうと思っていたが、昨日それを入手できた。曲名すら思い出せず、最初は「みんなのうた たぬき」などと、訳の分からないキーワードを入力して検索したがヒットしなかった。これを入手したとき、ついでに「勇気ひとつを友にして」も手に入れた。イカロスがロウの翼でもって大空に飛立ち、ロウが溶けて墜落し、命を落とすという歌である。今聴いても歌手の女の人の曲に対する惚れ込みや思い入れが伝わってくる、感動的な曲である。昔好きだった曲を今聴くと、「ここで転調するのか」などと、昔分からなかった音楽的な一面まで見れて楽しい。


・1月18日  「TRICK2」を見る
 先週に引き続き「TRICK2」というドラマを見た。テレビドラマは見始めると毎週見なければならないので、見ないようにしながら過ごしてきたのだが、「TRICK2」に関してはあまりの面白さに、というかあまりの馬鹿馬鹿しさにはまってしまったのである。一応推理もののようなのだが、そっちのほうに関しては他のドラマとさほど変わりない。面白いのは、どうでもいいところで出てくるどうでもいいギャグである。面白いものは面白いし、面白くないものもあの独特の雰囲気の中では面白く感じてしまう。適当に何も考えずに作ったんじゃないかと思ってしまうほど遊び心満載のドラマである。


・1月16日  小鳥が手の中で水浴びをする
 今日のことではないのだが、今年が始まって数日後のこと、うちで飼っている手乗りブンチョウが、初めておれの手の中で水浴びをした。うちのブンチョウはこれまで飼った中でもことのほか人懐っこく、手の平でお湯を張ってやるとその中で水浴びをするのである。これまでおれの手の中で水浴びをしたことはなく、特に興味もなかったのだが、ある時家に帰って手を洗っていると、ブンチョウがパタパタと飛んできて、洗っている手に近づき、お湯を張ってやると水浴びをはじめたのである。その様は非常にかわいらしかった。お湯に顔を浸けたときに当たるくちばしの感触がなんともいえなかった。水浴びを終えるまでの1〜2分間ずっと見とれてしまった。水浴びが終わって気付くと、はねた水でメガネと服がずぶぬれになっていた。


・1月15日  何もしない一日
 今日は久しぶりに何もしない一日であった。前日深夜まで飲んで友人の家に泊めてもらい、起きた後もずっとコタツでだらだらしていた。音楽を聴いて感想を適当に言い合ってみたり、意味のない話を適当にだらだらしゃべったりしていた。本来あまり時間を無駄に使うのが嫌いで、あまりそういうことはしないほうなのだが、久しぶりにこういうことをするのはいいものだと思った。聞いた曲は中島みゆきが多かった。おれ自身昔から中島みゆきが好きで、よく聴いていたのでその頃の自分を思い出し、懐かしかった。古い曲から新しい曲までいろいろ聴く中で、皆で出した結論は「中島みゆきの声はだんだん野生化している」ということであった。


・1月13日  K−1VS猪木軍を見る
 今日年末に行われたK−1VS猪木軍のビデオを見た。あれを見て一番印象に残るのは、やはり誰でも安田対ジェロムレバンナの試合であろう。誰がどう見ても冴えないプロレス選手が世界最高峰のK−1ファイターに勝ったのである。あの試合を見て八百長だと言う人は多いと思うが、おれはそうではないと信じたい。確かに最後の締め技は本当に締まってんのか?と思ったが、多分締まっていたのであろう。そして何よりあの安田の必死の表情と、すべてを賭けて相手に向かっていくあの輝きは真実だったと思っている。


        グリーの演奏会のこと
 今日グリークラブの演奏会を見に行った。一言でいうと非常に素晴らしいステージだった。曲に対する思い入れが率直に伝わってきて、しばしば感動する場面があった。また、曲によってはあまり皆好きじゃないんだろうなというものもあり、それはそれでアマチュアサークルの素直さがよかった。演奏の感想を一緒に言った仲間と言い合っていたのだが、あとでその時横に座っていた老人がかなり偉い方だったいうことが分かり、好き勝手言っていたのが少し恥ずかしかった。


        火山焼きを食べる
 グリーの演奏会を見たあとに何か食べていこうということになり、ランドマークの地下で「火山焼き」なるものを食べた。鉄板の上に牛肉が火山のごとく高く積み上げられていて、その上にバターが乗っかっているのである。メニューの写真を見たときに、火山の内部はすべて牛肉かどうかということで議論になった。一緒にいた一人は「キャベツらしきものが覗いている」といい、もう一人は「これだけの値段ならすべて牛肉だろう」といった。結局中にはモヤシが入っていた。店員に「バターが溶け始めたら山を崩して普通に焼いて食べてください」と言われたので、皆で火山を凝視していた。すると、バターの溶ける様とモヤシから出る湯気が確かに噴火した火山を連想させた。皆で「なるほど」と感心しあったが、しかしいざ食べようと思い、山を崩してしまうと普通の鉄板焼きとなんら変わりはなかった。


・1月11日  シャーペンを買う。
 今日はシャーペンを買いに行った。これまでは小学校4年生のときから愛用していたシャーペンを使っていたのだが、ついになくしてしまった。しばらくはそのシャーペンをことがあきらめきれなくて、シャーペンを使ってはいなかったのだが、このままではさすがに不便すぎると思い、買うことにした。せっかく買うのならいいものを買おうと思い、文房具屋に行って400円もするシャーペンを買った。何でも芯を最後の1ミリまで使えるというのが売りで、これならしばらく使っていれば元は取れるだろうと思ったのである。しかし実際に使ってみると非常にノックが重い。しかも、芯を使い切った瞬間のことがやたら気になってしまう。やはり前に愛用していたボロボロのシャーペンのほうがいいと思った。「BOXY」と書いてある黒いシャーペンなので、見かけた人はぜひ教えてください。


・1月1日  2002年最初のつぶやき
 今年も正月はローソンのバイトで迎えることになった。そういえば大学に入ってから正月らしき正月を過ごしたことがないような気がする。去年の正月の思い出は、バイトが終わって自転車に乗ろうとしたら、サドルにみかんがひとつおいてあったことだ。たぶんオーナーが置いたのであろう。正月手当もほとんどつかないのだが、みかんを見てなんとなくうれしくなって帰った記憶がある。
 今年の年越しの思い出といえば、ちょうど12時前頃にレジを打ったら偶然会計がぴったり2001円で、客のおっさんと「2001円かぁ」としみじみ微笑とも苦笑ともつかぬ表情で見つめ合ったことである。本当に些細な思い出だが、こういう思い出こそ一生忘れないような気がしてならない。



topへ