1月27日 「七つの海のティコ」を見る
最近、「七つの海のティコ」を毎日一話ずつ見ている。「七つの海のティコ」というのは、私が小学生くらいの時にやっていた、ハウス食品のアニメ「世界名作劇場」のひとつである。ネットオークションで全10巻を5千円で買った。
内容は、海の好きな少女「ナナミ」が、海洋生物学者の父や仲間、そして親友のシャチである「ティコ」と共に、海洋調査船で世界中を旅するというものである。ナナミは超人的な身体能力を持っており、身ひとつでティコと共に海深くに潜ったり出来、急浮上しても潜水病にならない。
テレビアニメの質としてはかなり高く、絵も丁寧で、動きも躍動的である。「正しい日本のアニメ」という感じがする。しかし、この番組をやっていた頃は、はじめの何回かは見たのだが、主人公が少女と言うこともあり、なんとなく恥ずかしくて見なくなってしまった。
今日で8巻目に入った。もうすぐ終わりなので、大事に見たい。
1月20日 アンラッキーな日
今日は仕事が多かったので、朝6時に起きて車で会社に向かった。結局終わったのは夜の11時で、疲れた体で車に乗り込んだ。リンガーハットで皿うどんを食べた後、運転していると前にコンビニのトラックが走っていた。背面には
「高速道路:80km/h, 一般道路:法定速度厳守」
と書いてある。そして、その通り、時速40キロで私の前を走り続けていた。
コンビニトラックの運転手は可哀想だと思った。時速40キロで走り続けるというのは、相当疲れるし、眠くなる。そして、すぐ後ろで法定速度に付き合わされている私もどっと疲れた。
交差点で、私が左折するところを、コンビニトラックは直進した。しめしめと思い、即座に法を破ろうとアクセルを踏もうと思ったら、今度はすぐ前にパトカーがいた。
パトカーも法定速度を律儀に守って走行している。私もそれに習い、優良ドライバーとなった。
しばらくすると、パトカーは右折レーンに入り、直線する私の車と隣同士になった。そのとき、一瞬パトカーの方を見ると、乗っていた警官と目が合った。
信号が青になり、私が直進すると、なんとパトカーは急に右折を止め、車線変更して私の車にぴったりくっついた。私がぐったりしていたので、酔払いの疑いでもかけられたのであろうか。
私は引き続き優良ドライバーを装った。まるで桃鉄の「ボンビー」が付いて来る様な、嫌な気分であった。そして、警官というのはなんと意地汚い職業だろうかと思った。
しばらくすると、パトカーは痺れを切らしてどっかにいってしまった。私がわざと法定速度の半分くらいの速度で走ったりしたので、嫌気がさしたのだろう。
1月17日 初部会へ
今日は、年甲斐もなく初部会に顔を出した。たまたま今日は外出→直帰であり、丁度いい時間に仕事が終わったのである。
初部会に行く前に、横浜で念願のアイテムを手に入れた。「ヘチマタワシ」である。私は「化繊のタワシを使うと皮膚癌になる」という迷信を信じており、ずっと「ヘチマタワシ」を使っているのだが、買い換えようにもなかなか売っていない。ダメ元でダイエーに行ったら売っていた。
初部会では、嘔吐の残り香のする「甘多郎」で、OBOGが汚い話をして盛り上がっていた。一番ショッキングだったのは、「男性の6割はシャワーを浴びながら小便をする」というモリモトの情報の真偽であった。どうやらアメリカでは本当らしい。話を聞いていると、「やむを得ずすることがある」「家ではよくする」等の他に、「銭湯でもしている」「鈴荘でもしたことがある」等の証言まで出され、大いに盛り上がった。その場にいたメンバーの約6割が「したことがある」と答えたことになる。
ともあれ明日も仕事なので、一時間くらい飲んで家路に着いた。
1月12日 タイ旅行記
先週末は、3連休に有給を付けて、母とタイ旅行に行ってきた。タイに留学中の妹がいる間に、一度は行っておこうと話していたのである。
1日目
夕方にタイに着き、空港を出ると、まるで日本の夏の夜のような蒸し暑さを感じた。タイは現在冬らしいが、それでも日本の真夏並みの気候である。一番遠い季節を感じ、懐かしい気分になった。タクシーに乗ると、運転手が道に迷い、えらく遠回りをしてホテルに着いた。後でもタクシーが道を間違うことは多々あり、日本との違いを感じた。
2日目
次の日は、バンコクの寺を見に行った。最も驚いたのは、タイ人の仏教に対する敬謙さである。タイ人は、休日になると徳を積む為に参詣し、拝み、お布施をする。自分の持っていない「宗教」というものを初めて肌で実感した。タイでは「人の為に尽くす」ことは当然な行為であるらしく、プーケットへのボランティアも、当然のように人が集まるらしい。

左:祈る人々 右:ワット・ポーの巨大仏

ワット・アルンとチャオプラヤ川
チャオプラヤ川を渡ったところにある、「ワット・アルン」では、面白い光景を見た。入り口付近にベニヤ板で作った顔ハメの絵があり、下の方に小さい字で「40バーツ(約110円)」と書かれている。それに気付かずに外人が顔を覗かせて写真を撮ると、どこからともなく爺さんが現れて金を請求する。そこで諍いが起こる。40バーツと言えば、屋台のラーメンが2杯食べられる金額である。全く色んな商売があるものだと、感心した。妹は、休日にはワット・アルンに赴き、この一部始終を眺めては、ほくそ笑んでいるらしい。

何も知らずに顔ハメに興ずる外人と、
愛想良く写真を撮るぼったくり爺さん
歩きながら、妹は「あの人はゲイだ」とか教えてくれた。タイには、ゲイが多いという。妹によれば、ゲイだからといって社会的差別を受けているわけでもなく、普通に暮らしているらしい。妹は、ゲイと女性を見分けることが出来るらしく、歩きながら教えてくれたが、私には見分けがつかなかった。
そして、夜はゲイショーを見に行った。本物の女性以上に美しいと思った。
3日目
3日目は、「世界の車窓から」に登場するような列車に乗って、アユタヤー遺跡に向かった。アユタヤー遺跡は、バンコクから列車で北方に一時間ほど行ったところにある遺跡で、14〜18世紀に繁栄し、ビルマにより滅ぼされたまま、ほとんど修復されず野晒しになっている。

アユタヤーに着き、トゥクトゥク(タイの三輪タクシー)を半日チャーターしようとして、妹が運転手のオッサンと交渉したところ、はじめ1400バーツ(約3900円)と言われた。この値段は、タイでは法外に高いらしく、500バーツ(約1400円)まで値下げし、駄目押しに母が片言のタイ語で450バーツ(1260円)まで下げて妥結した。
その後、トゥクトゥクに乗って食事に行き、帰ってくると、トゥクトゥクの運転手がオッサンから高校生くらいの少年に代わっていた。どうやらオッサンの弟子らしい。年配のオッサンはこんな安い仕事はしたくないらしい。少年は遺跡にもついてきて、親切に案内してくれた。
遺跡は、感動的だった。かつてビルマ軍に滅ぼされ、そのまま野晒しにされて残された遺跡は何を言いたいのであろうか。過去の栄華を誇りたいのか、戦争の悲惨さを語りたいのか。それとも諸行無常を説きたいのか。遺跡は何も語らない。そして、そんな言葉では表せないような、心の揺さ振りを受けた。
トゥクトゥクに戻ると、今度は助手席に可愛らしい女の子が乗っていた。少年の彼女らしい。ふたりとも17歳らしい。妹は「羨ましい」としきりに言っていた。

左:木になった仏像 右:廃墟の風景

左:首を取られた仏像 中央:破壊し尽くされた遺跡 右:トゥクトゥクの少年と彼女
一通りアユタヤーを巡り、最後に行った遺跡の芝生でライトアップをのんびり待っていると、運転手の少年が来て、しばらく妹とタイ語で話していた。自分のことを話し、日本のことをいくつか聞いていたようだ。そして彼は、日本と言う経済大国から来た私たちが、トゥクトゥク料を値切り、ろくに土産も買わずに帰るのが不思議だったらしい。
最後の夜は、屋台で食事をし、妹の家で泊まった。給湯器はないらしく、水のシャワーを浴び、ビールを飲んで寝た。
4日目
朝起きると、物凄い数の小鳥が鳴いていた。まるで八丈島の朝である。すぐに空港に向かい、家路についた。
非常に楽しく、充実した旅であった。タイは食べ物も美味しく、暑さに強い私にとっては気候も快適であった。また、バンコクでは、物凄い勢いで成長しようとするエネルギーや、人々の生きようとする力を感じた。そして、何よりも妹の元気な姿を見れたのが良かった。

左:タイ式ジュースの飲み方 中央:タイ式マクドナルド 右:母と妹
1月5日 ココイチで食べる
今日は、初仕事が終わった後、同じ寮に住む後輩を乗せて車で帰った。彼はカレーが好物らしく、帰りにココイチで食事をして帰ることになった。
彼は「いつか1300グラムカレーを食べる」という目標を持っているものの、かつて600グラムをやっとのことで食べた程度であり、1300グラムへの道はまだまだ遠いと言っていた。「せめて600グラムは食べよう」という話になり、彼はロースカツとチーズを、私はほうれん草をトッピングして600グラムに挑んだ。
私は不安になった。彼の話によれば、600グラムカレーは物凄い量らしい。「カレーと焼肉は別腹」と豪語する彼が苦戦したのである。ノリで注文したものの、食べきれる自信はなかった。
しかし、出てきたカレーはさほどでもなかった。このくらいなら普通に食べられると思った。「カレーは別腹」と言っている人が、この程度の量で苦戦するとは、口ほどにもないと思った。
結局、2人ともぺロリと平らげて店を出た。ダイエット中の彼も、食う量が増えたらしい。
この「つぶやき」を書いているとき、ニュースで「水戸黄門の子孫を語り、女性から500万円騙し取った男が、詐欺の疑いで逮捕」というニュースを放送していた。彼は、「水戸黄門の子孫」と名乗った後、「北海道にある36億円の土地を、政府に売却する際の印紙代として、500万円貸して欲しい。借りた金は倍にして返す」と言ったらしい。
それを信じて貸したほうも貸したほうだと思った。
1月4日 2005年最初のつぶやき
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、長いものでこのホームページも今年でまる4年である。現在「ジョージ・ウィンストン」のピアノを聴きながらこの「つぶやき」を書いている。切ないピアノソロの旋律は、明日から仕事という、気だるい心に染み入るようである。
この年末年始は、実家への移動中などを利用して司馬遼太郎の小説「梟の城」を読んだ。織田信長により虐殺された伊賀忍者の生残りの物語で、昭和35年の直木賞作品である。
非常に面白く、一気に読んだ。私たちが持っている「忍者」のイメージは、この作品が作ったのではないかと思った。司馬遼太郎の凄いところは、事実を徹底的に調べ尽くした挙句、それを見事なエンターテイメントとして構築するところだと思う。なんとなく、間宮芳生が日本の民謡やハヤシコトバを研究し尽くした後に、鑑賞に堪え得る大胆な現代曲に仕上げるのに似ている気がする。
寮に戻った後、「梟の城」の映画を借りて見たが、つまらなかった。小説を見ていない人は、恐らくストーリーが追えないであろう。
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