2005年
3月のつぶやき




3月23日 「ピアノ・レッスン」を見て

 今日は仕事が終わった後、映画「ピアノ・レッスン」を借りて見た。「feel」というCDに収録されている「ピアノ・レッスン」の挿入曲があまりに素晴らしいので、気になっていたのである。1993年のオーストラリア作品で、監督はニュージーランド出身の女性、ジェーン・カンピオン監督、音楽はマイケル・ナイマン氏である。

 内容は、端的にまとめることが出来ないので割愛するが、一言で言えば、音楽のような映画であった。何が正しいとか間違っているとかは、この映画は語らない。ただ、言葉にならないような強い心の揺さ振りを与えられる。それは、ニュージーランドのジメジメとした湿地帯を踏みしめる感触であり、美しい浜辺でピアノを弾き娘が舞う幻想的なシーンである。そして、マイケル・ナイマンの心に染み入る様な音楽が、それをさらに増長するのである。

 もし私が女性だったら、もっとこの映画を理解することが出来たかも知れない。女性が女性の内面を描いた映画であり、男性である私の理解力の限界を少し超えた。


3月17日 原油価格高騰

 今日、原油価格がまた最高値を更新したと言うニュースをやっていた。私の働いている工場では、樹脂材料と有機溶剤を大量に用いる為、ここ一年間の原油価格高騰は深刻な収益圧迫要因となっており、総力をあげてコストダウンや良品率向上に努めている。

 しかし、私個人の考え(勿論会社の事情とは無関係)は、原油は高くていいと思っている。例えば、ガソリンが高い為に道路渋滞が減れば、それは喜ばしいことだと思う。

 原油は地中深くに存在する炭化水素を主成分とする液状の油であり、現代社会に欠かせないエネルギー源であると同時に、巨大な炭素貯蔵源でもある。原油を掘り起こすと言うことは、それだけで地上に存在する炭素量が不可逆的に増加すると言うことであり、石油及び石油製品を燃やすことは、二酸化炭素の増加を意味する。石油の起源は、生物と言う説と無生物と言う説があるが、いずれにせよすぐに作れるものではない。

 一昔前は「あと何年で石油がなくなる」みたいな説が流れたが、最近聞かないところを見ると、原油埋蔵量が思った以上に多いのであろう。また、技術革新により排気ガスに含まれるSOx、NOx等は大幅に減少することが出来た。

 しかし、どんなに頑張っても、炭化水素を燃やせば必ず二酸化炭素が発生する。使わないに越したことはないと思う。  


3月15日 最近気になる文章

・「ドラえもん」の言葉づかい

 朝日新聞の「私の視点」(3/2)に「ドラえもん」役の声優である大山のぶ代氏の文章が載っていた。彼女は、今年の3月に「ドラえもん」役を降板し、若手声優にバトンタッチする。担当期間はなんと26年と言うから驚きである。

 「ドラえもん」の声優陣は、「子供達にきちんとした言葉づかいをして欲しい」と願い、実践してきたと言う。のび太と初めて会った時のドラえもんの第一声は、原作が「君がのび太君かい?」だったのに対し、アニメでは「こんにちは、ぼくドラえもんです」という名フレーズとなる。彼らは、「いい言葉しか使わない」という誓いを立て、ジャイアンが発する「バカヤロー」「コンチクショウ」等の汚い言葉は、例え原作や台本にあってもその都度言い換えるようにしたらしい。

 改めて「ドラえもん」が好きになった。そして、こういう信念を持って仕事をすることは、とても大事なことだと思った。

 そんな彼女も、中学時代は「変な声」とからかわれたと言う。母の叱咤激励により、放送部に入部、一流の声優にまでなったのは、よほどの強い意志と努力があったからに違いない。


・「人生いろいろ」

 「R25」で気になる文章を見た。以下、その抜粋。

 もうお忘れの方も多いと思うが、昨年、小泉首相は国会で「人生いろいろ」と発言し、物議を醸した。(中略)私たち日本人は、議論が苦手である。これはきっと、心の中に「人生いろいろ」が浸透しているからではないだろうか。

 そもそも議論(ディベート)とは、キリスト教の宣教師が編み出したものだと言われている。彼等の指名は、人々をその土地で信仰されている宗教からキリスト教に改宗させること。そのための論法が議論のルーツなのだ。

 いきなり「あなたたちの信仰は間違っている」と糾弾しても反発を買うだけである。そこで、相手に「どんな神様を信じているのですか?」と歩み寄り、「もっと教えてください」とその信仰内容を話してもらう。話しているうちに、必ず矛盾点が出てくるので、そこを突く。「さっきと違う」と追求して、相手自身に「間違っていた」と自覚させるのである。

 その道の専門家に聞いた話だが、それでも改宗しない場合に備えて、必殺技があるそうだ。相手が信じている神様が「全知全能」だった場合、宣教師はこう問いかける。

 「あなた自身は全知全能ですか?」

 もちろん人は「いいえ」と答える。そこですかさず「全知全能でもないあなたが、なぜその神様を全知全能だと判定できるのですか?」と信仰の根拠を崩しにかかる。(中略)議論とは、ある種の洗脳戦術なのである。

 この話を聞いたとき、私なら言い返せると思った。他でもない

  「人生いろいろ」

 と答えればいいのだ。矛盾があろうが根拠がなかろうが「神様もいろいろ」信じるも信じないも「いろいろ」運命だって「いろいろ」。かくして日本に八百万の神々がいるのである。



 私は大いに納得した。これまで、議論で負けても自分が間違っていないのにと思ったことは多々あった。それでも自分の正当性を議論で説明できない。それは私の考えが客観性に欠くからだと結論付けてしまっていた。

 この文章は、現在至る所で行われている「議論」が、実は客観性などなく、その技量によっては白とも黒とも言える力を持っていると言っているのである。「議論」の不可解さを謎解いてくれる文章であった。


3月10日 議員わいせつ事件考
 今日のニュースで、「衆議院議員が強制わいせつで逮捕」という事件を知った。路上で女性に抱きついて胸を触るなどしたらしい。本人は当時酔っ払っており、「客引きの女だと思った」らしい。この事件に関して、与野党から非難が集中し、彼は国会議員を辞職してしまった。

 私は、彼が心から可哀想だと思った。もちろん許されない行為をしたことには変わりないが、生物としては極めて健全な行為と言える。彼は「酔っ払っていて良く覚えていない」「こんなことをした自分が信じられない」と供述したらしいが、恐らく嘘ではないだろう。

 それにしても不思議でならないのは、「なぜ人間のみ『性欲を抑制する』社会が形成されたのか」ということである。中国では、エロ本を大量販売した人が、死刑を言い渡されたことがあると聞く。

 「人はなぜ助平になったか」(戸川幸夫著・講談社)では、「動物の中で人間のみ発情期がない。これは、人間はセックスを生殖の為のみならず、コミュニケーションの手段としても利用している為である。」と書いている。逆に考えれば、発情期がない分、社会的に性欲を抑制する必要があったのかも知れない。

 テレビで、彼の支援者である年配の女性が、「(彼は)飲むととても朗らかなんだけど、陽気になっちゃうんだよねー」と言っていた。この事件は、そんな素朴な男の、ちょっとした過ちに過ぎないと思う。


3月6日 CDを買う
 今日は久しぶりにCDを2枚買った。

 一枚は「一青窈」のアルバム「月天心」である。数日前にNHKでやっていた熊野神社でのライブを見て、気に入ったのである。

 ライブでの一青窈は、木の皮で作ったような風変わりな衣装を着ており、その表情は、少年ぽさを感じさせる中性的な表情をしていた。悪く言えば色気がないということだが、感受性に満ちたいい表情をしていると思った。

 そして、相当な変わり者だと思った。普通の人は、「ぽろぽろもらい泣き」という切々たる歌詞に「ええいああ!」という大胆なかけ声をつけて、力強く歌い上げるようなことは思い付かないであろう。

 残念ながら、アルバムの歌声は、テレビで見たライブ程の迫力はなかった。2年以上前のCDなので、それまでに歌に磨きがかかったのであろうか。


 もう一枚は、新実徳英の現代曲「風神・雷神」である。和太鼓とオルガン、オーケストラの為に作られた現代曲で、これもいつかテレビで見て、衝撃を受けた曲である。

 和太鼓は林英哲で、横置きの大太鼓を後ろ向きに叩く「鬼太鼓座」の「大太鼓」のスタイルである。なんと、太鼓の下にモニターが付いており、モニターに写る指揮者を見てリズムを合わせるらしい。ロングトーンのオルガンとオーケストラを背景に、打たれる和太鼓の力強いリズムは、太鼓の良さをよく引き出していると思う。

 「風神・雷神」は、和太鼓とクラシックの融合のあるべき姿だと思った。いつか、リズムパートを和太鼓が受け持って演奏された「ボレロ」を聴いたが、全くぱっとしなかった。太鼓をこんな風に使っちゃいかんと思う。

 しかし、CDに収録されている「風神・雷神」他2曲は、超斬新な現代曲であり、基本的に不協和音だけで構成されている。聴いているうちに、頭がおかしくなりそうになった。


3月4日 「ホッピー」考
 最近、家で飲むビールをノンアルコールビールに切り替えたということを書いたが、早速色々なノンアルコールビールを買い込んで飲み比べをしてみた。

 結果、一番美味しいノンアルコールビールは「ホッピー」であるという結論に至った。

 「ホッピー」は、大衆居酒屋等にあるビール風飲料で、本来は「ビールは高い」と言う庶民が、焼酎と割って「ビールっぽい味」を楽しむ為のものである。「ホッピービバレッジ株式会社」という会社が製造している。「低カロリー」「低糖質」「プリン体0」が謳い文句になっているが、味も新参の大手ビール会社では太刀打ち出来ないくらい、ビールらしい味になっている。

 現在は、冷蔵庫に「ホッピー」がぎっしり詰まっている。しかも、こんなときに会社で「モルツ」が支給されたが、未だに飲まれることなく冷やされ続けている。


3月1日 「足るを知る」ということ
  私は、いつかテレビで聞いた、「足るを知る」という言葉が好きである。「足るを知る」は「これくらいで充分だ」「これ以上になる必要はない」と言ったニュアンスである。そしてそれは、「妥協」「無気力」と言ったマイナスの意味ではなく、「慎ましさ」「遠慮」と言った現代人が持っておくべき姿勢を表している。

 最近渦中の人であるライブドアの堀江社長は、「インターネットとテレビを融合させることで、さらに便利で、楽しい世の中になる」という意味のことを言っていた。また、家電業界では、薄型テレビのし烈な競争や、次世代DVDの標準規格を巡る主導権争いが加熱している。

 しかし、それ以前に、人々はそんなにテレビに双方向性を持たせたいと思っているか、そこまでDVDで綺麗な映画を見たいのかということを考える。そして、その思いは、「あれば受け入れる」程度のものでしかないのではないかと思う。

 「そんなことを言っていては、技術の進歩も文明の進歩もない」と言うかも知れない。しかし、私たちは本当にこれ以上豊かになりたいと切望しているのか。これ以上豊かになることは、私たちが望んでいることではなく、企業や広告により押し付けられているに過ぎないのではないか。

 そんなことより、そんな努力は、無駄に資源を使わないことや、子供をきちんと育てることに向けられるべきだと思うのである。

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