2002年
2月10日〜のつぶやき
・3月28日 読書をする
今日初めて一日で小説を読みきった。おれは読むのが遅く、またすぐに眠くなるのでだらだらとしか読めないのだが、今日読んだ本はあまりに面白く、一気に読んでしまった。「冷静と情熱のあいだ」という本なのだが、青いカバーの本と赤いカバーの本の二種類あり、同じラヴストーリーを、青い本は男の視点から、赤い本は女の視点から描いているのである。青い本は男性の作家が、赤い本は女性の作家が書いている。両方読んで、主観的な自分と他人から見た自分のギャップ、人と人が分かりあうことの難しさを感じた。一番これを読んでどきどきしたことは、人の心を透かして見ることが出来たような気になったことである。誰もが望むものの、決して不可能で、かつ断じてやってはいけない疑似体験をしてしまった気がした。
・3月27日 卒業する
昨日は大学の卒業式であった。卒業式を、いつ、どこでやるのかなど、直前まで知らなかった。当日も集合時間は10時半だと思っていたのだが、電車に乗ってから、10時20分開始だということに気付き、焦った。その後の流れも全く知らず、最後の最後まで大学のシステムは分からんなどと思った。
式自体は形式的でつまらなかったが、最後に学生歌の「みはるかす」を歌ったときは少々心が動いた。清八のおばちゃんが歌っていたことを思い出したからである。おれにとって「みはるかす」は特別大事に思っている歌でもない。ただ、「みはるかす」といえば清八のおばちゃんなのである。あの芯のある声はおそらく一生忘れないであろう。清八に行くと、合唱サークルの中で民研だけが「みはるかす」を歌えないということが、少々恥ずかしかった記憶もある。だから、これからは清八ではおばちゃんと「みはるかす」を大合唱して欲しいと思い、MIDIで「みはるかす」を打ち込んで「私の好きな曲」に載せてみたので、拙い編曲ではありますが、聴いて覚えてみてください。
式の後はみなとみらいのホテルで謝恩会をやった。かなりの高級ホテルで、見ているだけで疲れた。スーツを着て、きれいなシャンデリアや料理を見ているだけでぐったりしてしまい、吉野家の牛丼が食べたくなった。生来こういう環境はおれの肌に合わないんだと実感し、就職後が少し心配になった。
謝恩会が進むにつれ、ますます体調が悪くなってきた。体が熱くなってきており、熱があるかもしれないと思った。謝恩会が終わり、二次会に行こうかと思ったが、疲れがピークに達しており、無理だと感じたので、清八に行った。
清八にいると、癒される感じがした。民研の人達と飲んでいると、疲れが回復した。が、お世話になった研究室の先生には申し訳なかった。
卒業式に行って思ったことは、「男に生まれてよかったなあ」ということである。ただでさえあんなに疲れるのに、朝早く起きて袴の着付けに行くなど、到底耐えられないと思った。
・3月25日 部屋の掃除をする
今日はかなり乱雑になっている部屋を整理しようと思い立ち、さまざまなものを捨て始めた。授業関係の書類や、卒業研究関係のものはためらいなくどんどん捨てていったのだが、民研関係の書類や冊子などはけっこう迷った。
掃除しながらぱらぱら見ていると、一年のときの曲想資料や、二年のときのボツになった基本方針などが出てきた。一年のときの曲想資料には、おれや同期が今では決して口に出せないような恥ずかしいことが記されていた。同期の女の子のことを「ちゃん付け」で書いていたり、同期の女の子が自分の書いたコメントのあとに「ハートマーク」を付けたりしていた。
ボツになった基本方針を見ていると、そういえばこんなこと考えたなあということを思い出した。ボツのほうが総会で通ったものよりも、当時の自分達が考えていたことを明確に思い出す気がした。おれらが二年のときの基本方針は、タイトルが総会までに、
「故郷に想いをはせる」→「想像から創造へ」→「共鳴」→「探求」→「探究」
と、4回も変更していたことにも驚いた。
そんなことを思いながら整理しているうちに、部屋がかなりのカオス状態になってしまった。また、ほこりのせいでくしゃみが止まらなくなった。結局捨てるに捨てられないものがけっこう多くなってしまい、半分くらい整理したところで断念した。
・3月20日 食事をおごってもらう
今日は、以前に引越しの手伝いをしたということで、ミヤチに晩御飯をおごってもらった。横浜の「上海厨房」という店に行ったのだが、入るなり驚いたのが、店内の音楽であった。最初はアクション映画の音声だけを流しているのかと思った。爆発音のようなものや、叫び声が聞こえてきたからである。しかしよく聴いてみると、どうやらそういう音楽らしい。聴いているだけで疲れた。なにせあとでハードロックが流れたときにホッとしたくらいである。
料理はかなりのボリュームがあった。せっかくおごってもらうのだからと思い、高い料理を注文してみたところ、たいていは物凄い量であった。この店では、値段は量に比例するのかと思った。
途中トイレに入ったのだが、驚いたのがそこに張ってあった張り紙である。
「便器にさいふや携帯電話を落としますとトイレ詰まりの原因となりますから、落とさないよう注意してください」
もっと別の心配をしてほしいと思った。
おれたちが食べている横のテーブルでは、4人組の女性グループがにぎやかに食べていた。おれたちは店に入って比較的すぐに腹いっぱいになりつつあったのだが、彼女らはおれたちが店に入る前からすでに食べており、おれたちが出たあともまだ食べ続けていた。それもおれたちが胃袋と相談しながら食べていたのに、彼女らはお構いなく次々と注文し続けていた。
食後のデザートとして、「横浜最強のプリン」なるものを注文した。果たしてどのようなものかということで議論になった。ミヤチは「どんぶり一杯にプリンが入っているんじゃないか」と言い、おれは「そのどんぶりをひっくり返したくらいなんじゃないか」と言った。ハンベイは「あまりでかいと自重でつぶれる可能性もある」といい、こんにゃくゼリーのように硬いプリンである可能性を示唆した。待っていると、店員が「プリンが来ますので片付けますね」と言って残った皿をすべて持って行ったので、期待はさらに高まった。
結局来たプリンは期待ほど大きくはなかった。しかし普通に美味しく、「食後に甘いものを食べると落ち着くなぁ」などと、普通の感想を言い合った。
結局普通に歩けないくらいまで食べて、普通に家に帰った。
・3月19日 追いコンのこと
ついに追いコンがすべて終わった。がんばって追いコンを開いてくれた各活動責任者の方々や、忙しい中来てくれた現役、OB、OGの方々に感謝をしたい。飲み会は半分くらいしか覚えていないが、終始楽しかった思い出だけは残っている。なにかぼくにひどいことをされた方は自己申告してくれれば謝ります。
追いコンが終わってみて、後悔したのが色紙である。おれも何枚かもらったのだが、どんなプレゼントより嬉しく、絶対に一生捨てられないものとなるであろうと思った。にもかかわらず、おれは人の色紙にはろくなことを書いたことがなかった。思うことはあるのに、面倒くさくて書かないのである。ペンをとるとそういうことを忘れてしまうのも多い。そんなこと書く暇あったらもっといろんな話をしていたいという理由もあり、全員同じ言葉を殴り書きしているだけであった。そのことを非難されたこともあったが、その姿勢は変えなかった。もっと心のこもった言葉を添えるべきであったと、今になって後悔している。
何はともあれ本当にありがとう。民研のことは、一生の中でもかなり大きな思い出になると思う。
・3月18日 スーツを買う
今日は社会人に向けてスーツを買いに行った。母親と一緒に洋服の青山へ行ったのだが、あまり興味は無かった。母親が、店の入り口に飾ってあるスーツを見て「こんなのがいいんじゃない」と言ったので「じゃあそれにする」と言ったところ、あきれられた。店員の人がガラはどれがいいとか、色はどうするとか言ってきたが、どれも一緒に見えたので適当に返事をして店内にかかっている音楽ばかり聴いていた。スーツを選んだ後、母親と店員が一緒になってYシャツとネクタイの色合わせを始めた。おれはこういう色彩感覚に関しては全くセンスがなく、分からないが、おれが選ばないといつまでたっても決まらないので適当に「これとこれがいい」と言って決めてしまった。
着るものにも気を使うことは大事だと頭で分かっていながらも、生来の性格からどうでもいいと思ってしまう、悪い癖だと思う。
・3月13日 献血をする
今日始めて献血なるものをした。今日は二俣川まで免許証の交付を受けに行っていたのだが、待ち時間が長く、その間に献血でもしてみようかと思ったのである。
おれはどちらかと言うと医療器具恐怖症のような一面があり、これまで献血など怖くて出来なかったのだが、そんなことばかり言っていると、老後など医者にかかるときに大変かも知れない。これを期に何とか克服できるかもしれないと思ったのである。おれにとって献血することは、ジェットコースターに乗るのに似たようなスリルがある。そのスリルが暇つぶしになるんじゃないかと言うのも動機のひとつであった。
それにしても、自分よりはるかに年下の女の子でも平気な顔をして受付している。もしおれだけ針を刺されたときに「ぎゃ〜」などと言ってしまったらどうしよう、非常に不安であった。
受付を済ませて献血ルームに行くと、入り口の前でうつむいてしゃがんでいる少年がいた。もしかしたら彼は血を抜かれすぎて動けなくなっているのかも知れない、そんなことを考えていると不安になった。
献血ルームに入ると、そこには平気な顔をして血を抜かれている人が沢山いた。壁には「室内で携帯電話を使用すると、器具が誤作動を起こすことがありますので、電源をお切りください。」という張り紙があった。おれの採血中に誰も携帯を使わないことを祈った。待っていると、係の人がきて、「今は本当に血液が足りなくて、特にAB型は極端に不足しているので助かります。」というような意味のことを言われたが、気が気でなくてろくに返事が出来なかった。
ついに名前が呼ばれ、おれの番が来た。いすの前にはテレビが置いてあり、ライオンの「ごきげんよう」がかかっていた。おれはかなり緊張していて、ほとんど動けなかった。針を刺されてかなり痛かったが、動くと余計痛そうで動けなかった。「ごきげんよう」では面白い話題をしているようだが、内容が頭に入ってこなかった。途中、「ごきげんよう」のさいころが、画面をこちら側の針の刺さっている腕のほうに転がってきたときは、思わず手を引っ込めてしまった。かなり怖かったが、看護婦にはつとめて明るくしゃべるよう心がけていた。
採血が終わり、針を抜かれるときに看護婦に、「ずいぶん落ち着いていたわねえ」と言われたが、終始固まってしまって動けなかっただけなのである。こんなに怖いことを何度もやっている人は偉いもんだと思った。
・3月6日 美味しんぼのこと
キャンセル待ち中、古本屋で買った美味しんぼを読んで過ごしているのだが、久しぶりに読んでも面白いものだと思った。思えばおれにとっての初めての社会勉強は美味しんぼだった気がする。美味しんぼを読んで世界情勢とか社会事情とかを意識するようになったのである。かなりのロングセラーになっているが、一巻からずっと読者に伝えたいことが一本筋通っていて好感が持てると思った。その「一本筋」が何かは、言葉でいうのは難しいが、なにか人間が忘れてしまっている大切なものを取り戻したいと切に願っているような、読んでいてそんな気がした。
・3月5日 ろくでもない一日
今日なんと教習所の卒業検定を落ちてしまった。右折すべきところをなにを血迷ったか左折してしまったのである。その後一杯一杯になってしまい色々やってしまった。再検定を受けるには一時間以上の補習を受けなければならない。
かなりへこんだが、検定が終わったあと早速キャンセル待ちの為に待っていた。途中腹が減ったのでラーメンでも食べようと思い、坂を下って西口のほうへ降りようと歩いていると、公園で2,3人布団をかぶって寝ている人たちがいた。ホームレスか、星を見る会のどちらかだろうなどと思いながらぼやぼや歩いていると、足に嫌な感触が伝わってきた。イヌのウンコを踏んでしまったのである。その瞬間何かが吹っ切れた。
「あしたがあるさ」
と思ったのである。嫌なことがたて続けに来ると、不思議と逆にすっきりして明日からがんばろうなどと思えたのである。ラーメンを食べてまた坂を登ってくると、誰かがまた踏んだのかウンコの形がまた変形しており、ザマアミロなどと思った。
しかし、嫌なことはこれで終わらなかった。キャンセル待ちに失敗した後、「インザナイツ飲み会」という怪しい飲み会に行ったところ、アホみたいに飲み、記憶をなくした。気付くと湘南台まで乗り過ごしており、タクシーに乗ったが、金がないのでコンビニに寄ってもらった。そしたらATMの前で作業をしながらゲロゲロはいてしまったのである。もう何がなんだか分からず店員に謝りもせずに出てしまった。しかも、次の日朝起きたら見知らぬ靴をはいていることに気付いた。
後で聞くと、ミヤチの靴だった。
・3月1日 ドンキホーテで買った服
この前ドンキホーテで買った服を着てみた。1000円強の服を2着買ったのだが、ひとつは赤色のパーカー、もうひとつは黒いシャツである。なぜ赤かというと、いっしょにいたミヤチに「イメチェンするなら赤だ」と言われたからに尽きると言っていい。もうひとつのシャツも彼が選んでくれた。
はじめにパーカーのほうを着てみて、だいぶ気に入った。しかし、パーカーを着たまま寝て、朝起きたら布団が真っ赤になっているのには驚いた。初めは鼻血でも出したのかと思ったが、よく見たらパーカーの毛玉であった。下に着ていたTシャツやジーンズにも毛玉が大量についており安物の威力を思い知った。
黒いシャツのほうは着る前に若干驚いた。エリのラベルを見ると
・色落ちの恐れがありますので他のものと分けてお洗いください。
・漂白剤のご使用はおさけ下さい。
・長時間濡れたままで放置すると色落ちの恐れがありますので洗濯後直ちに形を整えてから干してください。
何でこんな安物に神経使わなければならないんだと思った。
・2月26日 CDを買う
横浜駅の西口でCDの安売りをやっていたのでかなり久しぶりにCDを購入した。ひとつは「サイモン&ガーファンクルの世界」、もうひとつはヒーリングミュージックで「愁(UREI)」という名前が付けられていた。家で早速聴いてみたが、どちらもかなり失望し、買ったことを後悔した。
「サイモン&ガーファンクルの世界」のほうは本人が歌っているのかと思いきや、かなり適当に作った感じのインストゥルメンタルであった。スーパーや田舎の商店街でかかってそうなサウンドであった。「愁(UREI)」のほうもひどかった。「日本の美」と銘打ち、「秋日和」「懐石」などの曲名の曲が並んでいるのだが、曲の雰囲気はそれとはかけ離れていた。教則ビデオなどで流れていそうな音楽で、印象の弱い散漫なメロディーであった。
どちらもパッケージのデザインは非常にかっこいいのだが、中身はいまいちでまったくもったいない買い物をしたものだと思った。
・2月24日 楽しかった応急救護
最近教習所の話題しかない気がするが、ここのところ教習所に行く以外にすることがないので仕方がない。
さて、今日は待ちに待った応急救護の日である。みんなが口をそろえて面白いと言っているので、非常に楽しみであった。しかし、朝起きてみると、明らかに遅刻であった。急げばぎりぎり滑り込めるかもしれないと思い、布団から出て5分後に家を飛び出した。駅に行けば目の前で電車が発車し、横浜駅に着いたのはぎりぎりのバスが出た2分後であった。間に合う可能性があるとしたら、タクシーで行くか、走るしかない。教習所で配布された地図を広げたところ、横浜駅から教習所までの距離は約1.5キロであった。これを見て、確実に行けるのは走るほうだと判断し、教習所まで走ったところ、予鈴の2分前に滑り込んだ。
応急救護の面白さは、想像以上であった。実技の前に見るビデオは、切迫したことをやっているはずなのに無駄にポップなBGMが流れていた。ビデオを見る前に「血が苦手な人はそういうときには目を伏せてもいいですよ」と言われていたので、どきどきしながら見ていると、ケチャップを顔に塗られて倒れている人がわずかに映っただけであった。
止血法の場面では、他はほとんど男の人が負傷者の役をやっているのに、足の止血法だけは女性のレオタード姿であった。汚いものは出来るだけ見せないようにしようという警察署の配慮が感じられて面白かった。実技のほうでは、有名な
「負傷者発見!」
に始まる一連の流れをやった。負傷者発見から心臓マッサージまで1分45秒でやらなければならないので、みんなものすごい速さで人形の胸を押していた。これが人間だったらやばいんじゃないかと思った。そして、「誰か来てくださ〜い」と両手を振りながら叫ぶときの顔はみんな笑っていた。
まったく楽しい3時間で、急いできた甲斐があったと思った。そして、人工呼吸で使ったあの人形、今はただランプが光ったりするだけだが、ハイテク技術を駆使して、処置によって青ざめたり、笑ったり、しゃべったりするような人形が開発されればもっと面白いことになるんじゃないかと思ったりした。
・2月22日 夢のこと
この前「特命リサーチ200X」で「夢」についてやっていた。見たい夢を見る方法や、夢をコントロールする方法があるというのである。30分くらい見たい夢の事を考えたり、関連する写真などを見たりしていると、それに関連する夢をみる確率が高くなるというのである。実験では、被験者の女性に30分間、好きな人の写真を見ながら海辺をいっしょに歩いている場面を想像してから寝てもらった。さらに、部屋にココナッツの香りを漂わせるなど、海辺らしさを演出した。結果、半数くらいの被験者が食い違いはあるにせよ、関連性のある夢を見たという。場面設定は理想どおりなのに、最後にふられてしまったという被験者もいて笑えた。
夢をコントロールするには夢の中で「これは夢だ」と気付くことが大切だという。夢だということさえ分かれば怖いことなどなくなるし、不可能もなくなる。空を飛ぶことも可能だという。注意すべき点は、夢だと分かると目覚めてしまう確率が高くなることらしい。目覚めるのを防ぐには、夢の中でぐるぐる回転すればいいということである。よくもまあ、こんな研究をしている人がいるもんだと思った。
最近変な夢を見た。具体的にどうやったかは分からないが、太鼓を使って殺人を犯した人がいて、そのために全国3年間和太鼓禁止令がでた。秩父夜祭を見に行ったが、お囃子の音がまったく聞こえなくて寂しい思いをした。さらに不思議なことに、秩父夜祭では、人が山車を曳くはずなのに、そこでは車が車を曳いているのである。しかも一般道で。なぜあれを見て秩父夜祭と認識してしまったのかが分からない。車が車を曳く夢を見た原因は前日に、学科教習の「けん引自動車について」の勉強をしていたからに違いないが。
・2月19日 仮免学科試験
もうすぐ仮免の試験である。それに向けて学科の勉強をしているのだが、勉強していて思ったのは、法律というのは細かい言い回しが多くてややこしいものだということである。笑ったのは、「車など」と書いてある横に、米印がついていて「『車など』とは車と路面電車を合わせたものをいう」と書いてあったことである。その他にも「車」の定義やら「自動車」の定義やら色々あってややこしい。法律にかかわる仕事だけはしたくないものだと思った。
仮免の模擬試験問題もやってみたのだが、上記のようなややこしい問題のほかに次のような笑える○×問題もあった。
「麻薬や覚せい剤を使用すると頭が冴えるので運転時には使用したほうがよい。」
「幼児のそばを通り過ぎるときは警音機を鳴らしながら速い速度で通り過ぎるのがよい。」
どちらもバカにしているとしか思えない問題であるが、このような問題が出るともうけものと思う。
・2月16日 自動車学校に通う
卒論発表が終わってから、毎日のように自動車学校に通っている。この「つぶやき」がなかなか更新されなかったのも、自動車学校から帰ってくると疲れてしまってすぐ寝てしまうからである。
自動車学校で教科書を受け取ったとき、小学校で新しい教科書を貰ったときのことを思い出した。教習所の教科書にも確かにあの「新しい教科書のにおい」がしたからである。そして初めて学科の試験を受けたとき若干ときめいた。いわゆる「授業」を受けるのは2年ぶりくらいであった。授業中の教官のテンションはだいぶ高い。特に武田鉄也と長州力を掛け合わせたような教官が居るのだが、彼はまさに「金八先生」のような授業展開をする。
技能のほうは、運転自体はかなり面白いのだが、やはり教官によっては非常に不愉快な思いをする。特に今日の教官はひどく厭味で、非常に腹が立った。
しかし、終わったあとにビートたけしの本に書いてあったことを思い出して抑えた。記憶は定かではないが、「教習所の教官の人がよくなったおしまいだ」というような意味のことが書いてあった。そもそも教官に厭味をいわれたくらいで腹を立てて怒っているような奴は、道路に出たらろくな奴にならないというのである。確かにそうかも知れないと思った。
・2月10日 新しい自転車
今日うちに帰ると新しい自転車があった。これまで共用で使っていたかなりボロボロの自転車が故障したので母親が9800円で買ってきたのである。三段変則のママチャリで、乗ってみたところ非常に乗り心地が良かった。これまで乗っていたママチャリはすべて漕ぐのを止めないとギヤチェンジができなかったが、このママチャリは漕ぎながらスムーズにチェンジした。気のせいかもしれないが、振動も少なく、ペダルも軽やかだと思った。
しかし、バイトが終わって家に帰ろうと自転車に乗ったところ、ギヤチェンジが出来なくなっていた。これには驚いた。いかに安いとはいえ、まさか一日で壊れるとは思わなかった。安物買いの銭失いという言葉が頭をよぎった。
卒論発表会
ついに卒論発表会が終わった。発表自体は緊張してうまくしゃべれなかったり、重要なところを言い忘れたりで、満足できるものではなかったが、納得せざるを得ない。発表会後、3年生が学食でコンパを開いてくれたのだが、その時強く思ったことが、「もっと学科の人とも仲良くなっておけばよかった」ということである。民研にもいろんな人がいるが、学科にはもっといろんな人がいていろんなことをやっている。身一つで海外旅行に行く人もいるし、一見チンピラみたいな奴だが話すとすごくしっかりした考えをもっている人もいる。そういう人ともっと積極的に接していればと思った。コンパ中もあまりうまく楽しめなかった気がする。しかしその時話しかけてきた人がいた。いつも学科の飲み会の幹事を積極的にやっていた人である。彼はおれのことをいきなり呼び捨てで呼んでくれた。人によると思うが、一度も話しかけたことがない人に、呼び捨てで話し掛けるのは勇気の要ることだと思う。かなりうれしかった記憶がある。
しかし、研究棟でやった二次会の酒代を立て替えたところ、飲み会が盛り上がってそのときに精算できなかった。運の悪いことに、定期券の期限も切れており次の日あやかに偶然和田町で会わなければ家に帰れないところであった。
立て替えた金は戻ってこない気がした。
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