2005年
10月のつぶやき




10月30日 イマジネーションについて

 イマジネーションが大事だと思う。例えば、ハンバーガーを見たときに、パンはアメリカの畑で小麦が栽培されて日本に運ばれ、挟まれているハンバーグはオーストラリアの牧場で育てられた牛が屠殺され、加工され、包まれている紙は、カナダ等で伐採された樹木が砕かれてチップとなり、製紙会社で加工され、ロゴが印刷され、その他さまざまな工程を経て目の前にあるということがイメージできるかということである。食事の前に言う「頂きます」という言葉は、「(命を)頂きます」という意味だと、誰かが言っていた。

 「そしてウンコは空のかなたへ」(平田剛士著)は、廃棄物がどのように処理されるのかを追いかけたルポである。 題名はちょっと変わっているが、なかなか興味深い。BSE問題で大量の廃棄物となった肉骨粉、消費期限の切れた献血、核廃棄物、そして水洗便所で流された糞尿等がどこに運ばれ、どのように処理されるのかが書かれている。そしてその行間には大量生産、大量消費に対する警鐘が込められている。

 ハンバーガーを見た時、それに投入された材料や、それに関わった人々のことまで思いをめぐらすことは、清潔さを追い求め、生々しい過程が見えづらい現代だからこそ大事だと思う。


10月29日 フレーム追加

 ブログを断念する代わりに、ホームページを若干進化させてみた。フレームを追加したのである。これまでは、フレームがあると便利だと思う一方、なぜかフレームが気になって文章が頭に入ってこないということがあった為、躊躇していた。まあ、それ以上に最も大きな理由は「面倒臭い」なのだが。今日はヒマだったので、私のホームページ作りのバイブル「はじめてのホームページHTML入門」を見ながら作った。

 とは言え、今となってはフレームの無いホームページの方が珍しい。今更自慢しようにもしようがないのである。一応、万が一「フレームが邪魔だ」と言う人がいた場合も考慮してフレーム解除のリンクも作っておいた。


10月24日 連日寿司を食う

 この4日中、3日は回転寿司を食べている。「開店17周年記念」で全品30%割引になっていたのである。「17週年」という中途半端さが面白い。素数である。

 この店は、回転寿司屋なのに普段は寿司が回っておらず、値札だけが回っているという、完全な「受注生産寿司」なのである。しかし、セール期間は珍しく寿司が回っていた。

 今日はセール最終日なので、15皿食べた。腹いっぱいである。


10月23日 私は変態

 題名は怪しいが、私は別に怪しい人物ではない。しかし、私は変わり者とよく言われる。血液型はAB型、動物占いはペガサスである。幼稚園時代から(私は覚えていないのだが)突飛な言動をして、両親は「我が子は大丈夫か」と、かなり本気で心配していたらしい。一方、小学校時代の国語の教科書を音読する宿題では、親に教科書を渡し、私自身は教科書を全く見ずに一字一句間違えることなく暗記した内容をスラスラと音読し、「我が子は天才か」と期待させたりもしていた。

 しかし、結局は「ナントカは紙一重」と言う言葉のどちらにも該当することなく、順調に進学・就職し、今に至る。そして、就職してしばらくすると、先輩方から「変態」と言われるようになった。私はそれを侮辱だとは思わなかったし、先輩方も悪意を込めて言っている様には思えなかった。

 9/22発行の「R25」に「利き脳」に関する記事が載っていた。脳にも「利き腕」と同じく右脳(空間能力)、左脳(言語能力)の働かせ方のタイプがあると言う。

 そして、「利き脳」は腕組みや指組みから容易に判断できると言う。腕組みをした時に右腕が上に来る(右手指は左脇の下に隠れる)人、また、指組みをした時に右の親指が上に来る人は、左脳を良く使う「論理的に考えることを好む思索家タイプ」であると言う。そして、この逆は右脳を良く使う「考えるより実行を好む即断実行タイプ」らしい。

 私の場合は、腕組みは「右脳タイプ」、指組みは「左脳タイプ」であった。生まれつき左利きだったのだが、右利きに矯正された経緯が関係しているのかも知れない。そして、こういうタイプは「R25」では「開発・統合タイプ」というかっこいい名前が付いているが、喜んでばかりもいられない。私は、自分でも決定的に欠如していると思われる能力がある。

 それは、記憶力と、文書や数式を理解する能力である。記憶力については、例えば新聞の一面の内容を、社会面を読む頃には忘れている。また、本を読むのも遅く、読み終わった頃には最初の頃のストーリーを覚えていない。映画も然りである。そして残るのは感動と印象だけである。

 以上は認識(入力)に関することである。それでは表現力(出力)は優れているのであろうか。それは勿論自分では分からないことである。


 荻窪教会へ

 荻窪教会へ行ってきた。荻窪教会は青ヶ島で知り合ったご家族が運営している教会である。「アンサンブルQ」というアカペラコーラスのミニコンサートを聴きにいった。

 演奏は素晴らしかった。演奏を聴きながら、宗教音楽というのは「悩ましい音楽」だと感じた。民衆のさまざまな「悩み」が複雑なメロディ、ハーモニーに反映されており、独特の表現になっていると思った。

 そして、久しぶりに生でコーラスを聴いたが、CDとは違って体中で音を感じられるのが良いと思った。

 休憩中に青ヶ島でお世話になった牧師夫妻に挨拶に行くと、一冊のノートを渡された。それは、小学校6年生の息子さんの昨年の自由研究であった。今年は青ヶ島と三宅島だが、去年は八丈島に関する自由研究をしたらしい。

 始めのページをめくって、思わず苦笑してしまった。八丈島のパンフレットが貼り付けられていただけだからである。しかし、次のページからはとても充実した内容で驚いた。八丈島のことが詳細に調べられており、それらは自分の言葉で書かれている。

 「自分の言葉で書かれている」ところが凄いと思った。調査研究とは言え、これは「創作」だと思った。これだけ充実した内容を書くのは、かなりの労力と時間がいるはずである。

 一方私の自由研究を思い起こせば、さまざまな紙飛行機を作ってその飛ぶ距離を比較したという、下らない内容であった。無論、一日で完成した。


10月21日 グリーンバンド

 「グリーンバンド」を買った。「グリーンバンド」とは、「increase forest」と記された、文字通りの「緑色の太い輪ゴム」である。「ティーケイ名古屋」というスノーボードウェア等を販売する会社が環境問題に対する企画として始めた活動で、売上げの一部は環境保護活動の為に寄付される。類似品としては、貧困撲滅の意思表示である「ホワイトバンド」、癌患者への寄付を目的とした「イエローバンド」等がある。

 オンラインショッピングで買ったのだが、買うかどうかかなり迷った。大体このバンドを作るのにもエネルギーが投入されているし、PP製の外装は石油製品である。そして、何よりもこんな輪ゴムをわざわざ中国で作って日本に運び、そこからわざわざ私の家まで配達するのだから、環境負荷は大きいと思う。こんな輪ゴムにそれだけの価値があるとは思えない。

 しかし、それでも買おうと思ったのは、この「グリーンバンド」が私の行動を規定すると思ったからである。「グリーンバンド」は私の意思表示なのである。

 これまで悪いと思いつつやっていたゴミの無分別、水道水の出しっぱなし、待機電源等をこまめに気を付けようと思う。また、飲料を買うときはペットボトルよりは缶、缶よりはリターナブル瓶を買うようにしようと思う。

 そして、何よりも環境問題に関する知識を今まで以上に勉強しなければと思う。無知は何よりも悪だからである。


10月19日 ストレスについて

 私は、自分ではストレスを感じやすい方だと思っている。人から言われたことを、いつまでもくよくよと考えるたちである。そして、そうやっていちいち他人の評価を意識する自分が嫌いである。

 しかし、会社で健康診断と同時に行われたストレスのアンケート調査によれば、私は職場一ストレスを感じにくいらしい。あまりにストレスが無い結果となると、ちゃんと仕事をしているのかと思われる気がして、若干肩身が狭い。

 「ストレス」を国語辞典で調べると、「疲労や精神の緊張などが原因で体内におこる防御反応」とある。また、広辞苑によれば、「C俗に、精神的緊張を言う」とある。このふたつは、結構違う。

 精神的緊張=ストレス とするならば、私はストレスを常に感じている。精神的緊張は仕事のみならず色々な場で感じると思う。精神的緊張は、動物として生き抜く為にも必要な反応である。しかし、ストレスの意味を「防御反応」まで含めると、私が普段感じている感覚は、ストレスには当たらないと思った。

 私は、精神的緊張を与えられると、とにかく腹が立つ。はらわたが煮えくり返るような怒りを覚える。むしろ攻撃的反応である。しかし、私に勇気が無い、或いは社会的に我慢せざるを得ない等の状況により、攻撃することを抑制するのである。

 そして、その攻撃的反応は、一方では仕事で見返してやると思う。また一方では、笛を心ゆくまで吹いて落ち着こうと思うのである。


10月16日 木製リコーダー

 先週の話だが、木製のアルトリコーダーを買った。4万2千円のローズウッド製のリコーダーである。銀座のヤマハでさまざまなリコーダーを試奏して決めた。久しぶりの高価な買い物である。

 木製リコーダーは、買ってすぐは長い間演奏することが出来ない。いきなり長時間吹くと、木が急激に水分を吸収し、割れを起こす可能性があるからである。説明書には、買ってから2週間は1日10分以上演奏しない方がよいと書いてある。毎日もっと吹きたい衝動を抑えながら少しずつ吹いている。

 しかし、吹いているうちに、果たしてこれは良い音なのか、疑問に思い始めた。銀座のヤマハで試奏した時は、間違いなく一番いい音だと思ったのだが、家で吹くと、プラスティックリコーダーの方がよく響くのである。ヤマハでは良く響いていたのだが、家ではカーテン、布団、洗濯物等に音が吸収されて響かないらしい。

 よくよく比べてみると、どちらにもいい所があることに気付く。木製リコーダーの方は、高音が軽く、早いテンポの曲に向いていると思った。対してプラスティックリコーダーは低い音やゆったりした演奏に向いていると思った。必ずしも木製が優れているわけではないのである。むしろ、低価格でこれだけいい音が出せるプラスティックリコーダーが凄いと思った。

 木製リコーダーの影響は、他にもある。リコーダーを買ってから、練習が楽しくなった。そして、歯を磨く回数が増えた。木製リコーダーは、私の健康にも役立っている。


 ブログを断念する

 実は、「つぶやき」をブログ化しようと思っており、実際に作ってみた。しかし、断念した。以下、その経緯。

 ブラウザの「表示」から「ソース」をクリックすると、私のホームページの仕組みを見ることが出来る。私はこの「ソース」を編集して「つぶやき」を書いている。今このやり方でホームページを作っている人は多分あまりおらず、作成ソフトを使うか、ブログ化している人も多い。

 ブログのいいところは、簡単に作れること、広く色んな人に見てもらうことが出来、意見を自由に書けることであろう。何か知りたいことがあって検索しても、ブログがトップ数件を占めていることは多い。

 反面、私にとっては不都合なこともある。前にも書いたが、日記帳にまめに書く几帳面さの無い私にとって「つぶやき」は、大事な日記である。そしてそれは、何年経っても無くしたくない大事な記録である。即ちハードディスクに保存しておきたいのである。現状の「つぶやき」ではパソコン上で作ってからアップロードするので、必然的にハードディスクに保存されることになるが、ブログではバックアップを取らなければならず、二度手間になってしまう。

 また、ブログはどうしても刹那的であり、「書き貯める」と言うよりは、「書き流す」という意味合いが強いように思う。どちらかと言えば、掲示板に近い。

 私が選んで実際に作ってみたブログは、自由度が高くソースを自分で作ることも出来る。しかし、ブログのソースは難しすぎて手が出なかった。とりあえず「つぶやき」のブログ化は保留とする。


 マラソン大会の練習開始

 11月13日の小田原マラソン大会に向けて練習を開始した。このマラソン大会はナオチャンの呼びかけで毎年参加している。今年はカオリ、マサカワ、ナオ、私の4人が参加する。去年リベンジを果たしたミヤチは残念ながら参加出来ないらしい。

 今日は、3キロくらい先にある阿佐ヶ谷駅を目指して走った。思ったより順調に走れた。ところが、阿佐ヶ谷駅で「どっちの料理ショー」に出たというたこ焼き屋を発見してしまい、うっかり買い食いしてしまった。帰りも気になるラーメン屋やお好み焼き屋を発見したが、所持金が500円しかなかったので買い食いせずに済んだ。

 とりあえず週1回以上を目標として走り込みをしようと思っている。


 NHK合唱コンクール中学校の部

 ビデオで撮った「NHK合唱コンクール中学校の部」を見た。意外に課題曲が歌いづらいと思った。個人的には、信州大学付属長野中学校のの「風と砂丘」がいいと思った。

 最後は平原綾香の「ジュピター」を皆で歌っていたのだが、演奏が思ったよりも素晴らしくて驚いた。いつもこの企画は失敗しているのだが、曲が良かったからであろうか。

 「ジュピター」は色んなところで演奏されている気がする。愛媛の日本一の書道部である愛媛県立三島高校書道部の「書のデモンストレーション」でも「ジュピター」が取り上げられていた。7音階のうち「ファ」を抜くとなぜか力強い感じがする。

 編曲と指揮は作曲家の松下耕氏である。難解な日本民謡曲を多く出している作曲家であり、どんな人かと思ったら、意外にも革ジャン姿の若い作曲家だった。

 応援していた信州大学付属長野中学校は銀賞であった。金賞は狛江市立第4中学校である。この学校の自由曲はソロが目立つ曲であった。まるで「はたはた漁の歌」の様である。あれ。松っちゃん家の近くではないか。まさか関係ないとは思うのだが。

 久しぶりに「つぶやき」を沢山書いた。「つぶやき」を書きながらビール⇒日本酒⇒泡盛⇒ビールと飲んでおり、酷い状態である。


10月10日 NHK全国音楽コンクール

 合唱の話が続く。今、NHK教育テレビで「全国音楽コンクール」の高校の部を見ている。今全ての演奏が終わり、審査待ちの時間でこの「つぶやき」を書いている。

 去年はNHKホールまで聴きに行ったのだが、課題曲も自由曲も難解な曲が多くて疲れたのだが、今年は去年の反動であろうか、聴きやすい歌が多かった。

 課題曲は「風になりたい」という曲である。3回の「♪風になりたい 風になって」をどう解釈し、深めていくか、そして最後の「風になろう」にどう繋げるかがポイントとなるが、基本的には分かりやすい曲だし、曲想も深めやすいと思う。その深め方が審査のポイントとなるだろう。

 私が最もいいと思ったのは、宮城県立第三女子高校であった。歌唱力もさることながら、風貌も高校生らしからぬ迫力がある。合唱やっている高校生は、どちらかと言えば真面目そうな人が多いのだが、ここの高校生は眉毛が無い人や、凄い髪型をしている人がいた。化粧をしている人も最も多いと思った。

 しかし、演奏は凄かった。一見ばらばらの彼女らが、驚くほどの一体感を持って歌っているのである。他の学校が「コンクール」という存在を見上げているのに対して、この学校は見下ろしているように聴こえた。もちろん悪い意味で言っているのでは無く、それ程の練習量と自信、意識の高さがあるからであろう。

 宮城県立第三女子高校は、銅賞であった。金賞は埼玉栄高校である。初の金賞受賞らしい。混声合唱の金賞は久しぶりである。男は生まれつきこういう表現が苦手なのか、いくら心を込めて歌ってもぶっきらぼうになってしまうのだが、ここは男声がとても良いと思った。


10月8日 ふたつの高校合唱部

 最近全国トップレベルと言われる高校合唱部のCDをいくつか買った。ひとつは、淀川工業高校グリークラブの「ファイト!」、もうひとつは安積女子高校の「全日本合唱コンクール全国大会出場の軌跡」である。

 「淀川工業高校グリークラブ」の存在は、NHKの「プロジェクトX」で知った。荒れた高校の熱血先生が合唱部を作り、全国大会で金賞を受賞するまでの軌跡が描かれている。(ちなみにこの放送は「荒れに荒れた」等の表現は事実に反するとして、高校側が抗議、NHKが謝罪するという後日談がある)高校合唱部で男声合唱というのが珍しい。コンクールを見に行っても、半分以上が女声合唱、残りが混声合唱であり、男声合唱は見たことが無い。

 CDは定期演奏会の録音なのだが、終曲は、中島みゆきの「ファイト!」である。

♪ファイト! 闘う君の歌を 闘わない奴らが笑うだろう
♪ファイト! 冷たい水の中を 震えながら登ってゆけ

 原曲はどちらかというと軽く歌うのだが、彼らの合唱は圧倒的な迫力があった。聴いているだけで、アルファ派ではなくアドレナリンと涙が出てきた。原曲と違い、重厚な男声のハーモニーで歌う「ファイト!」もいいと思った。

 他に「雪の朝」という曲があった。美しい合唱曲かと思ったら全然違っていた。以下、その歌詞。

♪雪が積もった翌朝 みんな集まって 雪におしっこかけて 氷れもん
♪そこへ先生やってきて
(セリフ)「おうお前ら 懐かしいことやっとるな よし 先生も氷れもん作んぞ」
♪先生が 雪におしっこかけたら 氷いちご
♪次の日先生 入院

 このメロディとフレージングでぴんと来た。こんな歌詞とメロディを作るのはひとりしかいない。嘉門達夫である。嘉門達夫は、関西弁のイントネーションをメロディに出来る稀有のアーティストだと思う。関西出身のシンガーソングライターでもメロディは標準語ということが多い。嘉門達夫の曲は他にも数曲収録されており、「せっかくの美声をこんなことに使うのかよ」という感じが面白い。大阪の高校らしいと思った。

 「安積女子高校合唱団」は、全日本合唱コンクールで21年連続金賞だという。キクチは「安積女子高校合唱団」の出身であり、学生時代彼女に「女に」というCDを借りたことで、その存在を知った。かつてNHKのコンクールの全国大会を見に行った時、一度だけ生で彼女らの合唱を聴いたことがあるのだが、声量も表現力も群を抜いているように感じた。CDには21回のコンクールのうち、後半11回の自由曲、課題曲の演奏が録音されている。

 しかし、自由曲は難解過ぎて私の感性の限界を超えた。例えば「『オデコのこいつ』より けんか・なぜ?」では、

♪夢を見てから変なんだ オデコのこいつが喋るんだ ペコペコなんだ〜

で始まり、

♪卑怯な奴なんだ うるさい! 黙れ! お前なんか死んじまえ!

と絶叫し、最後は

♪赤んぼみたいに丸くなって死んでる なぜ ぼくが殺したんだ きっと。

と呟いて曲は終わる。それなりに意味のある曲だとは思うのだが、相当シュールで怖い。何故私はこんな歌を聴いているんだろうと思った。


 ふたつの合唱部は対照的だと思った。「淀校グリー」の方は、「自分達の思いを聴衆に伝えたい」という思いが強いのに対して、「安女」の方は「曲を理解し、形にしたい」という思いが強いような気がした。これは男女の性格の差なのであろうか。それはよく分からない。

 しかし、共通しているのは、どちらも演奏に一切の妥協がないことである。高校の部活というのは、大学よりも、場合によってはプロよりも必死になって練習することさえあると思う。なぜなら、彼らにとって部活とは、趣味とか生活の糧とかではなく、「全て」だからである。


10月6日 フラダンスと盆踊り

 日本には、フラダンスが熱狂的に好きな世代がある。恐らく、今丁度年金生活を始めたくらいの世代だと思う。かつて笛部で、スーパーの店頭で行ったアマチュアバンドフェスティバルに参加したとき、フラダンスのグループの演奏が始まったとたん、至る所から老人が集まって来て驚いた。

 先週ハワイに行った時に、ホテルの一角でフラダンスを踊っている人を見かけた。その踊りを見て、日本の大先輩方に好評な理由がわかった。フラダンスは、盆踊りに似ているのである。

 盆踊りに見える理由は簡単である。以下を守れば何をやってもそれらしく見える。

・腰を少し落とす。
・右手を出せば右足、左手を出せば左足を出す。(欧米の踊りは逆)
・視線は出した手の方を向く。

 老人の盆踊りは、どれだけ練習したのかと思う程洗練されていて上手いと思う。動きが自然で無理が無い。それは、かつての日本人が持っていた自然な動きだったのかも知れない。そして、たまたま盆踊りとフラダンスが似ていたので、かつての日本人はハワイに傾倒し、日本人=ハワイ好き という図式が生まれたのかも知れない。


10月5日 大きな話

 少し大きな話をしたい。思いつくままに書くので、いい加減である。

 「何故働くか」と聞かれると、私は「地球環境問題を解決する為」と答える。「地球環境」というのは、私の人生の中での大きなキーワードとなっている。

 では、「地球環境問題を解決する」とはどういうことか。自然を守ることなのか。ではなぜ自然を守る必要があるのか。二酸化炭素を吸収するからか。ではなぜ空気中の二酸化炭素を減らす必要があるのか。その他「地球環境問題」には「なぜ」を追求していくとよく分からないことが多い。そして場合によっては「自然は絶対的な存在だから守るべきなのだ」とか「そもそも人間がいなくなればいい」という極論に至る。

 これに対する回答としては、「市民のための環境学入門」(安井至著・丸善ライブラリー)の意見が面白い。

 本書では、地球環境を解決する目的を「『人口爆縮』を防ぐ為」と定義している。『爆縮』とは、ある種の生息数が突如激減することをいう。絶海の孤島等の生態系では、しばしばこういう現象が起こる。人口爆縮を回避し、世界人口を軟着陸(微減)させることが、地球環境問題を解決する目的であるという。人口爆縮は、人口爆発でも、温暖化による食糧不足でも起こり得る。賛否は別として、こういう具体的な目標を提示するところが面白い。

 では、そういう問題の解決が私の仕事や生活とどう関係するかというと、極度に細分化されて関係することになる。大きな話をイメージした上で今の立場を位置付けた方がいいと思う。あとは、どうすれば私が出来る「作用」を極大化出来るかが今後の方針となる。

 大学院を卒業した人に、大学院が面白かったか尋ねると、大抵はつまらないと答える。そして、教授の雑用を押し付けられたとか、結局は教授の為にただ働きさせられただけだとか言う。大学院を知らないのでなんとも言えないが、それは大きな話を分からずに研究しているからではないかと思う。

 教授の持っているテーマ自体、極度に細分化されており、大きな話の中のごくごく一部を担っているに過ぎない。さらにその一部を担っている学生は、それしか知らなければさぞかしつまらないであろう。

 細分化されたごくごく一部を担うというのは、研究でも仕事でも同じである。要は大きな話を意識することが大事だと思う。


10月4日 ノンアルコールビールの表示

 仕事帰りに「ココイチ」に寄ってカレーを食べた。車だったので、ビールの代わりにノンアルコールビールを注文した。ノンアルコールビールの缶には、

 「アルコールが0.5%含まれておりますので、車の運転及び未成年者の飲用に際しては十分ご注意ください」

 と書いてある。「十分ご注意」とは曖昧な言い方である。

 車の運転については少し考えれば分かる。ノンアルコールだからと言って、大量に飲んでは検問に引っ掛かるかも知れないし、全くアルコールを飲めない人が飲んだら運転に支障をきたすかも知れない。だから、アルコールが少量含まれていることをアピールして、注意を喚起しているのである。

 一方「未成年の飲用」に関しては、意味が分からない。果たして未成年は飲んでもいいのか否か。

 もし法律上問題があるのならば、「飲んではならない」と明記するはずである。分類は「清涼飲料」だから、恐らく法には触れないのであろう。すると、一体何に「十分注意」すればいいのか。

 もしかしたら、ノンアルコールビールを飲んでいる未成年に対して、「酒を飲んでいる」と勘違いして叱ったりしないよう注意しようという意味なのではないか。

 一瞬納得したが、すぐにそんなはずはないと思い直した。謎である。


10月3日 杉村太蔵氏のこと

 彼は、私よりもひとつ年上なだけである。それでも、たまたま自民党の公募に応募し、論文を書き比例代表で当選、そして「料亭に行きたい」等と下らないことを言いつつ、最終的に記者会見で失言をお詫びし、現在に至る。

 彼の失言は、政治家になった感激を表しているというよりは、「政治家」という存在を揶揄しているように思えてならない。「政治家は何をしている訳でもないのに、こんなにお金を貰ってこんなにいい思いをしているのだ」と暗に言っている気がする。だからこそ「馬鹿者」と言われる一方、支持もされるのであろう。

 彼のブログにはその発想の面白さが窺える。例えば、「スポーツから考えうる環境問題」では、「学校における水泳の授業の究極のテーマは、水に放り出されたときに最低限自分の身を守ると言うこと」とし、「川で水泳の授業が出来るくらい綺麗な環境に戻すというのが、ひとつの明確なビジョンである」と述べている。

 私は、彼がユニークで頭の良い人だと思った。言われてなるほどと思うことを考え付くのは難しい。同世代人として、応援したいと思った。


10月2日 リコーダーを試奏する

 ちょっと奮発していいリコーダーを買おうと思っている。レッスンの時先生に相談すると、銀座のYAMAHAには色々な種類のリコーダーが取り揃えてあるので見に行ってみてはとのことであった。

 早速銀座のYAMAHAの管楽器コーナーに行った。意外にも、リコーダーを試奏している人は結構いた。 リコーダーにはプラスチック製と木製があるが、プラスチック製を3種、木製を5種出してもらった。

 「いいリコーダー」を買うのにプラスチックリコーダーも試奏するのは、「いいリコーダー=木製リコーダー」とは思っていないからである。プラスチックリコーダーの生産技術はよく洗練されていると思う。2000円であれだけいい音が出るのは凄いことである。木製リコーダーでもプラスチック製と劇的な差がなければ買わないでおこうと思っていた。

 吹いてみると、木製リコーダー5本のうち、2本はプラスチックリコーダーに劣ると思った。値段はプラスチックリコーダーの5〜10倍くらいするのに。他の3本はいい音色だと思った。後は好みである。1本は4万円、他の2本は9万円程度であったが、4万円の方がいいと思った。高ければ高い程いい訳でもないらしい。

 続いて、他のメーカーのを3本出してもらったが、かの4万円リコーダーが一番いいと思った。

 しかし、結局買わずに出てきた。楽しいひとときであった。来週は別の店で「リコーダーフェア」というのをやっているので、そっちに足を運ぶ予定である。



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