2006年
2月のつぶやき




2月27日 イナバウアー

 「イナバウアー」が面白いと思う。トリノ金メダリスト、荒川静香の得意技「イナバウアー」は、美しいと言うよりは、生々しい凄みがあり、華麗なフィギュアの世界の中でも、異彩を放っていると思う。だから、浅田真央が「イナバウアー」をやる姿は想像出来ない。

 しかし、「イナバウアー」という名前がなかなか覚えられず、四苦八苦した。先週の笛部の練習の時も、


     「荒川静香の技ってなんだっけ?『バウハウワー』みたいなやつ」

  カオリ 「『イナバウアー』だよ」

     「床の上でも出来ないことをよくあんなつるつるの氷の上でやるよなー」

  カオリ 「違うよ。氷の上だからこそ出来るんだよ」

  アユミ 「シラトさん、ずっと自分の世界に入ってる・・・」


 みたいなやりとりをしつつ、マツバラと私は「イナバウアー」の真似をしたり、スピンの真似をしたりして遊んでいた。その間、シラトはずっとRPGの曲をピアノで弾いていた。練習を終え、家に帰ってもまた「イナバウアー」をど忘れし、また以下のようなやりとりをした。


  「荒川静香ちゃんって年下だったんだねー」

  「そうなんだ。あの反るやつ凄いよなー、『バウワウアー』みたいな名前の技」

  「バウワウアー??」

  「あの田楽の最後の『そーれ そーれ そ〜〜れ〜〜』みたいなやつ」

  「あれそんな名前だったんだ」


 次の日、リコーダーのレッスンに行く途中、「イナバウアー」を思い出した。しかし、今度は「荒川静香」が思い出せなくなった。ひとつ思い出せばひとつ忘れる、脳の不思議を感じた。


 社会人失格

 日曜の夕方、リコーダーのレッスンを終えた後、先生と飲みに行った。酒屋の2階にある居酒屋は、とても美味しい日本酒を飲める。あまりに美味しいのでつい飲みすぎてしまった。下の酒屋には、「幻の酒」と言われる青ヶ島の「青酎」が置いており、それを買って店を出た。まだ午後9時を過ぎた頃だった気がする。

 気付くと、終点の本川越駅にいた。しかも、終電も無い。恐らく、電車の中で寝てしまい、西武新宿−本川越間を数往復したと思われる。

 仕方なく、本川越をさまよい歩いていると、カラオケ屋があったので、そこで寝た。しかし、朝の5時、店員に起こされて締め出された。もう閉店らしい。

 次はマンガ喫茶を発見したのでそこで再度寝て、そのまま出社した。酷い二日酔いである。私は自分をばかだと思った。学生じゃあるまいし一体何をやっているのかと思った。これからはちゃんと自粛しなければならない。

 マンガ喫茶で目覚めると、朦朧とした意識の中で「荒川静香」「イナバウアー」を両方思い出した。もう二度とど忘れすることは無いであろう。


2月18日 キーボードがおかしくなる

 「つぶやき」に何を書こうか迷いながらビールを飲んでいると、うっかりビールをこぼしてしまった。2日前にも焼酎をこぼしている。近々引っ越しするからと言って気が緩んでいるのであろうか。「立つ鳥後を濁さず」でいきたいところである。

 さて、上記ビールだが、何とパソコンのキーボードの上にこぼしてしまった。ビールはカーペットまでこぼれたので、ひととおりタオルで拭いた。拭き終わり、キーボードで文字入力しようとすると、変換がおかしくなっていた。入力した通りの字が出てこないのである。何とかここまで書き込み、一旦中断。

 <以下21日記入>

 これはまずいと思い、キーボードを逆さにすると、キーボードに染み込んだ黄色い麦汁が、滲み出てきた。気持ちの悪い光景であった。乾かせば治るかも知れないと思い、1日放っておいたが、治っていなかった。次は、問題のキーを外してさらに1日放っておいた。すると、スペースキーの反応が若干悪いものの、なんとか使えるレベルになった。

 今週末にでもハードオフのジャンクコーナーで買おうと思った。

 ハードオフと言えば、先週末妻と不用品を売りに行った。行くと、5.1chのホームシアターシステムが1万3千円で売っていた。電気用品安全法(PSE法)により、指定マークの無い中古電化製品の売買が出来なくなる為、ハードオフは対象製品の処分セールを行っているのである。5.1chとは、スピーカー5個とウーハ―1個からそれぞれ異なる音が出るもので、それらを部屋中に配置することにより、立体感のあるサウンドが楽しめるものらしい。妻は「スピーカーに囲まれて『少林サッカー』を見たい」と言っていた。ともあれ、中古電化製品を買うなら、今以上のチャンスはなかなか無い。

 店員に話を聞くと、どうやら再生オーディオ又はDVDプレイヤーに「光端子」なるものが付いていないと使えないらしい。急いで家に戻り、DVDプレイヤーの裏側を覘いたところ、「光」と書かれた端子を発見した。私の期待は高鳴った。私は思わず、

「キタ━━(゚∀゚)━━!!!!」

とつぶやいた。5.1chとは、どんな感覚なのであろうか。

 しかし、急ぎハードオフに戻り、ホームシアターが置いてあったところに行くと、今まさに他のオッサンが、そのホームシアターを手にとって、レジに向かわんとしているところであった。あと10秒早ければ私が手にしていたであろう。

 私は久しぶりにがっかりした。期待した分、タッチの差だった分、がっかりも大きかった。まさに、

「ガックシ_| ̄|○」

である。


2月18日 学研の科学

 引っ越しの準備をしていたら、なんと「学研の科学」が出てきた。小学6年の夏休み号である。小学6年の私は、この中の「サバイバル特集」が気に入っており、捨てずにとっておいたのである。

 しかし、この「学研の科学」の中には、小学6年の私が、二度と開かないと決めたページがある。それは、読者から送られてきたという、心霊体験のページである。当時、私はこのページを読んで震え上がり、しばらくはひとりでトイレにも行けないくらい怖い思いをした。それ以来、部屋の整理のタイミングでこの「学研の科学」を手にとってみるのだが、心霊体験のページを開いたことは無かった。

 今日は、思い切って心霊体験のページを読んでみた。最初のページには、

  「読者から送られてきた本当の話 血も凍る私の恐怖体験」

と書かれている。

 改めて読んだが、意外に怖かった。さすがにトイレに行けなくなる程のことにはならないが。怖いと思う原因は、訳が分からないことである。話につじつまを合わせようとかせず、何も分からないまま終わるところが怖い。例えば、以下。

(三重県 M・K)
 去年の夏、あるクラブで旅行をしたときのことです。
 夕食を住ませ、ふとんに入りました。旅行の楽しさに興奮してしまい、なかなか寝つけません。
 気がつくともう真夜中。部屋の中はシーンとしていました。
 そのうち、足元がひんやりしてくるのに気付きました。何気なく起き上がって、つま先の方を見ました。
 ふとんもかかっているし、何も変わったことはありません。
 「気のせいかな?」
 何気なくあたりを見回すと…。
 「あれっ!?」
 部屋の角に赤い着物を着た髪の長い女の人が立っていました。さらによく見ると、近くに寝ていた友達の足元にも、白い着物を着た、やはり髪の長い女の人が2人も立っているではありませんか! 白い着物を着た2人の女の人は悲しそうな目で、赤い着物の人を見つめています。赤い着物の人はうつむいたままでした。
 長い時間のことだったのか、一瞬のことだったのか、私にはわかりません。ともかく怖くて、一生懸命目をつむっていました。
 次の日の朝、友達に、その話をしましたが、だれも信じてくれません。ぼく以外、だれも見た人はいませんでした。
 なぜ、ぼくだけに見えたのかいまだにわかりません。あれは夏の夜の幻だったのでしょうか…。


 「どこが怖いのか」と思う方も多々いるであろう。私がこの話を怖いと思う理由は、現象は事細かに書かれているのに、それが起こった原因についての手掛かりが何一つ無いことである。例えば、幽霊が白い着物の女性一人だったら何とも無い。また、「かつてこの宿で3人の女性が自殺した」とか書けば、逆に全く怖くない。「なぜ赤い着物の人が1人で、白い着物の人が2人なのか」とか、なにも分からないから怖い。ここまでとりとめも無く書くと、真実味がある。

 最後のページには、「霊を科学する」というコラムが載っており、「怖くなりすぎた人は、これを読めば少しは気が休まることでしょう」とある。そこには、心霊現象を見る脳のメカニズムについて書かれていた。

 「学研の科学」の優しさを感じた。見る子供の気持ちをよく考えているなぁと思った。


2月14日 献血をする

 今日は会社に「愛の献血バス」が来たので、久しぶりに献血することにした。献血をするのは、約4年ぶりである。

 前に献血した時も書いたが、私は注射が怖い。私が献血をするのは、社会貢献であると同時に医療器具恐怖症の克服の為でもある。一緒に行った恰幅のいい先輩は、献血慣れしているらしく、「400ccどころか800ccでも抜いてもらっていいですよ」と、余裕である。私は献血が近づくにつれ、怖くなり、口数が少なくなってきた。

 かなりゆったりした椅子に座っても、椅子に身をゆだねることが出来ず、固まっているのを自分でも感じた。献血は、やはり痛かった。さらに、血を搾り出す為か、「ゆっくり手をグーパーしていて下さい」と言われたので、手を握ったり開いたりしていると、針がどんどん深く入ってくるような錯覚に陥り、さらに怖くなった。

 しばらくすると、看護婦は私の血液が入った輸液バッグを専用のボックスにセットし、スイッチを入れた。すると、私の血液は振り混ぜられた。その振動がチューブを通して私の腕にも伝わってきたのが気色悪かった。

 その後、受付の職員がバスに入ってきて、折り畳み式のリラックスチェアを持って出て行った。私の前に献血していた女性が倒れたらしい。

 私は無事終わり、ジュースを飲んで仕事に戻った。果たして、この恐怖を乗り越えることは出来るのであろうか。


2月12日 株を買うということ

 「株を買う」ということは、その会社を応援するということである。当たり前だが、株式会社は、発行した株で得た資金で事業を行ない、利益を得る。そして、その利益の一部を株を買ってくれた人に還元する。「株で儲ける」という考え方の基本は、良いと思った会社にお金を託し、その会社が儲かった時に謝礼金(配当)を貰うことである。

 昨年、日経平均株価は大幅に上昇した。この要因は、本当に景気が上向いてきたこともあるが、ネット証券の普及による個人投資家の急増が、大きな要因のひとつである。

 書店に行けば「株で儲ける魔法の法則」とか「株で100億稼ぐ」と言った本が平積みで置かれている。ニュースでは、個人投資家が何百億稼いだとかいう話を成功物語として報じている。しかし、これは異常な事態だと思わなければならない。

 働くとは、価値を生み出すことである。便利な商品を作ったり、人に喜んでもらったり、社会問題や環境問題を解決する為に貢献することである。そして、価値を生み出したからこそ、報酬が貰えるのである。

 一方、個人投資家は、パソコンの前でクリックしているだけである。何ひとつ価値を生み出していないにもかかわらず、億単位の金を手に入れられるのである。宝くじや競馬は、儲けた一握りの人以上に、損をした大多数がいるのでこの話とは別である。

 「株を買う」ということは、その会社を応援するということ。この基本的な考え方を忘れると、かつて「地価」で起こったバブル経済が、「株価」で起こる気がしてならない。


2月11日 深夜の出来事

 昨日の明け方、謎のアラーム音で目覚めた。聞いたことの無いアラーム音だった。何の音か探しているうちに、アラーム音は消えた。私は、気味悪くなったので、テレビを付けて気分を紛らわすことにした。

 NHKを付けると、画面は真っ赤でその中ではスポーツカーが喧しくエンジンをふかしている。普段ならその時間は綺麗な風景を映しながら他愛のない音楽をかけているはずである。NHKらしくないと思った。

 しかも画面の赤さが異様である。私はテレビが壊れたのかと思い、一旦スイッチを切って再度テレビを付けた。すると、スポーツカーは突然発進し、氷上をぐるぐる回り始めた。そこでやっとトリノ五輪の開幕式だということを知った。

 私のトリノ五輪の目標は「カーリングを手に汗にぎりながら見る」ことである。私は以前からカーリングのスポーツらしからぬところが好きだったのだが、ルールがよく分からなかった。今年はひととおり勉強したので、ちゃんと見てみようと思う。

 それにしても、あのアラーム音はなんだったのであろうか。


2月9日 顔文字について

 最近のメールや書き込みには顔文字がついていることが多い。顔文字を使った方が表現の幅が広がることは分かっているのだが、残念ながら私は一度も使ったことが無い。

 例えば、誰かを応援したい時、

「がんばれよ。」

と送ると素っ気ない感じがするが、

「がんばれー( ^ー^ )/」

とか送ると、なんとなく活き活きとした感じがするし、

「戦慄した」

と書くよりは、

「((;゚Д゚))ガクガクブルブル」

と書いた方が臨場感がある。勿論、

「来た」

と書くよりは、

「キタ━━(゚∀゚)━━!!!!」

と書いた方が、感情が素直に表現されているであろう。

 私が顔文字を使えないのは自分の殻を破れないでいるからであろうか。顔文字という新しく、豊かな表現手段があるにもかかわらず、それを使わないというのは、あまりいい姿勢では無い。しかし一方で、「そんな殻は破りたくも無い」と思う古い自分がいる。

 「つぶやき」を書きながら基本的な疑問を持ったのだが、皆顔文字はどうやって入れているのだろうか。この「つぶやき」を書くために、顔文字にチャレンジしようとしたのだが、上手くいかず、結局検索エンジンで「ガクガクブルブル」を検索して、コピペした。その他、「キター」はイラハのブログより流用。


2月7日 ありえない光景

 今朝、電車に乗っていると、とてつもなく巨大な人が乗ってきた。彼は電車に乗るにも真っ直ぐ立てず、腰を屈めて乗っている。しばらくして、彼は椅子に座った。巨大だが、表情は気弱そうに見えた。

 そして、驚いたことに、彼は椅子に座ったまま手を伸ばして網棚にカバンを置いた。しばらくして、彼は座ったまま網棚のカバンを取り、本を取り出し、カバンだけ網棚に戻した。座ったまま網棚に手が届くこと自体が信じられなかった。

 ありえない光景であった。まるで騙し絵を見ているようであった。

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