2006年
3月のつぶやき
4月29日 カカオたっぷりチョコレート
珍しく私が待ち望んだブームが来た。カカオ含有率の高いチョコレートブームである。私はチョコレート好きだが甘いものは苦手で、甘さ控え目のチョコレートが欲しいと思っていたのである。
「CACAO72%」と大きく書かれた板チョコを買って食べてみた。それ程甘くなく、かなり苦い。私好みの味であった。カカオ99%のチョコも食べてみた。こちらは職場で一切れ貰って食べただけなのだが、全く甘味は無く、強烈な苦味がある。
99%はちょっとやりすぎだと思った。しかし、我慢して食べていると病みつきになるのかも知れない。
4月28日 主婦という職業
我が家では家の仕事は分担して行っているが、家事をやっていると「主婦」という仕事について考える。
「主婦」と言えば、企業で働く女性と比べてマイナスイメージを持っている人もいるが、私はそうは思わない。家事をしていると、それらはまさに生活の知恵の結晶であることに気付く。、
私などは買い物に行くとどれを買っていいのか分からずうろうろと歩き回るが、周りの「デキる主婦」達は、一瞬でどれを買うとベストな運用が出来るかを判断し、どんどん買い物カゴに入れていく。その手付きは洗練されているなぁと思う。
主婦業とは、会社で言えば社長に当てはまると思う。家全体の家計を見回し、収入と支出のバランスから生活方針を定める。買い物や料理では、「より少ないコストで最高の付加価値を生み出す」為の方法を考え、大根の葉っぱや煎茶の出涸らしまで無駄なく使う。「デキる主婦」がやっていることは、トヨタ等の超優良企業がやっているのと同じ発想なのである。
これからの「環境新時代」を生き抜く為には、「男の料理」方式から「主婦の料理」方式への転換が必要なのではないかと思う。
4月27日 自分を見つめる
最近思う自分自身のことについて、思いつくままに書いてみる。
・理論的な自分
私は、教えるのが上手だとよく言われる。例えば学生時代、横笛の音の出し方を教えるのは得意で、殆どの人は30分も教えれば音が出るようになっていた。
私は、理論的に考えることが好きである。横笛であれば、「なぜ音が出るのか」「どうすれば音が出るのか」等を考え、それを実践する為に必要な方法を、「どうすれば上手く伝わるか」考える。音が出なければ、「なぜ出ないか」を考える。感覚的なことを一旦理屈にして、それを再度感覚的な言葉で伝えるのである。
しかし、そんな理屈っぽい自分が嫌いだと思うことがある。細かいことを気にせず、屈託無く笑える人を羨ましく思い、自己嫌悪に陥ることがたまにある。
しかし、冷静に考えるとこんなにばかばかしいことは無い。私は私の良さを出せばいいだけの話なのである。
・女性が苦手
少々、のろけたい。私は、女性が苦手である。嫌いではなく、苦手なのである。今の妻がいなかったら、私は50%くらいの確立で一生独身だと思う。当時の私は、告白する勇気やプロポーズする勇気をよく持っていたなぁと思う。
私にはドラゴンボール初期の「ヤムチャ」の気持ちがよく分かる。女性は言語能力に長けており、話のスピードについていける気がしない。
雑談が苦手なのである。目的を持った議論は好きなのだが、雑談は結論を出さないことに意味がある。解決の必要は無いのである。
雑談のひとつも出来なければ、仕事や生活に支障をきたすかも知れないと思うことがある。客との打合せだって「今日はいい天気ですねぇ」から始まることが多い。そこで打ち解けられるかどうかで成果も変わってくる。
「雑談」の勉強もしなければならないなぁと思う今日この頃である。それにしても、女性の話からいつの間にか雑談の話になってしまった・・・。書きながら、無意識に話題を変えようとする自分を感じた。
4月24日 万引きGメン
家に帰って何気なくテレビを見ていると、「アンテナ22」という番組で「女性万引きGメン」のドキュメンタリーをやっていた。非常に面白く、久しぶりに必死で見てしまった。「万引きGメン」とは、私服姿でスーパー等を巡回し、万引き常習犯を取り締まる保安員のことらしい。
万引きGメンは、3人登場する。一人はアパレル業界から転職して万引きGメンになったという、25歳の立木、「なんでこの人が??」と思う程、あどけなさの残る若い女性である。二人目は41歳のママさんGメン、望月。彼女は女手ひとつで娘を育てており、その表情にも逞しさがあった。
はじめは若い立木だけで万引き犯を捕まえるシーンが登場する。彼女は「人と正面から向き合う仕事がしたい」と転職を決意し、今の仕事に就いたという。真剣な人生である。
やがて、立木や望月では太刀打ち出来ないような「強敵」が登場する。ひとりは超高速で店内を歩き回りG面達を翻弄する「マッハ女」、そしてもうひとりは、商品を取っては別の場所に置く「チャリ」と呼ばれるかく乱行為を連発する「チャリ少女」である。
彼女らは「2週間以内に万引き常習犯確保」という特命を受けてスーパーに送り込まれるが、「マッハ女」と「チャリ少女」になすすべも無い。
そこで、ついに3人目のGメンが送り込まれた。彼女はGメン歴20年の超ベテランで、店内を歩き回っては陳列を動かして「死角崩し」をしていた。そして、立木と望月が休憩に入っている間にあっさり「マッハ女」を確保した。さらに3人の協働で「チャリ少女」も確保する。
色々な仕事があるものだと思った。この番組が面白いと思うのは、万引き犯との駆け引きのスリルと、「マッハ女」を見て「あの人速い…」と立ちすくむコミカルさが融合していることであろう。さらに、万引き犯が万引きを犯してしまう現代社会の闇にも焦点を当てている。
しかし、この番組が本当に伝えたいのは、「彼女らがこの仕事をしているのは、人間が好きだからだ」ということではないかと思う。万引き犯を確保する時の声掛けや、バックヤードでのやりとりでは、彼女らの愛情を感じる。そういう一本筋が根底に流れているからこそ、この番組が面白いのだと思った。
4月22日 リコーダー/マリオ/酒
今日は、洗濯を済ませてからリコーダー部の練習へ行った。代々木公園での野外練習である。
代々木公園に行くのは初めてだったのだが、原宿駅で降りて代々木公園に入ったと思ったら、なんと明治神宮だった。代々木公園と明治神宮は隣どうしらしい。かなり遅れて着くと、ビールとお菓子を囲んでリコーダーを吹いている人たちがいた。土曜の昼下がりに外で酒を飲みながら笛を吹く。これ程の至福はなかなか無いであろう。
練習後は、部員であるジュンヤさんの家にスーパーマリオをしに行った。6月のリコーダー部発表会では、サウンド・オブ・ミュージックとスーパーマリオを取り上げるのである。
ジュンヤさんの家では、はじめは「みんなの歌」のDVDを見たり、「魔笛」のLPを見たりしていた。
そしてその後、いい大人達が「酒を飲みながらスーパーマリオに熱中し、かつBGMに合わせてリコーダーを吹く」という、滅茶苦茶な遊びに興じた。はしゃいでいるうちに、ジュンヤさんの奥さんも帰ってきた。はじめは驚いている様子だったが、「初マリオ」を体験し、「ジャンプの仕方が分からずクリボーにやられる」という衝撃的な最期を演出して下さった。
それにしても、もし小学生時代にリコーダーでマリオが吹けたら、一躍人気者であっただろうと思った。今では、「ちょっと凄い変な大人」に過ぎない。
4月20日 Y氏の演奏
昨日はリコーダーレッスン生の発表会があった。出場者の殆どは年配の女性で、男性は18人中私を含め4人だけであった。定年を迎え、ご自分でリコーダー作りを始めたという方、夫婦でデュエットされる方の他にY氏がいた。みんながお洒落をする中、Y氏は普段着である。
アヴェ・マリアを吹きたくてレッスンに通い始めたという彼は、これまでリコーダーを手にしたことも無く、楽譜も読めないという。レパートリーは「アヴェ・マリア」一曲のみ、曲は耳で覚えたので、暗譜である。
Y氏の演奏は、感動的であった。演奏する彼の目は輝いている。音色には想いがこもっている。決して上手いとは言えないが、心に沁み入るような演奏であった。「音楽は心」という、学生時代はごく当たり前だったことを、彼の演奏を聞いて思い出した。
発表会後の打ち上げでも、彼の演奏は大絶賛であった。彼は自分の演奏を「生きるか死ぬかの大勝負」と語っていた。忙しい仕事の合間を縫って、カラオケ屋などで練習したらしい。また彼の演奏を聴きたいと思った。
4月17日 エコ水着
今日の朝日新聞で、「今年の水着『エコ』『速乾性』」という見出しの記事が載っていた。「ここ数年、日焼けが敬遠されるなどして若者の水着離れが進んでいるため、低迷気味の商戦の盛り上げを狙っている」とある。中でも驚いたのが、
「ユニチカも、トウモロコシからつくる生分解性の高い『ポリ乳酸』を使用した素材を売り込む」
という一文であった。ポリ乳酸からつくるのは結構だが、「生分解性の高さ」を売りにするのはどうなのだろうか。
「生分解性が高い」ということは、自然にさらされた際、微生物等により分解されやすいということである。勿論着ているうちにボロボロになってしまうようなことは無いだろうが、イメージとして何となく危うい。そんな危うい水着を着て海に入ろうとか、日焼けしようとか、砂に埋められても良いとか思う女性はいるのであろうか。
今は「生分解」よりも「植物由来」と呼ばれる傾向が強い。せめて「植物由来の水着」にしておけば、環境への配慮をアピール出来たのにと思った。
しかし、そう考えると、「ふんどし」だって植物由来なのである。アピールは難しいなぁと思った。
4月16日 初めての客
今日は我が家に民研の友人が来た。メンバーはボンサン、シゲオ、モコ、クミコ、イチカワ、トリイである。彼らはボンサンの車で来たのだが、モコとクミコはなんと所沢で買い物をしていて遅れると言う。そして、妻と所沢で買い物を楽しみたいと言っているらしい。仕方なく、ボンサン、シゲオ、イチカワのみを残して、私の車で所沢に向かった。客人だけを残して家を空けるというのも不自然だったが、まあいいかと思った。
モコとクミコを乗せて家に戻ると、マンションの前でボンサンが立ちはだって、「今はまずいからまだ入るな!」と言う。かなり本気である。私は何かとんでもないことがあったのかと思い、強行突入した。ボンサンは渾身の力を込めて私にしがみついているが、私は無理矢理引きずる形で家のドアを開けた。
ドアを開けると、部屋中にハート型の風船が散りばめられており、目の前に神父が立っていた。そこでやっと、一連のことが私達へのサプライズだったと言うことに気付いた。後ろでは私にしがみついていたボンサンが靴を履いたまま転がっている。私は、いきり立って強行突入したことを悔いた。
そして、シゲオ神父の前で誓いの言葉を述べ、メガネの交換(?)をし、讃美歌を歌った。簡素なものだったが、嬉しかった。挙式をしない私達にとって、かけがえの無い思い出になるであろう。

続いて、子供が遊びまわっているマンションの前の駐車場で妻がブーケを投げ、風船に囲まれた室内でケーキ入刀し、皆で食べた。しばらくすると、「この風船でもっと面白いことが出来ないか」という話になった。妻が風船風呂に入ることになった。妻は相当乗り気である。

妻は風船風呂に入って楽しそうに写真を撮られている。しばらくすると、予想通り「お前も入れ」と言われ、入らされた。

入ると、写真を撮っているトリイに「もっと楽しそうに!」と言われ、
「ワーイワーイヽ(;´Д`)ノ」
とやっていると、今度は「動くとぶれて撮れない」と怒られた。あとで写真を見ると、思ったよりも楽しそうにしている様に見えて良かった。

その後は、駅前で夕食を食べて別れた。家に帰って風呂に入ろうとすると、大量の風船が散らばっていたので、針で割って捨てた。楽しい一日であった。来てくれたみんなに感謝!!である。

4月15日 坊主にする
今日はリコーダー部の練習をした後、床屋に行き、坊主にした。4月を迎え、気持ちを切り替えたかったのである。とは言え、私が知っている男の髪形と言えば、「スポーツ刈り」「坊ちゃん刈り」「坊主」「モヒカン」くらいであるから、出来る範囲は限られてくる。
坊主刈りにしたのは、中学時代に柔道の試合で負けた時に、先輩に言われて坊主にさせられた時以来である。それ以来「坊主」=「負け犬」みたいなイメージがある。「スポーツ刈り」と「坊主」は意外と大きな違いなのである。
床屋で「坊主刈りにして下さい」と言うと、「通常よりお値段が高くなりますが」という答えが帰ってきてびっくりした。坊主刈りが高いはずが無い。店員は「坊主刈り」と「スポーツ刈り」を聞き違えたのである。
実は、どこの床屋でもスポーツ刈りは通常の調髪よりも割高である。もしかしたら、「スポーツ刈り」と注文するよりは、「坊主刈りで前髪長め」と言った方がお得なのであろうか。
前髪をいきなりバリカンでばっさり刈り取られると、「もう後戻りできない」という気持ちになり、少々センチメンタルになった。昔の「恋する乙女」等が、失恋して髪をばっさり切る時の気持ちが分かる気がした。
散髪が終わると、すっきりした。しかし、来週はリコーダーの発表会である。坊主で笛を吹くのは、少し変かもしれないと思った。
4月14日 メガネが痛い
メガネを買い換えたことは前にも書いたが、そのメガネが痛い。耳の後ろにフレームが当たって痛いのである。
しかも、見辛い。メガネが細長くなった分上下の視界が狭くなってしまった。かと言って左右の視野が広がった訳でも無い。先日のリコーダーレッスンの時、下目で楽譜を見ようとしても見えず、焦った。ラーメンも食べ辛くなった気がする。
しかし、久々のイメチェンで多少気合は入ったので、頑張ってかけようと思う。
4月13日 スズメ・ハト大量死考
ここのところ、北海道でスズメ、東京でハトの大量死が相次いでいる。鳥好きの私としては心痛む事件である。同時に、この奇妙な事件の原因は何なのか、大いに関心を持っている。
ニュースでは「北海道のスズメに続き東京でハトが・・・」という言い方をしているが、私はこの二つの事件は全く別の要因だと思う。ニュースの情報から考える限りでは、恐らく北海道のスズメは自然現象或いは意図せぬ人的要因であり、東京のハトは意図的なもの(いたずら)と思われる。
そう感じた根拠は、北海道の大量死は旭川市に集中しているものの、具体的な地点の特定は無く、範囲は広いのに対し、東京の方はふたつの公園に限定されていることである。また、そのふたつの公園は13kmも離れており、他では起こっていないことも、自然現象にしては不自然である。
また、大量死の規模も北海道の数百羽に対し、東京の数十羽と、桁が違う。市内全域に及ぶ数百羽の鳥を、ただのいたずらで殺害するのは、恐らく容易ではない。
まあ、もっと調べなければ分からないのだが。杉村太蔵議員は「カラスは元気なんでしょうかね」とコメントしたという。
重要な視点だと思った。逆の発想で、「カラスが無事な理由」を調べればこの事件の原因究明にアプローチできるかも知れない。
4月11日 アクとの戦い
今日は私の方が早く帰ったので煮物を作ることにした。しかし、私はこれまで煮物を作ったことは無い。帰りに一緒になった後輩の女性に、煮物はどうやって作るのか聞いたところ、基本的には材料を切って煮るだけだが、その前に「アク取り」なるものをしておけばよいと教えてくれた。「アク取り」とは、事前に材料を軽く茹でてアクを出してしまうことらしい。
家に帰り、早速アクの出そうなゴボウ、レンコン、ジャガイモは軽く茹でてから他の材料と合わせて煮たところ、アクがどんどん出てきた。
私はあまりアクなど気にしないたちなのだが、流石にやばいと思いアクを取った。しかし、アクは細かく分離してゴボウやレンコンに付着している。これは取りきれないと思い、水を足してアクを浮かせ、何とか取ることが出来た。
結局煮物は上手に出来た。明日になればもっと美味しくなっているであろう。それにしても何故アクが出たのであろうか。
4月4日 「風のハルカ」を見て
NHKの連続テレビ小説「風のハルカ」が先週で最終回を迎えた。これまでNHKの朝ドラなどまともに見たことが無かったが、「風のハルカ」は何故か惹かれ、毎日予約録画をして見ていた。
「人と人とのつながり」という極めて普通なテーマを掲げたこのドラマは、ヒロイン「ハルカ」の両親の離婚で始まる。私にとってこのドラマは「家族」の捉え方、働くことの意味などに共感し、考えさせられた。もしかしたら、このドラマは、見る人によっては退屈かも知れない。しかし、私にとっては、丁度そんなことを考える年頃に、こんなドラマに出会えたという気がした。
4月1日 花見にて
今日は、母と妹が来たので航空公園へ花見に行った。妹は、明日から合宿免許に行き、帰ってきたら石垣島、二本松(福島)での研修を経た後、今秋から青年海外協力隊員として2年間モザンピークに滞在することになっている。更に「モザンビークに行く前にブラジルにも行こうかな」とも言っていた。彼女の行動力には脱帽である。
「働く」ということを考える。私にとって、仕事のウェイトは間違い無く人生の半分以上を占める。私が子供の頃、父が、
「働くとは、『傍(はた)の人を楽にする』ことだ」
と言っていたのを覚えている。父がそう言ったのは1回きりなのか、それとも口癖の様に何度も言っていたのかは覚えていないが、その言葉はよく覚えており、今の私の生き方に影響している。もしかしたら妹の生き方にも影響したのかも知れない。
私と妹は外観は随分違うし、性格も異なる。しかし、根本的な考え方は似ていると思う。
「社会を下から支えるようなモノづくりの仕事を通して、地球環境問題の解決に貢献したい。」
これは私が就職活動をしていた頃の方向付けとなるキーワードであった。今、職種はその通りの仕事に就くことが出来たが、地球環境問題の解決に貢献はしていない。せいぜい「レジ袋を貰わない」程度である。
そんな私よりも、妹のやり方の方が、より直接的でスピーディである。妹を見ていると、つい安定的な生活のみを追い求め、上記の様な信念を忘れている自分に気付く。惰性に陥らず、考え、行動することを忘れてはいけないと思う。そして、私なりのやり方で人生を切り開いていかなければならない。
眼鏡を買う
花見にて、妹がおもむろに眼鏡を取り出した。フレームが赤くて細長い眼鏡である。それまではあぐらをかいてビールを飲んでいたのに、眼鏡をかけた瞬間急にすまし顔になって、私に
「どう?知的やろ?」
と言った。上記の様な立派な妹だが、昔からアホなことも大好きであった。そんな顔で協力隊に行ったら、モザンビーク人はがっかりするかも知れないよと言っておいた。
その後、私は皆から「眼鏡が似合っていない」と非難され、眼鏡を新調することにした。私は眼鏡の扱いが悪いので、ぐにゃぐにゃに曲げても元に戻る「形状記憶眼鏡」が欲しかったのだが、色々悩んだ後、5000円の安眼鏡に決めた。選んでいる間も、妹はしきりに赤くて細長い眼鏡を勧めてきた。
結局屈折率の高いレンズにしたり、傷防止コートのオプションを付けたりすると17000円になってしまった。大事に使おうと思う。
topへ