2006年
5月のつぶやき




5月21日 ブカブカの指輪

 昨日、結婚指輪が出来たので嫁と取りに行った。

 ところが家に帰ってはめてみると、なんと指輪はブカブカで、手を振り回すだけで外れてしまった。これでは普段身に付けることは危険である。これまで指輪など付けたことも無いので、外れなくなる恐怖が先行してついつい大きめのサイズを指定してしまったのである。次の日、指輪屋に電話してサイズ修正できるか聞いてみたが、出来ないとの回答であった。

 がっかりしたが、諦めるしかないと思った。このまま無理して付けると、無くすことは目に見えている。嫁も身につける必要は無いと言っている。私の指輪は、我が家の宝物として大事にしまわれることに決定した。

 と思ったら、折り返し指輪屋から電話が入った。サイズ修正は、熱を加える関係上気泡が発生する可能性が有るが、何とかやってみてくれるとのことであった。しかも無償である。

 私はお願いすることにした。私は最初、指輪屋に好意を持っていなかった。暗い店だし、愛想も悪い。よって、指輪に対する印象もあまり良くなかった。しかし、この一件で私の中のモヤモヤは吹き飛んだ。気泡が入るかどうかなど、どうでもよい。何よりも指輪屋の好意がありがたいし、それが私の指輪に対する価値を高めた。

 早速一人で修理に出しに行った。サイズを3段階下げて修理してもらうことにした。今度は「入らない」等ということが無ければよいのだが。


5月20日 再度

 忙しくてイライラする時、思い通りにいかなくてストレスを感じる時に思い出すようにしている言葉がある。私が大事にしている言葉である。前にも書いたが再度書きたい。今後も同じ様なことがあれば、何度でも書きたい。

 「忙しくて忙しくて、それでもやることが山積みというのは、幸せのひとつの形」

 これは、浅倉卓弥の小説で、昨年映画化された「四日間の奇蹟」で登場する言葉である。薄幸の運命を辿る療養センター職員、真理子が自身の過去を語るシーンでこの言葉を使っている。原作でも映画でも、それ程インパクトのある場面ではない筈なのだが、私にはとても印象に残った。

 忙しいということは、それだけ活き活きしているということだし、幸せなことである。しかし殆どの人は、忙しい為に自分が今幸せな時間を過ごしていることに気付かない。そんな時にきちんと自分が幸せであるということを噛みしめることが出来たら、とても素晴らしいことである。この言葉は自分が幸せだと教えてくれるのである。

 話は変わるが、今日は思いついてブックオフへ行き、スーパーファミコンの「ストリートファイター2」を105円で購入した。私が中学時代にゲーセンで大ブレイクしたゲームで、この頃は毎日の様にゲーセンに通っていた。私が愛用していたのは、ソビエトのプロレスラー「ザンギエフ」であった。当時は必殺技「スクリューパイルドライバー」も自由自在に出せていた。

 久々に「ザンギエフ」でやってみると、ちゃんと「スクリューパイルドライバー」が出た。この快感は他のキャラでは出ない。今後のストレスは、上記の言葉に加えて、「スト2」で乗り切っていこうと思った。


5月18日 飲み会にて

 今日は外出して打合せをした後、飲みに連れて行ってもらった。皆私よりも大先輩である。

 先輩方の話を沢山聞いた。高度成長時代をいかに熱く生きてきたかということ、そして昔は、今よりも仕事を通しての人と人との絆が深いことを教えてくれた。終身雇用がいいとか悪いとか言う議論はある。しかし、間違い無く言える事は、大先輩方が数十年もの会社生活を通してやっていることは、慢性・惰性というものでは断じて無く、挑戦の連続だということである。

 私が仕事に求めているもの
1.人・社会への貢献
2.自分の成長
3.自分達の生活

 私は上記を踏まえた上、で特に「環境」というテーマで人生のコマを進めていきたいと思う。彼らのような情熱を忘れることなく生きていかなければならない。


5月17日 今日の新聞より

時給600円から社長に

 ブックオフの新社長に、パート出身の橋本真由美氏が就くことになったらしい。上場企業のトップがパート出身者というのは珍しい。

 彼女は短大卒業後、18年間専業主婦をしていたが、41歳の時に娘の学費の為にブックオフでパートを始めたらしい。パートでその手腕を買われ、9ヵ月後には店長、そして4年後にはなんと取締役になった。専業主婦が社長になるというのが凄い。

 彼女は「社員がやりがいを持って働ける最強の現場をつくりたい。社長になってもレジには立ちます」と新社長としての抱負を語っている。

 夢のある記事だと思った。こういう話があると、勇気が湧いてくる。


両足義足で最高峰

 24年前、登山中に雪風に見舞われ、凍傷で両足を失った登山家のマーク・イングリス氏が、両足義足でチョモランマ登頂に成功したらしい。「6400mの地点で義足の片方が折れるトラブルがあったが、修理をして登頂を目指していた」という。

 凄い根性である。新聞に載っている登山中の彼の写真は、とても活き活きしていた。


座礁、岩場に船長3日・青ヶ島

 漁船が青ヶ島の岩場で座礁し、3日後に別の漁船に発見されて救助されたらしい。この漁船には船長ひとりしか乗っておらず、うっかり居眠りをしてしまい、青ヶ島に突っ込んでしまったという。新聞に「青ヶ島」という名前が出てくることが、まず珍しいと思った。

 驚くべきは、青ヶ島が人口200人の有人島にもかかわらず、3日間島民に接触することが出来なかったことである。彼は、「海岸線の岩場をさまよい歩いたが、絶壁に囲まれて人と接触することが出来ず、現場近くで助けを待っていた」らしい。

 私は、昨年夏青ヶ島に行った時のことを思い出した。そして、青ヶ島ならば十分ありうることだと思った。この島は1周全て断崖絶壁であり、海に下りるのすら容易ではないのである。


5月15日 マイナー好き

 私は、音楽はどちらかと言えばDur(長調)よりもMoll(短調)の方が好きである。DurとMollの好みについては、生まれつきの感性があるのではないかと思う程、人によってはっきり分かれる気がする。ロシア民謡とアメリカ民謡どちらが好きかと聞かれれば、私は間違い無くロシア民謡なのである。

 さらに、私はペンタトニック音階が好きである。日本民謡で言えば、「田舎節」と呼ばれる音階で、「ド・レ・ミ・ソ・ラ・ド」で構成される。Whiteberryの「夏祭り」はまさにペンタトニックだし、一青窈の「もらい泣き」も少し違うが近い。ちなみに「都節(みやこぶし)」と言えば「ミ・ファ・ラ・シ・レ・ミ」で、「さくらさくら」等がこれにあたるが、私の好みには合わない。

 そんな私の好みにぴったりくるのが、「おわら風の盆」である。「おわら風の盆」は富山県八尾町で行われる風祭(風を静める祭)で、そこで踊りの伴奏として演奏される音楽が、Mollでペンタトニックなのである。私はふとたまに「おわら風の盆」の音楽を思い出すときがある。詳細は「まつり見聞録」に記しているが、幻想的で美しい祭である。

 何が美しいかというと、女性が美しい。揃いの浴衣に編み笠を深くかぶるのである。阿波踊りは顔が少し見える程度にかぶるのに対し、「おわら風の盆」は顔が全く見えないくらいに深くかぶる。見えないからこそ、美しいのである。

 これを書きながら、「おわら風の盆」のいい写真はないかと探してみたが、無かった。おわらの良い写真は夜ということもあり、撮るのが難しい。実際に見に行くしかないようである。

おわらを聴く


5月14日 思いつくままに述べる

 しばらく更新しておらず、かつネタも思いつかないので思いつくままに述べてみる。

●会社に入って5年目となり、初めて新人の指導員というものをやることになった。最近の「つぶやき」で自分のことを「教えるのが上手い」等と自負していたが、改めて教えるのは何と難しいことかと痛感する。同時にここが正念場だろうと思い、図書館で教育に関するビジネス書を借りて読んでいる。


●私のHPで、メニューの一番下に「メイル」という項目がある。無論「メール」のことだが、学生時代の私はメールのことを「メイル」と呼んでいた。そして、飲み会中話もせずメールをしている後輩がいると

「『今を共に生きる仲間』と語らえ!」

と叱っていた。今思えば何と古臭い学生であろうか。そんな私が当時としては早くホームページを立上げ、かつ未だに「ブログ」なるものに手を出せず、「メモ帳」を使ってHTMLタグで日記を書いている。新しい物好きなのか古い物好きなのか分らない。


●「的を射る言葉」(森博嗣著・PHP研究所)は、思いついた短い言葉を並べただけの本だが、その短い言葉がなかなか面白い。私は最近図書館でよく本を借りるが、視野を広げる為、一度に借りられる4冊のうち1冊は、敢えて興味の無い本を借りることにしている。「的を射る言葉」は、そうして選ばれた「興味の無い本」だったのだが、面白い。例えば、

・ 「人が怒る理由のうち最も多いのは、『相手が怒っているから』である。」

・ 「二人の将来を占って下さい」  「いずれ死にます」

等々。思わず納得してしまう言葉が多い。


5月7日 久々の笛部ステージ

 今日は久しぶりに笛部のステージがあった。メンバーであるシラトの曽祖父が創立した教会の、80周年記念式典で演奏させて頂いたのである。今回は、「リコーダー部」の部長、フサコさんと部員、ヘイヤーさんにも助っ人として参加して頂いた。

 教会にはシラトと私は午前の礼拝から参加していたのだが、礼拝後に弁当を頂いている最中、

「○○君ってもう還暦なの??でも若いわねぇ〜」

等という会話が飛び交っている。ここでの世代感覚は、私達には計り知れない。シラトと一緒に弁当を食べていると、

「あなた達よく似てるわねぇ〜。兄弟?」

と聞かれ、シラトが即座に「違います」と否定していた。

 午後の式典では、方々の関係者から祝辞が述べられるのだが、みんな話が面白いと思った。牧師と一口に言ってもそれぞれ個性的で、ユーモアある話しぶりが意外であった。落語を聞いているような気がしてくる。

 さて、私達のことだが、式典が始まる前に、司会の方から

「トークで『笛部』と『リコーダー部』の違いを聞くので答えて欲しい」

と言われていた。「笛部」と「リコーダー部」って何が違うんだろう??式典中、まるでとんち問題を考えているようであった。

 演奏は「NHK今日の料理のテーマ曲」「勇気(オリジナル曲)」「来たれ精霊よ(讃美歌)」の3曲を演奏した。特に「NHK今日の料理のテーマ曲」は、教会らしからぬ選曲が功を奏し、面白がって下さった。

 さて、演奏後、例のとんちに答える瞬間が来た。

司会 「さて、聴いている皆さんも疑問に思ったと思うのですが、『笛部』と『リコーダー部』の違いは何ですか?」
  「違いは・・・・・・無いです。ただ、出身が違います。」
司会 「なるほど!違いは無いけど出身が違うんですね。よく分かりました!」

 いまいちな答えである。今思えば、

「やってることは同じです。笑点で言えば「こん平」と「木久蔵」くらいの差で、山田君や園楽師匠程の差は無いです。」

くらいのことを言えば良かったと思った。同時に、次は笑点のテーマ曲をリコーダーでやりたいと思った。

 その時の演奏の録音を期間限定でアップするので、ヒマな方は聴いてみてください!

NHK今日の料理のテーマ曲(456KB)
勇気(1275KB)
来たれ精霊よ(778KB)



5月6日 銀座へ行く

 佐渡島から帰り、家で眠った後は、リコーダーの修理を出しに銀座ヤマハに行った。若干音程が気になるところがあり、保障期間中に修理に出そうと思ったのである。

 銀座と言えば、ハイカラでモダーンな町である。セレブやマダム等が闊歩する町である。そんな町に佐渡島から帰ったままのヨレヨレの格好で向かった。銀座ヤマハのエレベーターに乗ると、銀座マダムが

 「指輪付ければ良かったかしらん?ちょっと地味よねぇ。」

などとセレブな会話をしている。一方私は銀座に来る前、馴染みのお好み焼き屋で昼からビールを飲んでいた。

 私はここにいていいのだろうか?そんなことを考えながら3階の「管・打楽器コーナー」に付いてフロアを見渡すと、なんとジャージ姿の中学生がうじゃうじゃいた。店員に聞くと、どうやら銀座で祭があり、そのパレードに集まった子供たちらしい。

 いかに祭とは言え、銀座でジャージは無いだろうと思うと同時に、銀座らしからぬ空間に安心した。


5月5日 佐渡島旅行記

 今年のGWは佐渡島へ行った。理由は特に無いが、飲み屋等で佐渡島を勧められたことが割と多かったのである。行きは新幹線で新潟に行き、そこからフェリーで佐渡島に向かった。起床は朝4時。朝一に東京に向かい、帰省ラッシュの自由席に滑り込んだ。1日目はレンタカーを借りて回り、2日目は観光バスで決められたコースを回った。


長三郎鮨
 佐渡島に着いてレンタカーを借りると、まずは「長三郎鮨」という寿司屋で昼食を食べることにした。私は「ぶり丼」を、嫁は「いくら丼」を食べることにした。有名店なのか非常に込んでいる。

 ふと見回すと、寿司屋なのにラーメンを食べている客が異常に多い。気になった私は「ぶり丼」の他にラーメンも食べることにした。

 残念ながら、ラーメンはあまり美味しくなかった。ぶり丼は美味しかった。少々食べ過ぎで店を後にした。


乙和池
 「乙和池」は大佐渡スカイラインから少し脇に入ったところにある。この池には、「乙和」という娘が池の主である竜に見初められ、村を旱魃から守る為に入水したという伝説がある。池には高層湿原性浮島(?)があり、その規模は日本最大らしく、池とその周辺環境は県の天然記念物に指定されている。残念ながら浮島は枯れていた。一見何の変哲も無い池だが、湖面は鏡の様で、見れば見るほど美しい。


乙和池




大野亀
 「大野亀」は、佐渡島の北に位置する海抜167mにもなる巨大な一枚岩で、6月には「カンゾウ」と呼ばれる黄色い花が咲くという。

 非常に美しい形をしており、見ていると登りたくなってきた。宿に行く時間も迫っていたが、急いで登ってみると、意外と簡単に登ることが出来た。上から見下ろす景色は絶景であった。


大野亀からの風景(中央の岩は二つ亀)




賽の河原
 佐渡島の北端には「願」(ねがい)という名前の小さな集落が有り、その奥に賽の河原がある。そこには無数の地蔵と積み上げられた石が有り、異様な光景であった。至る所に突き刺さった風車がくるくる回っており、昼間でも怖い。「石小法師」と呼ばれる小さな地蔵は幼くして亡くなった子供の冥福を祈る為に祀られているという。地蔵以外にも子供の人形やお菓子等もあり、そのカラフルさが妙に悲しい。


左:賽の河原の地蔵  右:積み上げられた石



宿
 宿は佐渡島の南端の町「小木」にある。賽の河原から最も遠い。車で2時間くらい走り続けようやく着いた。夕食は「菜の花」という居酒屋で食べたのだが、非常に美味しかった。特に驚いたのが、イカの丸干しで、イカを丸ごと干した為にワタまで入っているのである。そこで大いに飲み食いし、一泊。


2日目
 2日目は朝までしかレンタカーを借りられなかったので、仕方なく観光バスツアーに参加することにした。昼食と施設見学料込みで7千円と安いが、「観光巡り」というよりは、あからさまに「売店巡り」であり、あまり面白くなかった。以下、観光バスツアーのトピックスを記す。


佐渡金山
 佐渡の最も有名なもののひとつが佐渡金山である。佐渡金山は1601年に開山して以来、400年近くも金を採掘し続け、平成元年に休山した。現在は「宗太夫坑」と呼ばれる江戸時代の坑道を利用して作られた展示施設があり、当時の様子を知ることが出来る。

 坑道を歩いていると、色々なことを考える。その間金を求めて多くの人が佐渡に渡り、佐渡を賑わせた。無宿人(江戸時代のホームレス)達は坑道の排水の為に佐渡へ送り込まれ、その命を失った。やがて金が枯渇すると更に深く掘る技術や排水する技術が発達した。純度の低い鉱石から執拗に金を採取することも厭わなくなった。

 何故それ程までして金を採ろうとするのか。それ程金は素晴らしい物質なのだろうか。私にはどうしても分からなかった。


道遊の岩戸:金に対する欲望が山の形まで変えてしまった。


アルコール共和国
 ガイドブックで「アルコール共和国」という名前を見つけた時、「熱い!熱い!」と小躍りしていたのだが、実際に行ってみるとただの売店であった。「アルコール共和国」と書かれたアーチをくぐるとそこは酒屋の裏口で、ダンボールがうず高く積まれているのである。その奥に酒蔵と売店が併設されている。話のネタとしては面白いが、正直がっかりした。


ハイテクロボット
 佐渡では「ハイテクロボット」と呼ばれる人形が沢山あった。前述の佐渡金山でも当時の作業の様子を「ハイテクロボット」が再現していたし、「佐渡能楽の里」という道の駅でも「ハイテクロボット」が能を舞っていた。「能ロボット」は全部で18体もあり、最も高価なものでは1体3千万円もすると言う。見物料で採算が取れるとは到底思えない。

 恐らく、佐渡の人はこういった技術が好きなのではないか。そうで無ければ、こんな投資がまかり通る筈が無い。「おけさ」や「鬼太鼓」等の民俗芸能を残す島の意外な一面である。


ハイテクロボット達による能


新潟飲み会
 新潟港についた後は、新潟在住のタザワ、ホシノと飲んだ。新潟港に着いたのが午後9時、深夜バスの発車時刻が午後11時の為、あまり時間は無い。ホシノは京都旅行からわざわざ早く帰って来てくれた。店はタザワが選んでくれた。私は「新潟らしいものが食べたい」と言ったが、タザワ曰く「この店は郷土料理なんて『へぎそば』くらいしか無い」とのことであった。以下、メニューを見ながらの彼の発言。

「『栃尾のジャンボ揚げ』なんて何処にでもあるしな!」

「『わっぱ』が郷土料理だって知らなかったよ!」

 よく考えたら、「郷土料理」等という認識は、外部の者にしかないのである。



帰り
 飲み会を終え、深夜バスに乗って池袋に着いたのは、朝の4時半であった。目覚めると深夜0時頃にタザワから

「いまどこ?」

というメールが入っていた。私はその頃バスで寝ていて気付かなかったが、今となってはこのメールの真意を確かめるすべは無い。それにしても体中が痛くてだるい。頭も働かない。私以上にバスで眠れなかった嫁も不機嫌である。始発に乗って、ほうほうの体で家に帰り、ぐったりと寝た。

 家に着いた安心感も、旅の喜びのひとつに数えるべきだと思った。

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