2006年
6月のつぶやき




6月26日 「ゲド戦記」と「バカの壁」

 「ゲド戦記」を5巻の途中まで読んだ。長い物語を通じて、作者のル=グウィン氏が伝えたかったことはなんだろうかと考える。

 「ゲド戦記」の世界では、石ころから波しぶきまで、あらゆるものに「真の名」というのがあり、魔法使いゲドは自らの力を高める為にあらゆる「真の名」を学ぶ。やがて世界を救うために自らの力を使いきり、魔法の力を失ったゲドは、そこで妻をめとり、それまで意識していなかった「女性」というものの存在を知ることになる。

 世の中は知らないことであふれている。いくら勉強しても経験を積んでも、知らないことだらけである。むしろ、知ろうとすればするほど、知らないことの多さを思い知らされる。しかし、少しでも多く知ることで得るものは、世界というものは、生きるということは素晴らしいということであろう。

 養老孟司の著書「バカの壁」でいう「バカの壁」とは、知ろうとすることをやめることである。そこには根拠の無い楽観主義か、もしくは虚無主義がある。人間にとって、知ろうとすることは生きることと同義であり、それらは誠に辛い。しかし、真の楽観主義者になるためには、それに耐えねばならない。しんどいこと、辛いこと、みじめなことでさえ、知ることのひとつである。

 解釈が、間違っているかもしれない。しかし、これが最近私が読んだ本を通じて読み取ったことである。


6月18日 久々の更新

 久しぶりである。10日ぶりの更新だが、相変わらずである。変わったことといえば、トップの写真の室内ブーメランに熟練し、10回中8回は手元に戻ってくるようになったことくらいであろうか。ともあれ今までのことも含め、長めに記す。


 ゲド戦記

 次回のスタジオジブリ作品は「ゲド戦記」らしい。監督は宮崎駿の息子である宮崎吾朗氏、音楽はテレビドラマ「イグアナの娘」等を手がけた寺島民哉氏である。

 スタジオジブリのHPによれば、宮崎駿氏は息子を監督にして「ゲド戦記」を映画化することに猛反対したという。了承した後は、原作者であるル=グウィン氏の了解を得るべく自ら渡米し、「『風の谷のナウシカ』に始まって『ハウルの動く城』に至るまで、僕はいろんな作品を作ってきたけれども、すべて『ゲド戦記』の影響を受けている」と話したという。

 私は、子供のころから宮崎駿氏に相当影響を受けてきた。彼の映画は何度も見、著作は何度も読み返した。受験勉強に追われていた高3の時は、ただ一日の息抜きとして「もののけ姫」を見に行った。その頃、彼の雑記や対談を記した「出発点」、そして宮崎駿氏、司馬遼太郎氏、堀田善衛氏による対談を記した「時代の風音」を読み、それらは今でも人生に迷った時に読み返している。

 私は、「ゲド戦記」が楽しみである。今更ながら、「ゲド戦記」を図書館で借りて読んでいる。読んでいると、宮崎駿氏のキャラクターが思い浮かぶようであった。


新宿にて

 今日は、母、嫁、妹、そして妹の彼氏と新宿で食事をした。なんとアフリカ料理の店である。

 これまで数え切れぬ程のボーイフレンドと付き合ってきた妹だが、これまで彼氏を家族に会わせるなどということはしたことがなかった。しかし今回は、付き合い始めたことを自分から話し、その後も頻繁に情報が来た。

 妹は幸せそうだった。まるで恋する乙女の様に、嬉々として出会うきっかけから近況までを話していた。彼氏は7月からジンバブエに、妹は9月からモザンビークにそれぞれ2年間、海外協力のために赴任する。彼らが無事で、末永く続くことを願う。


6月16日 おしゃれ防弾着

 16日の朝日新聞に以下で始まる物騒な記事が載っていた。

 「ファッションを楽しみたい、でも暗殺が心配――そんなあなたにぴったりのブランドが、南米コロンビアにある。」

 「おしゃれ防弾着」は、コロンビアで内戦が泥沼化していた92年、現社長のカバジェロ氏が「普段着のように着られる防弾着を作れば売れる」と考えて開発したもので、同時多発テロ以来注文が爆発的に増えたらしい。革ジャンやコートの他になんとアロハシャツ風の防弾着まであるという。

 客には安全性を保証する意味で、希望者には防弾着を着させて銃で撃つこともやっているという。

 物騒な世の中だと思ったが、それ以上にこの記事の書き出しが面白くて笑ってしまった。


6月13日 忙しかった先週末

 先週金曜日は、仙台に出張した後、直行で大宮飲み会に参加した。シゲオ主催の飲み会で、北関東に住んでいる民研の人たちで集まろうという飲み会だったのだが、遥か横浜からタクミさん、千葉からミヤザキなど、遠くからも人が集まった。

 上は3年上のタクミさんから、下は代のかぶっていないヒトミちゃんまでいたが、皆すでに社会人である。今の民研は顔も知らない人たちが、多分私たちが学生の時と大して変わることなく活動していることであろう。

 皆社会人にもかかわらず、酒は殆どがビールで、つまみはなかなか減らない「民研流」飲み会であった。

 結局朝まで飲み、早朝の電車で自宅に向かった。川越で降りなければならない筈が、気づいたら天王州アイルにいた。その後、さらに最寄り駅を乗り過ごしてから家に着いた。このだるい感覚も久しぶりである。

 そして、家で笛を持ってすぐにリコーダー部に向かった。リコーダー部の後は、サイズ修正した指輪を取りに恵比寿へ、修理に出していたリコーダーを取りに銀座へ、そして車検証を取る為田無で途中下車してから帰宅した。

 帰宅したら、死んだように眠った。


6月8日 メンタルヘルス

 会社で「メンタルヘルスケア」のビデオを見るようにとの通達が流れ、食事後見に行った。ビデオではさまざまな事例を紹介しつつ、鬱病にならないための対策等について解説していたが、要約すれば「やる気を出すな」と言っているのある。

 その中で、20の質問に答え、YESの数が多いほど危険信号であるというアンケートに答えたところ、なんと私はゼロであった。最近イライラすることが多い割には、ストレスは貯まっていないらしい。むしろ、仕事中に関しては、少しイライラしたり怒りを覚えるくらいの状態の方が、丁度良いのかも知れない。

 これは私の性格云々というよりは、ひとえに職場に恵まれているからだと思う。そして、周囲の人への感謝を忘れず、そして彼らに甘えることなく精進しなければならない。


6月4日 ダッシュ天丼

 今日はリコーダーのレッスンに行く途中、前から気になっていた定食屋に入り、天丼を注文した。610円と安い。

 注文を待っている間、私は楽譜を家に忘れてきたことに気付いた。しかしまだ余裕はある。食事をしてから家に取りに戻れば良いと思った。

 ところが、天丼はなかなか来ない。焦っていると、店員が注文していない筈のアイスティーを持って現れ、注文がちゃんと伝わっていなかった為、これから作るという意味のことを言った。それからしばらくして、天丼が出てきた。

 天丼は、美味しかった。610円とは思えない程、豪華である。しかし、残念なことに、こんなに美味しい天丼を、まるで牛丼の如く猛スピードで平らげて店を飛び出た。そのまま家まで走り、楽譜を持ったら自転車で駅に向かい、なんとか間に合った。

 今度はゆっくり食べたいと思った。


6月3日 私のお気に入り

●ブーメラン

 ブーメランはオーストラリアの原住民族、アボリジニが使用していた狩猟道具で、鳥の群れなどに向けて投げ、命中しない場合は手元に戻ってくるという、不思議な武器である。私は、子供の頃ブーメランが好きで、「ブーメランはなぜ戻ってくるのか」などと言う本を読んでいた。

 先週末、東急ハンズに行くと、「室内用ブーメラン」というのが売っていた。6畳位の部屋で投げても戻ってくるという。500円と安かったので、衝動買いした。

 早速家で投げてみると、全然戻ってこなかった。がっかりしてしばらく放置していたのだが、数日後、思い立って右手で投げてみると、少し戻ってきた。私は左利きなので投げる向きが逆だったのである。

 それから何度も練習し、20回に1回くらいは帰ってくるようになった。もう少し粘り強く練習してみようと思った。

●カラス

 私は鳥好きだが、中でもカラスが好きである。やはり「カラスはどれほど賢いか」などという本を読んで喜んでいた。

 カラスは餌を隠して保存する習性があるのだが、なんと200ヶ所程度の隠し場所を覚えているという。また、最近車のCMでもあるが、クルミ等殻の硬い餌は車に踏ませて中を食べるということさえやってのける。

 また、オシドリ等は「オシドリ夫婦」などと言われる割には浮気っぽく、一生に何度も相手を代えるのに対し、カラスは基本的に一羽の相手と一生を共にするらしい。また、子育ての時期にカラスの巣を見上げたりすると、容赦なく襲いかかってくる。それだけ家族愛が強いのだと思う。

 一方で、餌が少なくなると、共食いも辞さないという。種としての生命力は相当強い。

 カラスがゴミをあさっている時に、傍を通り過ぎても彼らは全く気にしないが、電線に止まっているカラスの方を向いて、指をさすと彼らは逃げ出す。カラスは敵との距離ではなく、自分に対する意識でその危険度を察知することが出来る。ハトやスズメにこんなことは出来ない。

 まさに都市を生きる鳥の王者だと思う。


埼玉飲み会

 先週末の話だが、大宮で「北関東飲み会」をした。メンバーはシゲオ、ダケヤン、モコ、嫁、私の5人である。気付いたら皆器楽部同期であった。

 民研を卒団して4年も経ち、皆別々の場所で別々の仕事をしているにもかかわらず、こうして気楽に集まって飲めるというのはいいことだなぁと思った。シゲオは相変わらずアロハシャツ(しかも大漁旗で作ったもの)で現れたし、ダケヤンのシャツのポケットは相変わらず大量の文房具で変形していたし、モコは相変わらず声が高かった。

 大宮駅周辺をうろうろ歩いていたが店がなかなか決まらない。

 シゲオ 「ここのブックオフの裏のぞうり屋がすげぇんだよ!」

 私 「マジ?行ってみたい」

 嫁 「ここのアイスクリームおいしそう〜」

 モコ 「ねぇ。早く店入ろうよ〜」

 私 「じゃあ次に見つけた店に無条件で入ることにしよう」

 ダケヤン 「それええなぁ」

 結局次に見つけた「へんくつ屋」という居酒屋で飲んだ後、すぐ隣の「なつかし屋」という居酒屋で二次会をして終わった。来週金曜日に再度大宮飲み会が計画されている。私は金曜の夜、仕事が終わったら大宮に行き、朝まで飲んだ後リコーダー部に直行する予定である。試練である。  

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