2002年
4月のつぶやき
・4月27日 配属先決定
約一ヶ月の研修が終わり、福島の工場に配属されることになった。一応横浜を第一希望としていたのだが、叶えられなかった。とはいっても福島にも行ってみたいとは思っていたので、寂しい反面楽しみでもある。楽しみにしていることを挙げてみると、
・一人暮らしができる。
・「村」で働ける(工場所在地が村であった)
・車をすぐに所有できる。(ないと生活できないし、会社にも行けないらしい)
・満員電車に乗らなくて済む。
・気軽に喜多方ラーメンを食べに行ける。
などなどである。嫌なこともあるが、そんなことを言っていても始まらないであろう。ゴールデンウィーク明けから福島で働くので、それまでに精一杯遊んでおこうと思う。まだ準備は何もしていない。大急ぎで虫歯を全部治したくらいである。
あと、「私の好きな曲」に「DANZA MORA」というフラメンコ曲をアップしたので聴いてみてください。母親の18番です。
・4月22日 ピアノの調律を見学する
昨日の話になるが、民研のピアノの調律をしているのを見学した。民研のピアノは2年前の卒団生から頂いたものなのだが、今年の卒団生でそれを調律してあげようということになったのである。音感のある人に言わせると、このピアノはすでにかなり調律が狂っているらしく、このピアノで合唱練習をするのはよくないと言っていたが、おれにはよく分からなかった。
おれが行ったときにはすでに調律は始まっていたのだが、調律師の方は、酷いピアノの取り扱いに心を痛めている様子だった。調律をしながら、「掃除機はありますか?ピアノの掃除をしてあげたくって」と言っていた。おれは調律師に会うのは初めてだったのだが、調律という仕事を単に技術的な作業ととらえず、まるで大事な人を気遣うように、心を込めてやっているのだということを強く感じ、感銘を受けた。
民研ピアノはもう5,6年は調律されていないらしく、その人に言わせると、今回の調律は、「荒療治」であり、ピアノに相当のムリを強いているという。それでも今回は、やるべきことのほんの一部しか手を加えていないので、少しづつ向上させていこうとのことであった。まるで、症状が悪化するまで放っておいた患者に対する医者のようであった。
調律が終わったあと、ピアノを雑巾で拭いて下さったのだが、そのときピアノの上にジュースをこぼした跡が発見された。ただでさえ埃をかぶっていたのに、こんなものが発見されてさらにお恥ずかしい思いをした。
調律師が帰ったあと、皆でピアノを弾いてみた。おれは音感があまりないので違いは分からないだろうと思っていたのだが、実際聴いてみると、その音色は全く違っていた。和音を弾いたときの爽快感がこれまでの民研ピアノと全く違うということはおれにも分かった。カオリが自分のレパートリーを弾くと、部室が高級住宅街にワープしたような錯覚に陥った。
調律師の話を聞いていて、ピアノ一台管理するのも大変なことなんだと言うことを痛感した。これからはもう少し大事に使ってほしいと思いました。
・4月21日 車を運転する
今日、免許を取って初めての車の長距離運転をした。長距離といっても1時間半くらいのものであったが、それまではイワオカーで徒歩5分くらいの距離をギャーギャー言いながら運転しただけであったから、おれにとっては十分な長距離である。
卒部記念品である和太鼓の修理が出来たとのことなので、海老名まで民研カーで取りに行ったのである。行きはミヤチが運転し、おれは帰りに運転させてもらった。雨も降っており、本当はあまり運転したくはなかったのだが、このまま拒否し続けるといつまでたっても運転出来ないだろうと思い、運転したのである。
その時おれは免許不携帯で、さらに初心者マークの表示義務違反、定員オーバーなど、さまざまな違法行為をしていることに気付いた。法遵守の難しさを感じた。
最初はかなり怖かったが、同乗者のアドバイスもあって、なんとか慣れてきた。怖かったのは、保土ヶ谷バイパスに合流するときであった。なんとか無事合流できたが、そのあと90キロくらい出していると、車内に突然異臭が立ち込めたときは、別の意味でもっと怖かった。しばらくすると匂わなくなったが、果たして「それ」がなくなったのか、「それ」に慣れてしまって感じなくなったのかはよく分からなかった。
学校まで戻ってきたときには、かなり運転に慣れることができたが、車を降りた瞬間どっと疲れていることに気付いた。また機会があれば積極的に運転しようと思う。
・4月20日 歯医者へ行く
昨日の帰りに突然歯が痛くなったので、歯医者に行くことにした。しばらくしたら治ったのだが、これから仕事が忙しくなってくると多分行けなくなるだろうと思い、決心したのである。
歯医者など小学生以来行ってないのだが、何度か歯が痛くなったことはあった。しかし、しっかり歯を磨くと治っていたので、「虫歯は歯を磨けば治る」と、勝手な思い込みをしており、歯医者にかかることはなかった。
しかし、歯医者に行くのは怖かった。一番怖いのは何といっても耳鼻科だが、医者は基本的に何でも怖い。医者にある意味の分からない道具を見ていると、これで何をされるんだろうなどと、色々想像してしまって怖くなってしまうのである。
医者に行く当日、歯はすでに痛くなくなっていた。一瞬もう治ったかと思ったが、やはり行くことにした。歯医者は家から一分くらいのところにあるので、予約の時間の一分前に家を出ようとすると、歯を磨いていないことに気付き、慌てて歯を磨いた。
予約の二分後に歯医者に行くと、まずはレントゲンを撮らされた。いすに座ると、自分の頭の周りをハイテク機械がロボコップのような音を立てながらぐるぐる回った。レントゲンを撮るのさえ怖く、機械の中でじっとしていたら、非常に肩がこった。
そのあと、歯を見てもらったところ、なんと4本も虫歯が発見された。そのうちひとつはかなり大きく、もうひとつは中程度で、残りのふたつは小さいとのことであった。
今日はとりあえず中程度のひとつを治すということで、治療が始まった。結果的には全く痛くなかったが、恐怖のあまり終始固まっていた。その様子を察してか、「歯医者は初めてですか?」と聞かれた。おれは人に肩をもんでもらうのさえ嫌いで、人に何かされること自体が嫌なのである。
治療の途中、口を開けっ放しなので、のどの奥につばがたまってきた。しかし、うまく飲み込むことが出来ず、苦しい思いをした。すると今度は、水を噴出する装置を口に入れられ、さらに水はたまってきた。一瞬この水は飲んでも大丈夫なのかと疑ったが、まさか飲めないようなものを口に入れるはずはないと思い、ごっくりと飲んだ。何だか嫌な気分だった。
かくして治療は終わったが、まだ4本中の1本である。しかも、来週は麻酔をかけて治療するらしい。まだまだ先は長いと思った。
治療が終わったあと、念のため「虫歯は歯を磨けば治るのですか」と聞いてみたが、答えは「NO」であった。まあ当然であろう。
もう普通にご飯を食べてもいいということなので、治療が終わってすぐに昼飯を食べたが、治療したところが気になってあまり味わえなかった。話によると、詰め物はガムや餅を食べるとうっかり取れたりするらしいので、しばらくはそういった粘着性の食べ物は食べる気が起きないであろう。
曲の投稿をする
自分で作った曲が、世間様にどの様な評価を頂けるのかが知りたくて、「音楽の泉」というホームページに投稿してみた。曲は笛部でやった「ENDLESS」である。
しかし、インターネットに慣れていない私は非常に緊張した。まずネットで自分の情報を登録すること自体が怖かった。次に、どんな評価をいただけるのかも怖い。ダメだしされる分には構わないが、評価されるに値せず、無視されるかもしれない。他の曲を聴いてみたが、私の曲はあまりに毛色が違うからである。それでも一応名前にはペンネームを用いず、本名を名乗った。そこは堂々としていたいと思ったからである。しかしよく見ると、ほとんどの人がペンネームを名乗っている。もしかしたらネット上で本名を名乗るのは、危険なことなのだろうか。しかし、具体的にどう危険なのか分からないので、気にしないことにした。
二日後再び開いてみると、私の曲がアップされていた。評価はちょっと怖いが、楽しみでもある。
・4月9日 腕時計のこと
社会人になったということで、腕時計を付けているのだが、自分ではこれが気に入っている。
父親が置いていったものを使っているのだが、なんと文字盤とガラス面の間に水滴がたまっているのである。父親が服の中に入れたままにしていたのを母親が洗濯してしまったのである。救助された腕時計は安物で、防水機能もなかったがちゃんと動いていた。腕時計がなかったのでそれを使っているというわけである。
さて、この水滴入りの腕時計が実に面白い。腕にはめると水滴が体温で徐々に蒸発してガラス面に細かい水滴となって付くのである。しかも、なぜかうまい具合に、水滴がつくのはガラス面の中央部分のみで、数字が書いてある外側には付かない。初めて見たときは、こういう模様なんじゃないかと本気で信じたくらいであった。
このいつ止まるとも知れない時計をつけて会社に通っている。
・4月6日 ハーゲンダッツを食べる
走った後、横浜をぶらぶらしていたのだが、そのときに「アイスを食べよう」ということになり、西口のハーゲンダッツの店に行った。初めて中に入ってみたが、一体どうやって注文したらいいのか分からなかった。
隣にいたフミエが「ナントカキャラメルナントカのレギュラーをナントカで」というようなことを言って注文していたが、理解不能であった。おれはアイスといえば抹茶だと思っているので、グリーンティー味を注文した。コーンとカップの2種類から選べるらしく、値段も同じだということなので、食べる部分が多いほうがいいと思い、カップを注文した。
食べながら、これを食べるくらいなら、牛丼の方がいいと思った。
鎌倉−横浜を走る
この日は鎌倉−横浜間を走った。計画としては、朝6時半に横浜に集合し、電車で鎌倉まで行って鶴岡八幡宮から走って横浜まで帰ってくるのである。地図でざっと測ったところ、直線距離にして約15キロであった。集合してみると、みんなジャージなど持ってきているのに、おれだけ普通のジーンズ姿であった。幹事のナオにひどく怒られた。あまりに軽いノリで来てしまったと、少々後悔した。
鶴岡八幡宮に着いたのが、朝7時過ぎであった。おれは何か大きなことをするときは、気合を入れるためにウンコをする習慣があるのだが、境内のトイレに入ると掃除中だったらしく、「入ってくんな」
と怒られ、諦めた。
参拝をしてから走ろうと、みんなで境内を登って行くと、スーツを着た女の子が神妙な顔つきで参拝していた。たぶん就職活動中で、今日は最終面接なんだろうなどとみんなで勝手に想像して、自分達の気楽な境遇を思った。
かなりゆっくりとしたペースで走っていたのだが、なんと走り始めて一時間ほどで横浜市に入った。鎌倉にいた時間はあまりに少なかった。
上大岡あたりで市街地に入った。駅前の大通りをジャージ姿で走るのはなんとも異様であったろう。
蒔田に入った頃、すなわち村越のあたりでみんな疲労がたまり始めた。だんだんペースも落ち始め、休憩の回数も増えていった。一番おかしかったのが、関内あたりで走っていると、おれたちの2メートルくらい前を歩行者が歩いていた。その歩行者はおれたちには気付かず、普通のペースで歩いている。にもかかわらず、おれたちはその歩行者と同じペースでぴったりくっついて走っているのである。「なんで走っているのに抜けないんだろう」と考えてしまった。傍からみているとさぞかし異様な光景であったろう。
走る前に「ランドマークが見えたらさぞかし感動的であろう」などと言い合っていたのだが、実際にランドマークが見えた時、誰も感動しなかった。感動する元気がすでになかった。「一刻も早く着いて風呂に入りたい」そのことだけがおれたちを突き動かしていた。
昼の11時半ごろ、ついに横浜に到着した。着いたときは大いに感動した。みんなすでに普通に歩ける状態ではなかった。ひとしきり感激した後、すぐにヨタヨタとスカイスパに直行した。
スカイスパで湯舟にしばらく浸かり、立ち上がるとめまいがしてしゃがみこんでしまった。よく考えると、横浜に着いた後、水分も摂らずにに来たのである。ただでさえ大汗かいている状態で、さらに風呂で汗をかくとは。走る→風呂という図式は合っているようで何か間違っているような気がした。
そのあと昼ごはんを食べつつジョッキを一杯飲むと、ぐったりしてしまった。このまま帰って寝ようかという意見も出たが、せっかくの土曜日なんだからということで、だらだらと遊ぶことにした。結局夕方まで遊び続けた後、夜中の2時ごろまで飲んで、寝た。
全力で遊び続けた一日であった。あとで聞くと、全部で20キロ以上あったらしい。
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