8月27日 今週末
土曜日
土曜日は久々の笛部練習であった。メンバーは、ほぼ全員となる7人で、最近の事情から考えれば奇跡的である。
練習曲は、映画「ピアノ・レッスン」の中で主人公が演奏する「楽しみを希う心」であった。口のきけないヒロイン・エイダが浜辺で自分の心を開放する、最も印象的なシーンで演奏されるピアノ曲である。
6/8拍子でアップテンポかつリズムが複雑であり、かなり苦戦した。メロディを歌いながら手拍子を打つなどしてリズムを覚えようとするが、なかなか上手くいかない。そんな中、一番リズムを解したのはチエミであった。そのうちカオリも出来るようになり、シラトは何故か終始無言であったが、きちんと吹いていた。サクモト、アユミ、私も最後にはなんとかついて行けるようになった。6/8拍子のリズムは日本人は苦手らしい。6/8拍子が出来る人を「洋楽タイプ」とすれば、苦手な人は「演歌タイプ」であろうか。
続いて、「スーパーマリオ(地上)」を練習した。ファミコンの名曲中の名曲である。相当難しく、人前で発表出来るのはあと何年もかかりそうな気がした。終始無言だったシラトが、このときばかりは小声で、「こんなん出来ねぇよ」と何度も言っていたのが印象的であった。
それにしても笛部も変わったなぁと思った。結成当初はリコーダーだけの演奏であり、そのうちリコーダーの拙さを隠すが如く、ドラムやピアノを用いて賑やかに演奏するようになり、最近はまたリコーダーのみ又はリコーダー+ピアノで演奏するスタイルになってきた。
練習後は、食事係であるアユミの指示により、回転寿司で食事をした。
その後、横浜駅西口で「まだ何かしよう」という雰囲気になり、議論になった。遊ぶか、或いは飲むか。遊ぶとしたらカラオケかボウリングか。話は一向に進まないので、とりあえず一足先に帰ったレクリェーション係であるシラトを呼び戻し、仕切ってもらうことにした。
シラトによる多数決の結果、なんと全員一致で「飲み会」に決定した。あの議論はなんだったのであろうか。
懐かしいところに行こうという話になり、「ヤマハつぼ八」に行った。ここは学生時代3次会、4次会で使用していた飲み屋である。まだ夕方にもかかわらず、座った瞬間全員がぐったりし、「始発待ち」みたいな雰囲気となり、落ち着いた飲み会となった。
楽しかった。メンバーは皆、気心が知れた仲間である。無理に話題を作る必要も無く、一通り笑った後は沈黙を楽しむ。思えば彼らと出会ってもうすぐ10年である。月日が経つのは誠に早い。それぞれ別々の場所に住み、別々の仕事をしている中で、笛部をいつまで続けられるかと悩んだことも多々あった。思い切って解散するか、逆に広く人を募集して大きな団体にしようか。
結論はいずれも否。このままが良い、と心から思った。
日曜日
日曜日は高円寺の阿波踊りに行った。高円寺は本場徳島に次ぐ大規模な阿波踊りが見られることで有名である。メンバーはアツシ、チカチャン、サクモト、ヨシコサン、アイザワ、私であった。
凄い混雑であった。駅前の混雑ぶりは徳島駅よりも激しいと思われる。会場マップを見れば、「歩行者の一方通行」なる道路も存在し、警官により厳重に管理されていた。
私たちは人ごみを避けるように駅から遠ざかり、駅から最も遠い商店街の会場で見物した。
見る度に阿波踊りは凄いと思う。交互に手足を前に出すだけの単純な踊りが、ここまで洗練された例は、多分他に無い。鳴り物も凄い。自由自在にテンポを操り、タイミングよくピタッと止まる。何故こんな芸当が出来るのか。丸でひとつの生き物のような演奏である。
途中から、我々男どもは地べたにあぐらをかき、ビール片手に見物した。すると見る世界が変わった。踊り手と一体になれた気がし、手拍子を打ちつつ声をかけ、大いに盛り上がった。しかし、女性陣から「オッサン」と揶揄された。私たちも若くは無い。
その後、踊りは9時丁度に終わり、新宿でラーメンを食べて帰路についた。
8月18日 バルサンを焚く
下記帰省をする前、バルサンを焚くことにした。最近我が家では蚊、ゴキブリなどが頻繁に出没していたのである。長期旅行のこの機会に虫を一網打尽にしようと考えた。
さて、出発は夜中の2時である。1時半頃起きて、バルサンをセットすべく説明書を読むと、以下の注意書きが下線付きで記されていた。
火事と間違われないよう、近所にくん煙中であることを伝言してください。
大規模な駆除や夜間に行う場合は、消防署に連絡してください。
近所への伝言は、今の時間からは迷惑である。玄関のドアに「バルサン焚いてます」の張り紙を貼ろうとも考えたが、「留守です」と主張しているようで物騒である。そこで、せめて消防署に連絡をしようと考えた。嫁はしなくても大丈夫だろうと主張したが、私は電話することにした。先日のプール事故だって、「大丈夫だろう」の気持ちが引き起こしたのである。念を入れるに越した事は無い。以下、消防署員とのやり取り
署員「火事ですか、事故ですか?」
私 「これからバルサンを焚くんですけど」
署員「はぁ?」
私 「あの・・・一応説明書に書いてあったので」
署員「そういったことは本部の方に連絡してください」
その後、本部とやらの連絡先を教えてもらい、連絡したが、本部署員も「多分大丈夫だと思いますけど、」を連発しつつ対応していた。ともあれ安心して出発することが出来た。しかし、今後は連絡しないであろう。
ちなみに、嫁の実家に行ってその話をすると、義母が最新のバルサンを紹介してくれた。「霧のバルサン」という名のそれは、ボタンを押すだけで霧が発生するものらしい。説明書を読んだが、上記のような注意事項は書かれていなかった。
これからはこっちにしようと思った。
郡上八幡へ
今年の夏休みは嫁の実家である福岡、私の実家である明石へ行き、帰りに郡上八幡へ寄ってひと踊りしてから帰るというスケジュールであった。郡上踊りは2ヶ月近く続く、恐らく日本一長い盆踊りである。かつて行ったのは3年前の「踊り納め」であったが、今年は「徹夜踊り」の真っ最中である。
昼過ぎに着いて、町を歩いた。町の中心を流れる吉田川では、恒例の飛び込みが行われていた。町の若者が12mもある橋の上から飛び込むのである。橋の上では若い男女が騒いでいる。男はまるで自分を誇示するように次々と飛び込んでいく。たまに女の子も飛び込んでいた。この町では、この飛び込みが出来ないと一人前とされないのであろうか。下に飛び込みの動画を載せた。彼は飛び込み中に1回転半するというつわものである。4.4MBと重いため期間限定で掲載する。

吉田川飛び込みの様子(写真をクリックすると動画(4.4MB)が見られます)
飛び込みを見た後は、のんびりと町を歩いた。郡上の町は美しい。私がこれまで訪れた町の中で、一番美しいと断言できる。至る所に湧き水が出ており、自由に飲むことが出来る。古い民家は、美しく年をとった老婆のようであった。吉田川を少し下ると、川を見ながら人々がのんびりしている。きれいな水が豊かにあるということは、この上ない贅沢であろうと思った。嫁「本当のリゾートとはこういうものだ」と言った。
踊りは楽しかった。ここでは「踊らにゃソンソン」ではなく「踊るのが普通」である。老若男女、観光客、外人みんな踊っている。踊りながら周りを見回しても、踊っていない人は、以下の3種くらいである。
・写真又はビデオ撮影
・疲れて休んでいる。
・祭の関係者
このまま朝の4時まで続くらしいのだが、私たちは帰路につく為、深夜の1時頃車に戻り仮眠を取った。そして、明け方3時頃、郡上を後にした。

郡上踊りの様子
8月13日 2回目の客
昨日は我が家に2回目のお客さんが来た。カオリとシゲオである。我々が起床したのは11時、カオリとシゲオとは2時に駅で待ち合わせをしている。我々は大急ぎで洗濯及び部屋の掃除をした。
家では4人でスーパーマリオをして遊んだ。「夏休みに友達が遊びに来た」という形の典型である。皆で「昔のゲームは洗練されている」等と言い合いながらゲームに興じた。
その後はシゲオが持ってきた「Jesus Christ Superstar」を見た。シゲオのお気に入りの映画である。映画は英語で、字幕も無かったので内容は殆ど分からなかったが、生きることに対する物凄いエネルギーは伝わってきた。しかし、もっと凄かったのは、映画を見ながらシゲオが身振り手振りを交えて正確に歌っていたことである。先日のパーティーのネタもこの映画を使ったらしい。よほど好きなのだろう。
後ほど、インターネットで映画のあらすじを調べてみたが、それでもよく分からなかった。聖書を理解していなければ分からないらしい。
映画を見終わった後は、駅前の「餃子市」という中華料理屋で食事をした。「餃子市」は、本格中華が激安で味わえる名店で、我々が金が無い時によく利用している店である。このときは、せっかくだから北京ダックを食べることにした。
北京ダックは3680円だが、山盛りの北京ダック以外に残りの肉を使った炒め物、骨を煮込んだスープなどが付属しており、かなりお買い得であった。それ以外にもチャーハンやギョーザを腹一杯食べ、なんとひとり2千円。いつも「餃子市」の安さには驚かされるが、北京ダックが高級料理らしからぬ値段で食べられるところに「餃子市」の底力を感じた。
楽しい一日であった。お客が来るのは楽しい。結局夜の10時頃まで食事をし、駅まで見送った。シゲオはこれから小田原まで行って大垣夜行で阿波踊りに行くという。果たして間に合ったのであろうか。
8月8日 神輿を担ぐ
先週末はシゲオと元宮へ神輿を担ぎに行った。元宮は民研時代お世話になっていたものの、卒業してすでに4年以上経っていた。到底元宮で受け入れて貰えるとは思っておらず、神輿の後ろから付いていければ楽しいだろうなと思っていた。それでも一応足袋だけは買って行った。
元宮に着いて、会長に挨拶すると、いきなり「着るものはどうするんだ!?」と聞かれ、無いと答えるとうちで用意するからすぐに着替えて来るように言われた。
すぐに会長の家に行き、半纏と半股に着替えて戻ると、色々な人から「ひょっとして民研?」みたいなことを聞かれた。続いて「明日も来るんだよね??」と口々に言われた。私たちは勢いに押されて「はい」と答えた。
神輿は楽しかった。暑い中、肌を寄せ合って、重いものを担いで、かつ大声を出すなど、単なる消耗に過ぎないが、理屈を超えた価値がそこにある。
一日目が終わり、升酒を回し飲みして帰ろうとすると、「どうせ明日も来るんだから家に帰っても仕方が無いのではないか」と言われた。極めて合理的な意見である。かくて私たちは元宮のナベサン宅に泊まることになった。
夜中の12時頃まで飲み、その後スーパー銭湯に行った後、3時過ぎまで飲んで、寝た。朝8時に起床し、神輿を移動させた後はガストに行き、朝からビールと食事をご馳走になり、ナベサン宅で昼寝をした。
2日目は民研の現役生も現れた。そして祭は、国道一号で各町の神輿が合流するなど、更なる盛り上がりを見せた。すでに全身筋肉痛だったが、担ぐと疲れを忘れた。私は最後の揉みの時、大声で掛け声をかけながら、少し泣いた。元宮の人たちはあまりにかっこよかった。元宮は小さな工場が集まる町である。ここの人たちには、「3丁目の夕日」の様な温かさがあった。
その後、現役生と共に石渡先生宅にてご馳走になり、帰路についた。私が家に着いたのは夜中の1時、シゲオはなんと帰る電車が無かった。大宮で泊まり、朝一旦家に帰ってから会社に行ったらしい。
月曜日は酷い筋肉痛と疲労が残っていたが、楽しい週末であった。来年も来たいと思った。元宮の人たちに感謝!である。
8月1日 ふたつの映画
「初恋」
リコーダー部の「とんさん」にチケットをもらったので、早速「初恋」を見に行った。ある。「初恋」は、1968年の「3億円事件」を映画化したものだが、「3億円事件」は未解決のまま時効を迎えている為、勿論この映画はフィクションである。
映画では、「3億円事件」の実行犯は居場所を見つけられないでいる女子高生だったという、斬新な設定で描かれる。
いい映画だと思った。この映画には、もしや真実ではないかと思わせるほどの説得力がある。無気力で過ごす若者たち、不器用に「権力」に立ち向かい傷つく若者たちの姿が愛おしく描かれている。そして「3億円事件」は、金の為ではなく、ただ自分の存在価値を確認したい為に引き起された。この映画では、そんな「自己表現」にかける思いを縦糸に、「初恋」に寄せる想いを横糸に描き込まれている。
事件による国家的損失、庶民の反応など関係ない。勿論、この事件の善悪も関係ない。この映画がいいたいのは、事件の瞬間、ふたりの若者が一生で最も輝ける瞬間を過ごしたということであろう。
犯罪が成功した後、事件の計画者が主人公の女子高生の頭を撫でるシーンがある。嫁がこのシーンをいたく気に入った。「女性にとってこうやって頭を撫でられるのはとても嬉しい」という。私には余り重要なシーンには思えなかったが、そういうもんかと思った。
「ゲド戦記」
先週末、スタジオジブリの最新作「ゲド戦記」を見に行った。宮崎駿の息子、宮崎吾朗氏の初監督作品である。私はCMやホームページを見て、面白そうだと思った。原作が気になり、図書館で借りて読んだ。
「見えぬものこそ」というキャッチコピーが良い。映像も良い。そして何より歌が良い。単純だが味わい深い旋律で、少し寂しげな歌詞と透明感のある歌声がよく合っている。
しかし、映画はいまいちであった。
映画の主人公は、最後の数十分を除き、「ニート」かつ「キレる子供」であった。現代社会の不健康さを表現しているのかもしれないが、ファンタジー映画の主人公が「ニート」とは、どうであろうか。そして、「ニート」脱出のきっかけも他力本願で頼りない。
物語は、初めて見る人でも分かるように配慮されていることが汲み取れたが、この映画で何を言いたいのかが分からかった。肝心の一本筋が映画から読み取れないのが残念であった。
それにしても、上記のようにキャッチコピーも歌もとても素晴らしい。映画がいまいちだと感じたのは、「表現したいもの」を表現するだけの実力が足りず、「ゲド戦記」という大作に打ち勝てなかっただけの話であり、「表現したいもの」が無い訳ではなかったであろう。それを表現しきれなかった宮崎吾朗氏はさぞかしもどかしかったに違いない。次回作に期待である。
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