2006年
10月のつぶやき




10月29日 鎌倉-横浜マラソン

 土曜日は、恒例の鎌倉-横浜マラソンを行った。メンバーは主催者のナオ、ナオの双子の姉、ミヤチ、ボンサン、私の5人であった。初めての鎌倉-横浜マラソンは4年前、もう3回目である。

 12時に集合したら、ボンサンがいなかった。しばらくして、「今起きた」との連絡が入る。仕方なく、私たちは先に鎌倉に向かった。ボンサンは、上大岡から鎌倉方面に走ってもらい、鎌倉から走る私たちと合流して一緒に走ることになった。

 3回も行えばすでに伝統行事となる。いつもの様に鶴岡八幡宮にて完走祈願をし、定められた場所で体操を行って走り始めた。

 長い登りを終え、緩やかな下り坂にさしかかった時、遠くにジャージ姿の男性の姿があった。

ナオ 「あの人ボンサンじゃないですか??」
ナオ姉「なんかタバコ吸ってますよ??」

 それがボンサンとの出会いであった。陸上歴10年のナオ姉にとって、マラソン中にタバコを吸う姿は、衝撃だったに違いない。

 そこからのボンサンは元気であった。ミヤチも堅調、ナオ姉は殆ど余裕の走りをしていた。しかし、村越の辺りでナオの足がつった。しばらく走ってもつってしまう。ボンサンは「カリウムを摂るのが良い」と忠告した。さらにナオ姉は、

「根性で走るしかない」

と励ました。ナオは走り始めた。この姉妹は誠にストイックである。

 そして辺りが暗くなり始めた頃、ついに横浜駅に到着した。ゴール地点は横浜駅東口のコインロッカーである。なんとも殺風景なコインロッカーを背景に記念撮影をして喜びを分かち合った。

 その後は、伝統に従いスカイスパで疲れを癒し、伝統に従い焼肉を食した。そして、ヤスの野球チーム「プリッツ」の飲み会に参加して家路についた。


10月27日 満員電車

 金曜日は朝から外出だったのだが、前日は朝の4時まで仕事をしており、帰宅5時、就寝6時、起床7時というハードな朝であった。寝坊寸前で目が覚め、急いで駅に向かった。

 電車は込んでいた。普段は下り方面へ出社するので座って行けるのだが、今日は丁度ラッシュ時間帯である。

 電車は壮絶だった。まだ人が乗りきっていないのに「ドアが閉まります!」の放送が響き渡り、無常にドアが閉められる。それでも人々は電車を求め、車中はぎゅうぎゅう詰めとなる。まるで家畜の如き扱いである。みんなこんな思いまでして東京に住みたいのだろうか。

 我慢して立っていると、目の前のオッサンがもたれかかってきた。私は腹が立った。何故自分の足で立たないのか。私はオッサンと自分の間でこぶしを握って、オッサンが来たら背中をぐりぐりする作戦を考えた。しかし、満員過ぎて身動きが取れず、もたれるオッサンにより私はどんどん後ずさりした。すると、後ろにいた別のオッサンに睨まれた。

 私はあらゆるオッサンを許すことにした。私と違って彼らは、毎日こんな苦しい思いをしているのである。目の前のオッサンだって、更に前のオッサンの圧力にさらされているのである。それに私だって、後ろのオッサンに圧力をかけてしまっている。仕方のないことである。

 それにしても、満員電車に乗ってみて「女性専用車両」は重要だと思った。オッサンも可哀想だが、オッサンにもみくちゃにされる女性はもっと可哀想である。満員電車内にかかる負荷は女性の腕力を遥かに超える。

 満員電車を見渡して気付いたことが、携帯音楽プレイヤー利用者の多さである。みんな、音楽を聴いてこの苦しみを紛らわせようとしているに違いない。携帯音楽プレイヤーは、満員電車の申し子である。


10月21日 笛部練習会

 ほぼ2ヶ月ぶりの笛部練習会を行った。場所取りの関係で練習時間は2時間のみであった。

 練習した曲は「ピアノ・レッスン」のテーマ曲と「スーパーマリオ(地上)」の2曲。どちらもこれまで笛部が体験したこと無いような難曲である。

 通常の平均遅刻時間は1時間程度なのだが、この日はサクモトが1時間早く来てしまったこともあり、笛部初のマイナスを記録した。2時間では時間が足りないかなとも思ったが、練習はいつになく集中しており、メトロノームを使用して同じフレーズを何十回も繰り返すなど、ストイックな練習となった。

 おかげで一生不可能と思われた「スーパーマリオ(地上)」が形になってきた。あと少し練習すれば発表できるレベルになるだろう。


「のだめカンタービレ」

 一年ぶりにドラマが面白いと思った。そう言えば去年も今頃ドラマを見ていた気がする。

 「のだめカンタービレ」の存在はリコーダー部で知った。マンガの方はかつてマンガ喫茶で全て読んだが、ストーリーはあまり覚えておらず、面白かった思い出だけがある。今回ドラマ化されることを知り、早速予約録画をした。

 ドラマは面白かった。登場人物が弾いている曲を実際に聴けるのが良い。マンガには無い魅力であろう。実写の人が「むきゃ〜」等と騒いでも面白くないだろうと思っていたが、案外自然だったのは上野樹里の才能であろうか。

 「のだめ」の汚い家を見た時、懐かしくなった。イワオカの家はこんな感じであったし、ここまで酷くなくても、「のだめ部屋」に準ずる家は学生時代はいくらでもあった。人の家で勝手に寝るとか、飯を食うとかいうのも、それ程異常なことではなかった。

 笛部練習の後、食事をしながら「のだめ」の話になったが、ご飯が納豆みたいになったとか、味噌汁が納豆の匂いになったとか、カレーが辛くなくなったとかいう話で盛り上がった。ある程度は共有の思い出であり、下手すりゃ現在も続いている現象である。

 しかし、会社で後輩女性と話していると、「のだめは精神に異常をきたしていて部屋を片付けられないのでは」と言った。彼女にとって「のだめ部屋」は、実在しない想像上の空間らしい。

 同じ学生時代とひとくくりに言っても、さまざまだなぁと思った。


「14歳の母」

 放送前から話題になっており、気になったので予約録画してみた。第一回は見逃し、第二回から見た。

 キムチ鍋をつつきながら嫁と見ていたのだが、殆ど喋ることなく最後まで黙々と見続けた。演技、セリフから音楽、構図、照明まで、全く手を抜くことなく作りこまれている感じがした。この番組に対する批判は多いであろう。このドラマはそれでも作りたいという執念が込められている気がした。

 取り返しのつかない過ちをしたと思うことは、誰でもあるだろう。辛くて辛くて仕方の無い時、死んだ方がましだと思う程、惨めな時というのも、多かれ少なかれ誰でもあるだろう。そんな時にどう生きていくか、目の前の壁をどうやって乗り越えるべきなのか。このドラマの焦点はそこに絞られいている。その具体例として、たまたま「14歳の妊娠」という設定にしたに過ぎない。

 番組HPの書き込みで、「このドラマをハッピーエンドにして欲しくない」という類のものがあるが、気が知れない。こういう人たちは、取り返しのつかない過ちに対して、天罰が下るべきだと考えているのであろうか。

 むしろ私は、途方もない困難を乗り越えることで、見る人に勇気を与えるドラマであって欲しいと願う。


10月13日 肉の祭典

 今週始め、携帯電話に一通のメールが来た。「牛角」からである。5日間限定で、1500円の食べ放題セールを行うという。更に、ビールをはじめとする飲料も格安であるという。このことを「肉は別腹」と豪語する後輩Oに話したところ、何があっても行こうということになった。それ以来、我々は顔を合わせる度に「肉肉〜!」と叫んでいた。

 そして今日、ついに「肉の祭典」を行った。7時には仕事を終え、足早に「牛角」に向かった。

 祭典は、壮絶だった。最初の注文の時、気持ちの昂った後輩Eは、肉の部位も注文数も言うことが出来ず、店員に

「『肉』を…」

とつぶやくことしか出来なかった。90分間、常に網が見えないくらいぎっしりと肉が敷き詰められており、食べる端から新たな肉が投入された。食事が進むにつれ、味付けも肉の種類も分からなくなって来た。そこにある物は「肉」「米」「飲料」の三種のみとなり、それ以上の小分類は不可能となった。それでも90分間、ひたすら食べ続けた。

 結局、6人で80人前の肉を食べ、店を後にした。


10月11日 ボラギノールのCM

 今日、夕食を食べながらテレビを見ていると、「ボラギノール」のCMが流れていた。静止画像と音声だけのシュールなCMで、前から面白いなぁと思っていたのだが、改めてよく見ると実に面白い。「痔」に関する何気ない(?)会話と、コマ送りで流れるこれまた何気ない画像とを合わせると、不思議なことにとてつもなくインパクトのあるCMになるのである。

 この種のCMはすでに8種類もあり、「ビジネスマン編」「女子高生編」「釣り堀編」等8種類もある。ちっとも可愛くない顔をした赤ちゃんがアップで写ったり、不細工な犬が写ったり、数秒の静止画にさまざまなエッセンスが入っている。

 この表現技法を考えた人が凄いと思った。「痔」の薬を上手く宣伝するのは多分相当難しい。生々し過ぎてもスマート過ぎても、消費者の心を掴むことは出来ないであろう。この表現を考えたCMプロデューサーも並外れた才能の持ち主であろうし、そしてこのCMを認め、「ボラギノール」の未来を託した天藤製薬の宣伝部長は本当に凄い。飲料のCMに小便小僧を採用した「DAKARA」と同じくらい凄い。

 インターネットで、かつてのCM映像も見た。それは、「『痔』をどう表現するか」という苦闘の歴史である。CGのかっこいい画像で尻を表現し、「止まって、溶けて、広がる!」と叫んでいるものもあれば、毛筆タッチで尻を表現し、生々しさを抑えようとしているものもある。1980年代では、パリの凱旋門でレオタード姿の女性が尻を振っているCMもあった。

 こちらよりCMを見ることが出来る。痔の方もそうでない方も、是非とも一度ご覧あれ。


10月10日 「王と鳥」

 スタジオジブリが「ゲド戦記」とともに贈るもうひとつの映画が「王と鳥」である。この映画の詳細は公式ページを参照せられたいのだが、フランスのポール・グリモー監督と詩人のジャック・プレヴェールが、1947年に製作開始し、紆余曲折を経て1979年に完成させたという、執念のアニメ映画である。

 公開の規模は小さく、数ヶ所の小さな映画館で公開されているだけのようだが、「ゲド戦記」よりも遥かに面白いと思った。結末部以外は1951年までに完成しているらしいのだが、半世紀も前の技術力と繊細な表現には驚愕する。

 ストーリは以下のように簡単である。孤独で横暴な王が絵の中の少女に恋をする。しかし、互いに愛し合っていた羊飼いの少女と煙突掃除の少年は絵から飛び出して逃げる。王は警察を動員して少年と少女を追いかける。そして王に恨みを持つ鳥は、この羊飼いの少女と煙突掃除の少年を助けつつ王を狙い、最終的には王国もろとも破壊してしまう。

 この映画の表しているところを言葉で表すには、私の知識と表現力では明らかに足らない。よって私の感想を思いつくままに述べるにとどめる。

 格差社会という言葉を耳にするが、格差はどんな社会でも存在する。例えば、会社でも社長から新入社員まで、家庭でも主人からペットまで、国家では首相からホームレスまで、人が生きる為の社会には必ず格差が存在する。そして、民の苦しみを王が知らないのと同様、王の孤独も民は知らないのである。

 人と人とはなかなか分かり合えない。それが普通である。しかし、だからと言って、物事を単純化して分かり合ったような気になったり、逆に物事を二極分化して相手を攻撃したりしてはならない。分かり合えない苦しみを甘受しつつ、粘り強く生きなければ、この映画のような悲劇が起こるのではないか。そんなことを感じた。

 音楽がまたいい。結論を出さずに次々と転調するこの不思議な曲は、この映画の悩ましさを表現しているような気がした。ここからテーマ曲を聴くことが出来る。


中秋の名月

 先週末は、月を堪能した。土曜日の夜、11月の小田原マラソンに向けて走っていると、頭上に見たことも無いような美しい月が浮かんでいた。台風一過の晴天で空は澄んでおり、月の中のウサギだかカニだかまではっきり見えた。

 しばらく見ていると、月に薄雲がかかった。その時、月の周りが7色に彩られた。月光の虹である。私はペースを上げ、急いで家に戻るとカメラを持ち出して写真を撮りまくった。アスファルトに寝っ転がって延々と見た。なかなか見られない名月であった。

 そして日曜はリコーダー部の月見大会であった。各自物資を持ち込んで代々木公園に集結し、大いに飲み食いしつつ、笛を吹き、月を愛でた。「♪うさぎうさぎ なにみて跳ねる〜」を延々と吹いたり、「かえるの歌」の輪唱を歌と笛で延々と吹いたりした。

 楽しかった。


N結婚式

 先週月曜日は会社の後輩Nの結婚式であった。会社関係の結婚式は初めてである。

 まず、着るものが無かった。先週、久しぶりにスーツを着ようとしたら、なんとカビておりクリーニングに出していたのである。クリーニング屋に行くと丁度終わっており、何とか間に合った。

 更にベルトとかばんも無かった。ベルトはあいにく会社に置きっぱなしであり、家中を探してなんとか発見した。かばんはボロボロのものしかなく、行く途中で西友で購入した。

 式は素晴らしかった。新婦の華やかさとは対照的に、Nは相当緊張していたせいか、目が虚ろになっていたが、それもまた良かった。先輩K氏のスピーチの中で、「新婦を『妻』と呼ぶ練習」と称してNにあらゆる質問をぶつけ、全て「私の『妻』です」と答えさせる企画があったのだが、虚ろな目でうわ言の様に「私の妻です」と何度も唱えている姿が印象的であった。

 良い一日であった。Nの幸せを心より祈る。


10月4日 「夕凪の町、桜の国」を読んで

 久しぶりに読みながら圧倒され続け、涙腺が緩みっぱなしだった漫画が、こうの史代氏の「夕凪の町、桜の国」である。広島の原爆後遺症をめぐる3世代に渡るストーリーが、僅か百ページ足らずの温かみのある絵と言葉に凝縮されている。

 この作品は、原爆の悲惨さを描くことによる反戦を主張しているわけではない。もっと暖かく、優しく、だからこそ悲しい漫画だと思う。

 「夕凪の町」の冒頭で、仕事を終えたヒロインが途中で靴を脱ぎ、歌いながら裸足で自宅に向かう光景が印象的である。このシーンは表紙にも使われているが、ヒロインの不幸や原爆スラムのみすぼらしさを表しているのでは決して無い。ここには自分の身の丈を知り、それでも前向きに生きようとするヒロインの強さが描かれている気がする。後に「靴が減るんが勿体ないけえね」と話す言葉には、そんな生活を丸ごと楽しんでいるようにさえ聞こえる。

 この作品が強烈なのは、これ程前向きに生きているヒロインが、残酷にも原爆後遺症によりあっけなく殺されてしまうからであろう。

 後半の「桜の国」も素晴らしいが、僅か35ページに凝縮した「夕凪の町」は、余りに深い。そして、冒頭の裸足で原爆スラムの町を歩く光景が、全編を通じて影響しているような気がする。


10月2日 「プラネットアース」

 NHKの「プラネットアース 第五集 『高山 天空の闘い』」を見た。「プラネットアース」は、NHKとBBCが5年もの歳月をかけて製作したドキュメンタリー番組で、神秘的な自然の姿を超越的な執念と技術で撮影したものである。第一集「生きている地球」で、海から飛び上がるホオジロザメの映像を見て大きな衝撃を受けて以来、欠かさず見ている。

 今回も凄い映像が目白押しであった。最も凄かったのは、エベレストを山越えする鶴の映像であった。激しい気流とそれに翻弄されつつ山越えする鶴の映像は、一体どこから撮影したのか美しさと迫力が共存した稀有の映像であった。後でインターネットを見ると、「ヒマラヤ上空8500mで、ヘリコプターの扉を開けっ放しにして酸素マスクをしながら撮影された」とある。命がけである。

 しかし、不思議なことに、こんなに素晴らしい映像を見ながら、一度として最後まで寝ずに見れたことが無い。迫力の映像に絶叫しつつ、気付いたら寝ているのである。困ったものである。


10月1日 間宮芳生氏に会う

 昨日、「間宮芳生の音楽」というイベントに行ってきた。前半は間宮氏と音楽評論家との対談及び自作品解説、後半は若手音楽家による間宮氏の曲を中心としたコンサートであった。

 私は間宮芳生氏の音楽が大好きであった。学生時代に歌った「合唱のための12のインヴェンション」に影響を受け、青ヶ島やら青森やらに旅行に出かけた。彼の音楽により、日本民謡というのは、袴姿のじいさんが三味線と尺八で歌うような形式ばったものではなく、もっと素朴で、自由で、豊かなものであるということを知った。

 間宮氏は、想像していたよりもずっと気さくで、面白い人であった。彼は、「ぶっ壊れた音楽」と称しては大分の櫓漕ぎ唄を聴かせ、「太鼓と唄の合わなさをお楽しみください」と言っては青ヶ島の「でいらほん」を聴かせてくれた。彼がいう「面白い音楽」とは、リズムやメロディが無茶苦茶なものを指すらしい。

 後半のコンサートでも、彼の音楽は凄かった。楽譜は5線譜ではなく、「2線譜」又は「3線譜」で、線間の音程は「だいたい長6度」。歌う時の注意点は、「伴奏の調性に合わせてはならない。出来るだけ調子外れに歌うこと」らしい。美人のソプラノ歌手が「ガガガガッ!」「ギャギャギャギャ!」等の奇声を発したり、「ウォ〜〜〜」等と、犬の遠吠えの様な声を発したりしていた。その裏でピアノとヴァイオリンの伴奏は、難解な楽譜を必死になって弾いていた。色んな意味で対比の面白い曲であった。

 しかし、聴き終わったあとぐったりと疲れた。現代的過ぎて理解不能である。「田植唄」の力強さ、「田の草取り唄」の情緒、「おぼこ祝い唄」の感情豊かな表現などは感じられない。昔の曲の方がよかったのに、と正直思った。

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