2006年
12月のつぶやき




12月30日 2006年最後のつぶやき

 明日から実家に帰るため、今日で今年最後の「つぶやき」となる。

 今日は会社の陸上部の活動があり、皇居を走った。皇居の1周は5キロである。まず始めにアップとして5キロゆっくり走り、その後タイムを計るために本気で5キロ走る。

 アップの5キロで、すでに疲れた。肩慣らしに5キロも走るとは、考えてもみなかった。その後、もう疲れたとか嫌だとか言いながらタイムを計った。

 5キロはきつい。ランナーズハイが来る前に終わってしまう距離である。しかも、ゴール手前で上り坂が続くという、きついコースである。結局タイムは21分10秒。思ったよりは速かったが、まだまだである。20分をきりたいと思うが、練習は面倒臭い。



 さて、今年がどういう年であったかを振り返る。そういえば、今年は結婚した年であった。

 結婚してよかったと、心から思っている。流行にも鈍感で、女心も分からない私によく嫁いでくれたものだと思う。私の嫁は、誠にかけがえが無い。しかし、本当はそんなことはどうでもいいのである。以前の「つぶやき」(2006年11月)に書いたが、本当に大切なのは、いつか嫁を「大切」に思えなくなる時、心から憎らしく思う時に冷静に原点に戻り、理性で愛することが出来るかであろう。


 仕事の方は、5年目となった。以前のような、無駄な力みがなくなり、昔は見えなかったことが見えるようになってきた。

 しかし、もう一歩踏み出せない自分がいる。本当に私がやりたい仕事は何なのか、そして、これからの社会に本当に必要なことは何なのか、それを考えることから逃げ、近視眼的に今の仕事に打ち込んでいる自分がいる。

 このまま惰性で仕事をしてはならない。もっと勉強しなくてはと思う。


12月29日 風呂みかん

 最近「風呂みかん」にハマっている。みかんを風呂に持ち込んで湯船に放り込んでおき、湯船に浸かりながら食べるのである。

 これが非常に美味しい。体を洗っている間、風呂に浸けたままなので、外皮は暖められるが中は冷たいままである。風呂で失われた水分が気持ちよく補給される気がする。

 ここまで書いて、民研の春合宿を思い出した。春合宿で使用していた民宿「さじむ」では、風呂にみかんが浮かべてあった。一番に入った連中が上がり際にみかんを絞ると、後から入る人はみかんが沁みて痛かった。「ビタミンの潤い」などと言っている場合ではない。

 ともあれ、風呂みかんは良い。一度お試しあれ。


12月28日 脳トレをする

 嫁の高校時代の友人から、結婚祝いにと色々プレゼントを頂いたのだが、その中に「ニンテンドーDS」が入っていた。

 「脳を鍛える大人のDSトレーニング」をやってみた。操作は、説明書を見なくても分かるくらい簡単である。「あか」とか「きいろ」とか書かれた文字の色を声に出して答える問題が出た。ひとり部屋で「赤!」とか「黄色!」とか叫んでいると、「あなたの脳年齢は50代」と出た。

 私は、テレビCMの松嶋奈々子の如く悔しがった。こんなゲーム機に何が分かるか。こんな侮辱を受けたのは久しぶりである。悔しくて、私はもう一度同じゲームをした。今度は早口で「赤!」「黄色!」と叫んだ。

 今度は30歳代になった。一気に20歳も若返った。

 更に色々やっていると、最終的に20歳になった。20歳よりは若くならないらしい。

 しかし、そのうち「なんで私はこんな意味の無い計算とか記憶とかさせられなければならないのか」という気持ちになってきて、やめてしまった。一方嫁は、はじめ「脳年齢33歳」だったのだが、毎日コツコツやって今朝28歳になった。

嫁の脳は、どんどん若返っているらしい。


12月24日 民研発表会

 民研の発表会を見に行った。もうOB5年目なので、5回目である。

 今年の民研の演奏は、凄いと思った。音楽を聴いてどう感じるかは、聴き手の気分も関係するので客観的な意見ではないが、今年は良いと思った。これを書くために過去の「つぶやき」を見ていると、発表会の感想が記されている年と記されていない年があることに気付く。記されていない年の発表会は、あまり感じるところが無かったように思う。勿論、私の気分も関係するので一概には言えないが、自分では、音楽に対する感覚は、それほどばらつかないと思っている。

 演奏の良し悪しを決めるのは、音楽に対するこだわりだと思う。絶対性とも言える。「どういう表現がしたいか」と「だからどうするか」が明確だと、演奏は説得力を持つ。しかし、単に「珍しいことをやりたい」とか「意外性が欲しい」等、意思の無い音楽は面白くないと思う。

 音楽に絶対性を持たせるのは、非常にしんどい。それも民研のような集団での演奏では、全員の意思統一を図るのは本当に難しい。それを諦めてしまったか、間に合わなかったかすると、演奏は力を失くす。しかし、その苦労を乗り越えれば、演奏は物凄い説得力を持つと思う。

 今年は、下にも書いたように2回くらい和太鼓の指導をしに行った。初めて行ったときに、構成の駄目出しをして帰った。その後、一緒にいたボンサンと、複雑な気分になったと話し合った。次回見る時に、全く変更が無かったら私たちの存在価値がなくなるが、逆に大幅な変更が加えられたとすると、彼らなりの表現がかき消されまいか。

 発表会での演奏を聴き、彼らの気持ちがストレートに伝わって様な気がして、少し泣いた。構成は、演奏効果が高くなるように修正され、表現したいことがより伝わるように思えた。彼らがどう思っているかは分からないが、少なくとも私にとっては、上記のジレンマは杞憂であった。


左:銚子大漁囃子                                             右:八木節                                      


合唱




12月23日 リコーダー部発表会


リコーダー部「不」定期演奏会


            左:多分「ドラクエ」演奏中              右:「違いの分かる」男子による「目覚め」(ネスカフェのテーマ)演奏中


左:「おいらは鳥さし」(歌劇「魔笛」より)              右:「スーパーマリオ(地上)」必死の演奏



笹の葉を持って集合写真

 23日は、リコーダー部の発表会であった。発表会は、渋谷の「パンダレストラン」の一室を貸切って行われた。会場が中華レストランであるという理由により、部長の提案で衣装はチャイナドレス又はチャイナスーツとなった。こんな格好でリコーダーを大真面目に吹く集団は、多分他にはいない。

 久しぶりに経験する発表会は、本当に楽しかった。みんなで1から演奏会を作り上げるのは本当に楽しい。練習毎に演奏が良くなっていくのも楽しい。「パッヘルベルのカノン」や「スーパーマリオ」が人様の前で演奏できるとは思わなかった。「スーパーマリオ」などは、楽譜を作り、初めて演奏してみた時、これが出来る日はこないと思った。

 演奏しながら、少し泣いた。大げさに言えば、奇蹟である。


12月22日 曲想について

 学生時代「曲想」という言葉を頻繁に使った。民研では「曲想の時間」というのがあり、曲の背景を聞いたり曲に対する想いを語り合ったりして演奏に生かそうとしていた。

 例えば、銚子大漁囃子ならば、「荒波に立ち向かう漁師の姿」やら「大漁の喜びを太鼓で表現」などといった具合である。

 しかし、押し寄せる荒波を頭の中で思い浮かべながら太鼓を叩くと良い演奏が出来るかというと、そうでもない。むしろリズムがくずれたりしてより悪い演奏になる。しかし、練習では、集団催眠にかけられたように、「曲想を意識したから演奏が良くなった」と思い込む。

 別に、曲想を考えることが下らないと言っている訳ではない。しかし、音楽で表現することと、言葉で表現することは、全く別物である。ベクトルが違う。

 例えば、ショパンの「別れの曲」を聴いて、もの悲しい気持ちになるのは、この曲が「別れの曲」と呼ばれていることを知っているからである。もしも、この曲が「初恋の曲」と呼ばれていても、誰も不思議に思うことはないだろう。「別れの曲」を聴いて別れを連想するのは、「別れ」という言葉の力による。「別れの曲」が表しているのは、「別れ」でも「初恋」でもない。言葉では表せないものを表している。そして、言葉では表せないから音楽で表すのである。

 音楽が表現することは、言葉では表現出来ないことである。曲想が大事なのは、言葉による理論構築ではなく、言葉で表せない音楽の力を引き出すためのきっかけを作ることができるからである。それを間違えて、無理矢理、音楽で「もの」「こと」を表現しようとすると、それは「音楽」ではなく「記号」になってしまう。音楽を言葉の代わりにすることはナンセンスである。

 逆に、言葉によるいかなる説明も、音楽の持つ圧倒的な説得力には叶わないこともある。それを無理矢理言葉で表そうとすると、陳腐な言葉になってしまう。

 音楽を言葉で語り合うことは、大事である。「言葉」で語ることで、「音楽」が深まるし、「音楽」をつけることで「言葉」が深まるから「歌」がある。しかし、「言葉」で表せるようなことを「音楽」で表そうとしてはいけないと思う。

 以上、おもいつくままにだらだらと書いてしまった。明日は、リコーダー部の発表会である。久しぶりの「演奏者」となる発表会を前に、だらだらとこんなことを考えてしまっていた。そして明後日は民研の発表会。どんな演奏が聴けるのか、楽しみである。


12月21日 いちばん大事なこと

 「いちばん大事なこと」(養老孟司著)を読んだ。養老孟司氏は、「バカの壁」などの著書で有名な解剖学者である。「いちばん大事なこと」には「養老教授の環境論」という副題が付けられており、著者なりの環境論が繰り広げられている。

 本書の表紙をめくると、いきなり以下の文章がある。

 「環境問題のむずかしさは、まず何が問題なのか、きちんと説明するのがむずかしいことにある。しかし、その重大性は、戦争、経済などとも比較にならない。百年後まで人類がまともに生き延びられるかどうかは、この問題にかかっているとさえいえる。だからこそ、環境問題は最大の政治問題なのである。」

 その通りだと思った。そして、小学生くらいからなんとなくそんなことを考えていた気がする。未だになぜ経済が重要なのかわからない。消費の伸び悩みが、なぜ悪いことなのか分からない。無駄遣いするより良いのではないかと思う。

 後半、少し脱線が多くなるが、この本の根本に流れる考え方はとても大事だと思った。


「ああすれば こうなる」

 本書で、「『ああすれば こうなる』型の思考は、自然の問題には当てはまらないことが多い」と述べている。自然はそれほど単純ではないからである。

 しかし、私が思うに「ああすれば こうなる」型の思考は、自然に限らず殆ど当てはまらないどころか、役に立たないと思う。なにか新しいことを考える時、理論的蓄積よりも前にまず、ひらめきがあるのが普通だと思う。「ああすれば こうなる」の思考は、そんなひらめきをそれらしく裏付けするために行う作業に過ぎない。年を取った人ほど「ああすれば こうなる」にこだわる傾向があるように思う。そして、「ああしても こうならない」場合、どうしても納得しない。

 目指すべきアイディアも無いのに、「ああすれば こうなる」を繰り返しても無益である。「ああしても こうならない」のが普通だからである。


12月17日 今日

<走る>

 今日は朝から走った。色々あって会社の陸上部に入ってしまい、3月の駅伝大会に向けての準備である。本当は昼休み等に走り込みをしなければならないらしいのだが、そんなことしたら午後仕事にならなさそうなので、やっていない。

 今日は、4km程度離れた隣駅までの往復を走った。速度を意識して走ったが、意識しすぎるとバテるので無理せず走った。速く走ろうとすると体がついてこない。しかし、何も考えなくても走っているうちに自然と速くなっていく。

 これからも週1くらいは走り込みをしなければ、と思う。

<もんじゃ焼き>

 走り込みから帰ってきて、風呂に入った後、ホットプレートでもんじゃ焼きを作った。「もんじゃ焼きの素」で作ったのだが、キャベツが多すぎた。

 おかげで、トップの写真のように、ホットプレート全面を囲む巨大な土手が出来た。土手の強度が全く必要無いもんじゃ焼きである。なぜなら、「土手=ホットプレートの淵」だからである。

 もんじゃ焼きは美味しかった。世の中には「適当に作っても美味しい料理」が存在するが、ホットプレートで作る「もんじゃ焼き」と「ビビンバ」はその代表だと思う。

<牛スジ煮込み>

 もんじゃ焼きを食べた後、牛スジ煮込みを作った。私の両親はかつてお好み焼き屋を営んでおり、私はその時から「すじこん」(牛スジとこんにゃくを甘辛く煮込んだもの。関西のお好み焼き屋では必須)が大好きだったのである。

 牛スジは安くて美味しい。しかし、料理に手間がかかる。しかも、今はなかなか売っていない。今回も、スーパーでたまに売っているのを狙って買い込み、冷凍して少しずつ貯蓄していたのである。

 母に電話して作り方を教わり、圧力鍋を用いて作った。お好み焼きに入れるわけではないので、牛スジとこんにゃくの他に、大根、ごぼうも入れた。加圧時間は25分。意外に簡単である。圧力鍋が無ければ、半日は煮込まなければならない。

 出来た牛スジ煮込みは絶品であった。これで金曜日までは夕食の心配をしなくてよいであろう。


12月13日 教えるということ

 最近、教えるということは難しいと、つくづく思う。誰かにものを教える時、それを行う能力を自分が持っているだけでなく、それを理論的に理解している必要がある。更に、その理論を噛み砕き、感覚的な言葉で伝えなければならない。更に、教える人のタイプ、モチベーション等まで考慮すると、教育に要する労力というのは半端ではない。

 先週末、学生時代所属していたサークルである民研へ行き、ひとつ上の先輩と共に「御陣乗太鼓」という和太鼓曲を教える機会があった。「御陣乗太鼓」は石川県の太鼓で、上杉軍が能登を攻略した際、武器を持たない村人達が奇妙な鬼面や海草を付け、太鼓を打ち鳴らしてこれを追い払ったと伝えられる曲である。

 教えるということは誠に難しい。この曲はアドリブ性が高く、どういう動きをするかは個人の裁量に任される。そんな中、この曲の何がポイントで、何が面白いのかということから教えるのが難しい。見得の切り方から自分自身思い出しつつ教えた。

 あるとき、後輩の顔がぱっと明るくなった。それからは急に飲み込みがよくなった。教えることの醍醐味はこういうことであろう。

 教えるということは、誠に難しい。しかし、教えることにより必ず自分も教えられる。教えるということは、自分自身を高めることでもあると思う。


12月9日 携帯機種変更

 今日、嫁がウィルコムの「働くケータイ」に変更しにいくというので、ついでに私も変更することにした。

 現在の携帯電話を使い始めて3年になるが、不便で仕方の無かったのが、漢字変換であった。例えば、「風呂」と書こうとして「ふろ」と入力して変換すると、「不ろ」となってしまう。いちいち「おふろ」と入力して「お風呂」にしてから「お」を消さなければならない。細かいことだが、面倒臭い。

 さて、携帯電話屋に行き、色々な携帯電話を見たが、どれも大して変わらない。最近CMでよく見かける「右に左にマーガレット」をいじってみたが、別に面白くもなんともなかった。私が携帯電話に求めるのは耐衝撃性、耐水性、消費電力(電池の持ち)などであり、「ワンセグ」など特殊な機能は求めない。

 悩んだ末、結局SO902iWPを買った。「洗えるケータイ」らしい。少々ボタンが押し辛いが、すぐに慣れるだろう。

 さて、料金が複雑であった。店員が電卓を打ちながら説明してくれたのだが、「ナントカ割引」と「ナントカ手数料」が交互に現れ、料金は激しく上下し、最終的に4700円に収まった。

 早速買った携帯を見て、驚いた。電車内の電光掲示板の如く、天気予報やニュースがテロップで流れるのである。

 更に、「ふろ」と入力して、感動した。きちんと「風呂」に変換出来るだけでなく、次回は「ふ」と入力しただけで下に「風呂」「ファイル」など頻度の高い候補が羅列されるのである。凄いと思ったが、嫁によれば今は当たり前らしい。

 この「つぶやき」を書いている最中、嫁は隣で「働くケータイ」と格闘している。携帯電話の側面からキーボードが出てきて文字入力出来るようになっているらしい。携帯電話というよりは、「電話も出来るパソコン」であろう。


12月3日 

<秩父夜祭>

 昨日は秩父夜祭へ行った。メンバーはハンベイ、モコ、ミヤザキ、ショウコ、チエミ、カナ、嫁、私の他に、カナがミクシィで知り合った人たちと現地で出会った。

 一年ぶりに見る夜祭は、圧巻であった。曳山が近づいてくる時は、毎度のことながら身震いするほど感動する。提灯を持って祭りを盛り上げる「囃子手」(一生に一回しか出来ないらしい)、それを見守る上方、下方、そして、姿を見せることなく屋台の中で屋台囃子を演奏し続けるお囃子、彼らのチームワークで屋台は進み、曲がる。年に一回の祭りに興奮し、盛り上がる若者、それを見守る年長者、今はなかなか見られなくなった地域社会の絆が、そこにある。

 しかし、私にとって今回の最大の衝撃は、勇壮な屋台の裏でひっそりと行われる「御諏訪渡り」と呼ばれる行事であった。大通りを避けて細い路地に入っていくと、静かな笛と太鼓のメロディに合わせて数十人の集団が歩いている。これが、「御諏訪渡り」である。

 現地の人の話によれば、秩父夜祭は武甲山の男神(竜神様)と秩父神社の女神(妙見様)がお旅所で逢引きをする祭りであり、「御諏訪様」というのは、この男神の本妻だという。

 即ち、この男神は勇壮な掛け声とお囃子のリズムに乗って年に一度の逢引きを行い、その裏では本妻に逢引きの許しを願うべく、御諏訪渡りをひっそりと行っているのである。そして、諏訪社の近くだけは、勇壮な太鼓の音も消され、ひっそりと曳かれるという。

 これを聞いて、ショウコは「あの勇壮な太鼓がいやらしく思えてきた!」と言っていた。諏訪社での神事は厳かで、神官が何度も恭しく頭を下げていた。必死で許しを請うているのだろう。年に一度の逢引きを許す妻の気持ちとはいかがなものであろうか。秩父夜祭の新たな側面を垣間見た。

 しかし、そんなことまで知ることが出来たのも、カナが現地の人と連絡を取った行動力による。現地の人は、とても親切に紹介してくださった。彼らは秩父を誇りにしていた。良い祭りに来れば、いつも思うのが、「ここに生まれたかった」ということである。


<バスリコーダー購入>

 ついにヤフオクでバスリコーダーを購入した。アウロスのプラスティック製のリコーダーである。

 バスリコーダーが、欲しくて欲しくて仕方なかった。それもプラ管がよい。木製はメンテナンスが大変で、気を使うから、飲んだくれた時とか、外での演奏には気が引ける。ヤフオクでは終了10分前にデッドヒートがあり、かなり値が上がってしまったが、ボーナスも近いので強引に落札した。

 開封してみたら、予想以上に巨大であった。ずっしりと重い。まるでリコーダーのお化けである。

 吹いてみた。ろくな音が出ない。指で穴を押さえきれていないのである。息も相当使う。それでも吹いていると、少しずつ音が出るようになってきた。

 音が出ると、非常に楽しい。これまで体験したことの無い低音である。これが自在に操れるようになればどんなに素晴らしいだろう。

 そんな日を夢見て練習しようと思った。

topへ