2007年
3月のつぶやき
3月28日 セロリカレー
今日は、早めに帰ったので、カレーを作った。以前にも紹介した「ガッテン流カレー」をアレンジしたものを作ることにしていた。
西友で材料を買っていると、ふとセロリが目に留まった。そして、会社の後輩Oが「カレーにセロリを入れると美味しいですよ」と言っていたのを思い出した。しかし、セロリなどどうやって入れるのか。よく分からないまま、セロリを1本購入した。
帰り道、Oに「カレーにセロリはどうやって入れるのか」とメールで問い合わせたところ、「1ミリ角に切ってカレーに混ぜるべし」という、いい加減な答えが返ってきた。
私は、がっかりした。これでは、いつ入れるかも分からないし、そもそもセロリを1ミリの大きさに切るなんて出来るわけが無い。とりあえず、セロリの茎の部分は出来るだけ小さく切って他の具と共に煮込むことに、葉は切らずに煮込んで捨てることにした。
かくてカレーは出来た。やはりガッテンカレーは美味しい。しかし、私が味音痴なのか、セロリの味はよく分からなかった。
3月22日 続・餃子祭り
昨日の餃子祭りで作った餃子の具が、少し余った。いつもならば、フライパンで適当に炒めて食べてしまうのだが、今日はたまたま生春巻きの皮が残っていたので、春巻きにしようと思った。
とりあえず、春巻きの形に包むと、丁度ふたつ分になった。
ひとつは、揚げてみた。しかし、春巻きを熱した油に入れた瞬間、皮が破れ、具がはみ出た。鍋の中はカオス化し、具の水分で油が飛び散り、レンジ周りは酷い惨状となった。仕方なく、具をすくってフライパンに入れ、炒めて食べた。
もうひとつは、焼き餃子の様に焼くことにした。フライパンに乗せ、水をかけて蓋をした。「鉄鍋棒餃子」の様になればと思った。
しかし、焼き上がり皿に盛ろうとすると、底が焦げ付いていた。ヘラでこそげ取ると、やはり春巻きは破壊され、具がはみ出た。仕方なく、はみ出た具と焦げ付いた皮を皿に盛って、醤油をかけた。
こちらは嫁が美味しそうに食べた。かくて、餃子祭りは完全に終了した。
3月21日 陸上部飲み会
今日は、私の家に会社の陸上部の人が来て、宴会を行った。
餃子祭りにしようと思い、100個の餃子を準備した。我が家の餃子は野菜がメインで、どちらかと言えばあっさりした味である。今回は、小籠包の様に食べたらスープが口の中に広がるようにしたいと思い、鶏がらスープを粉ゼラチンで固めた煮凝りを具に混ぜ込んでみた。
夕方六時、陸上部最有力候補の新人、エグチが餃子の皮を包みに来た。彼は不器用で、餃子の具を皮からはみ出させつつ、一生懸命包んでいた。
何とか100個の餃子を包み終えた頃、陸上部の先輩、イシザキサンとソウマサンが近くに来ているというので迎えにいった。迎えにいって帰ってくると、近所に住むクキタサンがすでに来ている。クキタサンは花束とお土産を持ってきてくれたらしく、嫁が感激していた。そして、「女心が分かるクキタサンは絶対出世する」と絶賛していた。
まずは、北海道出身のクキタサンが持ってきてくれた、地元産のトマトジュースを飲んだ。混ぜもの無しで、トマトだけを搾って瓶詰めし、数年間熟成させたものらしいのだが、濃厚で本当においしかった。
その後は、陸上の話で盛り上がった。みんな本当に走るのが好きである。交代勤務のクキタサンは、日勤の初日は自宅から会社まで20キロ走って出社しているし、ソウマサンは毎日走って帰宅している。私も走るのは好きな方だが、「走るのが好き」という感覚は、不思議である。走っている間は間違いなくしんどい。それでもなぜか、走るのは楽しい。
ソウマサンがエグチを強くスカウトしようとしてたが、エグチのガードは固かった。まあ、おいおいであろう。
栗原はるみのこと
餃子の準備をするために西友で買い物をした際、レジの前に「haru-mi」という雑誌が置いてあるのを見つけた。「カリスマ主婦」栗原はるみの雑誌である。明るく落ち着いた表紙に魅せられて、衝動買いした。
巻頭には、毎日の重労働であるゴミ捨てを、おしゃれなエプロンを作って楽しい時間に変えたというエッセイが載っている。
彼女が紹介する料理は、おしゃれなのに本当に簡単で、かつ安上がりである。レンジですぐに出来る料理も紹介されているし、手巻き寿司では、「ここはカニではなくカニカマの方がいい」などというコメントもあり、気合を入れなくても作れそうである。
彼女が「カリスマ主婦」と呼ばれるのが分かった気がした。どんなに有名になっても、彼女の目線はごく普通の主婦であり、多くの人が共感できるものである。かつての「つぶやき」で「主婦業とは、会社で言えば社長にあたる」と書いたが、彼女はまさに家庭の良き経営者であったのだろう。
彼女の凄さは、「主婦業」という仕事を真摯に実践し、かつその尊さを表現したことだと思った。
同時に、彼女の息子の嫁である美由紀ちゃんは大変だなぁと思った。
3月19日 先生宅にて
多少時間が前後するが、先週土曜日の話。
先週土曜日は、リコーダーのレッスンだったのだが、その後、嫁と共に夕食にお呼ばれした。そして、普段食べられないような豪勢な手料理を頂いた。
先生夫妻は、酒が大好きで、かつ強い。ビールで乾杯した後は、焼酎、日本酒と勧められた。料理は、茶碗蒸し、お刺身、粕鍋とどれも本当においしい。
大いに飲み食いし、最後は空き瓶とリコーダー立てとワインを貰い、更に背よりも高いガンダムの様な四角い巨大リコーダーを吹かせてもらって、家路についた。
駅で、終電のひとつ前の電車に乗ったところまでは覚えていた。その次の記憶は朝の五時、自宅で毛布と掛け布団の間に挟まって寝ているところで目が覚めた。寝る層を間違えている。頭が痛く、二日酔いである。歯を磨き、水を飲み、今度は敷布団と毛布の間で二度寝。
今回の記憶喪失レベルは「聞けば思い出す程度」である。私は、飲んでも極めてまともだが、記憶を失くしやすいのである。上記の話も、嫁と話をしながら思い出したものである。再来週末は先生宅の引越しを手伝った後、宴会予定。今度もちゃんと帰らねば。
3月18日 部屋を掃除する
今日は、昼過ぎに起きて部屋を掃除した。来週水曜日に陸上部の人が我が家に来るので、きれいにしておかねばと思ったのである。
我が家は、基本的にごちゃごちゃしている。嫁も私もあまりきっちりした性格ではないため、放っておくと家はどんどんカオス化する。
適当に取り繕えばいいと思って掃除を始めると、やる気が出てきた。私は、一旦熱中すると徹底的にやるタイプである。いらないものを捨て、部屋の隅々まで徹底的に掃除した。私はゴミ捨てとキッチン掃除、嫁はトイレ、風呂を一生懸命掃除している。
ふと、我が家は便座カバーを代えたことが無いのに気付いた。結婚して1年になるが、少なくとも私は便座カバーを付けたり外したりしたことは無いし、洗濯して干したことも無い。我が家には便座カバーを代える文化がないのか。
掃除を終えると、我が家は見違えるようにきれいになった。夕食を食べながら、便座カバーについて嫁に聞いてみたところ、「数ヶ月に1回代えている」とのことであった。
掃除を終え、ふとトイレに入れば、見たことの無い便座カバーがかぶせられていた。
3月16日 「トンマッコルへようこそ」
「トンマッコルへようこそ」を見た。韓国の映画で、2005年度の韓国興行収入No.1であったという。
南北戦争中、敵対する韓国軍の兵士と人民軍の兵士、そしてアメリカ人のパイロットが「トンマッコル」(子供のように純粋な村という意味)という架空の村に迷い込む。そこの村人は戦争が起こっていることさえも知らずに素朴な生活を送っており、その中で暮らすうちに敵対する兵士達も互いに心を許しあうようになる。そして彼らは、村を守るために力を合わせて危機に立ち向かってゆくという映画である。
いい映画だと思った。山奥の幻想的な光景と音楽は、まるで夢の中にいるように美しい。「トンマッコル」は、人間の中の純粋で素直な心の象徴であろう。この映画は、そんな純粋さを忘れず、大切にしなさいよと言っているようである。この映画で登場する兵士達は、まだあどけなさの残る少年であったり、どこにでもいそうな人の好いオッサンだったりする。そんな彼らが銃を向け、威嚇しあう姿は滑稽で面白くさえある。そして、そんな彼らが、屈託無く笑う姿は、逆に戦争の悲劇を見ているようで少し切ない。
音楽は、久石譲である。メインテーマ曲は、呑気で幻想的なのに、強い意志を感じるという、とても不思議な曲である。どことなく「もののけ姫」ぽいが、あそこまでシリアスではない感じが良い。
笑いたい人にも、泣きたい人にも、是非お勧めの映画である。
3月14日 「ハケンの品格」を読み解く
「ハケンの品格」最終回を見た。このドラマは基本的には明るいのに、どことなく切なく、毎週のように涙が止まらなくなるシーンがあった。そして、ずっとこのドラマが言いたいことは何だろうかと考えながら見てきた。
途中までは、「世の中には色々な生き方があり、どれも悪くない」という結論かと思っていたが、最終回を見て確信した。これは、現代の雇用形態に対する痛烈な批判である。以下、出来るだけ感情を排し、私なりの解釈を記したい。
最終回で契約終了した加藤あい扮する森美雪が、泣きながら大前春子に訴えるシーンが印象的である。最終回のクライマックスであろう。彼女は、「いくらスキル磨いたって、こんな思いして働くなんて」 と語り、派遣社員を辞めることを決意する。即ち、「派遣として働いて、スキルを磨いても意味が無い」 と言っている。このドラマがなかなか見せない本音を垣間見た気がした。
そして、このシーンをドラマのキーワードである 「働くことは生きること」 と合わせると、このドラマは、「派遣として働いても、生きる意味が無い」 とまで言っていることになる。
初回の「スーパーハケン」大前春子のセリフ 「あなたたちは派遣を人間だと思っているのか」 という問いに対する答えが、最終回で返ってくるのである。このドラマの結論は、「(少なくとも現状では)派遣は人間らしく働けない」 ということである。その後、多少のフォローが入るが、付け足しに過ぎない。
では、主人公「大前春子」の立場はどうか。確かに、「煩わしい人間関係は一切排除し、三ヶ月の契約終了とともに、どこへともなく去る」 彼女の立場は、生き方のひとつとしてあっていいと思われる。
しかし、回が進むにつれて、彼女が「有り得ない存在」になっていくのである。マグロをさばき、助産士をし、そして最終回ではパラシュートで空から降ってくる。
これは、ドラマを盛り上げると共に、大前春子はスーパーマン的な存在で、現実には絶対不可能だと言っているのだと思う。このドラマを見て、大前春子のように生きようと思う人はまずいないであろう。このドラマのスポンサーには派遣会社も含まれており、制作者側はかなりぎりぎりの線でメッセージを込めたものと思われる。
以上が私なりの解釈である。以下は蛇足。
もうひとつ、このドラマの後半を支える柱として「ハケン弁当」がある。制作者は、かつてこの企画を商品化しようと、本気で考えていたのかもしれないと思った。600円のハケン弁当のうち、「米プラスチック」なるものの容器代は100円である。この容器を洗って何度も使えるリユースタイプにすることで、ハケン弁当のワンコイン化が実現する。
ドラマでは単純化しているが、考え方は合っていると思う。CO2削減に貢献する植物由来プラスチック容器が普及しない理由は、コストである。リユースすることで、容器は高く売れ、この問題は解決する。
このドラマは面白い。その理由のひとつに「ハケン弁当」の企画が、独創的でかつリアリティがあったということを挙げてよいと思う。
3月11日 チカチャン壮行会
今日は、出産の為に長野の実家に帰宅するチカチャンの壮行会を行った。メンバーは峯村夫妻、ユウノシン、ハンベイ、モコ、ジュンコ、嫁、私の8人である。
行く前に、何かプレゼントを買おうと嫁と所沢西武に行った。赤ちゃんの定番と言えばガラガラである。私はガラガラを買おうと思っていた。
しかし、ガラガラは無かった。いまどきガラガラなど古いのだろうか。しかし、考えてみれば、この世に生まれてくる赤ちゃんにとっては玩具に古いも新しいも無いはずである。生まれて手にした瞬間、古臭いとか、もう飽きたとか言う赤ちゃんはいないはずである。しかし、ガラガラは時代の波に消えたらしい。
ともあれ、トトロの形をした、握って振ると音が出る玩具を買った。
昼の12時だったが、「ランチ」という雰囲気は全く無く、店に着くといきなり夕方の気分になった。店は居酒屋で、鍋のコースを選んでいたのだが、コース料理は串焼きに始まり、雰囲気は飲み会そのものとなった。話題は近況や仕事の話になるが、雰囲気は学生時代と全く変わっていないように思えた。
思えば、大学を卒業して5年経つ。それでもこうして集まれると言うのは、尊いことであろう。ともあれチカチャンの無事出産を祈る。
メイド喫茶に行く
壮行会の後は、モコが雑誌の予備取材で秋葉原の立飲み屋に行くというので、ついて行った。そして、せっかく秋葉原に行くのなら、今話題の「メイド喫茶」に行ってみようということになった。メンバーは峯村夫妻を含む6人。身重な体でメイド喫茶に行く人も珍しいであろう。
駅に降りると、「メイド」が沢山いた。そして、「メイド」を取り囲んで写真を撮っている人たちが沢山いた。駅前で、メイドがチラシを配っているので、貰ってみると、なんとサトームセンのチラシであった。しかも、「サトームセンで電化製品を買うと、メイドの個人撮影会実施」みたいなことが書いてある。何故、電化製品とメイドが結びつくのか、この町は不思議である。
さて、メイド喫茶だが、歩けばすぐに見つかると思ったら、なかなか無かった。一回「メイドカフェ」の看板を見つけたが、場所が寂れたマンションの3階で、どう見ても怪しいのでやめた。
探すこと30分、モコがそれらしい看板を見つけ、入ることにした。
6階の受付に行くと、待ち人で溢れかえっていた。メイドカフェはなんと27組待ちであり、私たちはそれよりはそれよりは空いている「女中カフェ」にすることにした。それでも10組待ちである。
周りを見渡せばチェックのシャツにリュックを背負ったアキバ系の男達、かと思ったらそうでもなかった。普通に男女のカップルや女性の友人同士などもおり、意外と客層は幅広い。シゲオ曰く
「どう見ても供給に対して需要多すぎだろ」
まだまだメイド喫茶のビジネスチャンスは残っているようだ。
待つこと1時間、ようやく私たちの番号が呼ばれた。ここでは「ご来店」のことを、「ご帰宅」と言うらしい。そして「いらっしゃいませ」の代わりに「お帰りなさいませ。旦那様、お嬢様」と言う。
入れば、普通におしゃれでくつろげる喫茶店であった。ただ、上記のように店員の言葉遣いが少しおかしいだけである。
折角だから、女中カフェらしいことをやろうということになり、「萌えみくじ」なるものをひくことにした。ひとり200円である。注文すると、女中がみくじの箱を持ってきて「これを持って『萌え〜、萌え〜』と言いながら振って下さい」と言う。仕方なく「モエーモエー」と発音しながら箱を振った。恥ずかしかった。
結果を見ると、モコが大吉であった。すると、「大吉出ました!!おめでとうございます!!」と、店中が盛り上がった。
料金はひとり千円程度。話の種に行く分には手軽で面白いと思った。その後は、モコが予備取材をするという居酒屋で飲み、更にシゲオと冴えない「インド風カレー」を食べて家路についた。
3月9日 鳥皮の使い方
私は鳥皮をよく買う。100gあたり35円と、肉の中では格安であり、かつ美味しい。冷凍していればいつまでも保存出来、色々な料理に使える。
どんな場合でも、まず鳥皮はフライパンかホットプレートで焼く。ヘラで押し付けながら、弱火でじっくり焼く。焼いていると、鳥皮から油が出て、自身の油でフライされカリカリになる。そのまま食べる場合は、そこに醤油をたらして酒の肴にする。
残りの鳥皮油も、炒め料理に使うと香ばしくて美味しい。野菜炒め、チャーハンなど、何にでも使えるが、イチオシはソバメシである。
ソバメシは、焼きソバとご飯を鉄板で炒めたソース味の食べ物で、母の実家であり、震災の最大の被害地となった神戸市長田区発祥の料理である。靴屋の工員がお好み焼屋で昼食を食べる際、焼きソバと一緒に持参した冷ご飯を炒めてもらったのが始まりとされる。少し安っぽいが、古き良き時代を感じる味である。
鳥皮ソバメシは、まず千切りにした鳥皮をホットプレートでじっくり焼き、鳥皮がカリカリになったら取り出す。残った油でご飯と焼きソバを炒め、ある程度混ざったら鳥皮を入れる。塩コショウとソースで味付けして出来上がりである。
鳥皮の味がご飯に染みて絶品である。是非お試しあれ。
3月7日 春とテルーの唄
近頃、やっと春を感じられる暖かさになってきた。毎年のように書いているが、私は冬が嫌いである。長い冬を過ぎ、暖かい風を感じることが出来るこの季節は好きである。「むぎや節」を歌いたくなる。
同時に、3月の暖かさは切なくもある。進学、就職、転職等、転機は春に訪れることが多い。生活が大きく変化する時期であろう。例えそれがステップアップであっても、夢が叶う瞬間であっても、希望よりも不安が大きくて当然であろう。
昨日は、転職する後輩の送別会であった。彼女は会社で働く間も、自分の夢を見続けて来たに違いない。仕事と生活と夢のバランスを取りながら過ごすのは容易ではなかったであろう。
最近、どういうわけか、ゲド戦記の挿入歌「テルーの唄」が頭の中を回り続けている。
人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる
あなたもきっと 寂しかろう
虫の囁く草原を ともに道行く人だけど
絶えて物言うこともなく
心を何にたとえよう 一人道行くこの心
心を何にたとえよう 一人ぼっちの寂しさを
一見暗い歌詞だが、歌うとそんな暗さは感じない。この歌は、人は結局一人だと言っているだけである。それが当たり前で、だからどうということは無い。だからどうだなどと考える必要も無い。この歌は、そうやって聴く人に勇気を与えているのである。
ともあれ彼女の成功を祈る。
3月5日 アンクルリスト
先週末は、職場対抗駅伝大会であった。先月も書いたとおり、私は選手にはなれず、応援のみであった。私の職場は昨年から大きく記録を伸ばし、ベスト10入りとなった。
さて、今後だが、来年は選手を目指そうと思う。しかし、練習は面倒臭い。というか、仕事や他の趣味もある中で、陸上にかけるウェイトは低い。走るのは好きだが、笛を吹く方がもっと好きである。なんとか時間をかけず、楽にレベルアップする方法はないものかと思案した。
結果、アンクルリストを付けることにした。アンクルリストとは、足首に巻く重りで、私が買ったのは、125gの重りを片足あたり最大8個まで付けることが出来る。東急ハンズで購入し、早速片足あたり500gの重りを付けてみた。
今日一日、アンクルリストを付けたまま出勤し、仕事した。たかだか500gと思っていたら、意外にきつい。小走り程度でもすぐに息切れする。とりあえず毎日アンクルリストを付けて普段の生活をしていれば、それなりのトレーニングになると思った。
それにしてもアンクルリストなど誰が思いついたのか。まるでどこぞの少年マンガのようである。
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