2007年
4月のつぶやき
5月28日 ブータンから帰って
先週の土曜日、ブータン旅行から帰ってきた。ブータンは本当に素晴らしいところで、これまでの人生で、間違いなく最高の旅行となった。写真では決して残しきれないブータンの景色を少しでも目に焼き付けたくて、必死で景色を見つめた。ブータンで見たもの、感じたこと、全てを忘れたくなくて、色々なところでメモをとり、毎晩些細なことまで日記に書いた。
ブータンで出会った人たちは、みんな大好きであった。子供たちは明るくはしゃぎ回っており、キラ(ブータンの民族衣装)を着た女性は美しい。男性は話し好きで、出会ってすぐに打ち解けられる。
家に帰ってきて、ブータンで記した殴り書きの日記やメモを2日かけてまとめた。すると膨大な量になってしまい、とても「つぶやき」に書けるような状態ではなくなった。これをどうしようか悩む。
そんなことをしつつ、膨大な洗濯をし、スーパーに夕食の買い物をしに行った。
外を歩けば、周りの人がブータン人に見えた。親子で買い物をしている人、穏やかな顔の老人、こっちを見て笑いかけてくる小さな子供。ブータンで見た顔と同じ顔が、すぐ近くにあった。「日本の子供は目が死んでいる」「日本はモノが溢れているが豊かさが無い」海外から帰った人がよく言っているのを聞くが、私にはそうは思えなかった。
むしろ、ブータンに行ったことで、身の回りの幸せを感じることが出来るようになった。腹が立つことは印象に残りやすいが、当たり前のようにある幸せは、なかなか気付かない。ブータンの風土と人は、私にそんな幸せがあることを教えてくれた。それが私の一番の収穫であった。
これから、ブータンのことを色々書くつもりでいるが、なかなかまとまりそうになく、挫折するかもしれない。しかし、簡単に言えば、上記のようなことなのである。
5月16日 アヒルのワルツ
最近、「アフラック」のCMで流れていた「アヒルのワルツ」にハマっている。「♪アヒルンルン アヒルンルン」という3拍子のあの曲である。民研の歌本に載っていた「恋するニワトリ」と曲調が似ているので、もしかして作者が同じではと思ったのがきっかけである。
調べてみると、この曲はなんと7番まであるという。全て聴いてみると、いい歌である。ミュージックビデオも愛らしく、歌詞もほのぼのとしていて癒される。そして、何よりも歌が上手い。何気なく歌っているが、3拍子で日本語を歌うのは、意外に難しい。フレージングも全体の流れづくりも天才的だと思う。
更に調べると、この歌を歌っている人は「マユミーヌ」なる人物らしい。Wikipedeiaなどによれば、「マユミーヌ」はアヒル町在住のアーティストで、人前で歌うのが大の苦手だという。「ちゃ〜んとアコ〜ム」の声も同一人物と言う説もあるが、定かではない。以下、これらを調べていて知ったことを箇条書き。
・「アヒルのワルツ」を作詞・作曲した横尾嘉信なる人物は「よーく考えよーお金は大事だよー」も作曲した。
・Youtubeで「アコム」で検索したら、動画周辺の広告が殆ど多重債務者向けのもので驚いた。
「アヒルのワルツ」ミュージックビデオ、歌詞などはコチラ
5月14日 ブータンへ
新婚旅行は、ブータンに行くことになった。新婚旅行とは言っても結婚して1年半近く経つので、ただの海外旅行である。「新婚旅行」というのは、結婚休暇を取るための名目に過ぎない。職場でブータンに行くと話せば、「何故ブータンに行く必要があるのか」「嫁が可哀想だ」等の声を聞く。
私がブータンに興味を持ったのは、高校3年生の受験勉強をしていた頃だと思う。テレビで見たその国の人々は、日本人とそっくりな顔立ちをしており、日本の着物にそっくりな民族衣装を着ていた。主食は米で、米の採れない高地では蕎麦を食べる。蕎麦はこねて細長く押し出すもので、形は日本の蕎麦とそっくりであった。
更に驚くべきことに、数字の「いち」から「ご」までの発音が、日本語と殆ど同じでなのである。(ブータンでは「チ」「ニ」「スム」「シ」「ンガ」と発音するらしい)遠い先祖でブータンと日本が繋がっているであろうことは、素人の私でも想像できた。
この国の有名なスローガンに「GNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福)を」というのがある。GNHを評価するのは難しいが、要はバランス感覚を大事にしているのであろう。経済成長だけでも、伝統文化の保護だけでもいけない。そのバランスを取るためのものさしが「国民の幸福」なのであろう。
ブータンが鎖国政策を解いたのは1971年。ふと他の国を見渡せば、さまざまな国があり、さまざまな国づくりのモデルが描けた。多くの国は、先進国を目指した。しかし、ブータンは、それら先進国で自由競争が格差を生んだこと、科学技術の進歩が環境問題を引き起こしたことを見た。逆に、内戦が貧困を呼ぶことも見た。そしてGNHの考えを提唱し、環境保護や伝統文化の継承に力を入れつつ、「たしなむ程度に」他国の技術を受け入れることにした。その先進性と崇高さは、他のどの国にも類を見ないと思う。
高校生の頃、資本主義、自由競争など、日本では当然正しいとされる考えに拠ることなく、「絶対君主制」(今は立憲君主制になりつつある)という前時代的にも思える国政形態をとりながら素朴に暮らすブータン人の姿を思い描いた。
それから、ブータンに行ってみたいという思いはずっと私の中にあった。そんな夢がもうすぐ実現する。誠に楽しみである。
5月13日 焼肉を食す
後輩Oと共に外出した後、帰りがけに池袋で焼肉を食べた。
Oは無類の焼肉好きである。どのくらい好きかと言うと、「焼肉は別腹」と豪語するほど好きであり、一人で食べ放題に行き、制限時間の2時間を食べ続けるほど好きである。「焼肉は喉越し」とは、さすがに言わない。
池袋に着くなり、彼は迷うことなく馴染みの焼肉食べ放題の店に向かった。
焼肉は壮絶であった。2人しかいないのに、網に隙間が出来るのを恐れるように肉を並べる。すると肉は一気に焼けるので一気に食べる。そして一気に網に並べる。これを延々と繰り返すのである。Oは本当に焼肉が好きなのであろう。いつになく饒舌である。
しばらく食べていると、Oの得意技「ローリングサンダー」と「もず落とし」が出た。「ローリングサンダー」とは、肉を丸めた状態で焼き、外はウェルダン、中はレアの状態で食す法、「もず落とし」とは、一度掴んだ肉をV字を描くように網に接触させ、インパクトの瞬間に発生した煙で燻す調理法らしい。
Oに「ローリングサンダー」した肉を勧められたが、頑なに拒否した。
1時間を過ぎた頃から、ペースが遅くなってきた。結局1時間半くらい食べ続け、店を後にした。
5月8日 仕事の流儀
NHKの火曜夜10:00「プロフェッショナル 仕事の流儀」が面白い。個人的には、「プロジェクトX」という問いかけに対する回答に位置づけられる番組なのではと思っている。各業界で活躍する人に密着し、その仕事術を探る番組である。
初めて見たのは、宮崎駿氏を取り上げた、3/27の放送であった。2008年夏の新作アニメーション映画に向けて、構想を練るところから着想を得て制作に取りかかるまでが生々しく描かれている。これを撮った取材者は、ハンディカムを持って単身密着し続けたというから凄い。映像から気迫が伝わってくるようであった。
そして今日見たのは、半導体メーカー「エルピーダメモリ」の社長、坂本幸雄氏であった。
200億円以上の赤字を抱える会社を、わずか1年で黒字化したという彼の普段の姿は、温和である。社員も「社長」とは呼ばず、「坂本さん」と呼んでいる。失礼ながら、何も知らずに見れば、ただのオッサンである。
しかし、常に部下からの情報や会社の数字に目を通しており、その決断は即決である。当然ながら、その決断には、責任を全部自分で背負う覚悟がある。番組を見ながらの嫁との共通意見は「ただのオッサンなのにかっこいい〜」であった。
番組の作りも手が込んでいる。企業秘密の塊である会社の事務所にカメラが入り込み、一部モザイクがかかるものの、パソコン画面上の重要な数字群まで写される。社内会議の様子や外部との交渉にまで同行し、ぎりぎりのところまで放送している感じがした。
やはり本気のNHKは凄い。これからも毎週見ようと思った。
5月6日 味付け卵を作る
3日くらい前、お好み焼を作ったら卵が余ったので、味付け卵を作ることにした。作り方は、リコーダー部の花見で美味しい味付け卵を持ってきて下さった、カオリサンに教わった。作り方のポイントは以下の通り。
●ゆで方は「卵をビックリさせる」(急激に熱湯に入れ、ゆで上がったら急激に冷水で冷やす。)
●「秘伝のタレ」は冷蔵庫の余り物を使用(捨てるに捨てられない醤油の小袋など)
これまで、ゆで卵は水からゆでるものと思ったいたが、確かにこの方法だと皮がするする剥けて気持ちよい。ただし、熱湯に放り込むと卵が割れるため、おたまで沈めるように投入するとのことである。
「秘伝のタレ」は、カオリサンに「どうしても聞きたい?」と焦らされてやっと教わったものである。今回は、冷蔵庫をあさり、醤油(刺身に付いていた)、粉ソース(焼きソバに付いていた)、餃子のたれ、ラー油、豚角煮の素、照り焼きのたれ等、いかにも用途限定で今後使わなさそうな調味料をざっくばらんに混ぜ合わせた。さすがにワサビとからし酢味噌はやめておいた。
そして、ゆで卵と「秘伝のタレ」をポリ袋に入れて冷蔵庫に保管しておいた。
2日後、試食してみたところ、誠に美味しい。ラーメン屋で勿体ぶって出される味付け卵は、かくも簡単に作れるものかと思った。しかし、少し固ゆでになってしまった。次は、もう少し半熟度をアップさせようと思う。
5月5日 GW後半
<葛西臨海水族園〜築地(5/4)>
新・みどりの日は葛西臨海水族園へ行った。葛西臨海水族園は、世界で初めてマグロの群遊を可能にした水族館である。なんと、みどりの日は無料開放しており、混雑が予想されたため朝7時に起きて東京を目指した。
9時半の開園を目指して向かったが、それでもすでに長蛇の列が出来ていた。1時間くらい並んでようやく入ることが出来た。
マグロは圧巻であった。その巨大さと、弾丸を思わせる体の形は、生物というよりは凶器に見えた。こんな巨大な生物が群れを成して、時速100キロ以上のスピードで泳ぎ回っている外洋は、まさに想像を絶する世界である。しかも、その体内には、意外にも柔らかな赤身を有していることも想像を絶する。
そんなことを考えているうちに、マグロが食べたくなった。本来マグロを好まない関西生まれの私が、マグロを食べたいと積極的に思ったのは初めてである。とりあえずペンギンを愛でた後、足早に築地に向かった。
初めて行く築地は、面白い町だった。道端に巨大なマグロがぞんざいに転がされており、気持ちは高鳴った。しかし、丁度半額セールをやっており、寿司屋という寿司屋が大行列であった。とても食事が出来る状況ではなく、マグロのブロックを買って帰った。
マグロは美味しかった。これまで何と思わなかったマグロだが、あの泳いでいる姿を知れば、愛おしくさえ感じる。
<富士山〜河口湖(5/5)>
こどもの日は富士山へ行った。今月下旬に新婚旅行でブータンに行くのだが、高地であるため、高山病の不安がないか嫁が心配しており、事前に高地体験をしておこうということになったのである。
富士山5合目は約2300m。ここまでは車で登ることができる。上を見上げれば溶岩の岩山が、下を見下ろせば目線よりも低い雲が見える。5合目はまだ雪が積もっており、かなり寒い。
富士山はなんと立派な山であろうかと思う。富士山の流線型は、誠に美しい。恐らく、超巨大な1回の噴火で、富士山は形作られたのであろう。
さて、6合目くらいまで登ろうとしたら、通行禁止であった。仕方なく、「お中道」と呼ばれるハイキングコースを歩いた。ハイキングコースとは言え、今は雪道である。足はどんどん埋まり、スニーカーは濡れた。靴の中がぐしょぐしょになった頃、ようやく帰ってきた。
まあ、2000m級の高地でも大丈夫なことは確認した。安心して降りようとすると、嫁が「まだだ」と言う。高山病は、寝起きにかかりやすく、本当に大丈夫かどうかを見極めるには、ここで昼寝をしなければならないと言う。とりあえず、30分ほど昼寝をして、何事も無く富士山を後にした。
その後、河口湖でボートに乗り、天上山(通称カチカチ山)に登った。よく思い出せば、民研の夏合宿の後、鈍行組で遊んだところである。ケンスケが運営をサボって河口湖で遊んでいだこと、ガユリがもの凄い速さでカチカチ山を登ったこと、サクモトが熊肉ほうとうと戦っていたことなどが思い出された。その後は、大月でほうとうを食べ、Uターンラッシュに巻き込まれることも無く無事帰宅した。
家で、夏ステビデオの後ろに河口湖で録画したことを思い出し、久しぶりに見てみた。
しかし、思ったほど楽しそうではなかった。あの時は、たしか野宿しており、さすがに疲れていたのであろう。思い出は美化されることが分かった。
5月1日 GW前半まとめ
今年のGWは、前半が忙しかった。以下、その羅列。
<FRC活動(4/29)>
この日は鎌倉-横浜間を走った。ことの発端は、東京マラソンに触発されたミヤチが「今度横浜駅〜鎌倉駅間を往復してみないか?」と、掲示板に書き込んだことに始まる。横浜-鎌倉間は片道約20キロ。往復だとフルマラソンくらいの距離となる。
鎌倉-横浜間は、これまでに3回くらい走っているが、往復したことは無い。途中までは往復するつもりでいたが、ナオチャンより片道にしたいとの申し出があったこと、ミヤチの東京マラソン熱が冷めた等の理由により、今回も片道となった。メンバーは以下の通り、全国から集まった。
ナオチャン(奈良)
ナオ姉(三重)
ジンサン(横浜)
タザワ(新潟)
ミヤチ(愛知)
私(埼玉)
4回目ともなると、伝統行事である。伝統に従い鶴岡八幡宮にお参りをし、伝統に従い酒樽の近くで準備体操をし、伝統に従い走り、伝統に従いスカイスパに行き、伝統に従い焼肉を食した。はじめの頃の様に、地図を見ながら手探りで横浜を目指した新鮮さは無いが、「伝統」による安心感がある。
焼肉を食べていると、今回は都合により不参加だったボンサンとカオリが来た。食べていると、タザワが突然、
「『保土ヶ谷ランナーズクラブ』で『FRC』だ!」
と言い出した。これまで団体名など考えたことも無かっただけに衝撃的なカリスマ発言であった。保土ヶ谷に住んでいる人は殆どおらず、かつ「保土ヶ谷」の「ほ」に「F」が適当か等の疑問は残るものの、語呂が良いため、なんとなくクラブ名が決まった。
その後も深夜まで飲み、家に着いたのは夜中の1時であった。
<太鼓を教える(4/30)>
この日は朝からリコーダーのレッスンであった。筋肉痛の体で先生宅に向かった。レッスン後、ビールをご馳走になりその足で横浜へ向かった。民研の後輩に太鼓を教えるためである。
先生宅から出てしばらく歩くと、シゲオから電話があった。時刻は12時41分。
私「今日、3時から民研に呼ばれてるんだけど来ない?」
シ「今やっと板橋に入ったとこなんだよ!!」
私「じゃあ1時間くらいで来れるな。」
シ「1時間で来れるわけねぇだろ!!」
よくよく話を聞いてみると、どうやらシゲオは、自転車に乗っているらしいことが分かった。栃木の寮から箱根まで行くつもりらしい。「飲み会から参加するよ」とのことであったが、飲み会をするとはひとことも言っていない。
私は、少し遅れてサークル棟前でボンサンとタザワと会い、久しぶりのサークル棟に入った。入ったとたん、懐かしさと気だるさを感じた。サークル棟は、相変わらず汚くうるさいが、妙な安心感がある。木遣り太鼓を教えていると、ジンサンとセツも来て、OBは合計5人になった。
ちょうど木遣りを教え終わった時、真っ赤に日焼けしたシゲオが現れた。とても会社員に見えない。というか堅気に見えない。その後は、水口囃子と銚子跳ね太鼓を教えた。かなり駆け足で教えたので、会得するには至っていないが、彼らならすぐに上手くなるだろうと思った。
結局夜の8時までみっちり練習して、OBで清八に行った。その後、部会が終わった現役生と共に2次会で飲んだ。
卒団してから6年も経つが、驚くほど変わっていないものだと思った。食べ物が殆ど出ず、ビールだけを延々と飲み続ける飲み会のスタイルも同じだし、女の子が「クソッタレ」「オッサン」等の汚い言葉を使っても、全く不自然を感じない。
結局、日が変わる頃まで飲んで解散した。
<大進へ>
その後、シゲオと私、そして現役生のカワムラクン、キグチクンでラーメン屋「大進」に行った。
「大進」は、シゲオの好きなラーメン屋である。どのくらい好きかというと、「栃木の寮から『大進』まで98キロ」と、自宅からの距離を把握しているくらい好きであり、ミクシィで「大進」のコミュを探すくらい好きである。「味噌地獄(ラーメン)は辛さの中にも甘みが・・・」というのが、彼が「大進」を語る際のが枕詞である。
彼が「大進」に入った瞬間、店長の「おお!久しぶりじゃないの!!」という声が響いた。まるで1ヶ月顔を見せなかった程度の軽さである。もう3、4年ぶりくらいなのに、よく覚えているものである。そんな再会に敬意を表し、4人とも「地獄ラーメン」を注文した。
やはり相当辛い。現役生ふたりは、食べ始めたら喋らなくなった。私も腹に衝撃が来る感覚に耐えていた。
しかし、シゲオは楽しく店長と談笑している。しかも私に「今日はちょっと地獄(辛肉味噌のこと)少な目かな」と耳打ちしている。店長も相当嬉しいらしく、いつに無く饒舌であった。食べ終わった後も30分くらい話し続け、シゲオと店長は、肩を組みながらツーショットの写真を撮って「大進」を後にした。
その後は、ジンサンの家に泊めてもらって、寝た。ジンサンと私は朝7時過ぎに出発したが、シゲオはまだ寝ている。心なしか苦しそうである。今頃、胃の中が「味噌地獄」なのであろうか。

大進にて
<ボランティア清掃(5/1)>
私は、ジンサン家を出て、真っ直ぐ会社に向かった。私の会社は、メーデーは工場の周辺をゴミ拾いして歩くイベントがある。あまり寝てないし、風呂にも入っていないので、このまま帰りたかったが、一旦帰る時間は無い。
ゴミ拾いを終えると、弁当が出た。その上、偉い人がビールを買ってきて下さり、迎え酒となった。昼間から缶ビールを2本空けて工場を後にした。
以上がGW前半であった。充実した休日だが、疲れた。明日は気分転換に仕事しよう。
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