2002年
5・6月のつぶやき




6月30日   器楽コンパのこと
 この「つぶやき」には出来るだけ一部の人にしか分からないことは書かず、誰が見ても面白く見れるように気を配っているつもりなのだが、このことだけはどうしても書きたいというのは、今日見た器楽コンパの開幕の一年生による「大漁太鼓」の演奏である。

 非常にすばらしい演奏だと思った。私にとっては先週の鼓童の演奏よりも伝わるものがある気がして、いく度か感涙した。うまく言葉では言えないが、なんだか、現役時代に散々悩んだ「個性で魅せる」ことと「集団として魅せる」ことの両立についての答えを垣間見た気がした。これからもどんどん上達してまたいい演奏を見れることを願う。

 その後、私も少しだけ太鼓を叩いた。なんだかこんな場で太鼓を叩くのは気恥ずかしい気がしたが、次はいつ叩けるかわからなかったので、木遣り太鼓を叩いた。叩いてみたが、まったく叩いているという感じがしなかった。打ち込んでも、太鼓の張力に負けてはじき返される気がした。久しぶりに太鼓を叩けば気分がすっきりするかと思ったが、そうでもなかった。

 一年生の方々入団、入部おめでとうございます。今頃上級生につぶされている頃でしょう。これからもがんばっていい演奏をしてください。


6月27日   メガネを買う
 今日、会社でメガネを割ってしまった。着替えるときにうっかりメガネを落としてしまったのである。メガネは縦に太いひびが入り、大変危険な状態となったが、メガネをはずしては仕事も車の運転もできず、さらに危険だと思われたので、そのままかけていた。

 仕事が終わって、ジャスコに米を買いに行くついでに眼鏡屋に寄った。店に入るなり、店員に「あのー。メガネが割れちゃったんで新しいのを買いたいんですけど・・・」と言ったら、少々面白いものをみるような目で見られた気がした。

 そりゃ面白いであろう。閉店間際にレンズの割れたメガネをした男がメガネを買いにくるのである。もし逆の立場だったら私は大爆笑してしまうかもしれない。店員は努めて事務的に振舞うことによって、笑いをこらえているように見えた。

 視力を測ったあと、「フレームはどういうのにしますか?」と聞かれたときは少々困った。どれでもよかったからである。「丈夫なやつがいいです」と答えた後、適当に「これがいい」と言って、試着もせずに決めてしまった。

 どうやらレンズの在庫があるようなので、今日中に出来るとのことであったが、持ち合わせがなく、金を払うことが出来なかった。金を支払えなければ品物を渡すことは出来ないということなので、しばらくそのメガネで我慢してくださいと言われた。そして、頭金をいくらか払ってほしいと言うことだったのだが、私は今日五千円しか持ち合わせておらず、しかもその後米を買わなければならなかった。「いくらでもいいですよ」と言ってくれたので、本心では百円くらいしか払いたくなかったが、さすがに社会人にもなってそんなことをするわけにもいかんと思い、二千円だけ払ってきた。

 その後、米を買ったら財布が空っぽになった。


6月26日   車で実家に帰る
 先週の土日、初めて車で実家に帰った。

 行きはずっと下を通って行ったのだが、16号が混んでいて合計8時間くらいかかってしまった。下を通るといっても、4号線をまっすぐ行って、16号にぶつかったら16号をまっすぐ行くだけだから、スーパーに買い物に行くくらい簡単だろうと思っていたが、案外そうでもなかった。国道はまっすぐではなく、ときどき曲がったりするので、ちゃんと表示を見ておかなければならない。一度車線を間違えて、秩父のほうに行きそうになってしまった。

 また、16号で、家のすぐ近くに来てから道に迷った。ここからなら適当に行っても大丈夫だろうというところで、なかなか実家にたどり着けないのである。何とか実家に着いたときには、すでにぐったりしていた。

 帰りは、首都高を通って帰った。首都高は非常に怖かった。東京を網の目のように張り巡らされており、ひとつジャンクションを間違えるとあさっての方向に行ってしまう。事前に地図を買って入念に調べたが、まだ不安で、メモに「どこのジャンクションでどっちに行く」などと大きく書いていつでもみられるところにおいておいた。そして、気合を入れるために少し高めの栄養剤を一気に飲んだ。

 首都高に入ると、周りの人は余裕なのか、がんがん飛ばしていた。おれは、車の中で、一人で「首都高なんか余裕じゃ!」と絶叫しながら運転していた。

 首都高を降りた後は、疲れのせいで集中力が切れてきたので、民研の合わせテープをかけて、大声で歌いながら4号線を北上した。結局家に着いたのは夜の11時を回っており、明日は会社だというのに、疲れがとれるどころか、余計に疲れて月曜日を迎えることになった。


        鼓童をみる
 実家に帰ったときに、民研を卒団するときにもらった鼓童のコンサートを見に行った。鼓童とは、鬼太鼓座とともに世界的に有名なプロの和太鼓集団である。

 同期8人で見に行ったのだが、誰もコンサートホールの場所を確実に言えなかった。「多分ここだろう」というところに向かって行き、「間違っていたらあきらめよう」などといいながら県民ホールに向かった。

 着いて、指定された席に行ってみると、4階席の一番後ろの一番端っこの席であった。これでは太鼓が米粒のように見えてしまうと思い、演奏が始まった瞬間前の空いている席に移動した。

 一番印象に残った演奏はやはり最初の演奏であった。横置きにした太鼓の両側に巨大なバットのようなバチを一本持った人がつき、両側から野球の素振りのように太鼓を叩くのである。リズムは単純であったが、それゆえに強く伝わってくるものがあった。ものを叩くということそれだけをとことん追求した結論のような気がした。それも開幕にふさわしい演出であった。

 木遣り太鼓と秩父屋台囃子もやったが、こちらは思ったほどではなかった。半年くらい練習したらこのくらいできるようになるだろうなどと思った。


6月18日   サッカーに負ける
 今日、トルコ戦で日本が負けた。非常に残念な結果であるが、最悪の事態はまぬがれたと、少しほっとしてもいる。最悪の結果とは、日本と韓国がこのまま勝ち進んで、決勝戦で対決するというシチュエーションである。これでは明らかに八百長であろう。誰だって「おれはプロレスを見に来たんじゃないんだ!」と憤慨するであろう。そんな結果にならなかったことにほっとし、ワールドカップが八百長なしの真剣勝負だったんだなと、やっと実感することができた気がする。

 P・S 「オリジナル」に新曲追加しました!民研を卒団して以来、初めて曲を作ってみました。自分ではなかなかよくできたと思っているので、是非聴いてみてください。


6月13日   サッカーの勝ち方
 ただいまワールドカップで世界は大変な熱気に包まれている。テレビはどのチャンネルをひねってもサッカー三昧である。そんな中、私はサッカーに必ず勝てる方法を思いついた。私がトルシエだったらこの策を最後の切り札として取っておくだろう。
 策はふたつある。ひとつは

 

シューズを脱ぐ。

脱いだシューズを手に装着する。

シューズでボールをはさんで持ち、そのままゴールまで突進する。

 これならば手に触れているわけではないからハンドは取られないであろう。あまり見栄えのいいものではないが。
 しかしこれでは頑固な審判にはハンドを取られるかも知れない。しかし、ふたつめの案はもっと完成度が高い。

ボールを持っている選手を残りの選手全員で囲む。

囲んでいる選手は肩を組んで輪になり、中に敵を入れさせないようにする。

中の選手はドリブルをしてゴールに向かう。周りを囲んでいる残りの選手はそれに従って輪をゴールに進める。

そのままゴールへ。

これならば、強引に敵選手が輪の中に割り込もうとすれば、ボールを持っていない選手に乱暴を働いたということで、逆に敵選手に反則が与えられるかもしれない。そんなことを考えているうちにもうひとつ思いついた。

ボールを持っている選手がボールを足ではさむ。

その選手を他の味方の選手がかつぐ。

かついだままゴールまで走り、選手ごとゴールに放り込む。

 なんだかこんなことばかり書いていると、サッカーファンに怒られそうなので、この辺で止めておく。これらの案は多分細かいサッカーのルールと照らし合わせると、反則になってしまうだろう。しかし、なんとなくこれらの案がルールの網をくぐり抜けていそうな気がしてならないのである。それにしても、こんなことをして日本が勝ったとしても、サポーターは誰も喜ばないだろう。


6月12日   掲示板を設置する
 今日ついに掲示板を設置してしまった。実はこの「田所幸一郎のホームページ」を作ったときから、掲示板だけは使うまいと思っていたのである。その理由は、
・返事を書くのが面倒くさい
・世の中には多くの掲示板が氾濫し過ぎている。

 などであった。しかしそれでも掲示板を設置しようと思い立ったのは、このホームページを見てくれている人が、どのような人で、どんな風に思っているのだろうということが気になるからである。今分かる情報はアクセスカウンターの人数くらいのものである。それだけだと、いくら更新しても、どうでもいい情報を世界に向けて垂れ流しているに過ぎない気がして、むなしくなったのである。これまでなら知り合いなど気軽に会えて感想など聞けたが、福島にいるとさすがにそうもいかず、このような結論に至った。

 さて、そうと決まったので、早速無料掲示板をいろいろと探してみた。しかし、見つけたものは無駄にかわいく、書き込んだ人がワン子やニャン子などのイラストを選択出来るようなものであった。いかにもおれには分無相応でさすがにこれを自分のホームページとして採用する気はなく、すでに面倒くさくなって、以前笛部の掲示板として使っていて、今は捨ててあったものを再利用することにした。

 四苦八苦すること三十分、なんとかリニューアルできた。こんなことのために会社から帰って飯も食わず、風呂にも入らず夜遅くまで没頭してしまった。返事を書くのは面倒くさいが、せっかくだからいろんな人にたくさん書き込んでもらうことを願う。  


・6月9日   車が故障する
 実は先日買った車がすでに故障していた。エンジンがなかなかかからないのである。始めは10分くらいがんばってやっとかかったので大急ぎで会社に行った。そのうちアクセルを踏み込みながらエンジンをかけると何とかかかることが分かったので、そうやって2,3回エンジンをふかしながらなんとかかけて、会社に通っている。しかし、かかり始めはエンジンが「いかにも寝起きです」といった様子でヨタヨタしていて不安定である。一度、バックで駐車場から出ようとすると、その途中でエンストして止まった。すぐ後ろでは、ちょうど自動車教習所の送迎バスが「もう一回出直すか?」といった感じで待機しており、非常に恥ずかしい思いをした。

 このままでも何とかなることは何とかなるのだが、冬になってウンともスンとも言わなくなったりしたらいやだと思ったので、中古車屋に文句を言って修理してもらったが、帰ってきた車はさっぱり治っておらず、現在再び修理中である。その間乗っている代車もうそ臭く、動くとキュルキュル音が鳴るのである。果たしてこの中古車屋にまともな車はあるのだろうかと思った。


        ワールドカップチケットのこと
 サッカーのワールドカップのチケットのことでトラブルが続出し、運営側への非難が集中している。そして運営側も責任のなすりつけ合いで大変混乱している。確かに手に入れたくても手に入らない人がいる一方で、チケットが何百枚と余って空席ができるという事実は憂慮すべき事態ではあるが、私は仕方ないのではないかと思っている

 なにせ運営に携わる人のほとんどは初めての仕事、よくても4年ぶりの仕事であろう。それも世界規模の仕事である。どんな簡単なことでも、初めての仕事を完璧にやり遂げることは非常に難しい。私だって初めて味噌汁を作ることだけで四苦八苦した。そう考えれば、ワールドカップ成功のために必死でがんばっている彼らをもう少し暖かく見守ってあげてもいいのではないかと思う。
というのはそこまでサッカーに思い入れがないから言えるのだろうか。

 P・S 「私の好きな曲」にロシア民謡を追加しました。是非聞いてみてください!


・5月31日  鼻血が出る
 久しぶりの更新となる。ここのところ、家に帰ると疲れてしまってすぐに寝てしまうので、なかなか更新できなかったのだが、今日は花の金曜日ということで久しぶりにつぶやきを書きます。

 実を言うと、ここ二週間毎日二回は鼻血を出している。朝飯を食べているときと、夜風呂に入ったときである。特におととい風呂で出した鼻血はかなりの大出血で、いつもなら上を向いたまま体と頭を洗い、上を向いたまま湯船に浸かって出てくるのだが、このときはいくら上を向いても次々と出てきた。さすがにやばいと思い、急いで風呂から上がり、ティッシュをつめた。

 しかし、何でこんなに鼻血が出るのかは不明なのである。周りの人は医者に行ったほうがいいというが、私は勝手に「若返ったのだ」と解釈している。

 私は中学生くらいの頃、同じように毎日のように鼻血を出していた。別に異常ではなく、成長期には鼻血が出たり、めまいがしたりすることは人によってはよくあることらしい。今会社の工場実習でかなりの肉体労働をして、高校時代の体力がよみがえってきた気になっているから、このように鼻血が出るのだと、勝手に思い込むようにしているのである。そして再び成長期が訪れて、身長が伸びるかもしれないなどと、気楽なことを考えている。  


        車がくる
 ついに明日マイカーが手に入る。今日は非常にうきうきしている。まるでサンタクロースを信じていた頃のクリスマスイヴのような心情である。実際にものが手に入った後よりも、手に入る前のほうが幸せなのかもしれない。

 しかし心配なこともある。何せ10万円の車なのでまずはちゃんと動くかどうかが心配である。契約をした後、車をもう一度見せてもらおうと思い、車のエンジンをかけたら、何とかからなかったのである。しばらく気まずい空気が流れた後、店長の

 「あ。これガソリン入ってないやー」

 の一言で笑い飛ばして買ってしまった車である。走行距離も2万6千キロと異様に少なく、周りの人には絶対メーター変えてると言われた。店長の話によれば、以前はじいさんが孫の幼稚園の送り迎え程度にしか使っていなかったからだという話なので、信じるしかないだろう。

 まあとりあえず2年間のローンを払い終わるまでは持って欲しいと願う。それにしても10万の車に車検だ保険だを足すと、40万くらいになってしまったのにはなんとなく納得いかないものである。   


        サンタクロースのこと
 サンタクロースという言葉が出てきたので、サンタクロースのことを思い出してしまった。

 実は私は小学校4年生までサンタクロースを信じていた。これは結構遅いほうなのではないかと思う。私の両親はかなりサンタクロースに入念で、うちには煙突がないといえば、「煙突のないうちには換気扇から入ってくるんや」と言って換気扇をはずし、サンタクロースのためにトーストとミルクを用意していた。そして小学校高学年になって、サンタの存在を疑いだしたときも、「絶対いる」と一歩も譲らず、頑固にサンタの存在を主張し続けていた。

 今思えば、これは非常に有難かったのではないかと思う。人によっては、はなから信じていなかったと言う人も居り、非常にかわいそうだと思う。寝ている間に世界中のプレゼントをもったサンタがやって来て、自分のプレゼントをそっと枕もとに置いてくれる言う、すばらしい空想をできないからである。

 サンタクロースの思い出といえば、幼稚園の頃に、今思い出しても不思議な体験をした。クリスマスにサンタの格好をした先生が現れて、何かのプレゼントをくれるところまでは普通だったのだが、その後、先生が「これからサンタさんがそりに乗って飛んでいくから表に出て見送りなさい」と言ったので、表に出て空を見上げていたが、当然何も見えない。それなのに周りの子らは「あ、いる!」と次々に言うのである。私には何も見えなかったし、なぜ先生がそんなことを言ったのかもよくわからない。また、この話自体が、現実の話なのか、夢でも見ていたのか、それすらも記憶に定かでない。   


        一人暮らしのこと
 今週の月曜日から、一人暮らしをしている。引越しには母親が来た。来なくていいとは言っていたものの、実際来てもらってみると、私には気づかなかったところもいろいろあり、助かったと実感している。母親が帰ったあと、これからは一人で暮らすんだということを思った。これまでは9割がた両親に支えられて生きてきたのが、5割くらいになるのかなと思った。もちろん生活面はすべて自分で何とかするつもりである。この5割というのは、精神面でのものであろう。

 なんだかそんなことを考えているうちに、心の中がもやもやしてきたので、「泣いてみよう」と思った。別に泣かずに居れなかった訳ではない。でも泣くと気分がすっきりするから泣いておこうと思い、泣いた。
 しかしいざ泣くと、なかなか止まらなくなった。泣きながら今どんな顔しているんだろうと気になり、鏡を見てみると、ひじょうにあほみたいな顔をしていた。

 しばらくして泣き止むと、予想通り、非常にすっきりした気分になった。  


・5月18日  便意をもよおす
 毎朝散歩に行くことは前に書いたが、散歩に出かけると、途中で必ず便意をもよおしてしまう。10分くらい歩いているとたまらなくなって引き返してしまうのである。出かける前は何ともないのだが、歩き始めると体が起き始めるのか、決まって便意をもよおす。激しいときには振動を起こさないように気をつけながら、小走りで急いで戻るはめになる。はたから見ると多分異様な光景であろう。散歩を楽しむ暇もなく、必死の形相で部屋のトイレに駆け込むという、そんな毎朝を過ごしている。なんとかならないものかと考えているが、今のところなんともなっていない。

 汚い話でごめんなさい。


        電化製品を買う
 先週の日曜日のことだが、一人暮らしに向けてリサイクルショップへ電化製品を買いに行った。ミヤチとサクモトがいたので色々教えてもらいつつ買った。さすがにかなり安く、冷蔵庫、全自動洗濯機、テレビ、ビデオ、電子レンジ、掃除機、電話、炊飯器で6万8千円くらいだった。

 十分安いと思ったが、せっかくこんなに買ったんだからと思い、値切ってみたところ、2千円だけ安くなった。後で母に「何でもっと値切らんかったんよ!」と怒られた。

 リサイクルショップで一番悩んだのが電話であった。最初は「隣のトトロ」のバアサンちにあったような、レトロなものにしようと思った。そして店員にも告げたのだが、後で、この電話は壁掛け専用なので寝っ転がって電話できないことと、電話のデザインがなんとなく人の顔に見えて怖いという理由でやめた。

 買ったものは配送してもらうことにしたのだが、店員に「自分で運べるものは手で運んだほうが安いですよ」と言われ、ビデオと電話と炊飯器は手で運ぶことにした。掃除機も持てなくはないだろうと思ったが、やめておいた。店を出て、荷物を担ぎながら、「なんでこのくらいの荷物、ついでに運んでくれないんだろう」と思った。


        大トロを食べる
 電化製品を買った後、回転すし屋に行った。おれは家に晩飯が用意されていたので、ほんの少々つまんで帰ろうかと思っていた。しかし困ったことに、目の前をぐるぐる回っているすしを見ていると手を出さずにはいられなくなってしまった。一緒にいたミヤチとサクモトは本格的に食べるつもりでいるようなので、彼らが二枚食べたところでおれは一枚食べるくらいのペースでと考えていたのだが、自制しながらもどんどん食べてしまった。

 途中ミヤチが「アナゴの一本なんとか」というかなり高級そうな皿を注文したところ、シャリの上に15センチはあろうかという、巨大なアナゴが乗っかって出てきた。2,3口ネタを食べないとシャリにたどり着けないようだった。ミヤチが食べながら「やばい、やばい」と叫んでいるので、気になって注文したところ、すごい味だった。

 飲み込むのがもったいないと思った。口の中でネタがさらさら溶けた。コレはとてつもない贅沢だと思った。

 そして最後は大トロで締めようということになり、三人で大トロを注文した。おれはこれまで大トロを食べたことがなく、非常にどきどきした。ついこの間まで学生をやっていた者が「大トロ」などという高級料理を食べてもいいものだろうか、などと思い、何か悪いことをやっているような気がした。

 ついに大トロが運ばれてきた。何だかネタは真っ白である。恐る恐る口に入れてみると、ネタが口の中には行った瞬間、液体になった。しばらく三人とも口をきくことが出来なかった。しばらくしてから、これはすごいものを食べたしまったものだと感激し合った。

 なんだかんだいって腹いっぱい食べてしまい、けっこうな額を払って出てきた。しかし、400円で食べた大トロでこんなに感動できるのならば、安いものだと思った。




以上久しぶりにパソコンと向かい合い、久しぶりにつぶやきを書きました。あと、「オリジナル」に新しい曲を載せたのでそっちのほうも聴いてみてください!


・5月10日  福島でのこと
 福島でとりあえず一週間働いて帰ってきた。向こうにはもちろんまだパソコンはないので、今のところ「つぶやき」の更新は多くとも週に一回になってしまう。

 初めて福島に行って感じたのが、方言のことである。本格的に福島の方言を聞くのは初めてだったのだが、私にとっては非常に心地よく聞こえた。少し横に開いた感じの声と、きれいな鼻濁音は、聞いていてなんとなく安心するような気がした。もちろん当の本人たちは、そんなこと全く考えていないと思われるので、単なる私の思い入れと思い込みであろうかと思うが。

 そしてこのしゃべり方は、地元の人たちにしか出来ないような気がした。もし関東人や関西人が、このしゃべり方を真似ても、厭味にしか聞こえないと思う。一瞬こんな風にしゃべってみたいと思ったが、やめた方がいいだろうと思った。


 あと、毎朝会社に行く前に、散歩をすることにした。私が今住んでるあたりは、山も低く、空が広いので明るい感じがする。こんなにいいところなのに宿泊所と工場の車での往復だけではもったいないと思ったのである。また、あまり運動せずにメシばかり食っているので、このままでは太りそうな気がしたのである。


 あと家と車もめぼしをつけた。家は一人暮らしなのになんと2DKである。しかし家賃も安く、駅も近いのでかなり気に入っている。ただ、1階で床がかなり低いので、もし大雨などあったら簡単に浸水しそうである。

 車はサニーの四駆のマニュアル車を買うことにした。車だけだと10万くらいである。9年前くらいの品だが、店の人に言わせると、以前はじいさんが乗っていたので、運転もあまり乱暴じゃないだろうから安心だろうとのことであったが、私の祖父はかなりふかしたりとばしたりするらしいので、一概にそうとは言えないであろう。まあとりあえず走ればいいやと思う。


 以上ずらずらと書いてしまったが、今が夜中の3時であることもあってか、久しぶりにパソコンの前に座ることもあってか、なんとなく散漫な書き方になってしまった。


・5月6日   パソコンを買う
 一人暮らしに向けてパソコンを買った。この「つぶやき」は、パソコンを買って初めて書くものである。

 買ったのは大きなデスクトップ型のパソコンで、パソコンをよく知っている人についてきてもらって買いに行った。とりあえずパソコンに求めていたものは、
・安い
・後々改造できる
・凝ったデザインはいやだ

 などであった。かっこいいデザインのものは、使っていて肩がこりそうだったので、できるだけ「普通のパソコン」が欲しかったのである。また、後々いろいろやってみたくなったときにあまりにコンパクトなものでは自由が利かないであろうから、そこそこ大きなものを買うことにした。

 値段はいくら安いとはいえ、10万円弱は覚悟していたが、買ってみたらなんと3万5千円であった。オフィスで使っていたであろうと思われる、中古のパソコンであった。

 かなり気に入ったが、ネットにつないでみたところ、やはり古い機種のせいか、かなり遅かった。またヒマができたら改造などして何とかしたいと思っている。

        ホームページのフォントを変える
 買ったパソコンで自分のホームページを開いて見て驚いたのが、文字がおれの指定した通りのフォントになっていなかったのである。タイトルなど、「有澤楷書」というフォントで表示されるようにしていたのだが、普通の標準のフォントになっていた。調べてみると、どうやら「有澤楷書」はマイナーで、他のパソコンに対応していないらしいのである。とりあえずそれらをすべて「HG正楷書体-PRO」というフォントに指定し直した。

 「有澤楷書」に対応していないパソコンを使ってる人にとっては、タイトルの文字など、筆で書いたような少々かっこいいものになっているのではないでしょうか。別にたいしたことじゃないのに、なんとなく気になって、福島に行く前日というのに必死になってそんな作業に熱中してしまった。  

         送別会
 ゴールデンウィーク中、二回ほど送別会をしてもらった。一回目は「あかし屋」でOBで集まって飲んだあと、深夜まで飲み、二回目は民研の人たちと、夕方の6時半頃から次の日の朝8時過ぎまで飲んでいた。

久しぶりに朝まで飲みました。 

久しぶりに部室で寝ました。

久しぶりに一升瓶を飲みながら表を歩きました。

久しぶりに飲み屋に行った順番を思い出せなくなりました。

久しぶりにあほみたいに楽しかったです。


 私と一緒に飲んだり暴れたりしてくれた方々、本当にありがとうございました。  



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