2007年
6月のつぶやき




6月24日 ミートホープについて

 ミートホープのひき肉偽装事件が連日報道されている。彼らは、牛肉に豚肉を混ぜていたどころか、ミンチに水を入れて増量したり、豚肉100%のミンチを牛肉と表示して売っていたと言う。

 勿論、彼らが行ったことは悪いことである。それを疑う余地は無い。しかし、社長の表情やこじんまりとした社屋の映像を見ていると、どうしても怒る気になれない。  偽装が発覚したのは、内部告発による。偽装を続けていた20年もの間、味の面では誰一人として気付かなかったのである。ある意味で、「知らぬが仏」の事件である。知らなければ誰もがハッピーのままであった。彼らは、豚肉を牛肉の味にする精巧なノウハウを持っていたのである。

 彼らは、豚ミンチに豚ハツ(心臓)を混ぜることで味も色も牛肉に近づけたという。番組で試食をしていたが、ミートホープの配合表どおりに肉とハツを混ぜれば、色も味も牛肉と区別がつかないほどだという。

 居酒屋に行けば、どう考えても発泡酒としか思えないものが「生ビール」として売られているし、社食ではどう見てもカニカマにしか見えないものが「カニ雑炊」として売られている。こんなことは日常茶飯事であり、いちいち怒っていたらきりがない。

 畜産業と言うのは、かつてのエタ・非人が行っていたことから、偏見の目で見られることが多い。田中社長は貧しい環境で育ち、卸売市場からたたき上げ、ついに自分の会社を立ち上げた。そして、従業員を養って行く責任と苦しみを味わいながら経営を続けてきたに違いない。工場長の「雲の上の人」という表現には、そんな畏敬の念が込められている。

 一連の偽装事件は、そんな苦しい環境から生まれた苦肉の策であり、それが悪事であることに違いないが、ただ単純に罵声を浴びせたり、非難したりは出来ないのではないかと私は思う。


6月23日 「雲南の少女ルオマの初恋」

 現在公開中の映画「雲南の少女ルオマの初恋」を見た。中国雲南省の少数民族であるハニ族の少女の初恋を描いた映画である。

 美しい映画であった。ハニ族の村は、海抜2000mの山岳地帯にあり、その山腹に延々と広がる棚田を持っている。そんな棚田のあぜ道を、民族衣装の少女が歩いているシーンだけで涙が出るほど美しい。

 この映画は、一見すれば少女の淡く切ない初恋だけを描いているように見える。しかし、その裏で山岳地帯の近代化、観光地化、都市への人口流出などの社会問題まで示唆している。都会から来た初恋の相手、アミンは決して善人として描かれていない。冷静に見れば、アミンはルオマを使って金儲けをし、最後にはルオマを捨てて別の彼女と都会に帰ってしまうだけである。アミンは、近代化という誘惑の象徴と捉えることも出来る。

 この映画を見て、ルオマを一緒に連れて行ってあげればいいのに、という意見がヤン・チーカン監督に寄せられたと言う。しかし、監督が最も描きたかったのは、「ルオマがこの地にとどまること」であろう。それは、監督の願いでもあると思う。 極めて婉曲的だが、アミンは近代化という誘惑を農村に持ち込み、ルオマはその誘惑を苦しみながら跳ねつけたのである。

 主演女優のリー・ミンは、1600人ものハニ族の少女の中から選ばれたらしい。この映画を撮るまで、映画も見たことが無く、演技とは何かもよく分からなかったという。彼女はこの日、舞台挨拶のため来日する予定だったらしいが、急病のため叶わなかったという。代わりに、観客には彼女が病床で書いたという手紙の和訳が配られた。

 素朴で素直な文章であった。彼女の活躍を祈る。


6月22日 最近のお気に入り

 うの史代さんのマンガが好きである。前にも書いたが、原爆後遺症を描いた「夕凪の町・桜の国」は何度も読み返している。そして今は、嫁が買ってきた「こっこさん」を読んでいる。少女と少女が買っているニワトリを描いたハートフルストーリーである。

 私は普段、殆どマンガを見ない。それでもこうの史代さんのマンガに惹かれるのは、少し古風で愛情あふれる絵と、繊細な表現であろう。特に、風の表現が好きである。揺れる草花やなびく髪は、風の匂いまで感じられるようで、いつまで見ていても飽きない。

 布団にもぐって「こっこさん」を読んでいると、どうしても書きたくなって筆を執った。

 近リコーダー部で、「ドラゴンボール」のオープニングテーマ「摩訶不思議アドベンチャー」をやることになり、4重奏用の編曲をした。編曲の際、Youtubeなどを参考にしたのだが、懐かしいと同時に新鮮さを感じた。

 アニメーションの完成度の高さに改めて驚いた。亀仙人のハゲ頭のアップから徐々に遠ざかるあの表現などは、今見ると度肝を抜かれる。そして音楽にぴったり合わせていきいきと繰り広げられるアニメーションは、とてもテンポが良くて何度見ても飽きない。最近のアニメには無い躍動感がある。CG技術などというものは、アニメーションの質を上げるものではなく、低コストでアニメーションが作れるだけのものらしい。

 とここまで書いて、子供の頃アニメーターや漫画家を目指していたことを思い出した。今ではアニメもマンガも殆ど見ないが、気になるものはとことん気になるらしい。

 ドラゴンボールオープニングの映像はコチラ


6月19日 牛スジカレー

 昨日は早く帰れたので、カレーを作った。肉は牛スジを試してみることにした。買い物は牛スジの他、ルウ5人分とタマネギで約400円。その他は家の余りものを使う。

 まず、牛スジを下茹でして余分な油分を取り除いたのち、圧力鍋で約10分加圧する。その後、ニンジン、ジャガイモと炒めたタマネギを加え、更に10分加圧。自然に圧が下がるのを待ってからルゥを投入する。

 出来た牛スジカレーは、絶品であった。少し手間がかかるものの、大したことはない。何より安い。400円で2日分の夕食が賄えた。圧力鍋で美味しいものを作るたびに、素晴らしい贈り物をくれた同期に感謝している。


6月17日 大宮飲み会

 土曜日は、ホシノが埼玉に現れるとのことで、久しぶりの北関東飲み会を行った。メンバーは、埼玉、栃木などの住人に加え、新潟のホシノ、そしてなんと千葉から駆けつけたミヤザキなど10名であった。

 二次会まで飲んだ後、三次会はホシノの希望もあってカラオケとなった。

 しばらく歌って、ふと周りを見れば、みんな寝ており、起きているのはシゲオ、ダケヤン、モコ、私のみとなった。みんな器楽部の同期である。シゲオは2時間かけて栃木から自転車で来ているし、モコは仕事が終わった足でそのまま飲み会に現れ、次の日も仕事だと言う。改めて私たちの代は頑丈なんだと思った。

 いつの間にか採点モードが選択されており、曲が終わるたびに歌の得点が表示されるようになっていた。最も高かったのは、ダケヤンによる「コンドルは飛んでいく」であった。私の「八木節」は、かなり低い点数であり、かつての猛練習は一体・・・と思った。

 そのうちシュウヘイが起きてきた。シュウヘイは寝起きでもハイテンションで歌っており、学祭での骨折を彷彿とさせた。

 朝の5時、外に出ればすっかり明るかった。そして、徹夜で飲んだだるい感覚が懐かしかった。

 とりあえず、残った5人くらいで「天下一品」とかいうラーメン屋でラーメンとビールを飲んだ。ビールは美味しく感じられず、ラーメンもスープがドロドロで気持ち悪かった。

 この冴えない感じも懐かしく、ノスタルジーを感じながら家路についた。


6月15日 落し物

 昨日、仕事をしていると、先輩に「さっき警察から、名刺入れの落し物を預かっているとの電話が来た」と言われた。話によれば、拾った名刺入れに「田所幸一郎」と書かれた名刺が大量に入っているらしい。

 思い出せば、その日の帰り、最寄り駅から走って帰った。私は、元気の余っている日は、マラソンの練習も兼ねて、最寄り駅から自宅までの約1.5キロを走って帰ることにしている。しかもその日は、家に着いた時にかばんのチャックが全開だったことも確認している。その時に落としたであろうことはほぼ間違いない。

 そして今朝、警察署まで名刺入れを取りに行った。身分証明書を見せ、名刺入れを受け取った。届け人は、40歳代の男性ということ以外は明かされず、よってお礼の必要は無いとのことであった。世の中にいい人はいるものだと思うと同時に、自分も人にそういう風にしてあげたいと思った。

 さて、この名刺入れは、確か入社祝いにもらったもので、「ルイビトン」というものらしいのだが、かなり高級だと言う。会社の先輩によれば、3万円くらいはするだろうとのことであった。

 「ルイビトン」の価値も知らず、かばんを開けて「ルイビトン」を撒き散らした私は一体、と思った。


6月15日 風呂にて

 先日受けた嫁からのクレームをまとめると以下。

「風呂に入ろうとしたら、入り口付近に風呂桶が転がっていたため、風呂桶を踏んでこけそうになった。しかも、体を洗うタオルがしかるべき場所に引っ掛けられておらず、床に落ちていることが多い。」

 とりあえず、「悪い悪い。次から気をつけるよ」と言えば済むくらいの話であろう。しかし、なぜか妄想が膨らんで、企業としての対応を考えてしまった。

 「風呂桶の置き場所は、今後ドアより500mm以上離れた場所に設けます。また、風呂から上がる度に、ドア〜風呂桶間の距離をスケールメジャーにて測定し、測定結果を所定のチェックシートに記入するように致します。タオルの落下に関しましては、置き方に明確な基準が無く、経時にて落下したものと思われます。暫定処置として、タオルを引っ掛けた際の両端の距離を10mm以内にするよう致します。10mmの妥当性につきましては、再度評価し、1週間以内に再度ご報告申し上げます。」

 こう考えると、人間って面白いなぁと思う。


6月11日 無題

 自分が何のために働いているか。いや、何のために生きるべきか。それは、まだ見ぬ自分の孫のためである。そのように、決めている。孫を設定した理由は、ざっくりである。石油の可採年数が41年(2003年時)であり、まあ倍くらいは持つだろうと見積もっても、孫くらいが危ないかなと思うからである。

 それなのに、極めて歩みののろい自分がいる。日々の感情、欲望に振り回され、与えられた仕事に打ち込む自分、そして休日に笛を吹き続けている自分がいる。気付けば、エコバッグを使うくらいしか出来ていない自分がいる。

 2004年12月のつぶやきで書いたことが以下。
 さて、私にとって今年とは、これまで自分の中にあった迷いやわだかまりが吹っ切れ、生きたい道が見えてきた年であった。リクルートの無料雑誌「R25」の行間に込められた「働く若者」に対するアドバイスは、今の私にとってはむしろ懐かしい。

 そう思えたのは、今の仕事を一生続ける決心をしたからではなく、自分の一度しかない人生を生きるにあたっての基本方針が定まり、それに従って生きてゆけばよいと思えたからである。そう思えてからは、下らないことで悩んだりすることがなくなり、自分に自信が持てるようになった気がする。

 不思議な言い方だが、これから人生の分かれ道にて選択を迫られる際、「私情」を挟む余地はなく、私の定めた基本方針にのみ左右される気がする。そして、そうありたいと願う。



 このように、過去の私は偉そうに言っているが、今その難しさを痛感している。少なくとも何がポイントか、はっきりさせなければならない。そのためにも、笛を吹く時間を少しは削らねばならない。


6月3日 ブータン旅行記

 ご無沙汰しております。ブータンから帰って以来、この旅行のことをどう「つぶやき」に書こうか悩んでいた。ブータンで取ったメモをまとめるだけで20枚以上の文章になってしまっており、日記としてまとめようにもなかなかコンパクトにならない。とりあえず、何でもいいから形にしようと思い立ち、一気にまとめることにした。

 下に書いたことは、語りたいことも語れていないし、文章も構成も支離死滅となっている。それでも、写真を見るなどして、ブータンの雰囲気だけでも感じていただければ幸いである。


ブータンへ向かう

 日本からブータンへの直行便は無く、一旦バンコクへ行き、そこで一泊してからブータン航空でブータン唯一の空港、パロに向かう。バンコクでは、現地旅行会社のスーさんという女性が対応してくれたのだが、慣れない私たちのために、カウンターでの交渉や、空港税(実際は払わなくてよかったが)のためバーツを持ち合わせていない私たちのためにポケットマネーを下ろして両替してくれることを提案してくれたり、親身になって対応してくださった。

 彼女いわく、昨年バンコクで行われたタイ国王即位60周年式典にブータン5代目国王であるジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(当時26歳、現在27歳)が訪タイした時にはタイ中の女性が熱狂的なファンになったという。国王のブロマイド写真が飛ぶように売れたりと、それは大変な人気だったらしい。

 スーさんに別れを告げ、飛行機に乗る。ブータン航空では、客室乗務員もブータンの民族衣装である「キラ」を着ていた。みんな日本的な美人であった。

 ブータンの空の玄関口パロが近づいてきた。飛行機が高度を下げると、谷間に広がる美しい田園風景と、ところどころに白い伝統建築の民家が見えてきた。しかも、着陸時に機内に流れたBGMは、なんと日本の民謡と同じような節回しの竹笛と思われる楽器による演奏であった。日本の田舎にきたのかと思うほど、見慣れた光景に思えた。

 空港も伝統建築の美しい建物であった。職員も、男性は殆どが「ゴ」という民族衣装を着ている。入国審査ものんびりしており、審査しながら後ろの同僚と談笑するような光景が見られた。また、キラやゴを着ている人は勝手にゲートを行ったりきたりしており、民族衣装さえ着ていれば勝手に入れそうな雰囲気である。


空港は谷間に滑走路が一本あるだけ。空港の建物さえも伝統建築であった。



 ブータンでは個人旅行は認められておらず、定められた国定料金を支払ってガイドと運転手を付けなければならない。私たちは英語が得意ではないため、日本が話せるガイドを希望していたが、希望に添えない可能性もあると言われていた。

 外で待っていたガイドさんに「クズザンポーラ」(ブータンの言葉で「こんにちは」の意)と挨拶をすると「コンニチハ」の返事。その後も流暢な日本語が続いた。ガイドさんはニードゥップさん、運転手はツェリンさんという。


パロ市場へ

 まずはパロの市場に向かう。パロの市場は週に1回日曜日のみ。ティンプーは金土日の週3回。役所や会社勤めの人は市場が開いている時に1週間分の食料を調達するという。

 車の中から外を見る。なんと美しい光景であろうか。両側に切り立った山があり、そこに白い伝統建築の家が点在している。どの家もかなり豪華で豊かに見える。貧しい農村と言う感じは全くしない。

 市場の入り口に、祈りの歌と思われる歌を歌いながらマニ車を回す老人の姿を見る。市場の中は華やかである。トマト、ほうれん草、えんどう豆などの色とりどりの野菜の他、チーズ、線香、米菓子もある。奥の方には輸入物の服、靴など。そこらに犬が寝そべっていたり、ハエがたかっていたりするが、不思議と不潔さが無い。バンコクがカオスならば、ブータンは共存しているように見える。


パロの市場。ブータンでは農家が多く、自給自足が基本。市場は役所勤めの人などがよく利用する。






民族衣装

 ブータンでは、女性は「キラ」男性は「ゴ」と呼ばれる民族衣装を着ている。ガイドブックなどでは、「ブータンでは民族衣装の着用義務がある」と書いてあったが、実際はそんなことはないという。ただし、学校に行く時や仕事中は必ず着なければならないらしい。町を歩いていると、キラやゴを着ている人はかなり多く、映画や買い物に出かける人も着ている。気軽な普段着としても、正装としても民族衣装が普及している。


ティンプーで出会った学校帰りの子供たち。話しかけると大抵嬉しそうに英語で話し、写真を撮ると喜んでくれる。


ガイドのニードゥップさん。ティンプーの展望台にて。



首都ティンプー

 パロから2時間ほど車で走ると、ブータンの首都ティンプーがある。ブータンでは桁外れに大きな町だが、日本で言えば、野沢温泉町を少し大きくしたくらいの規模である。ティンプーでは映画を見たり、買い物をしたりと、他の町ではなかなか出来ないことをした。嫁の希望で美術学校の見学もできた。


左:ブータンには信号機は全く無い。手旗信号の警官はとてもかっこいい。  右:メモリアルチョルテンで祈り続ける女性。


左:美術学校にて。仏画を書いている様子。  右:校長先生と日本人の生徒さん。彼女は大学を休学して仏画を習いにきたとのこと。



映画を見る

 ブータンで映画を見た。ブータンでは映画を賑やかに見るらしく、体験してみたかったのである。映画が始まる前、2階でのんびりしていると、ゴを着た男性に話しかけられる。話していると、なんとその人は映画館のマネージャーであった。映写室を見せてくれると言う。 中には、31年前に導入したというレトロな映写機があった。最近の映画はDVDだが、古いインド映画のフィルムではまだ使っているという。「3丁目の夕日」に登場しそうな雰囲気である。


左:映画館。2階建ての小さな建物。  右:映写室内。特別に入れてくれた。



 映画館の中も、懐かしい雰囲気である。映画を写す際、目の前で職員がプロジェクターを操作している。会社のプレゼンで使うようなプロジェクターを、発泡スチロールの切れ端で高さを調整しながらスクリーンに位置を合わせている。

 しかも、映ったのは、ウィンドウズのデスクトップのような画面であった。それを操作していると、まずはコマーシャル映像が流れた。そしてきっちり30分後、映像の途中なのにコマーシャルは強制終了され、一旦デスクトップ画面に戻った後、映画が始まった。

 ブータン人は、映画を見ながら隣と会話し、音楽に合わせて足踏みし、面白い時は(私たちは何が面白いのか分からない時も多い)大声で爆笑する。映画中、携帯電話で話している人もおり、かなりゆるい。映画館は終始賑やかで、全身で映画を楽しんでいる感じがした。

 ブータン映画は、現地のゾンカ語で作られており、言葉は分からなかったがストーリーは分かった。ストーリーは、それほど面白くなかった。しかし、全体的に優しさに満ちており、ブータンの良さを感じることが出来た。敬虔な仏教徒の国で、基本的に悪人はいないから、殺人は無く、死ぬ時は事故か病気。登場人物も本当の悪人はいないから、なかなか変化が付かないのである。


ゾン

 「ゾン」は、日本語では「城」にあたる。正確には、ゾンは役所と僧院がひとつになった施設である。ブータンでは政教一体の国政を行っており、国王と僧正(ジ・ケンポ)は対等の地位となる。ゾンの中には中庭があり左手が僧院、右手が役所という具合になっている。政府だけが強大になっても、僧の権力だけが強大になってもいけない。そのバランスを取るのが大事なのだと、ガイドさんは言っていた。


左:プナカ・ゾンの全景。川の合流点にある美しいゾンである。  右:プナカ・ゾン内。釘を一本も使わない伝統建築は圧倒的。




左:ウォンディポダン・ゾン。尾根に沿って幅広く建てられている。  右:ウォンディポダン・ゾン内の僧。



 ブータンでは、ゾンに限らず、建物は伝統建築で建てなければならないという決まりがあるらしく、いわゆるビルのようなものは存在しない。写真のゾンも、勿論現在使われているものであり、要するに都庁や市役所に相当するものなのである。


タクツァン僧院

 タクツァン僧院は、パロから30分ほど車で走り、そこから2時間くらい山登りしたところにある。標高約3千m。ガイドブックでも特に大きく取り上げられている、ブータンで一番の名所である。体力はあるほうだと思っていたが、さすがに息が切れる。

 間近でタクツァン僧院を見たときは、非常に衝撃を受けた。がけっぷちにしがみつくように建つタクツァン僧院は、写真で見る以上に深い崖である。下の写真の更に下側は、更に延々と崖が続いているのである。


タクツァン僧院。「タクツァン」は「虎の巣」の意。どうやって建てたのか想像もつかない。



民家訪問

 ツアーの中で民家に訪問する機会があった。ブータンの民家はどれも大きい。昔は1階に家畜がいて、トイレから家畜の住処に落とされた汚物を食べて育てていたが、今では衛生面より家畜を外に飼っている。

 2階は居間で、バター茶「スジャ」を頂く。ミルクティーに似た味で落ち着く味である。ブータン焼酎「アラ」も頂く。これは、日本の麦焼酎と全く同じ味である。

 仏間も見せてもらった。一般的な農家でも、柱に彫刻が施してあったり、絵が描かれていたりと贅沢な造りになっているが、仏間は格別である。凄く豪華である。仏間にはおばあさんが毎日五体投地をする場所に床の磨り減った後がある。


左:民家の仏間。色とりどりで美しく、神聖な場所であった。  右:おばあさんが五体投地をする場所



パロ散歩

 ブータン最後の日、パロの町を散歩した。町外れにはブータンの国技であるアーチェリー場がある。フェンスの近くでうろうろしていると、なんと中に入れてくれた。

 ブータンのアーチェリーは、的までの距離はなんと150m、的の大きさは30cm程しかない。オリンピック競技の最長でも90m、的の大きさは122cmもあることを考えれば、途方も無い距離感である。しかも、ブータンのアーチェリーは、両陣営が互いの的を狙う形式のため、的から割と近い場所で応援している。間違って射ないか心配なほどである。


アーチェリー場にて。矢印のあたりに見えないくらい小さい的がある。私たちには当たったかどうかも分からない。




左:パロの市街地。座ってのんびりしているだけで満たされる。  右:パロ郊外。学校帰りの子供たちが歩いている。日本で言えば長野県に似ている。



最後に

 「何故ブータンに行くのか」とよく聞かれた。面と向かって話すのは気恥ずかしくて言えないが、一番の理由は、ブータン国王が「GNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福)を」と提唱したのを知ったからである。二番目の理由は、色々な文化が日本に似ているということを知り、それを見てみたいと思ったからである。

 幸せとは何か。私は「幸一郎」という名前を与えられたが、意識することが余り無かった。「幸せが一番」とはなんと気楽な名前かと思っていた。そして、それは私が幸せになるよう親が選んでくれた名前ではあるが、私が他に働きかけるような、そんな意味は感じ取れなかった。

 しかし、ブータンに来て、そうではないことを知った。Happinessとは、もっとも自然なことなのだということを知った。

 ブータンで、幸せのキーワードを以下の3つと考えた。このうちひとつでも満たしていれば、幸せな社会と呼んでいいと思う。

・十分な食べ物があり、あくせくせず、争わない。
・全員が幸せを分かち合う。
・子供が元気である。

 理論的根拠が無いので、何ともいえない。しかし、ブータンでは、物乞いもおらず、食べ物が不足しているようには思えない。そして、敬虔な仏教国であり、道徳的にも進んでいる。犯罪も少ない。そして、子供が元気に遊びまわっている。

 ブータンは、2008年に君主制から民主主義に移行する大きな節目を迎える。国民による民主主義機運が高まったのではなく、国王が国王の意思で、国民に権力譲渡するのである。むしろ国民は国王による政治を望んでおり、いわば「ゆずりあい」の状態である。

 ブータンでは、初の政党ができ、初の与党を選ぶ選挙が行われる。それらの準備がいたるところで行われていた。その後、このヒマラヤの小国がどうなるかは誰も想像が付かない。

 これからも、ブータンを見続けていきたいと思う。そして、またいつか、訪れたい。

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