2007年
9月のつぶやき
9月27日 ぎっくり背中とマラソン練習
昨日の朝の出勤途中、突然背中が痛くなった。肩甲骨から首にかけて痛みが走り、少しの間、歩けなくなった。
ぎっくり腰なるものになったことはないが、突然痛み出すとしたらこんな感じであろうか。とすればこれは「ぎっくり背中」である。とはいえ1分くらいじっとしていると、歩けるようになったのでそのまま出勤した。
先週末の太鼓の練習や、10月に行われる会社の体育祭に出場する駅伝に向けての練習などが重なって、体に無理がきたに違いない。まあ、主要因は石狩太鼓のバチ回しであろうが。その他、膝や腰も若干疲れ気味で、じわじわと痛む感じがする。
すでに若くないことを感じるが、認めたくない。悪あがきをする。
今日の帰宅後、悪あがきに家の周りを走った。近所の団地1周が、丁度1キロである。合計3周走ることとし、はじめの2周はゆっくり、最後の1周は全力で走ることにした。
2周目の最後の長い直線で、酔っ払いのオッサンのすぐ横を追い越したところ、「バカヤロウ」「ブンナグルゾ」的な罵声が飛んできた。特に何もしていないので、単なる言いがかりであろう。気にせず走り抜けた。
間もなく最後の1周となるが、本気で走るのが少し躊躇われた。本気で走って体力を消耗しきったところで、またあのオッサンと鉢合わせたらどうしようか。喧嘩出来るだけの体力くらいは残しておくべきであろうか。
結局、あのくらいのオッサンならば疲れていても何とでもなるだろうと思い、本気で走った。結局オッサンはすでにおらず、タイムは3分40秒。まだまだである。
その後、家で夕食を食べる時に気持ち悪くなってしまい、食後に正露丸を飲んだ。まだまだである。そういえば、ぎっくり背中はだいぶ治った。
9月26日 NHKスペシャルにて
今日のNHKスペシャル再放送で、中国へのアウトソーシング(業務委託)についてやっていた。最近では、中国の安い人件費を生かし、製造業のみならず、人事や経理、総務の業務まで中国にアウトソーシングする企業が増えていると言う。
番組では、ある通販会社が社長の指示により、総務の行っていた業務の一部を中国に業務委託する場面がある。総務部の社員は、自分達の仕事は多種多様であり、殆どの業務は不可能と主張するが、社長の強い意志のもと、業務の一部が中国に移管されることになる。
社長は、中国に移管することにより、これまで5500円かかっていたコストが750円に削減されたと満足げな様子だが、社員の表情は重い。
NHKは、中立な報道を要求されるため、これらのやりとりは淡々と進む。しかし、NHKの番組の面白さは、その淡々とした番組の行間に、作り手の痛烈な主張が込められているところであろう。番組に登場する総務部社員は、中国へのアウトソーシングのため、これまで自分達が行っていた業務を誰でも分かるようマニュアル化させられたのち、首を切られる。NHKは、こういった世の中の風潮を、無言で主張してのける。視聴者に、日本の企業は社長と中国人だけでいいのか、という疑問を投げかけてさえいる。
あまりに冴えない内容だったので、途中で見るのをやめてしまったが、ろくでもない話だと思った。
9月24日 TBS初練習
昨日は、TBS(太鼓舞踊団シゲオ)の初練習会であった。夕方6時に浅草の生涯学習センターに集合し、待望の初練習が始まった。
久しぶりに太鼓を叩いて、その衰えように驚いた。石狩太鼓は、裏拍で入るバチ回しのリズムが上手く刻めない上、下打ちととも合わず、かつ力一杯叩こうとバチを振り回すと、体が支えきれず、よろけた。
水口囃子はもっと酷かった。いくら練習しても、太鼓の音が雑音にしか聴こえないのである。しかも、大太鼓のリズムは世代毎に3種類あり、まとめようが無い。リズム感も、体力も、情緒も、全て1からやり直さねばならない感じがした。
最後にやった大漁太鼓だけは、予想以上に体が覚えていた。灼熱の中、徹底的に練習しただけあると思った。一番駄目だろうと思っていただけに、意外であった。
練習が終わり、どっと疲れたと同時に、課題山積であることを改めて実感した。金、場所、時間、音楽性、団体名等、決めなければならないことは実に多い。
ずっと前のNHKドキュメンタリーで、歌舞伎の一流女形である坂東玉三郎が、鼓童の演出を手がけた時の言葉が忘れられない。坂東玉三郎は個性について、「個性とは、意識しなくても滲み出るものであり、個性と称して勝手に振り付けを変えたりするのは、ただの身勝手であり、舞台で映えるものではない。」という意味のことを言っていたのを覚えている。
これは勿論ケースバイケースであろうが、「個性」と称して自分なりの振り付けをかっこいいと思い込んできた者にとっては耳が痛い言葉であろう。確かに、器楽部のベテランだけの演奏が、驚くほど冴えないことは多い。そして、TBSには、私も含めこういう傾向がある。というか器楽を一生懸命やってきた人には、どうしてもこういう傾向がある。
練習後、団長シゲオは私を家まで送ってくれた。シゲオと4時頃までビールを飲み、TBSのことを話したり、太鼓DVDを見たり、探偵ナイトスクープを見たりしてだらだら過ごした。団長曰く、「とりあえず1年くらいかけて太鼓を叩く感覚を思い出そう」とのことであった。
まあ、のんびり楽しくやろう。今後が楽しみである。
9月18日 男鹿和雄展
今日は嫁と「男鹿和雄展」へ行った。男鹿和雄は、スタジオジブリ等のアニメーション作品を手がけた背景画家である。
男鹿和雄展を見る前に、新橋の広島焼き店「ソニア」へ行った。男鹿和雄展は混むから早く行きたいという嫁と若干の口論をしたが、私の強引な主張により結局行くことにした。「ソニア」は広島出身の店長がやっている店で、東京で唯一食べられる本場の味ということで有名である。
私は、広島焼きが大好きである。毎日食べても飽きないと思う。家でも作るし、有名な店を見つけては食べ歩いている。広島焼きを食べるのは、今週これで3回目である。
ソニアの広島焼きは、本当においしかった。私の中のランキング1位が塗り替えられた。広島焼きは、材料はどこの店でもほぼ同じなのに、焼き方でなぜこうも変わるのか。店長のおばちゃんはとても気さくで、コテコテの広島弁で話しかけてくれた。まだ東京で2年らしい。東京で店を出す時、息子も誘ったが、「カープの応援で忙しいから」という理由で広島に留まったという。代わりに息子の同級生がやってきたとか。広島はユニークだなぁと思った。
食後、本命の男鹿和雄展のため東京現代美術館へ。美術館へ着けば、嫁の予想通り物凄い混みようであった。なんと、入場まで90分待ちと書いてある。実際は、60分程度で入れたが、男鹿和雄ファンがこれほどいたことに驚きであった。
男鹿和雄、54歳、秋田県出身。デザイン学校を中退後、アルバイト生活の後アニメーション製作会社に入社するも退職。日本中を放浪したり、途中看板屋に転職したりした後、アニメーションの背景画家として再就職する。スタジオジブリにて「耳をすませば」完成後、フリーの背景画家となり、現在はアニメーションの背景以外にも精力的に活動しているらしい。最近の作品では、DVD絵本「種山ヶ原の夜」など。
プロフィールを読んで、なんと独立心旺盛で自由奔放な人かと思った。自分の才能ひとつで生きている感じがかっこいい。
絵は、とても良かった。芸術家というよりは、職人である。自分らしさを出すというよりは、顧客(=監督)の要望に応えること、出来るだけ時間をかけずに仕上げることに重きが置かれている気がした。近くで見れば、その筆づかいは意外にも大胆である。しかし、一歩離れて見れば、鮮やかでリアリティ溢れる絵になる。
一時間並び、一時間絵を見て、家に帰った。その後は地域の防犯パトロールへ。町内の人と集合し、雑談しつつ15分ほど近所を回った。閑静な住宅街に思えるこの町でも、物騒な事件があることを知り、気をつけようと思った。
9月18日 むぎや祭、五箇山
先週の3連休は富山に行ってきた。ツアコンのセツを筆頭にモコ、シュウヘイ、タカミ、シンゴ、ミナちゃんがいた。土曜日の深夜に出発するという、強行旅行であった。
行きの車は、非常に眠かった。運転し始めたときが最も眠く、常に水を飲んだりほっぺたをつねったりしつつ運転した。
ふと見れば、シンゴ以外の全員が寝ていた。民研のドライブでは見たことがない光景である。私も眠く、運転しながら
「おれは寝るぞ!」
と絶叫すると、セツが起き出してCDを替えた。なんとか事故ることもなく富山の城端に到着する。
むぎや祭は、いい祭であった。まだ観光化が進んでおらず、ゆったりと祭が楽しめる。そして、これから祭を盛り上げて行きたいという気概を感じる。祭に限らず黎明期というのは、楽しいものである。
まず心動かされたのが「お小夜節」であった。「お小夜」は五箇山に流されてきた遊女の名前である。「加賀騒動」の首謀者の遊興の相方を彼女は流人の身でありながらなぜか外出も自由であった。彼女は、五箇山に伝わる集団歌唱「まいまい」を三味線にアレンジして踊りをつけるなど、五箇山民謡の基礎を築いたと言われる。
ところが、お小夜は五箇山の青年と恋仲となり、彼の子供を身ごもってしまう。罪人の身であるお小夜は思い悩んだ末、庄川に身を投げてその一生を閉じる。
「お小夜節」は、切々たるメロディでお小夜の運命を歌い上げるものである。踊りも独特で、手をつないで輪になって踊るような振り付けがある。どことなく切なげで、見ているだけで心に染み入るような踊りである。
もうひとつは、「長むぎや」と呼ばれる民謡である。現在知られているむぎや節は、テンポが早く、伴奏も華やかで軽快なものである。「長むぎや」は、もともと五箇山で唄われていたものらしく、無伴奏でテンポもゆったりしている。これも、ソロとユニゾンが交互に訪れる「まいまい」の形式と思われる。
豊かな音であった。聴いているだけで、切り立った山々に囲まれて暮らす人々の情景が映し出されるようであった。
それにしても、富山の芸能は良い。特に女性の踊りが良い。浴衣に襷をつけて踊る姿は、いかにも真面目で働き者のような感じがする。そして、洗練された動きと日常の泥臭さが混在していて独特の味わいがある。そして、例え明るい踊りであっても、阿波踊りのような馬鹿騒ぎではなく、どことなく大人しい感じが、いかにも奥ゆかしく、山奥に住む民族の気風を感じる。
男性の踊りも悪くはないが、どちらかと言えば自分に酔っている感じがして、働き者のイメージとは違う。自分達が、平家の落ち武者であることを本気で意識しているのは、男性であろう。女性はそのあたり現実的であり、「そんなはずはない」という思いが踊りからも感じ取れる。
祭の最後、「総踊り」と呼ばれるイベントがあり、観光客も含めて大きな輪踊りをする。最後、踊っている人たち全員の肩にオリジナル手拭いがかけられる。温かみのあるお祭で、いつまでも踊っていたかったが、宿の時間もあり途中で抜け出す。
宿では、飲み会で大いに盛り上がる。「男は不完全」というネタで盛り上がるが、詳細は割愛するが、上記の男踊り女踊りの話も、「男が不完全」であることに由来する。このメンバーでは、今後の免罪符となりうる。
二日目は五箇山方面へ。五箇山の平村にて散歩する。平村にて五平餅を売るニイチャンと仲良くなった。五平餅を食べながらセツが「このへんの名物ですか」と聞くと、ニイチャンは不思議そうな顔をして、「五箇山の平村の餅だから五平餅だ」と教えてくれた。私達は衝撃を受けたが、何を当然のことを聞くんだという態度が面白かった。
このニイチャンは愉快な人で、五箇山の伝統的な遊びを教えてくれたり、昔父親が出場したという、大阪万博でのむぎやの写真を見せてくれたりした。どこに住んでいるのか聞くと、「ここだよ」と指差したのが、目の前の大きな合掌造りの豪邸であった。世界遺産に住んでいるニイチャンに「凄いとこに住んでいますね」と言うと、「日本一暑い埼玉に住んでいる方が凄いよ」という答えが返ってきた。彼にとっては五箇山の生活が日常らしい。
五箇山を昼過ぎに出発し、白川郷へ。しかし、ここはいかにも観光地という感じになっており、魅力を感じられず、素通りした。そのまま帰路につき、結局自宅に着いたのは深夜の12時半であった。
9月15日 今日の出来事
今日は久しぶりのリコーダー部であった。朝8時頃起きて代々木公園に向かった。今日は珍しく嫁も参加した。久しぶりだが、やはり代々木公園で笛を吹くのは気持ちよい。しばらくすると、フサコ部長、マリさん、なぎささんも来た。ルパンを吹いたり、マリオを吹いたりした後、なぎささんの誕生会となった。
ケーキとビールとお菓子を買い出して代々木公園でお祝いした。馬鹿な話をたくさんして、楽しいひと時を過ごした。
帰り道、TBSのシゲオ団長から「大太鼓を購入した」との一報が入る。くりぬき太鼓と集成材の太鼓2台を購入し、15万円だったという。思った以上の格安価格である。来週末に早速第一回練習会を行うとのことであった。冗談で話していたことが現実になりつつある。
非常に楽しみである。まさに夢物語が現実になったようなわくわく感がある。
現在夜の10時半。この「つぶやき」を書いている30分後には富山に向けて出発する。五箇山の「むぎや祭」を見に行くのである。深夜行に向けて少し眠ろうと、電気を消して横になっていたのだが、上記のように楽しいことがあれこれ浮かんできて眠れず、筆を執った。
9月11日 手の皮が剥ける
下にも書いたとおり、太鼓サークルを立ち上げることとなった。更に、タザワ挙式では石狩太鼓を演奏することになっており、ここのところ太鼓に関わる時間が多くなっている。
なんとなくわくわくしてしまい、昨日から大学卒業時に失敬した木遣りバチで練習をし始めた。
まずは、座布団で馬乗りのリズムを練習した。1分と経たぬうちに腕が疲れてきた。相当なまっている。このままでは石狩太鼓の下打ちがもたない。辛いのを我慢して何とか10分くらい練習した。
続いて石狩太鼓の素振りをしてみた。肩が上がらない。頭で覚えている感覚と、実際の動きが全く違う。それでも順番は何とか思い出した。
そして今日、帰宅後再び馬乗りをやってみると、意外と疲れない。石狩太鼓も昨日よりは体が動く感じがする。しかし、調子に乗って木遣り太鼓の素振りをやると、膝が痛くなった。
ふと手を見やれば、皮が剥けていた。懐かしい光景である。この状態で更に太鼓を叩けば、丈夫なカチカチの皮になるだろう。
9月9日 太鼓を買う
今日は「TBS」(太鼓舞踊団シゲオ)の立ち上げのため、太鼓を購入しに行った。メンバーは団長のシゲオと同期のモコである。
まずは、オークションなどでも桁違いの安さで太鼓を提供する諏訪楽器のある埼玉県伊奈町へ。諏訪楽器は中国に生産拠点を持っているらしく、その人件費の安さを生かして、なんと大太鼓2万円台から提供している。
そこで色々な太鼓を試し打ちさせてもらった。結論は以下。
・やはり数万円の集成材(胴が貼り合せ材のもの)は少し頼りない音である。
・しかし、くりぬき胴のものについてはかなりいい音が鳴る。(十数万円)
・締め太鼓については品質、値段共に申し分なし(一万円台からある)
締め太鼓についてはその場で購入を決めた。展示品を購入することで、更に3割引程度となり、ボルト締め2台で4万2千円である。領収書を受け取った時、団長が、
「もう後戻りできねぇな」
と小さくつぶやいた。ちなみに、団長は「お客様カード」の団体名を書く欄に、「太鼓舞踊団シゲオ」と書こうとして、結局踏みとどまった。正式名称はまだ未定らしい。
締め太鼓一台が、シゲオが着ていたアロハシャツと同じ位の値段であり、モコが提げているカバンと同じくらいの値段であり、私が持っているリコーダーの半額であった。中国の底力に驚くと共に、これまでなかなか手の届かなかった太鼓を見事に価格破壊した諏訪楽器が凄いと思った。
大太鼓については、モコが見つけた浅草の格安太鼓を見てから決めることにし、その足で浅草に向かった。
浅草では、まずは店頭に13万円の太鼓が置いてある「岡田屋布施」へ。店頭の太鼓を叩いてみるが物足りず、5階にある太鼓倉庫に入れてもらった。
しかし、ぎりぎり手の届きそうな太鼓でも19万円であり、その隣の同サイズのケヤキ製くりぬき太鼓は50万円くらいである。とても手の出せる価格ではない。その後、宮本卯之助商店にも行くが、価格は更に天文学的な数字となったため、4階の「太鼓資料館」で世界中の太鼓を叩きまわって店をあとにした。
大太鼓については、翌週団長が諏訪楽器で2台購入することとし、法被などの衣装を見て回り、夕食を食べた。食事をしながら、勧誘を行った。メンバーは3人から9人に増えた。北は栃木から、西は浜松まで、幅広い。色々話すうちに、場所はどうするのか、練習時間はどうするのかなど問題は山積していることに気付くが、もう後戻りは出来ない。
色々あるが、誠に楽しみである。
9月8日 あぶないチャーハン
今週の木曜と土曜は、買い物をせずに家に帰った。家にある食材は以下。
腐りかけたご飯(匂いがおかしい)
賞味期限切れのキムチ
賞味期限切れの卵
賞味期限切れのサラダ油
いつ買ったか分からないミックスベジタブル(冷凍)
私達夫婦は、腹は丈夫である。少々変なものを食べても腹を壊すことはない。よって、これらを食べることにさほど抵抗はなかった。上記食材の他に、匂い消しにニンニクを加えて一気に炒め、チャーハンを作った。
予想通り、美味しかった。ご飯の嫌な匂いはニンニクにより消され、キムチの酸味が食欲をそそる。2食分の食費が浮いた。
9月2日 陸上部合宿
今日は、越中八尾の「おわら風の盆」である。いつも時期は頭の中を胡弓の音が鳴り続けるのだが、今年はそれどころではなかった。会社の陸上部の合宿に行ってきたのである。一泊二日で鎌倉の会社の保養施設に行った。
練習は、思った以上にきつかった。雨の後のぬかるんだ鎌倉の山中を駆け巡り、鎌倉霊園の上り坂で坂道ダッシュをし、ほとんど休むことなく走って宿まで帰ってきた。回りを見れば、私よりも速い先輩か、そうでなければ私よりも若くで体力のありそうな若者ばかりである。一方私は、2ヶ月くらい走っておらず、なまっている。ついて行くのがやっとといった感じであった。
鎌倉駅前に着き、信号待ちで休んで走ろうとすると、膝が痛くて走れなくなった。走っているうちからおかしいとは気付いていたが、その時は痛みに鈍感だったらしく、なんとかなっていたが、一度止まると痛みが増してきた。仕方なく歩いて帰った。
夕食は豪勢な舟盛が出た。その後部屋に戻り、更に飲んだ。男だけの飲み会でしか話さない話題になり、男だけの飲み会でしか行わない騒ぎ方をして、寝た。本当に楽しかったが、詳細は割愛する。
次の日、2日酔いで朝錬は中止。「見るのも練習のうち」とのことで、寝転がって7時から世界陸上の女子マラソンを見た。土佐礼子の根性が凄いと思った。
10時より練習開始。私は膝が痛く、レンタサイクルにて行動する。二日酔いなどの影響により、昨日よりは全体的にテンション低めである。この合宿のピークは昨日の夜であった。それでも披露山という山に登るなど、ハードかついきあたりばったりなメニューをこなす。
終了後、「鎌倉といえば鳩サブレー」「鳩サブレーといえば鎌倉」という極めてステレオタイプ的な発想により、ほぼ全員が鳩サブレーを購入する。「鎌倉に行って鳩サブレー以外(例:大仏サブレー)の土産を買おうものなら、職場中から非難を浴びる」という、強迫観念にも似た空気があった。
帰り道、ナオから「恒例のマラソン大会に出ませんか」というメールが来る。いつもは小田原なのだが、今年は25周年記念で国立競技場を使うという。OBOG総会の次の日だが、頑張って出てみようと思った。
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