2007年
10月のつぶやき




10月28日 マラソンに出る

 今日は恒例のマラソン大会であった。5年前にナオから誘いがあって以来、毎年出場しているJBMAの盲人マラソン大会で、例年は小田原でやっていたのだが、今年は25周年記念と言うことで国立競技場で開催された。メンバーはナオ、マツバラ、私の3人。マツバラは走らず、見物である。

 私は膝を痛めており、出場するか迷っていたのだが、なんとかなりそうなので出場してみた。ペースは上げず、リハビリの気持ちでゆっくり走ることにした。しかし、10キロのコース中、3キロを過ぎたあたりから痛くなってきた。今回のレースでは無理をしないと決めていたので、4キロでリタイヤすることにした。

 誠に悔しかった。体力は有り余っているのに、走れないことがもどかしかった。膝は、一見治っても、全く治っていないものらしい。なんとか気にせず走れるように治したいものである。

 ナオは、私がリタイヤするまで一緒に走っていたのだが、その後も全く同じペースで走り続け、無事10キロ完走した。殆ど練習できていないらしいのだが、安定した走りであった。



 マラソンが終わったあと、私は太鼓大好会の練習場所確保のため、代々木公園の近くにある「オリンピック記念青少年センター」へ団体登録をしに行った。

 地域の公民館などで練習したことしかないため、その規模に驚いた。大学のような巨大な敷地内にアーティスティックな建物が立ち並んでおり、利用料金は格安である。税金で建てたと思うともったいない気もするが、せっかくなので血税の恩恵に預かろうと思った。

 早速練習日を入れようとすると、なんと土日の午後は4月まで一杯だとのことである。どこかに予約を入れないと団体登録できないとのことなので、仕方なく来年1月に朝8時半からという無謀な時間に予約を入れ、センターをあとにした。無事起きられればよいのだが。


10月27日 民研OBOG総会

 今日は、民研のOBOG総会であった。私は持ち回りで行うOBOG総会の幹事会のメンバーであり、「先生への連絡係」という役目であった。連絡係とは言っても、たまに案内等の連絡をする程度であり、楽なものである。

 今日は10時半に集合して準備を行い、幹事会が始まるまでの間、先生方と食事に行った。学生の頃は、先生と話しをするとき妙に身構えてしまっていたが、先生方の話は面白く、今ではとても楽しい時間である。

 幹事会は思った以上に人が集まり盛大であった。久しぶりの発声練習、久しぶりの合唱は懐かしいが、大抵の曲は体で覚えていた。殆どの人はそうらしく、どの曲も一回できちんと曲になった。民研にいれば普通のことだが、祖父と孫くらいの関係の人々が、同じ音楽を共有できると言うのもなかなか珍しい気がする。

 中でも印象に残ったのは、女声ヴォイストレーナー、シバタ先生の挨拶であった。「私はいつも学生の前でギャーギャー偉そうに言っているけども、本音を言えば、私が学生から元気をもらっているのです」シバタ先生はこういう愛情溢れることを大事なところで言ってくれる。このとき、学生時代の色々なことを思い出した。

 新歓期の勧誘が沈滞ムードになってきた頃、「あなたたち、テニスサークルなんか入らずに民研にいらっしゃい」と、自ら新入生を勧誘しに行って断られていたこと、私が学生指揮者のころ、理由は忘れたが、学生の前で散々叱り散らした後、私の方に振り返ってお茶目なウィンクをしてくれたこと、ヴォイトレ中、軽音楽部に「静かになさい」と怒鳴り込みに行ったことなど、自己中なまでに民研のことを考えてくれていた。

 挨拶の締めくくりは「私が民研を引退したら『認知』になっちゃう」と言って、笑いを取って終わった。

 明日は、マラソン大会に出場するため、2次会まで飲んで、帰った。電車の中で、今夢中になって読んでいるサイモン・シンの「フェルマーの最終定理」を読みながら帰ったら、1ページ毎に寝てしまい、3回くらいあやうく乗り過ごしそうになりながら家に帰った。

 酒を飲んで読むものではないと思った。


10月24日 タザワ結婚式

 先週末は民研の同期、タザワの結婚式であった。披露宴の余興で太鼓を演奏することになっており、金曜日に有給を取って準備をし、コンドウサン、シゲオ、ダケデ、ヤスと共に金曜深夜に新潟に向けて車で出発した。

 明け方の3時頃、新潟に到着し、「ホンマ健康ランド」というスーパー銭湯で仮眠を取って会場に向かった。このとき、シゲオが余興の衣装である半股引を忘れたことに気付く。代わりにヤスのパンツをはくかという意見も出たが、奇跡的にまつり衣装屋を発見し、事なきを得た。しかし、そのためシゲオは結婚式を欠席し、披露宴からの参加となった。

 結婚式は、チャペル式だったのだが、花嫁と共に登場する父親の姿を見て泣いてしまった。どんなに素晴らしい旦那であっても、かわいい娘を手放したくないという思いはあるに違いない。その気持ちを押し殺して祝福せねばならないのは、さぞかし辛いだろう。前にも書いたが、人間が理性的生物でなければ、ここで死闘が始まっているだろう。

 式が終わった後は、写真撮影であった。神前で署名したタザワの字を見て皆で笑い、集合写真を撮った。9年間習字を続けた妻に習うべきだという声が多かった。

 披露宴では、お色直しで新郎新婦が退場した後、マシンガンズの2人が新郎新婦席に座って写真を撮っていた。それを見ていたタザワの職場の先輩に、「お仲間ですか?」と聞かれ、コンドウサンが「ええ。昨日までは」と返していたのが面白かった。

 余興の石狩太鼓では、コンドウサンの巧みなトークにより、演奏前にタザワは「サトミ!(花嫁の名前)おまえを愛してるぜ!!」と叫ぶはめになる。後で録画したビデオを見れば、叫ぶタザワに冷ややかな視線を送る花嫁の姿が印象的であった。ちなみに演奏はボロボロであったが、タザワが楽しそうだったので良かった。

 その後、二次会はホシノの奮闘やらダケデクイズやらで盛り上がり、4次会まで飲んで、ホテルに戻った。タザワ夫妻は疲れたろうに、最後まで私達と飲んでくれた。タザワはかなり飲んだにも拘らず、最後まで暴れることなく終始幸せそうであった。

 次の日、二次会のプレゼントを届けるという名目で15人くらいで新居に遊びに行った。タザワ夫妻はお茶を出してくれ、食事をし、土産物屋を案内してくれた。まるでツアーコンダクターのようであった。

 その後は帰路につく。思えば民研と出会って10年になる。これまで昔の友人を大事にしなかった私にとって、民研の仲間と未だに交流があり、しばしば遊んだり飲んだりするのは奇跡的である。そんな仲間が結婚したり、子供が出来たりするのは誠に感慨深い。これからも大事にしていきたいと思う。

 タザワ、本当におめでとう。


10月18日 オジサン

 先週末、生まれて初めて「オジサン」と呼ばれた。会社の運動会に来た職場の女性の息子さん(5歳)に、である。

 がっくりきた。少なくとも、私が自分自身に対して思っているイメージは、「オジサン」のイメージではない。私はまだ若いつもりでいる。しかし、客観的に見れば、いつまでも「ニイチャン」ではいられない。

 更に酷いことに、「首から上はおにいちゃんでその下はオジサン」と、訳の分からないことを言われた。ファッションがジジ臭いということであろうか。その息子さんは、その他にも色々な人に歯に衣着せぬ発言をし続けたらしく、母は冷や汗をかきっぱなしだったらしい。まさに「くそガキ」である。

 しかし、よく言えば純粋で正直である。子供らしくてかわいいと思った。


10月16日 サロメチールの力

 先週末は会社の運動会があり、駅伝で走ったところ、膝が痛くなった。

 歩くのがしんどいくらい痛い。痛いが、その後少し仕事をして帰った。帰り道、薬局で「サロメチール」を買った。

 「サロメチール」は高校化学でも登場する「サリチル酸メチル」を主成分とした消炎鎮痛剤で、Wikipediaによれば、なんと大正10年からある超ロングセラーの軟膏である。高校の柔道部時代、顧問のヨシオカ先生は「サロメチールが一番効く」と言っていたのを覚えているし、その時から「バンテリン」などよりも圧倒的に効能が高い実感があった。

 約10年ぶりに「サロメチール」を使用してみた。懐かしい芳香と、痛いくらいの刺激がある。寝ている時などは、大丈夫かと思うほど熱い。

 2日経った今日、思った以上に回復し、普通に歩ける程度になった。以前膝を痛めたときは、1週間くらいはびっこをひいていたので、驚くべき効果である。あと数日で木遣り太鼓が叩けるくらいになるであろう。



 木遣り太鼓と言えば、仮称TBS(太鼓舞踊団シゲオ)の正式名称が「太鼓大好会」に決まった。私が駅伝をやっている裏で練習があり、その時に「音遊」「打打鼓」「太鼓大好会」の3案にまで絞られたらしい。シゲオからは電話で相談を受けたが、シゲオの中はすで結論が出ていたようで、何か決定打を求めているように思えた。

 「Google」で検索しみては、という提案をしたところ、「音遊」は株式会社があり、「打打鼓」は太鼓奏者のブログ名称であり、「太鼓大好会」のみヒットしないことが分かった。他にも、メンバーが年寄りになってもちょっとカッコイイ、等の理由により「太鼓大好会」に決まった。

 「太鼓大好会」という名称は、元宮の「神輿大好会」の言わばパクリである。しかし、安直なまでに素直な名称が逆に新鮮で、いいなぁと思う。


『大好きだから、大好きなことを』
素直な気持ちでやっていきたいと思います。


 は、団体名が決まったアナウンスの中でのシゲオの一文。楽しくやっていこうと思った。


10月9日 どうでもいいこと

 昨日、家に帰ると、駐車場に車がなかった。

 盗まれてしまったのだろうか。13万円の中古車だが、それなりに動いていたし、愛着もあった。そういえば、この前の防犯パトロールでも、近所で車上荒らしがあったなどという話を聞いたし、このあたりも物騒なのだろうと思った。

 まあ仕方ないと思って家に上がり、しばらく考えると、先週金曜日に早朝立会いのため車で会社に行き、帰りはすっかり忘れて電車で帰宅したことを思い出した。要するに、車は会社に置きっぱなしである。

 今日は車にて帰宅。それにしても、車を盗まれても、「まあいいや」とすぐに思ってしまったことに対し、車に申し訳ないと思った。



 今日の帰宅後、3キロほど走ってシャワーを浴びた。

 まずは髪の毛を洗い、続いて体を洗った。

 シャンプーが、妙に泡立ちが良い。それにしても良過ぎる。これはボディソープではないか。

 続いて、体をお湯で流したところ、妙にぬるぬるする。それに香料の香がいつもと違う。これはシャンプーかもしれない。

 恐らくだが、今日私はシャンプーで体を洗い、ボディソープで髪の毛を洗ったらしい。

 まあ特に問題ないのだが。


10月5日 散髪について

 知っていると思うが、私はいつもスポーツ刈りである。最近は専ら1000円でカットできる駅前の「QBハウス」ばかり利用している。「QBハウス」は安くて早い代わりに、人による仕上がりの差が大きく、同じスポーツ刈りでも満足できたり、なんじゃこりゃと思ったりする。

 とは言え、どう注文すれば、自分が思うスポーツ刈りになるのかよく分からないので、全て店員任せにしている。今日も髪を切りに行ったのだが、やりとりは以下のようなものである。

 店員:「どのようにカットしますか?」
 私 :「スポーツ刈りでお願いします」
 店員:「長さはどのくらいがよろしいですか?」
 私 :「普通でお願いします」
 店員:「5ミリくらいでいいですかね??」
 私 :「そうですね・・・普通くらいで」
 店員:「頭のてっぺんはちょっとこう・・ギザギザッとした感じにしますか?」
 私 :「まあ、普通で」
 店員:「もみ上げは普通に切っちゃっていいですか?」
 私 :「いいですよ」

 髪の長さについては、「『普通』と言えば何ミリなんですか?」と聞いたことがあったが、毎回覚えられず、「普通」を連発するはめになる。

 今日カットしてくれた店員は、髪の長い、崩れたイケメン風のニイチャンであったのだが、QBハウスにしては非常に時間をかけていた。しかも、丁寧に前髪を切り揃えたと思ったら、いきなりざっくり切ったりと、無駄が多い気がした。

 おまけに息が臭い。前髪をやっている時は息が出来ず、苦しかった。ただでさえ、散髪されるのがあまり好きでない私にとって、三重苦である。早く終わってくれと、心の中で念仏のように唱えながら目をつぶって散髪の時間に耐えていた。それにしても長い。もしかしたら、このニイチャンは私に気があるのではなかろうかなどと、要らぬ想像までして、もう限界だと思ったところでカットが終わった。

 仕上がりはまずまずであった。しかし、どうやら周りの人にとっては、私のスポーツ刈りの出来具合など気にする人はおらず、いつも同じ髪型に見えるらしい。

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