2008年
1月のつぶやき
1月29日 朝崎郁恵の唄
最近、朝崎郁恵の唄が気になっている。彼女は奄美大島出身の民謡歌手で、1935年生まれということはすでに70歳を超えている。67歳にしてファーストアルバムを出したという、驚きの経歴を持つ。
「PURE」に収録されている「おぼくり〜ええうみ」を聴き、物凄い衝撃を受けた。彼女の唄は、一般的なものさしで上手いとか下手とか言えるものではない。これまで聴いたどの曲ともベクトルが違う。この味わい深さは、彼女の持つ優しさ、人生観、そしてこれまでの経験などが全て凝縮されているような感じがする。
〜ええうみ〜
八月やなりゅり 飛び羽根やねらぬ
ハレ兄弟片羽根や 貸らち給ぼれ
一つある羽根や 愛しゃ背にくすぃてぃ
ハレ吾ぬや奥山ぬ かずらだすき
お十五夜の月や 神美らさ照りゅり
ハレ加那が門に立たば 曇てぃ給ぼれぃ
<意訳>
八月が近づいたが、晴れ着が無い
兄弟よ 片袖を貸してはくれないか
私は山奥から持ってきたかずらを見にまとい
たったひとつの晴れ着は愛する人に着せてあげたい
十五夜の月が神々しく照らしている
想う人が忍んで来るときには、月よ、ほんの少し雲に隠れていておくれ
なんという優しくていじらしい歌詞であろうか。日本民謡の特徴は、生活の辛さや何気ない気持ちを唄うあたりにあると思う。海外の民謡は朗々と愛を謳い上げたり、戦争に行く気持ちを鼓舞したりするが、日本民謡はそれらと比べてはるかに庶民的だと思う。上記の歌詞は、まだ洗練されている方である。間宮芳生氏の本などを読んでいると、普段の会話と唄の境界線すら曖昧だったのではないかと思われる。
すっかり気に入ってしまった。しばらくは毎日聴く生活が続く気がする。
曲を聴くにはコチラ(何故か知らないアニメ動画と共に流れます)
1月28日 年賀はがきチェック、ステージ宣伝
今日、お年玉付き年賀はがきの当選番号をチェックした。「年賀はがき 当選番号」などで検索すると、当選番号のサイトが現れた。
最近は当選番号のチェックさえもIT化されており、リストの中からひとつひとつ照合しなくても、下二桁を入力するだけで、「はずれ」「○○なら1等」などと表示される便利なシステムである。嫁が番号を読み上げ、私が下二桁の番号をどんどん入力していった。
あっと言う間にはずれの山が出来た。唯一、余った無地はがきが4等(切手)となったのみであった。不思議なことに、当たりとなるのは書き損じや余りもの、もしくはあまり親しくない人からの年賀状ばかりのような気がする。
それにしても、ITによる当選番号チェックは、便利だが下らないと思った。
「よろしくお願いします」
などと、一枚一枚念じながらゆっくりと当落を確認した方が、当たる確立が高いのではないか。そんなことを本気で考えた。
話は変わるが、来る2月17日は太鼓大好会の初舞台である。東京マラソンと同時開催される「東京大マラソン祭2008」というイベントで、マラソンランナーを応援するステージである。私達は、「フィニッシュスタンド前」というゴール直前の沿道にてランナーのラストスパートを助けるべく太鼓を叩くことになっている。
衣装も揃い、演奏も仕上がってきた。誠に楽しみである。
1月21日 さんとこ
昨日は太鼓大好会の「強化練習」であった。朝から夕方までのハードな練習スケジュールで、来る東京マラソン応援ステージを一気に完成させようと思っていた。「強化練習」ということで、皆で弁当を持ち寄り絆を深めよう、全時代的なサブイベントもあり、私は明石名物、明石焼きを作って練習に望んだ。
ところが、練習会に行けば、メンバーはボンサン、シゲオ、モコ、私の4人しかおらず、大学の授業中の大練のような雰囲気となった。午後は、モコが仕事に行き、入れ替わりでマサルサンとセツが現れた。そして、ボンサンは「眠い」と言って太鼓の轟音が鳴り響く中、寝てしまった。起きているのはシゲオ、セツ、マサルサン、私の4人である。しばらくだるい練習が続いた。
そのだるい雰囲気を打ち破ったのが、セツであった。「さんとこの練習をしたい」という。「さんとこ」とは、大漁太鼓の最後の部分で、3人の打ち手がぐるぐる回りながら代わる代わる太鼓を打つという最も盛り上がるところである。盛り上がる分、疲れる。
5周も叩けば、全員が崩れ落ちて喘ぐほどに疲れた。それを、何回も繰り返した。
繰り返すうちに、これは疲れる割にかっこ悪いということに気付いた。かねてよりシゲオと「大漁を変えたい」という話をしており、特に現状の「さんとこ」のあたりは不満であった。こういうふうにしたいなどと、以前より話していた。もっと移動距離を大きくしてはどうか、腰を沈める動作をなくしてはどうかなどと、寝ているボンサンを尻目に幾度も検討した。
結果、4人が誰もが納得するスピード感のある「さんとこ」が出来上がった。3人が「さんとこ」を叩き、残りのひとりが地打ちを叩きつつそれを見て意見を言うというスタイルで練習していたのだが、皆が納得する「さんとこ」が出来上がった。
やがて、ボンサンが起きてきたので、完成した「さんとこ」を見てもらったところ、眠そうに「いいんじゃない」というのみであった。それでも、ボンサン的には最大の賛辞らしい。
振付けを変える時は、少人数の方がいいと思った。反対意見が出にくいし、次の練習では「こう決まったから」と言うだけでよい。恐ろしく疲れたが、充実した強化練習であった。
1月19日 年をとる
今日は私の誕生日である。嫁は、誕生日プレゼントとしてパンツとTシャツを数枚ずつくれた。パンツはゴムが伸び気味であったし、Tシャツも襟がほつれているものが多かったため、素直に嬉しいプレゼントであった。嫁にしか出来ないプレゼントである。
この「つぶやき」も長い。もう7年目である。当時はブログなど無く、「ホームページ作成」と呼んでいた。流行に疎い私にしては珍しく、早い時期からホームページ作成をしていた。
久しぶりに過去のつぶやきを見て、日記は良いと思った。昔のつぶやきをクリックすれば、学生時代から今日にいたるまで、どんなことがあり、その時自分がどんな風に考えていたかが分かる。「色々なことがあった」ということだけでも、それ自身に価値がある気がする。
目標は、この「つぶやき」に金婚式のことを書くことである。それまでに「家を買う」「娘が結婚する」「定年する」などの題名でこの「つぶやき」を書く日が来るはずである。ちょっと信じられないが、楽しみでもある。
1月14日 新宿高島屋にて
昨日の太鼓大好会練習のあと、昼食を食べようということになり、新宿に集合することとした。シゲオ、オサム、私の三人はシゲオの車で、その他は電車で新宿駅に行き、高島屋で集合することとした。
「高島屋の1階に集合」という。高島屋は広い。とりあえず1階らしきところに行き、ボンサンに電話した。あたりはセレブな雰囲気が漂っている。
私 「今、高島屋の1階っすけど」
ボンサン 「周りに何が見える?」
私 「『シャネル』 がありますね」
ボンサン 「ワハハハ。面白いからそこで待ってろ」
私 「『ロゥイス・ヴゥィットゥン??』 っちゅうのもありますよ」
私の最後の言葉を聞くまでも無く、電話は勝手に切れた。後でシゲオが「『ルイビトン』(LOUIS VUITTON)だよ」と、嘲笑った。あんな綴りだとは思わなかった。しかし、少なくとも「V」の発音は私の方が正しい。
周りを見渡せば、ブランド物の化粧品売り場が上品に配置されている。オサムは「なんか恥ずかしいっすね」ときょろきょろしている。私はあまり恥ずかしくなかったが、決してこぎれいとは言えない男が3人、ブランド化粧品売り場に佇んでいるのは、異質である。
「こんなの、売れるんかねぇ」
と、オサムに話しかけたら、声が大きすぎて店員に聴こえたらしく、気まずい雰囲気となった。
しばらくすると、前方から場違いな集団が現れた。遠くて見えづらいが、あの場違いさは間違いなく私達の仲間であろう。「五十歩百歩」「団栗の背比べ」「目糞が鼻糞を笑う」などのことわざがことごとく脳裏をよぎった。その後は高島屋を出て、親子丼を食べた。
それにしても何故あんなところに集合したのか、謎である。
1月11日 カレーを作る
今日は仕事が早く終わり、カレーを作った。正月に母の実家で食べたカレーが美味しく、造りたくなったのである。母の実家で頂いたカレーは、水を一切使わず、なんと野菜等から出る水分だけであるという。
今日は、シーフードカレーを作った。タマネギ、ホタテ缶、ベビーコーン、シーフードミックス、にんじん、りんごなどを加え、出来るだけ水を使わないようにしてみた。
仕上がりは上々。これで三日は食事に困らない。
1月7日 2008年初のつぶやき
あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。新年ながら書くべきテーマも見当たらず、年末年始にかけての私の行動を、以下箇条書き。
○12月29日
リコーダーのレッスンへ。3月の発表会に向けテレマンのリコーダーソナタ(ヘ単調)を練習。あまりの難しさに唖然とする。
○12月30日
朝4時に起きて嫁の実家、福岡へ。新幹線は自由席のため、東京駅で1時間並ぶ。
小倉にて嫁の高校時代の友人方と食事。初対面の女性が苦手な私は終始緊張する。
その後は、嫁の実家にて歓待を受ける。美味しい食事を頂き、就寝。
○12月31日
私の実家、明石に向かう。博多駅にて、腹も減っていないのに無理矢理とんこつラーメンを食す。美味なり。
夜は父、祖父と談笑しつつカニ鍋を食す。歯に衣着せぬもの言いは、私の家系であると実感する。
○1月1日
父とイトーヨーカドーをぶらぶらする。その後、父と別れ明石焼きの名店「とり居」へ。壁に貼ってある明石焼きレシピを写す。その後は母の実家、神戸へ。神戸にて鉄板焼きを頂く。
美味なれど腹重し。
○1月2日
恒例の長田神社へ初詣行く。携帯ストラップ用のお守りを新調する。祖父母、叔母、母を含めて夕食を食しつつ談笑。
勧められるも箸すすまず。
○1月3日
我が家に戻る。夕食は早速覚えたてのレシピで明石焼きを自作する。ふんわり感出ず。されど美味。
○1月4日
浦和の桜草公園にて太鼓大好会寒稽古。
その後、ささやかながら新年会。
その後、シゲオ我が家に来る。
その後、なぜか明け方まで語る。
○1月5日
以前より予定していた笛部と津軽三味線のコラボ企画に大寝坊。三味線奏者のマサルサンに電話で起こされる。数ヶ月ぶりのリコーダーアンサンブルは楽しい。三味線との曲を何か作ってみたいと思った。
○1月6日
シゲオと「太鼓祭inさいたまスーパーアリーナ」へ行く。6時間も太鼓を聴いていると、さすがに疲れる。
○1月7日
初仕事。
帰宅後は明石焼きリベンジ。小麦粉の量を調節し、目指していた明石焼きが完成する。
嫁による「七草雑炊」も美味なり。
以上
topへ