2008年
3月のつぶやき
3月31日 続・太鼓のリズムについて
最近、太鼓のリズムのことをよく考える。太鼓大好会では、最近曲を演奏する前に字打ちのリズムを延々とみんなで叩くような練習を行っているのだが、意外に楽しく、飽きない。太鼓を叩くにあたり、演奏者で地のリズムを作り共有することが大事だと思い始めてきた。以下、そんな内容をメモ書き。
阿波踊りのリズムは、有名な「チャンカチャンカ」である。自然に演奏すれば「チャン」と「カ」の長さの比は2:1となり、弾むような楽しいリズムとなる。
しかし、阿波踊りの中には、「チャン」と「カ」の長さの比が1:1となるものもあり、要するに8分音符の連打となる。このリズムは、筋骨たくましいコワオモテのオッサンが凄い勢いで叩いていることが多い気がする。
民研時代にもらった阿波踊りの資料で、岡田寛斎という人の「"阿波踊り"のリズム」という記事があるのだが、それによれば、阿波踊りの「チャンカチャンカ」のリズムも、テンポが速くなればその比が変化するという。
阿波踊りの基本のリズムは、上記の通り2:1だが、テンポが速くなるとその比は1:1方向に連続的に変化し、テンポが十分速ければ、52:48程度でも弾んだリズムに聴こえるらしい。逆に、アップテンポ時に、無理矢理2:1のリズムに固執すれば、逆に不自然になるという。
面白いのは、阿波踊りをよく聞いていると、通常のテンポ時でも2:1と1:1の丁度間くらいのリズムの連もあることである。3:2くらいのリズム(5連符!)は、非常に難しく聴こえるが、それでも囃し手の息はぴったり合うから不思議である。そんなあたり、楽譜で表す「共通語」でなく、その連だけの「方言」という感じがして、とても魅力的だと思う。
私達が、「馬乗り」と呼ぶリズムは、「テンツクテンツク」のリズムであり、楽譜にすれば8分音符の後ろに16分音符がふたつ続く音形を続けて演奏するものである。それでも、その曲により雰囲気が全く異なるから不思議だし、面白いと思う。
例えば、八丈太鼓「ゆうきち」は、「テン」「ツ」「ク」全ての音量を同じにするように演奏する。全てが強拍であり、遅いテンポでは落ち着き、速いテンポでは轟くように響く。
秩父屋台囃子の玉入れは、右手で8分音符をを連打している裏拍に、狙いすませるように左手で16分音符を打ち込む。よって、左手の音が少し強めになり、緊張感のある演奏となる。
水口囃子「早打ち」の地打ちは、「テン」がアクセント、「ツ」「ク」は弱拍である。スピード感のあるリズムと、弱拍であるが故に、上打ちの裏拍アクセントが心地良く響く。
それと、水口囃子の現地の演奏は、楽譜どおりのリズムと比較して「ツ」「ク」のリズムが若干後ろに詰まっているように聴こえる。即ち、「テン」の8分音符が楽譜どおりより少し長めで、「ツ」「ク」の16分音符は楽譜どおりより少し短いのである。現地の演奏が、本来のテンポよりも速く感じるのは、そのあたりに理由がある。
以上、私の独断と偏見と気まぐれで色々書いた。上に書いたことは、大いに間違えているかもしれない。また、難しいことばかり言っていてもしゃあない。要は、太鼓は面白いということで、しかも、演奏するとなかなか上手くいかないということである。
3月27日 新入社員のタイプについて
今朝、「朝ズバ!」を見ていると、「今年の新入社員のタイプは『カーリング型』」であるという結果が出たとのニュースをやっていた。「財団法人・社会経済生産性本部」が命名したという。
その心は、「周りがブラシで氷上をこするのをやめると、減速したり、止まったりする」とし、売り手市場だった就職活動のせいで受け身体質になった傾向を表しているとのことであった。
私は知らなかったのだが、新入社員のタイプは、昭和48年以降、毎年出ているらしい。
●平成19年(2007)「デイトレーダー型」…細かい損得勘定を行う。売り手市場だけに、早期転職が予想される。
●平成18年(2006)「ブログ型」…表面上は従順だが思いを秘め、時にブログを通じ大胆に自己主張する。
●平成17年(2005)「発光ダイオード型」…ちゃんと指導すると、いい仕事をするが、決して熱くはならない。
下らないなぁと思った。今、一緒に働いている職場の人たちと照らし合わせても、全くピンと来ない。基本的には「最近の若者は・・」で始まる年寄りの愚痴にしか聞こえない。こんなことを一生懸命考える時間があったら、もっと生産的な仕事をしてくれればいいのにと思った。
そんな中、ある1年だけ異色とも思えるほどの絶賛の年があった。
●平成5年(1993)「もつ鍋型」…一見得たい知れずで厄介だが、煮ても焼いても食えそう。
この命名が始まる昭和48年からずっと比較しても、平成5年だけ明らかに異色である。若者に対し、一貫して斜に構えた態度を取り続けた年寄り達をして「煮ても焼いても食える」と言わしめた世代とは、いかなるものなのか。一体、平成5年に何があったのか。かなり気になる。
ちなみに私は「抱き付き枕型」であった。なんじゃそりゃ。
3月26日 出産について
最近、私の周りで子供が生まれたとか、あと少しで生まれるなどのめでたい話が多い。
出産の話を聞くたびに思うのは、女性の強さである。もし私が妊娠したら、逃げ出したいくらいの恐怖に襲われるであろう。一説によれば、妊娠の痛みというのは、男性ならば失神してしまうほどのものであると言う。その他、つわりなどもあり、子供を生むということに関しては、どう考えても不平等に女性の方が大変である。
女性の強さと言えば、普段の仕事でも思うところである。女性は一生懸命仕事をしているのに、男性は「だりー」とか言ってだべっていたり、たばこを吸っていたりする。特に、単調で忍耐のいる仕事を女性がこなしているのを見ると、畏敬の念を抱く。私には3日と持たないなと思う。
養老孟司の「超バカの壁」によれば、「男性は、女性をわざわざホルモンの作用でいじって作り上げたもの」であり、「元になっているのは女性型」であると言う。そういった理由から、生物学的には「女性の方が安定している」らしい。この本では、男性は「男の方が『出来損ない』が多い」とまで言っているし、間違っていないと思う。確かに、そんな男性に「出産」という偉業を任せてはならない気もする。
あまり言うと、男女差別にあたるかも知れない。ともあれ、ご出産おめでとうございます。これからも強き母として、がんばってください。
3月21日 太鼓のリズムについて
ふと思い出したことがある。きっかけは太鼓大好会で本場の秩父を聴いたことである。秩父屋台囃子の五線譜にはどうしても落とせないような絶妙なリズム、水口囃子の太鼓を擦る音までこだわるような音色の奥深さのことである。
太鼓を擦る音なんか、常識的には他の楽器に消されて聴こえないはずだが、そこをどうとらえるかで演奏全体の雰囲気が大きく変わってくるような気がする。秩父屋台囃子も、少しつんのめるようなリズムが、絶妙に合っていないあたりに魅力がある。なんとなく、宗教美術が気の遠くなるような模様を描き続けることにも似ているし、プラモデルで外からは見えないエンジン部品などにまでこだわるのに似ている気がする。
私は、何年も前に、事情があってとあるプロの太鼓集団の代表の方と話をしたことがある。そのときの話で一番印象に残ったのが、リズムの話であった。
例えば、「ダーン ダーン ダン」というリズムを打つとする。楽譜にすれば、付点四分音符、付点四分音符、四分音符となり、1拍目の表拍、2拍目の裏拍、4拍目の表拍で太鼓を打つことになる。
楽譜にすればそれまでなのだが、和太鼓を叩くとなれば、それが微妙に変化すると言う。具体的には、2拍目の裏拍が若干前倒しになり、文字通り「ダーン ダーン ダン」になるらしい。
その団体にも外国人の奏者がいるのだが、彼が叩くと「ダーン (ッ)ダーン ダン」と、2つ目のの音を裏拍と感じてしまうため、楽譜どおりの演奏となり、リズムの躍動感は失われ、彼自信も苦労して練習しているという話を聞いた。
太鼓のリズムは、多様で無限だと思った。何回も何回も練習することで、その団体、またはその地方独特の味わいが出てくるものと思われる。地方の伝統芸能を聴いていると、単調にもかかわらずいつまでも飽きないことが多い。それに対し、創作太鼓は目新しいが意外にどれも同じに聴こえてしまい、飽きてしまうことが多い。その理由は上記のようなところにあるような気がした。
風呂に入っていると、上記のようなことを突然思いついたので急ぎ「つぶやき」に書いた次第である。
3月18日 さくらコンサート説明会
今日は、さくらコンサートの説明会であった。さくらコンサートは、太鼓大好会が出演希望しているステージである。説明会の案内が来たのが昨日、そして説明会が今日だという。仕事は無理矢理、定時に上がり、所沢市役所に向かった。
説明会で他の団体と話をするのは楽しい。他の太鼓団体や、ママさん吹奏楽、シンガーソングライターの卵、「フラガール」もいた。
私達の出演は、4月5日(土)15時〜15時30分である。暇な方、花見場所を探している方は、所沢航空公園にお越しくださいませ。
3月16日 太鼓大好会にて
昨日は、太鼓大好会の練習であった。先月の東京マラソン以来、一度も参加できておらず、久しぶりの太鼓である。
この日は、ゆうのしんとゆうのしんの会社の後輩、タカザワ君が来た。タカザワ君は、秩父出身で、子供の頃から屋台囃子をやっていると言う。
川崎駅集合だったのだが、私が一番に着き、続いてタカザワ君が来た。彼は挨拶もそこそこに、先週のゆうのしん挙式三次会における、イラハによる「めんそーれ!」の件について語っていた。なによりも印象深かったと言う。
タカザワ君の屋台囃子は、まさに秩父夜祭で聴く音そのものだった。彼を交えて交代で叩いているだけで、他のメンバーの音も現地の音に近づいてくるような気がした。なんとなく、銚子や三宅島で太鼓を習った時の感覚に似ていた。楽譜では表しきれないような、微妙なリズムや音量が、その土地の雰囲気を感じさせるのだと思った。創作にはない、和太鼓の奥深さを久しぶりに思い出した気がした。
練習後は、飲み会であった。主な話題は以下の通り。
@タカザワ君に色々質問する
A太鼓大好会の未来について
B男の身だしなみについて
@については、新歓期のような雰囲気、Aは民研の現役時代を彷彿とさせるような激論であったが、いずれも割愛。
Bについては、最後まで残ったシゲオとキエと私で話しているうちにこんな話になった。
キエによれば、「ビジネスにおける男の身だしなみはとても重要で、眉毛の手入れは当然すべし、鼻毛など伸びているのは論外、スーツもビシっと着こなさねばならぬ」と言う。
それに対し、シゲオと私は、「製造業において、眉毛の手入れをしているような男は信用ならぬ。それよりは、作業着のまま現れ、手は油や塗料で少し汚れているくらいの方が、現場に入り込んでいる感じがして好印象である」と反論した。
そのまま議論は平行線をたどったが、シゲオの以下の発言で収束に向かった。
「でも、ズボンを穿いていないとかは嫌だな」
要は、感じ方の問題なのである。キエにとって、取引相手の鼻毛が伸びているというのは、シゲオや私にとって、取引相手がズボンを穿いていないくらい印象が悪いということなのである。そこまで来れば3人ともいい大人である。お互いの気持ちを分かり合い、笑顔で議論を終えることが出来た。
その後、キエとボンサンはタクシーで帰宅、シゲオと私はネットカフェで暇を潰してから始発に乗って帰宅した。ネットカフェで、シゲオと塩ビ管で笛を作る方法や高野秀行の秘境探検の本がいかに面白いかなどについて話していたら、店員に「うるさい」と怒られた。
3月12日 ゆうのしん披露宴
先週末は、サークルの同期、ゆうのしんの結婚披露宴であった。嫁と共に横浜に向かった。
私達民研の席は、大きく器楽+創研席と舞踊席、普及席に分かれていた。一番騒々しいのは、私達がいた器楽男子+創研席であった。新郎新婦がケーキ入刀に続き、ファーストバイトをすれば、「おれたちもやるか」と騒ぎつつタザワがダケヤンの口に肉を放り込むなど、とにかく落ち着きが無い。それと比べて、舞踊・普及席は本当に同じサークルだったのであろうかと思うほど品が良い。顔つきまで違って見えるから不思議である。それにしても、変わらないなぁと懐かしく思った。
二次会は、モアーズの9階「ワインバー」というところであった。9階にてエレベーターを出ると、ダケヤンの嫁、フッチーがいた。私が大学4年の時の1年生である。しばらく見ないうちにしっかりしたなぁと思った。
また、会場前の受付に行けば、アユミとトリイとミッチーがいた。遠めに見る感じでは全く分からず、てっきり新婦側の知らない人だと思っていたので、近くに来て驚いた。上記の男子と比べて、女性は変わるもんだと思った。
二次会にて、ゆうのしんから会社の後輩を紹介された。秩父出身の彼は、なんと屋台囃子の打ち手であり、秩父夜祭で演奏したことがあるという。即座に意気投合し、太鼓大好会に勧誘した。後ほど連絡を取ってみると、屋台囃子を教えに来てくれるという。
その他、同期で「ママン」キタムラをいじるなど、非常に楽しいひとときであった。
ゆうのしんは、地元広島で式を挙げた後、反対する両親を説いて横浜でも披露宴を開いてくれた。そのお陰で私達はゆうのしんを祝うことが出来、仲間と楽しい時間を持つことも出来た。ゆうのしんは、これまでずっとサッカーをやってきたが、サッカーだけでは駄目だと思い、民研に入ったという。サッカーから民謡へ。かと思えばフォークギターを持っていたという、異色の経歴である。限りない偶然の連続を経て、私達は一同に会し、酒を飲み、ゆうのしんの結婚を祝ったのである。
ゆうのしん、本当におめでとうございます。そしてありがとう。
3月7日 朝崎郁恵の唄とイチローのバット
前にも書いたが、朝崎郁恵の唄が誠に気に入っている。朝崎郁恵は奄美大島民謡の歌い手で、2002年に67歳でメジャーデビューしたという、異色の経歴を持つ。「PURE3」で彼女の唄「おぼくり〜ええうみ」を初めて聴いて惚れ込んで以来、初のフルアルバム「うたばうたゆん」を購入し、毎日のように聴いている。
彼女の唄の息を使った独特の優しい声、篠笛の装飾音にも似た節回し、そして絞り出すようなファルセットで出る悲哀の感情表現は、誰も真似ることが出来ない崇高さがある。ちょっと「おわら風の盆」の越中おわら節に似ていなくもない。
私は、仕事柄理詰めでものを考えることが多い。気付けば趣味まで理詰めで考えすぎて、素直に楽しめない時がある。彼女の唄は、世の中は理詰めではないと言うことを教えてくれる。世界はドロドロしていて曖昧であり、簡単に割り切れるものではない。だからこそ楽しいこともあれば悲しいこともある。理詰めで考えすぎて虚しくなったとき、彼女の唄は大いに私の心を満たしてくれる。
前にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でイチローが登場した時、バットの話になった。イチローは、他の選手が到底使わないような極細のバットを使いこなしているという。イチローのバットは、スイートスポットが非常に狭く、まさに一流の選手でなければ使いこなせないらしい。
イチローはバット工場でそのバットを見つけ、まるで自分の体の一部のような一体感を得たという。それ以来「違った感触が残るが嫌」で、他のバットを触ることすらしないらしい。
私は番組でこのくだりを見て、信じなかった。変なこだわりを持たず、スイートスポットの広いバットを使えば更に打率が上がるのではないかと思った。この件だけでなく、寿司職人や鰻屋のこだわりなど、私には定量的に確認しづらいことに対して、ちょっと斜に構えて見る傾向がある。
今日、たまたま朝崎郁恵の唄を聴いて、上記のイチローのことを突然思い出した。あのバットでなければならないという必然性、理屈ではあらわせないなにかがあるということを、唄を聴いて強く感じたのである。
3月5日 「R22」
今日、駅で「R25」ならぬ「R22」を見つけた。新社会人向けのフリーペーパーである。
「R25」というのは、無料の情報誌を装った広告である。得るべき情報もあるが、基本的には誘導尋問的にターゲット(=最も多く広告料を払った企業)の商品をアピールする仕組みになっている。
「R22」は、更にあからさまであった。例えば、「スタートダッシュで失敗しないコミュニケーション術」と称して、「こんなことに気をつけなさい」とか「こういう態度は最悪」など、不安を抱えた若者を更に不安にさせた挙句、「コミュニケーションにはこのケータイを買え」と宣伝する。
フリーペーパーである以上、広告に重きを置くのは当然である。しかし、新社会人の不安な気持ちに対して、表向きは応援し、安心感を与えるふりをしつつ、その裏「これが常識」「このくらい出来なければ失格」の論調で不安を煽る姿勢は誠に良くない。私だったら、余計不安になると思った。ゼクシィが「結婚の常識」として割高な「常識」を生み出しているのに似ている。
こうやって「常識」を勝手に生み出すのは、迷惑行為のひとつだと思う。「常識」を守ることに専心し、そこからはみ出さないようにするなどくだらない。常識破りだからこそ、新人は面白いし、だからこそ企業は新人を欲しているのである。
3月3日 壊れたテレビを叩いて直す
今朝、ニュースを見ていると、突然テレビの電源が落ちた。我が家のテレビは、5年前にリサイクルショップで買った安物で、最近このようなことが多い。
たいていは、電源を入れなおせば直るのだが、今日は何度電源を入れなおしてもウンともスンとも言わない。ついに壊れてしまったのか。
私はがっかりした。つい昨日、ツタヤで「嫌われ松子の一生」と「沙羅双樹」を借りており、楽しみにしていたからである。久しぶりにDVDを借りたときに限ってテレビが壊れるとは、なんと運が悪いことかと思った。
帰宅後、同じように電源を入れてみたが、相変わらずテレビは付かない。私はテレビを叩いてみた。「ちびまる子」のおばあちゃんが、思い浮かんだ。「ちびまる子」のテレビは、おばあちゃん以外、直すことは出来ない。絶妙の力加減が大事らしい。
叩くと、テレビは息を吹き返した。私は驚いた。「テレビは叩けば直る」という古典落語の如き現象が、目の前で起こったのである。これで「嫌われ松子の一生」が見られる。
「嫌われ松子の一生」は、衝撃的な映画であった。タッチは明るいが、テーマは重い。松子は決して悪人ではない。それどころか、人を愛したい、人に愛されたい、心からそう思っている女性である。それにも関わらず、不幸が不幸を呼び、絶望的なまでの人生を送る。
この映画のような状況は、日常いたる所にある。人を、色眼鏡をかけて見てしまうこと、追い詰められて嘘を言ってしまうこと、追い詰められて嘘を言った人を更に追い詰めること、この映画はそう言った日常を容赦なく見せつける。一方で、人は変わることができるし、人に作用されて変わることもあるということを言っているようにも思える。
この映画は、決して「人生は辛い」と言っているのではないと思った。暗い映画ではあるが、根底には「生きる」ことに対する肯定的な姿勢が窺えるし、見ていて元気になるから不思議である。
3月2日 洋服の青山にて
今日、スーツのズボンを買いに洋服の青山に行った。上着はまだ着れるのだが、ズボンに穴が開いてしまったためである。
店員のオバチャンに事情を話すと、「全く同じものは無いが、似たものを探してみる」こととなり、すぐに似た生地が見つかった。オバチャンは少し違うと言っていたが、私には区別がつかないほど似ており、買うことにした。値段は7980円であった。
ここで、オバチャンが驚くべきことを言った。「同じものをもうひとつ買うと、ふたつめは半額」と言う。更に、「同じものをみっつ買えば、みっつめはタダ」と言う。まさに、持ってけドロボー的な売り方である。洋服の青山にいるのに、アメ横にいるような気になった。原価はどれほど安いのであろうか。このシステムで言えば、ふたつ買った人が一番損をすることになる。
一瞬、「みっつ買うか」と思ったが、どう考えてもそんなに要らないので、ひとつだけにした。
話は変わるが、先月の「つぶやき」に書いた「残雪の賭け」に勝った。3月2日の今日は殆ど溶けきっており、辛勝であった。これから嫁の財布で高級ホルモン焼きを食べることとなり、大いに飲み食いするつもりである。
3月1日 リコーダー発表会
今日は、リコーダーの発表会であった。
私が演奏する曲は、テレマンのリコーダーソナタ(ヘ短調)である。五線譜に♭が4つ付くため、指使いが難しい。これでいこうと決めてからしばらく練習していたが、1月頃は「こんな曲出来る筈が無い」と絶望したりしていた。
さて、発表会が始まった。私の母親くらい年代の女性が最も多い。多くの方が、子育てを経て、家事の合間を使ってコツコツと笛を吹き続けてきた人たちである。演奏にそういった母親としての味わいと暖か味を感じる。私は、こういう味わいは出せないなと思いつつ演奏した。
演奏が終わると、聴いてくださった方々に「凄い」と褒められ舞い上がる一方、嫁からは「笛が妙に動きすぎてナルシスティックである」「視線がきょろきょろしていて落ち着きがない」などの指摘も受けた。
発表会が終わった後は、宴会であった。これまで真面目くさって笛を吹いていた人たちであろうかと思うほど楽しい宴会であった。嫁は、「笛吹きは肺活量の関係から気さくになるのではないか」と言っていた。
ともあれ楽しいひとときを過ごすことが出来ました。関係者の方々、ありがとうございました。
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