2002年
7・8月のつぶやき
8月31日 チャーハンのこと
この前テレビで、男女別で「作れるようになりたい料理」のアンケートをとっていた。確か女性の1位はクッキーかケーキなどのお菓子だったと思う。そして、男性の1位はチャーハンであった。
おれはこの結果を見て大いに納得した。今までおれは、女の人がクッキーやケーキを作りたがる気持ちが分からなかった。しかし、多分女の人がクッキーやケーキを作りたがるのは、おれがチャーハンを作りたがるようなものなのであろう。
おれがチャーハンを作りたいと思ったのは、「美味しんぼ」でチャーハンについてやっているのを見たときである。山岡さんが気の弱い中華料理屋のシェフに対して、「チャーハンは炎との闘いだ」と言って鍋をガンガン振り回していた記憶がある。
それに感動したおれは、ことあるごとにチャーハンを作っていた。鍋の振り方やご飯を入れるタイミング、味付けなど独自に研究し、今ではなかなか上手に作れるのではないかと自負している。
このアンケート結果から学んだことは、男と女では根本的な何かが違うのではないかということである。それは、クッキーとチャーハンくらい大きな違いである。だから、男女平等の社会とは言っても、男女が全く同じになることはありえない。女の人が一生懸命クッキーを作っているとき、男は自分がチャーハンを作っていることを思いながらそれを見守るべきであるし、逆もまた然りである。
なんだか変な話になってしまった。夜遅くまで起きて書いていると、だんだん話が変になってくるようです。
ランニングをする。
今日は久々にのんびりできる土曜日だったので、日ごろの運動不足を解消しようと、隣りの白河駅まで走ることにした。毎日会社と家の往復だけだと、季節感もあまり感じられず、知らない間に夏が終わってしまいそうなので、最後に残暑を感じておきたいというのもあった。
さて、実際に走ってみると、若干足腰は衰えていたものの、案外体力は衰えておらず、ちゃんと走ることができた。汗をかくと、体の中の悪いものが出てくようでいい気分であった。
白河まで行くと、まず驚いたのが商店街の寂れようである。最近新白河の方に巨大なショッピングモールができ、人がそっちの方に流れてしまっているのである。私のように、よそから来て一人暮らしをしているものにとっては便利でよいが、昔から住んでいる人たちの中には経済のバランスが崩れ、苦しんでいる人もいるのではないかと思った。
帰りはわざと道に迷いながら帰った。大きな道路を通ってまっすぐ帰るより、細い道を迷いながら帰りたいと思ったのである。帰りながら、自転車を買おうと決心した。遠くに行くなら車の方が便利だろうが、いろいろなものに気付きながらブラブラしたいと思ったら歩いた方がいいし、ちょっと遠出したいと思ったときは自転車の方がいいと思う。
家の近くについてから、「銀だこ」でグリーンティーを買って飲んだ。グリーンティーといえば、小学生の頃、友達と外で遊びまわった後、イトーヨーカドーの試飲コーナーでグリーンティーを何杯も飲んで怒られたことを思い出す。今飲んでみると、あの頃ほどおいしくは感じなかった。
さて、自転車を買おうと近くのリサイクルショップへ行ってみたところ、「新品7800円」とかかれた札のついた自転車がおもてに置かれていた。しかしよく見るといろんなところがさびついており、どうしても新品には見えなかった。作りもなんとなく頼りなかったため、他の店に煎って9800円の新品を買って帰ってきた。
なんとなく今日は良い日だった気がする。
8月26日 長野からの帰り道
初めてOBとして民研の夏のステージに行ってきた。
ダラダラブラブラしているだけだったが、よくよく考えると、かなりハードなスケジュールであった。金曜の夜に仕事が終わって風呂に入ってすぐに出発し、日曜の深夜一時に家にたどり着くまで、ほぼ不眠だったのである。家に着いた瞬間、立っていられないほどの疲れが押し寄せてきた。
さて、楽しかったのが長野からの帰り道である。ミヤチとおれニ台の車で鈴荘を出発したのだが、高速に乗る際、前を走っているミヤチが道を間違えて新潟方面に行ってしまった。おれもついていきながら、せっかくだから新潟で遊んでのんびり帰ろうなどと考えていた。次のICで高速を降り、車を降りたミヤチは、ひとこと、
「高原もいいかなと思って。」
と言った。その瞬間、すべてを悟った気がした。
まずは野尻湖へ行き、スワンに乗った。スワンといえば、大学三年の夏合宿後、相模湖で野宿して朝っぱらから乗った以来である。そのときは、月曜の早朝ということもあり、相模湖上にはおれたちのスワンが浮かんでいるだけだったが、今回は日曜の午後なので、かなり込みあっていた。
乗っているとさすがに現役時代ほどの体力はなく、すぐにへばってしまったが、二台のスワンをぶつけ合って遊ぶなど、およそ正しくない遊びをしつつ、さらに「水鉄砲を買っとけばよかった。」などと言い合っていた。
そのあと、「そば道場」とかいう所へ行った。自分たちでそばを打って食べることができるらしく、丁度オオサワさんもいたため、そばを打とうかという話になったが、結局はそばを食べるだけにした。
そのあとは長野まで戻り、善光寺に行ったところ、なんとカナに会った。かなりの偶然に驚いた。
そして、その後ついに念願の「いむらや」によった。おれが今年夏合宿に行くにあたり、どうしても行きたかったところである。いむらやのかたやきそばはまずいが、なんとなく一年に一度くらいは食べたくなってしまう。しかも不思議なことに、まずいのに混んでいるのである。長野人の味覚には合っているのだろうか。
そんなことを思ってみたが、実際食べてみると、おれもおいしいと思ってしまった。あの甘いあんが病みつきになってしまったのである。
その後は高速に乗り、本格的に帰る体勢になった。このときすでに夕方の五時ごろだった気がする。
このときのドライブで、おれは生まれて初めて心霊現象というものを体験した。オオサワさんに運転を代わってもらった後、道路が込んできた。あたりはすっかり暗くなり、トンネルの中をとろとろと走っていると、突然左のドアを「コンコン」と二回ノックする音が聞こえた。みんなその音を聞いており、実際ドアをこぶしで叩くと似たような音がする。おれは戦慄し、皆に決してドアを開けないように言った。多分昔ここで事故があり、その人の霊が「乗せてってくれー」といっているに違いない。そんなことを考えていると本当に怖くなり、一人で運転してるときになんかあったらどうしようなどと思った。
結局家に着くまでこの現象は十回くらい起こり、何らかの故障であろうと思われた。
群馬でオオサワさんの家まで送って行ったのだが、非常な豪邸ぶりに驚いた。夜の十時を回っていたが、中に入り、お茶を頂いた。オオサワさんは常に落ち着かない様子で部屋の中をウロウロしていたのが印象的だった。
結局家に着いたのは夜中の一時ごろで、さすがにぐったり疲れてすぐに寝た。
このつぶやきを読み返してみると、段落の始めに「そのあと」という言葉が非常に多い気がする。なんとなくダラダラと書いてしまった気もする。そういえば一人称を「おれ」にしたのも久しぶりだなあと思う。
夏ステのこととかをまったく書いていないが、それは言うまでもないことだと思い、割愛する。
8月18日 夏休みのこと
今日で夏休みが終わる。夏休みを振り返ってみると、予想通りほとんど飲んだくれて終わってしまったが、少しは有意義なこともした。
本当にただの思いつきだが、熱海まで巨木を見に行って、絵を書いてきたのである。この巨木は、熱海の来宮(くのみや)神社の御神木で、樹齢二千年以上、幹周り20メートルという、立派な木である。イエスキリストがいた頃より前からここに生えていると思うと、なんだかすごい気がする。
この木には、伝説がある。江戸時代、この村に大事件があり、その訴訟費用の捻出のためにこの木を切って材木にするため、のこぎりを入れようとしたところ、突如目の前に白髪の老人が現れ、その瞬間のこぎりが真っ二つに折れ、老人は消え去ったという。それから村人は木を切るのをやめ、この木を神の宿る木として大切にしたという。確かにこの木を見ているだけで、「こいつはただもんじゃないな。」という気がしてくる。
絵は時間を忘れて書き続けた。下のほうの幹の複雑なところが面白く、必死で書き続けたが、上のほうの葉っぱのあるところはあまり面白くなかったので、面倒臭くなって適当に書いて終わった。
あと、夏休みにやったことといえば、昨日一人で須賀川の花火大会に行ってきた。これも思い付きである。人は多かったが、横浜に比べるとはるかに少なく、見やすかった。最初空いてるだろうと思い、河原へ降りて見ていたのだが、気付くと周りに誰もいなく、さすがに寂しくなって橋の上に移動した。
行ってみて思ったことは、「花火は一人で行くもんじゃない」ということである。
8月8日 新曲が完成する
福島に来てから二曲目のMIDI創作曲が完成した。一曲目は半日ほどで完成したが、今回は一ヶ月くらいかかった。最後がなかなかできなくて四苦八苦した。私にとって作曲はしんどいが非常に楽しい作業である。
しかし今回曲を作って痛感したことが、自分の表現力の狭さである。なんだか並べて聴いてみると、似たような曲のような気がする。はじめはいろいろな表現を考えるのだが、気付くとある決まった表現に収束してしまうのである。
私は単純な同じメロディーを繰り返すのが好きで、ボレロやカノン、ポールシュカポーレ、でいらほんなど大好きである。しかしだからといってそんな曲ばかり作っていても、飽きられるだろうし、自分でも飽きる。だから今ほんの少しずつではあるが、音楽の勉強をしている。今度はがらっと変わった曲を作りたいと思う。
なんだかんだ言っても、とりあえずがんばって作ってみたので暇な人は聴いてみて下さい!
8月6日 散髪屋へ行く
今日福島に来て初めて散髪屋に行った。カットが1500円で、「今東京で大人気」というのが売り文句だった。中に入ると、店員に「まずチケットを自動販売機で買ってください。」と言われた。客はおれひとりしかいないのに、何でこんなラーメン屋のチェーン店みたいなことをするんだろうと思った。しかし、店の内装は淡いピンクや黄色が多く、なんとなくおしゃれな雰囲気であった。決してセッタにジーンズで「スポーツ刈りで」などという感じではなかった。「うちはスポーツ刈りやってません。」などと断られたらどうしようなどと心配しながらいすに座った。
座って髪を切られていると、「モミアゲはどうしますか?」とか「エリクビはどうしますか?」などよくわからない質問をされたので、「普通にしてください。」と言い続けた。言いながら「普通ってなんだろう」と思った。
切り終わったあと、掃除機のようなもので頭を吸われたときは本当に怖かった。時々耳を吸われると鼓膜が変な感じになった。なんだかヘビに食われているような気分になって終始固まっていた。それが終わって一息ついていると、またハサミを入れられて再び掃除機を当てられた。それが終わったかと思ったら、今度はバリカンで刈りながらまた掃除機を当てられた。本当に嫌な感触で、「掃除機はやめてください。」と言おうかどうか本気で迷ったが、我慢していた。
なんとか終わったが、非常に肩が凝って店を出た。
家族のこと
あまり普段こういうことは言わないのだが、私は家族というものを大切に思っている。だからといって何をするわけではないのだが、私にとって家族とは、精神的な支えであり、私が精神的に支えるものであるような気がする。よく、家族のことが嫌いだという人がいるが、私には信じられない。その家族のことをよくよく思ってみると、実は家族は大変なことになっている。
父は明石の実家で祖父と暮らし、母は神奈川で家業のお好み焼きやを切り盛りしている。放蕩娘の妹は、母と暮らしはいるものの、現在バックパッカーとしてアジア二ヶ月の大旅行に出かけている。そして私は、新社会人として、福島でひとり暮らしをしている。
よく考えたら家族バラバラである。なんだかドラマにでも出てきそうなシチュエーションでもある。不健康な現代社会を象徴していそうな事態のような気もする。まさか私の家族に限ってこういうことにはならないだろうと思っていたのだが、気付くとなっていた。
しかし、こう書くとさぞかしシリアスな感じがするが、実際はそうでもない。ごたごたはあるものの、基本的に楽天的は家風なのか、あまり気にもしていないようである。
8月1日 夏休みのこと
8月10日から18日までの9日間、夏季長期休暇があり、今から非常に楽しみである。初め、それだけ休めるということを知ったときは、驚いて「本当にそんなに休んでいいんですか?」と聞き返したほど嬉しかったが、よく考えると、大学時代はまる2ヶ月休みだったし、授業も週休6日くらいだったから、そう考えると忙しくなったものである。
しかし、この夏休み、よく考えて過ごさないとただだらだらと飲んだくれて終わってしまう気がして怖い。現在この貴重な夏休みをどう過ごそうか思案中である。
海の上のピアニスト
最近よくレンタルビデオ屋で映画を借りて見ている。その中でもっとも感動した映画が、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画、「海の上のピアニスト」である。ミヤチが以前面白いと言っていたのを思い出して借りたのである。生涯一度も陸地を踏むことなく、船の上だけで一生を終える天才ピアニストの話である。最後の爆発寸前の廃船の中での、船とともに一生を終えることを決意した天才ピアニストと彼の親友とのやりとりは、感涙し続けながら見、見終わってからもしばらく感涙し続けた。
また、音楽も非常にすばらしく、思わずサウンドトラックを買ってしまった。私が一番好きな曲は、主人公が一目惚れした女性の寝室に忍び込み、寝ている女性にキスしようとするシーンで流れる音楽である。と、こう書くと、非常に変態的なシーンをイメージするかもしれないが、実際はもっと純粋で切ないシーンである。そのとき流れる曲が、四分音符たった4つのごく単純な主旋メロディーを延々と繰り返すだけなのだが、それがもどかしさと切なさを表しているようで惹きつけられる。
他にも全体を通して映像と音楽が溶け合っており、驚きと感動がある。主人公役のティム・ロスはピアノをまったく弾けず、「上手っぽく弾く」練習をしたというのも驚きである。それにしても、この映画音楽を作ったエンニオ・モリコーネという人はすごいと思った。なにせ、「船の上には陸に一度もあがったことのない天才ピアニストがいて、誰も聴いたことのないような素晴らしいピアノを即興で弾く」という設定である。並大抵の曲ではこの設定に太刀打ちできない。それで観客を納得させるというのはすごいことだと思った。
7月31日 冷蔵庫を冷やす
今朝、夜勤明けで家に着いたら、冷蔵庫のドアが半開きになっており、中のものが若干ぬるくなっていた。仕事明けの冷たいビールのことだけを思って家路に着いたのに、ビールもぬるくなっていたので、仕方なくビールに氷を入れて飲んだら、ただでさえ味の薄い一本80円の発泡酒がさらに薄まった。
しばらく昼寝をしてから冷蔵庫の調子を見てみると、冷蔵庫の側面と裏側が異常に熱くなっており、危険な状態と思われた。以前実家で、冷蔵庫の半ドアが原因で故障したことがあったので、何とかしなければならないと思った。
とりあえずこのまま放っておくと、中を冷やそうとすればするほど熱を帯び、悪循環になると思われたので、コンセントを抜いて冷やすことにした。裏側のタンクのような部分は、触れないほど熱くなっていたので、タオルに水をしみこませてタンクにあて、冷やすことを繰り返した。まるで熱のある子供の額を冷やしている甲斐甲斐しい母親の気分であった。しかし、焼け石に水とはこのことで、タンクは一向に冷めない。
そうこうしていると、タイミング悪く、実家からクール宅急便でシュウマイが届いた。しかし、電源を切っている状態でドアを開けると中の冷気が逃げそうでもったいないと思ったので、シュウマイにはしばらく我慢してもらうことにした。
何とかこの冷蔵庫を冷やす方法はないかと思案し、出た結論が、「扇風機で冷蔵庫を冷やす」であった。工場で、故障した搬送ロボットを扇風機で冷やしているのを見たことを思い出したからである。しかし、肝心の扇風機が我が家にはなかったので、近くのリサイクルショップへ行って1500円で買ってきた。冷蔵庫のために扇風機を買うのはなんだか変な気がした。今日はとても暑かったので、私も冷蔵庫のそばへ行き、扇風機の風にあやかった。
四苦八苦し、なんとか冷蔵庫は治ったようである。
7月27日 尿結石について
先週、「特命リサーチ200X」で尿結石についてやっていた。尿結石とは、膀胱で尿の成分が結晶化することによって石ができる病気のことである。そしてこの石が尿道に詰まると、地獄の痛みを味わうという。
尿結石になる大きな原因のひとつが、「寝る前のビール」であるという。ビールには、プリン体という成分が多量に含まれており、それが尿結石をできやすくするという。
私は大きなショックを受けた。私から仕事後のビールを取ったら生きていけない。かといって地獄の苦しみを味わうのも嫌である。何とかビールを飲んでも尿結石にならない方法はあるかと思ってみていると、「寝る前にコップ一杯の水を飲めばいい」ということである。「なんだそんな簡単なことか」と思い、これからは寝る前に水を飲んで寝ようと思った。
すると次の日、家で寝ていると突然水道の水質検査の人がやってきて家の水道水の塩素濃度を測りに来た。薬品を入れたら水は真っ黄色になり、塩素濃度が高いことを示していた。その人は、「まあ私はこれを見ていいとか悪いとか言いませんが、私だったら飲まないですね」と言い残して帰っていった。十分「悪い」と言っているじゃないかと思いつつ、水道水を飲むのも気が引けてきた。
しかしよく考えると、大学時代にあれだけ不健康で、かつ大量にビールを飲む生活をしていながら、尿結石ができたことはないし、できたという人も知らない。人間は思ったより頑丈にできているんだと思うことにして、毎晩晩酌をしている。
7月16日 最近「つぶやき」をこまめに更新している気がする。密かなる「つぶやき」の基本姿勢はまじめな話とばかばかしい話を交互に書くことである。今日も短いですが少し語ろうかと思います。
カレーを食べ尽くす
おとといのつぶやきで書いたカレーをやっと食べ尽くすことが出来た。正直な今の心境は「しばらくカレーは食べたくない」である。なにせ、まる二日間朝食と夕食をカレーだけで済ませたのである。吐きそうになりながら会社に行ったこともあった。
悪かったのは、カレーに余ったサトイモを入れてしまったことである。サトイモの粘り気で、カレーが粘土のように固まってしまい、非常に重くなったのである。
作って三日目の朝、食べたらスパイスの味がしなくなっていた。別に変なにおいがするわけではなかったが、何の匂いもしないカレーというのも変である。変だと思いつつ食べ尽くし、達成感を覚えた。何とか腹をこわさずに済んだが、もしかしたら間一髪だったのかもしれない。
あぶくまの鍾乳洞
この前の土日に、あぶくまの鍾乳洞に行ってきた。鍾乳洞とは、長い年月をかけて雨水が石灰岩を溶かすことによって出来た洞窟で、奇妙な形をした鍾乳石をたくさん見ることができる。
中に入ってまず感動したのは、自分が岩石の中にいると実感できたことである。自分の真上には土壌があって、木が生い茂っている、そんなことを考えるだけでどきどきした。そして、奇妙な形をしている鍾乳石を見ていると、なんだか複雑な思いを抱いた。
普段私たちがしている仕事などは、普通は意味のあることにしか、意味がない。しかし、この洞窟内にいると、意味のないはずのものに、意味があるような気がしてくるのである。そしてそのことがとても尊い、そんな気にさせてくれるのである。次は鍾乳洞をテーマにして曲を作りたいと思った。
7月14日 カレーを作る
実は私はひとり暮らしをはじめて以来、自炊を続けている。外食や、コンビニで済ませたことはほとんどない。しかし、ひとり暮らしだと、毎日食べるものが自分の好物や、手軽に作れるものばかりになってしまい、かたよってしまう。毎日食べているものは、ごはんと味噌汁に、ホルモンと白菜のキムチ炒めである。少々具などは変えているが、基本的には変わらない。そこで、今日はカレーを作ってみようと思い立ち、買い物に行った。
しかし、カレーに使う材料は、ジャガイモやタマネギなど、私にとってあまり使わないものばかりである。しかも、そんなものに限って一袋に大量に入っているので、一瞬ジャガイモとタマネギを使わずに作ろうかと思ったが、ジャガイモとタマネギのないカレーなどカレーではないと思い直し、買った。
そして、めったに使わないからと思い、材料を大量に切って放り込んだところ、なべがいっぱいになってしまい、かき混ぜることもほとんど出来なくなってしまった。量を減らそうかとも思ったが、そんなことをするのは消極的で男らしくないと思い、また、そのうち水分が蒸発して量も減るだろうとも思い、そのまま炒め続けたところ、ぎりぎりカレーが作れるくらいの量にはなった。
何とかカレーは出来た。なべいっぱいに作ったので、しばらくは食事に困らないであろう。じっくり煮込んだところ、大量に入れたタマネギはルウに溶け込んで形がなくなった。適当に作った割には上手に出来た気がする。
7月13日 夜勤シフト始まる
今週から会社の現場実習では夜勤シフトで働いている。働く形態は、
昼勤→昼勤→夜勤→夜勤→休み→休み
のサイクルを繰り返すというものである。そして今、初めての二連続夜勤明けでかなり疲れている。大学時代にかなり無茶苦茶な深夜バイトをやっていたからこんなもの余裕だろうと思っていたが、実際やってみると、深夜に12時間肉体労働をするというのは、相当きついものがある。
しかも実習のはずが、気付くと現場の戦力のひとりとして数えられていた。まだ上手に仕事が出来る気がしない状況だが、そうも言っていられなくなっている。私がちゃんと仕事ができないと、工場の予定が遅れ、現場に迷惑をかけることになる。
私が想像以上に仕事を覚えるのが早いからこういう処遇になったんだろうと、プラスに考えることにしているが、やはりうまく仕事が出来ないと、へこんでしまう。
しかし、嬉しいこともある。昼勤から夜勤になるときに24時間休めるのである。人がみんな働いている平日の昼間にビールを飲みながらごろごろできるというのは、なんだか優越感を感じられていい。
また、給料も楽しみである。昼勤の倍近くは行くという。夏ボーナスも入るので、かなり嬉しいことになるだろう。先輩の話によると、
「定年までこんな高給はもらえないんじゃないか」とのことである。
7月10日 人生を思う
私は今、社会人一年生として毎日会社で仕事をしている。仕事をしていると、自分は本当はどんな仕事がしたいんだろうかと考える。別に今の仕事が嫌だと思うわけではない。しかし、たった一度しかない人生の半分以上を占める仕事であるから、自分にとって天職だと思えるような仕事にめぐり会いたいと思う。
私にはいささか大げさかもしれないが、思っていることがある。それは「人類のために仕事をしたい」ということである。こんなだいそれたことを思うのは、最近司馬遼太郎の「竜馬が行く」を再び読んでいるせいであろう。「竜馬が行く」によると、坂本竜馬は日本で初めての「日本人」であるという。藩や身分制度の枠を超越して「日本」という大きなスケールでものを見た。
そして現在、人類は危機に直面している。普通に生活しているぶんには豊かで穏やかなものであるが、よくよく考えるとかなり危ない気がする。
まず、資源が危ない。石油があと何十年もつかは専門家によって意見は異なるが、少なくとも永久にもつということはありえない。今調子に乗って石油を湯水のように使うと、私たちの孫の代くらいが困るだろう。木を切りすぎると木材もなくなるかもしれない。しかし、ほとんどの人は孫の代くらいには自分はすでにいないから関係ないと思う。石油に代わる代価エネルギーも研究されているが、石油には及ばない。石油はそれほど便利で使いやすいエネルギーなのだ。たぶん。石油に代わる代価エネルギーが開発されて一気に問題解決、ということはまずありえないだろう。風力や地熱、太陽光などでチマチマとエネルギーをかき集めるくらいが関の山ではないか。
他にも、地球温暖化や砂漠化、放射性廃棄物など、地球は大きな問題を抱えている気がする。そして、倫理的な問題もある。人口爆発と人権問題のバランス、民族、宗教などの問題、そんなことを考えると、人類は大丈夫なのかと思う。
なんだかつまらない話になってしまった。しかし、覚悟しておくべきことは、人類のために働くと、人並みの幸せは享受出来ないだろうということである。ウルトラマンだって、見ている人にとってはかっこいいが、本人は相当しんどい思いをして戦っていることだろう。なんだかんだ考えながらも、結局は普通の幸せを享受しながら人生を送ることになるのかもしれない。
今日書いたことを読み返してみると、なんだか支離滅裂でろくでもない文章を書いてしまったと反省している。最近一貫性のない文章を書くことが多くなった気がする。どうやら疲れているようなので寝ます。おやすみなさい。
7月1日 このホームページのことを思う
たまには私が今作っているホームページのことについての話もしたいと思い立ち、筆をとることにした。
実は私は抹茶が好きである。だから背景の色は抹茶色にした。しかし、よく考えると、私は生まれてこのかた抹茶を飲んだ経験は多分ない。しかしなぜ抹茶が好きかといえば、「抹茶」というイメージが好きなのであろう。今でも麦茶のごとく抹茶を冷蔵庫に大量に保存して、暑い日に一気に飲んでみたいという妄想をする。抹茶がどういう味かも知らないのに、である。
ホームページの話をするつもりが、抹茶の話になってしまった。私がこのホームページを作るにあたって決めたのが、ホームページの作成ソフトを使わず、htmlで作ろうということである。その理由は、自分で作ったホームページの仕組みが自分で分からないというのが嫌だったということと、すでに用意されている素材を使うのがいやだったということである。用意されている素材をたくさん使うと確かに華やぐが、逆に個性のようなものが失われる気がしたのである。
そして私自身も気になるのが、トップページの
「このホームページは田所幸一郎の独断と偏見と感受性と先見の明を記したものです。あなたの人生の助けとなれば幸いです。」
という言葉である。かろうじて、独断と偏見と感受性はあるかも知れないが、先見の明は今のところない。人生の助けにもあまりならない気がする。
このホームページのタイトルに自分の本名を持ってこようと思ったのには意図がある。誰か遠い昔の級友などが「あいつは今どうしているだろう」などと思って何気なく私の名前で検索かけてみると、一番上にこのページが踊り出てくるのである。そうすれば生き別れになった友人と連絡がとれるかも知れない。なんとなく感動的ではないか。
なんだか本当にどうでもいい話になってしまった。もっといろいろ語ろうと思っていたが、どうでもよくなってしまった。おやすみなさい。
topへ