2008年
5月のつぶやき




5月29日 ゲーム理論

 最近、ゲーム理論の本を少しずつ読み進めている。結構難しいので、少しずつしか読めないが、なかなか面白い。

 ゲーム理論とは、複数の意思決定主体が存在する中での意思決定の理論である。複数のプレイヤーが、それぞれ意思決定する中で、自らの行動を決定する際に用いられる。仕事や日常生活で使えるかもしれない、と思ったのが読み始めたきっかけである。

 ゲーム理論で有名なのが「囚人のジレンマ」である。ある強盗事件を起こしたふたりの容疑者が、軽い窃盗容疑で逮捕され、それぞれ別々に取調べを受けている。強盗事件について、ふたりとも黙秘を続ければ、窃盗罪のみで2年の懲役、ふたりとも自白すれば強盗罪で10年の懲役となる。そして、ひとりは自白し、もうひとりが黙秘すれば、共犯証言の制度により自白した方は懲役1年で済むが、黙秘した方は懲役15年となる。ふたりにとって最も合理的な選択はどれであろうか。

 ゲーム理論で言えば、これには明確な答えがある。仮に容疑者A、Bとして、Aの立場で考えると、

○Bが自白した場合
 Aは黙秘すれば懲役15年、自白すれば懲役10年

○Bが黙秘した場合
 Aは黙秘すれば懲役2年、自白すれば懲役1年

となり、Bがどちらを選択したとしてもAは自白した方が有利となる。同様のことがBにも言えるから、A、Bにとって最も合理的な行動は、「自白する」ということであり、これを「ナッシュ均衡」と呼ぶ。面白いのは、ナッシュ均衡が必ずしもプレイヤーにとって最良の結果とはならないことである。上記例を考えてみても、A、B共に黙秘していれば2年で済んだところ、お互いが合理的な行動を取った結果、10年もの懲役を受けることになる。

 ゲーム理論は、温室効果ガスの削減と経済成長のバランスから、好きな子に告白するかしないかといった問題まで幅広い。仕事で判断を迫られた時、方向性を決めたい時にも有効な気がする。

 先日、会社でリーダーに打合せ内容を報告していたら、突然リーダーが「それはゲーム理論だ!」と叫んだ。あまりにタイムリーだったので、びっくりした。やはりゲーム理論は身近にある。

 しかし、ゲーム理論は数式も多いし、使いこなすにはかなり勉強しなければならなさそうである。


5月28日 楕円の公式

 今日は、嫁と近くの中華料理屋で外食した。料理を注文した後、ふたりでテーブルに置かれているレシート入れを眺めていた。それは、竹を斜めに切ったような形状であり、底面は円、天面は斜めにスライスされて楕円となっている。

 しばらく見ていると、嫁が 「このスライス角度が垂直方向に対し60°だとすると、天面の楕円の面積は底面の円の面積の何倍になるか?」 と言った。私は、「2/√3倍である」 と答えた。楕円の公式はよく覚えていなかったが、積分すれば明らかであろう。

 続いて嫁は 「では、円周は何倍になるか?」 と言った。私は最初、「同じく2/√3倍」と答えたが、それでは楕円ではなく、「直径が2/√3倍の真円」 になってしまうと、嫁に指摘され納得した。天面の楕円の円周は、底面の円周の2/√3倍よりは確実に小さい。

 そこで、注文していたニラレバ炒め定食とマーボー豆腐定食が来た。私は、ニラレバ炒めを食べながら、レシート入れの円周を考えていた。嫁は、はじめに問題提起しておきながら、すでにどうでもいいらしく、マーボー豆腐定食を食べて「辛い、辛い」と言っている。食後、私はペンを取り出して考えようとしたが、嫁に止められて店を出た。

 家に帰って調べたところ、楕円の円周は美しい数式で表せるものではなく、近似式を用いるしかないらしい。簡単そうなのに意外に難しい。中華料理屋で考え込まなくてよかったと思った。


5月27日 しんどい、面倒臭い

 今日は、久しぶりに有給を取った。週末に都合がつかず、リコーダーレッスンを入れていたためである。

 朝、仕事に行く嫁を見送った後、とりあえず洗濯と部屋の掃除をした。そして、残り物でチャーハンを作って食べ、リコーダーの練習をした。練習をしながら、今日は自転車でレッスンに行ってみようと思った。地図を見ると、距離は直線で10キロ程度、1時間弱であろう。

 自転車をこぎながら、考えた。人生における最良の選択は、「しんどい」ということと「面倒臭い」ということさえ目をつぶれば、かなり変わってくるのではないか、ということである。

 例えば、レッスンに自転車で行くということは、電車で行くことと比較して、

・早い(徒歩を含めると電車の方が時間がかかる)
・安い
・健康的

などのメリットが考えられる。一方、電車で行くと、

・金がかかる
・時間がかかる
・太る

などのデメリットが挙げられる。私がこれまで電車を使用していたのは、「しんどい」「面倒臭い」と理由から上記のようなデメリットを甘んじて受けていたことになる。

 似たようなことを、今の家を決める際に考えた気がする。私は、「駅から近い」ということに魅力を感じない。現に私の家は、駅から15分以上かかる立地である。その分、家賃は割安感がある。嫁との協議の中で、

「安い上に健康になれるなんて、良いこと尽くしじゃないか」

と言った記憶がある。

 レッスンの帰り道、近所のお気に入りの豆腐屋で豆腐を買い、仕事から帰った嫁と冷奴にして食べた。醤油も薬味も要らないほど、美味しい冷奴であった。西友で買う豆腐とは、別の食品ではないかと思うほどである。

 「しんどい」「面倒臭い」を極力無くすのが、現代の向かっている方向である。しかし、「しんどい」「面倒臭い」がこんなに美味しい豆腐を作るのではないか、と思った。


5月11日 もやしもん

 凄く久しぶりに、マンガを買った。石川雅之氏の「もやしもん」である。5月10日の朝日新聞でこのマンガの存在を知った。手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞したらしい。菌やウィルスが肉眼で見えるという、特殊な能力を持った主人公が農業大学に入学し、さまざまなトラブルに巻き込まれるという、突飛なストーリーである。

 本屋で1巻を手にとってみて、一気に惹きつけられた。帯び掛けには「大豆インクを使用」とあり、大豆油インキで印刷されたことを示す「ソイマーク」がでかでかと載っている。カバーの端には、使用した原紙のグレード名「王子製紙:OKプリンス上質エコG100 米坪157.0g/u」と記されており、逆の端にはC(藍)M(紅)Y(黄)K(墨)のカラーパッチが印刷されている。ここまであからさまなエコの主張や、印刷工程の生々しさをそのままデザイン化したカバーは見たことが無い。私は面白くなり、即座に購入した。

 読んでみたら、面白かった。印象をひとことで言えば、「心地良い不愉快さ」である。このマンガでは、世界中の凄まじい発酵食品がグロテスクに登場したり、私たちに見えない菌が爆発的に噴出したりする。ヨーグルトから愛らしく顔を出す菌のコマなどは、普段食べているヨーグルトへの見かたを変えてしまう力がある。大げさに言えば、世界の本質を、噛み砕いて表現しているようにさえ思える。

 作者は、高校を卒業後、バイトをしながらマンガ家を目指していたらしい。途中引きこもりになった時期もあったと言う。大学生活を体験したわけではのに、大学の雰囲気がよく伝わってくるし、専門家でもないのに日本菌学界の講演に招かれたという。マンガからは、イマジネーションの豊かさと勤勉さを感じる気がする。

 単行本はもう6巻まで出ているらしい。次も読みたいと思った。


5月6日 財布を買う

 昨日、財布を買い換えた。色々な人から「財布がボロボロだ」と指摘されたためである。私はまだまだ使えると思っていたのだが、これほどいろんな人から指摘されると言うことは、この点に関して人間として最低の身だしなみさえ出来ていないということであろう。そう判断した私は、西友で適当な財布を物色し始めた。

 私は、ひとつの財布に全てを入れる主義である。紙幣、小銭はもちろん、カード類、割引券、果てはUSBメモリまで入っている。小銭やカードを小銭入れ、カード入れなどに分けることによるリスク分散を実施している人もいるが、それでは失くすリスクが高まる上に、失くした際に気付きにくい。私は、ひとつの財布を死守した方が安全だと思っている。よって私の財布はパンパンで、それが財布をボロボロにする原因でもある。

 西友で、2千円強の財布を購入し、早速古い財布からの移管を試みたところ、以前の財布よりも容量が少なく、全く入らない。それでも無理矢理押し込むと、財布がたためなくなってしまった。

 仕方なく、財布の中を整理し、なんとか強引にたたんだ。しかし、以前よりもかなり使いにくくなってしまった。一瞬、ゴミ箱に捨てた前の財布を拾って元に戻そうとしたが、これだと2千円強をドブに捨てたも同然だと思いなおし、我慢して使うことにした。


5月4日 若さについて

 学生時代、太鼓の演奏を聴いてくれたお客さんが、「若いっていいですね〜」などと言ってくれたものである。当時、「若い」という言葉は、褒めるべき点が見つからないときの口上として用いられるものと思っており、もちろん悪い気はしないものの、若いということがどれほど素晴らしいか、などということは考えもしなかった。

 昨日、民研から阿波踊りの伴奏を教えて欲しいという依頼があり、久しぶりに大学に行った。久しぶりに見る学生たちの雰囲気は、私たちの時と何一つ変わっていないように思えた。阿波踊りが終わった後、自転車で栃木から箱根まで出かけていたシゲオが現れた。その後も、他の曲を見学したり、ちゃちゃを入れたりしていた。

 そんな中、銚子大漁囃子の演奏を見て、息を呑んだ。躍動感があり、アクセントが効いており、表情も素敵である。銚子大漁囃子はこんなだったというのを、鮮烈に思い出した。先週末の太鼓大好会で、全く身体が動いていない銚子大漁囃子を見ただけに、この差は衝撃的であった。筋肉の有無ではない。総合的な身体能力の高さと、その身体を動かすための意志力の強さが、桁違いなのである。これが若いということか。

 その他、靴底が剥がれた靴を履いて、その剥がれた靴底を手にしたままバイトに行く姿(彼はOBだったが)にも、若さを感じた。


 その後、シゲオ、セツ、クマケンと共に清八に行った。シゲオがセツを

「おまえは筋肉の牢獄に囚われている」

と評したのが面白かった。意味は分からないが、合っている気がする。それに対し、セツは「では筋肉に頼らないよう気を付けます」と返したところ、答えは否。

 「筋肉の牢獄から開放されるには、そのあり余る筋肉を限界以上に酷使しなければならない」らしい。シゲオの言うことには、意味不明の知性と説得力がある。


 清八を出て、家に帰ろうとすると、すでに終電が無いことが判明、そのまま「プリッツ飲み会」とやらに参加し明け方まで飲み、山手線を一周してから帰宅した。

 練習を見てから、若さについて考えた。私たちと彼らの違いはなんなのか。私たちのほうが年上だが、年寄りというほどの年ではない。年齢の問題ではないであろう。恐らく、スタンスの問題だと思われる。「おれたちは年寄りだ」と思い込んでいること自体に問題がある。

 とは言え、私たちも仕事の合間を使って練習している身である。かつて授業をサボって太鼓を叩いていたように、仕事をサボってまで太鼓を叩くわけにもいかない。だからこそ、せめて練習の時は、身体が動かなくなるくらいまで全力を出し切らねばならないだろう。「筋肉の牢獄に囚われない」ためにも。


5月2日 広島焼き中毒

 私は、広島焼きが大好きである。広島焼きには、中毒性があるのではないかとさえ思っている。1週間食べなければ、あの味が恋しくなり、ふらふらと店に食べに行ってしまうか、自分で作ってしまう。もしも、外で広島焼きの店を見つけようものなら、例え腹一杯でも店に吸い込まれてしまうし、そこが美味しければ、それに影響を受けて夕食も広島焼きを作り、不味ければ、夜、口直しに広島焼きを食べなければ気が済まない。

 広島焼きの面白いところは、使う材料や製法殆ど同じにも拘らず、店によって味が全く異なることであろう。材料や製法の幅で言えば、ラーメンなどよりは遥かに狭い。しかし、キャベツの切り方ひとつ、火の通り具合でひとつで味が決定的に変わるあたり、非常に奥深いと思う。美味しい店の広島焼きは、毎日食べても飽きないと思うし、不味い店の広島焼きは、二度と食べたくないと思うくらい、雲泥の差がある。

 最近は、「広島焼き中毒」に加え「明石焼き中毒」にもなりつつある。明石焼きとは、簡単に言えばだし汁で食べるたこ焼きだが、通常のたこ焼きとは生地の作り方が違う。明石焼きは、近くに美味しい店は無いので、専ら自分で作っているが、これも2週間くらい食べないと、急激に仕事が手につかなくなったりするから不思議である。

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