2008年
6
月のつぶやき
6月29日 初マトリックス
先週の金曜ロードショーで「マトリックス レボリューションズ」を見た。見たと言っても、最後のクライマックスからである。丁度、主人公「ネオ」と悪者「スミス」が最後の闘いをしていた。
マトリックスという映画の存在は知っていたが、これまで一度も見たことが無かった。初めてマトリックスを見て、その映像美に驚くと同時に、爆笑した。まるで、「ドラゴンボール」のフリーザと孫悟空のような戦いである。重力や物理法則の概念は完全に無視されているのに、カンフーのような戦いぶりなのも面白い。
何がなにやら分からなかったが、とにかく面白いと思った。前作も見てみたいと思い、ツタヤで借りた。
マトリックスと言えば、リンボーダンスのように身体を後ろに反らせ、背泳ぎのように手を動かして弾丸をよけるシーンが印象的である。映画を見たことが無い私でも、そのくらいは知っている。我々庶民にとっては、マトリックス=リンボーダンス と言っても過言ではない。
そして、映画の流れの中でついに問題のシーンを見ることができた。やはり面白いし、印象的であった。巷で真似されるだけのことはあると思った。付属のメイキングで知ったのだが、このシーンはなんと120台のカメラで同時撮影して作られたものらしい。
映画全体としては、深いとか哲学的という話も聞くが、そこをつきつめるには矛盾が多すぎる気がした。あまり深く考えず、ただのエンターテイメントとして見た方がいい映画だと思った。
6月27日 最近のお気に入り
<木の芽>
私の好物は広島焼き、天丼、スルメなど数多いが、「木の芽」も私の好物のひとつである。「木の芽」とは山椒の木の若芽で、独特の香のする葉っぱである。道を歩いていれば、たまに雑草として生えているのが見つかる。ただし、意外とスーパーなどではなかなか売っていない。
リコーダーレッスンに行くと、先生の家の庭に木の芽が生えていた。雑草として勝手に生えてきたらしい。2枚くらい分けてもらい、家で筍とワカメのお吸い物を作って木の芽を浮かべた。味付けは「ほんだし」と醤油のみだが、非常に春らしくて美味しい。
それから、本格的に家の周辺の植込みなどで木の芽を探し始めた。木の芽はシダ植物と間違えやすく、手にとって見ればシダだったことも多い。探しているうちに、最寄り駅までの道のりでついに木の芽を発見した。
その他、人の家の庭でも2箇所見つけた。壁から手を伸ばしてはっぱをむしったら、嫁に怒られた。
<五十嵐貴久の本>
最近、「つぶやき」を書く暇も惜しんで読んでいるのが、五十嵐貴久氏の本である。私は、本は好きだが、読んでいると大体眠くなるほうなのだが、これらの本は必死になって読み続けてしまう。しかも、本によってジャンルが全く異なるのがまた面白いし、凄い才能だと思う。
・「交渉人」 ・・・文字通りネゴシエーターの話。病院に人質を取って立てこもったコンビニ強盗との交渉が進む中で驚くべき複線がある。
・「リカ」 ・・・中年サラリーマンが出会い系サイトで知り合った女性により、恐るべきストーキングを受け追い詰められる話。ホラー小説に近い。
・「TVJ」 ・・・お台場のテレビ局が「72時間テレビ」中にテロリストに乗っ取られる。テレビ局社員である、30歳を目前にした経理部のOLが人質になった恋人を救うためひとりテロリストに立ち向かう。
・「安政五年の大脱走」 ・・・側室の話を断った津和野藩の美雪姫に怒った大老井伊直弼は、津和野藩に謀反の疑いをかけ、藩士51人と姫を山頂に幽閉する。藩士と美雪姫のの知恵と勇気により脅威の脱出劇を試みる。時代小説というよりはファンタジー小説に近い。
・「FAKE」 ・・・興信所の調査員と美貌の東大生が組んで、浪人生を受からせるべく完璧なカンニングを実行する。色々あって、最後にはヤクザと10億円をかけたポーカーの勝負をする。
・「1985年の奇跡」 ・・・校則の厳しい高校の弱小野球部を舞台にした青春小説
どれも、本代が勿体無いなと思いつつ一気に読んでしまった。全然違うジャンルの小説なのに、どれも根底に似たような雰囲気を感じるから不思議である。
6月23日 先週末
<土曜日>
投資している会社の株主総会に行ってみた。今は株の売り買いはほとんどしておらず、かなり損をしているのだが、損した状態で売るのも悔しいと思い持ち続けているものである。ちなみに、株主総会に出席するのは初めてである。
凄いと思ったのは、社長の能力である。プレゼン能力といい、人間的魅力といい、一般人とは格が違う。
質疑応答の際に発言する株主には、失望した。その会社は飲食業だったのだが、些細なことで社長に電話したら、折り返し電話すると言われてそのまま放置されたとか、メニューに要望を出したのに採用されないとか、椅子が壊れているとクレームを出したのに一向に治らないとか、何千人もの株主の前で言う必要の無い意見が延々と出されていた。
それでも、社長はひとつひとつの質問に「誠意を持って」受け流していた。それ以上、文句を言わせない絶妙な間と、話術を垣間見た。
<日曜日>
日曜日の午前は、小倉祇園太鼓を習いに行った。朝9時に東林間であり、5時半に起きて向かった。
小倉祇園太鼓は、とても楽しかった。独特のリズムが新鮮で心地良い。創作太鼓に比べて、伝統的な太鼓は圧倒的に楽しいと思う。その理由のほとんどは、地のリズムの個性による。創作太鼓の地のリズムはどれも似たようなものだが、伝統的な太鼓はそこにアイデンティティーとも言うべき個性がある。地域の風土が生み出すリズムに比べたら、個人の創造力とはなんと貧困なことかと思う。
とても楽しかったが、非常に疲れた。手の皮は剥け、ボロボロの状態でそのまま太鼓大好会の練習に向かった。
太鼓大好会では、最初はぐったりしていた。秩父屋台囃子の時は頭も体も言うことをきかない。その後、大漁太鼓のさんとこの練習でちょっと元気になった。学生時代はできなかった新しい大漁太鼓の形ができつつある。お披露目は8月の元宮ステージである。「太鼓大好会」の名前は、元宮の「神輿大好会」から着想を得たものである。ステージが楽しみになってきた。
結局、家に帰ったのは夜の9時。太鼓三昧の一日であった。
6月19日 じゃがいもの煮っ転がし
最近追加された私の得意料理が「じゃがいもの煮っ転がし」である。少し前の朝日新聞に載っているのを見て、いつか作ろうと思っていたところ、丁度その日に行ったお好み焼屋のおばちゃんが、たまたまじゃがいもの煮っ転がしサービスで出してくれ、その味に感動したのがきっかけである。
作り方は簡単だが、かなり美味しい。
1. じゃがいもを、皮付きのままレンジで5分間チンする。
2. 皮付きのまま半分に切り、胡麻油をひいたフライパンで表面を焼く。
3. 適度に焦げ目が付いたら、水をひたひたまで加え、煮干をふりかける。
4. 醤油、みりん、砂糖で適当に味付けし、中火〜強火で煮る。
5. 煮汁がほとんどなくなるまで煮たら完成
おそらく、15分もあれば出来るであろう。ポイントは、「じゃがいもの中まで味を染みこませないこと」らしい。表面だけ味を付けることにより、中のホクホク感が楽しめるのである。しかも、煮干とじゃがいもの組み合わせも絶妙である。
これまで3,4回作ったが、簡単で美味しい。しかも、失敗しない安定感がある。嫁もいたく気にいてくれ、我が家の家庭の味のひとつとなった。
6月16日 ディズニーランドへ(後編)
ともあれ、「夢の国」ディズニーランドに入った。ゲートをくぐると、行列ができていた。しかし、行列の先には何も無い。何の行列か聞くと、「ミニーがもうすぐ現れるので、彼女との写真撮影会である」と言う。職場で聞いた話は本当だった。
はじめは「カリブの海賊」というアトラクションに行った。待ち時間は30分。
カリブ海への冒険に出かけた私は、その完成度に驚いた。それは現在の芸術性と技術力の粋を集めて作られたものの様に思われた。美しさと雑然さが同居したような配置と、精巧なロボット人形の動作も凄いと思った。デザイナーや企画担当者の要望と技術サイドの執念が生み出したものと思われた。船の運行についても、制御技術、センサー技術、安全工学、水質管理などあらゆる技術分野を駆使して行われており、スリリングの中にも絶対的な安全がそこにあるように思われた。
「プーさんのハニーハント」は、なんと100分待ちであった。これは不規則な運動を行うハチミツの壺に乗っかって冒険をするアトラクションである。その動きの複雑さと、それでも壁や他の壺とぶつからないように作られた精巧さに驚いた。本当に良くできている。
しかし、最後、プーさんがハチミツを風呂の如く全身で浴びつつそれを舐めている姿で「HAPPY END」となったときは、愕然とした。おまえはそれでいいのかと思った。嫁は、まるでプーさんが仏教で言う「餓鬼」に思えたと言った。「餓鬼」とは、前世に悪いことをしたために餓鬼道に落とされ、つねに飢えと渇きに悩まされている亡霊のことである。欲望の赴くままにハチミツを食べ漁る、これがアメリカにとっての幸せなのかと思うと、自分は日本に生まれてよかったと思った。
かつて、エレクトリカルパレードを見た幼少期の私は、
「電気が勿体無い」
と言った。それを聞いた親は、「これを見とる人たちは、家の電気を消して見に来とるんやから、むしろ電気の節約になっとるんや」という意味のことを言ったように記憶している。今になってこそ、真摯に答えてくれた親に感謝しているものの、親にとってはせっかく連れてきてやったのに、この息子の発言には愕然としたであろう。
そして、今回見たエレクトリカルパレードは、本当に心打たれた。ちょっと泣けてきたほどである。音楽と光、演技が一体となっていた。一流のプロの舞台を見ているようであった。28歳にもなってやっと、エレクトリカルパレードを素直に見られるようになったのである。そして、幼少期の私はなんとひねくれているのだろうと思った。
最後に乗った「ビッグサンダーマウンテン」は、本当に怖かった。乗っている間、「早く終わってくれ」ということばかり考えていた。私は常に「ヴぉ〜〜!」と絶叫しており、嫁は「おかあちゃ〜〜ん!」と絶叫していた。前に乗っていたタザワ夫妻は、私たちの絶叫を聞いて爆笑していた。彼らにとってはこの程度は平気らしい。そして、身も心も疲れ果てて、ディズニーランドを後にした。
ともあれ楽しい一日であった。タザワが強引に誘ってくれなかったら、絶対に行ってなかったであろう。タザワ夫妻に感謝!である。
6月15日 ディズニーランドへ(前編)
今日は、タザワ夫妻と嫁と私の4人でディズニーランドに行った。ことの発端は、一月くらい前のタザワからの電話であった。「25周年だから、是非行かないか」と言う。
私は、かなり躊躇った。子供の頃、行ったことがあるものの、あまり楽しかった記憶は無く、とにかく凄い人ごみに疲れた覚えがある。嫁が行きたいと言ったことも一度も無い。しかし、タザワは、
「とにかくお前たちはディズニーランドへ行くべきだ。何事も食わず嫌いは良くない。ディズニーランドへ行くということは、人生経験を深めることのひとつでもあり、ひいては田所の笛の音色にも良い影響を与えるはずである」
という意味のことを言った。その勢いに押され、私たちは行くことにした。
職場にて、週末ディズニーランドへ行くということを言ったところ、田所とディズニーランドというのは全く似合わない、といった意味のことを言われた。そして、色々なエピソードを話してくれた。
・ディズニーランドでは、1〜2分のアトラクションのために2時間並ぶことなどざらである。
・ディズニーランドでは、ミッキーと写真を撮るために60分程度の行列ができる。
・ディズニーランドでは、ミッキーの耳を付けている人が恥ずかしげも無く普通に歩いている。
・ちょっと疲れた顔をしたら、嫁に「もっと楽しそうにせよ」と怒られた。
私には、どれも信じがたかった。話を面白くするために大げさに言っているのだろう、と問い質したが、皆むきになって「本当だ」と言う。
ともあれ私と嫁は、今朝の10時45分、舞浜駅にいた。辺りはあまりにディズニー一色で、私は落ちつかなかった。なんとなく、ディズニーとは全く関係ない用件で、舞浜に降りた人もいるはずだと思いたくなった。駅前の周辺地図を見ると、駅の反対側に「大三角公園」「鉄鋼会館」などの施設が確認された。
「ほら、この大三角公園に来たくて舞浜に降りた人もいるかもしれないし」
と嫁に話しかけたが、会話は続かなかった。
その後、タザワ夫妻が現れ、私たちは「夢の国」に吸い込まれていった。(続く)
6月13日 インディー・ジョーンズ
今日、金曜ロードショーで「インディー・ジョーンズ」をやっていた。私はこれまでインディー・ジョーンズをまともに見たことがないし、アクション映画にもあまり興味が無い方なのだが、名前もよく知られているし、面白いのかも知れないと思って途中から見始めた。
テレビを付けると、丁度ヒロインが手足を拘束されて、煮えたぎるマグマに放り込まれそうになっていた。おまけにインディーは、邪教集団に洗脳されていた。いきなり大ピンチである。
大ピンチなのに、まったく手に汗にぎらなかった。どうせ助かるに決まっているからである。その後、トロッコのブレーキが効かない時も、鉄砲水に追いかけられている時も、なんとも思わなかった。
インディー達は、邪教集団と戦っているというより、アスレチックで邪教集団と一緒に遊んでいるように見えた。私は、怖いとか興奮するとか言う以前に、こんなに楽しそうに遊んでいる彼らが羨ましいと思った。そして最後は勧善懲悪な勝利とアメリカンな大団円。横で嫁が一緒に爆笑していてくれなかったら、とっくにテレビを消していたであろう。
私の感性が変なのか。ともあれ、もうインディー・ジョーンズは見ないなと思った。
6月7日 太る
昨日、久しぶりに体重を量ったら、58.8キロあった。これまでで一番重い。そういえば最近、腹が出てきた気もする。体重が増えることは構わないが、このままどんどん腹が出てくるのはちょっと嫌である。
とりあえず、腹筋と背筋を50回ずつやった後、家の周りを10キロ走った。走りながら、色々なこと考えていた。
ダイエットが成功するか否かは、極めて単純な話である。人間が痩せるか太るかというのは、以前書いた熱力学第一法則に厳密に従う。摂取したエネルギーよりも消費したエネルギーの方が多ければ、必ず痩せるし、逆ならば必ず太る。即ち、痩せるには食べる量を減らすか、動く量を増やす。これに尽きる。熱力学第一法則を意識しないから、胡散臭いサプリメントに騙されるのである。
こうして走っていると汗をかき、呼吸をする。私の中の脂肪は燃やされ、二酸化炭素と水になって大気中に放出される。二酸化炭素は植物の光合成に使用され、水は、水蒸気として天高く登った後、雨として土壌を潤し、川となり海に栄養素を供給し、生き物を育てる。それが巡り巡って再び私の口に入る。大学で習った物質循環の中に、私も身を置いていることを意識する。
どんどん妄想のスケールが大きくなったところで、走り終わった。体重を量れば、57.5キロ。これからもこまめに運動しようと思った。
6月4日 奇跡のスーパーボール
先週、嫁が「スーパーボールを2つ、直列に繋いで縦向きに落とすと、落とした高さよりも高く跳ね返る」と言った。しかも、「もしも11個のスーパーボールを縦向きに落とせば、理論上は宇宙まで跳ね返る」と言った。インターネット上のサイトで動画付きの検証をしていたらしい。
私は、全く信じなかった。それが本当ならば、2つのスーパーボールは跳ね返るたびに高くまで上がり、やがて無限の高さまで跳ね返ることになってしまう。「ふたつのうち、ひとつだけが跳ね返るのではないか」と問い質したが、「ふたつとも高く跳ね返った」と、譲らない。
私も、譲らなかった。この現象を受け入れるということは、熱力学第一法則を覆すということであり、永久機関が存在すると言うことであり、これまで私が学んできた世界観がひっくり返ってしまう。私たちは、険悪な雰囲気となり、「跳ね返った」「跳ね返らない」と不毛に言い争った。
そして今日、嫁が負けを認めた。「よく見たら、ふたつのうちひとつだけが大きく跳ね返り、ひとつは地面に留まっていた」と言う。私はそうだろうと思った。それならば納得できる。
しかし、嫁は続けて気になることを言った。「大きく跳ね返った方は、元の高さの2倍以上まで跳ね返った」と言うのである。
私はまたもや信じなかった。もしもスーパーボールが完全な弾性体で、摩擦抵抗などが無いとすれば、スーパーボールは落とした高さまで跳ね返る。ふたつのスーパーボールを落としたならば、位置エネルギーが2倍だから、せいぜい2倍の高さまでしか上がらないはずである。
私たちは、またもや険悪な雰囲気となった。そしてついに私たちは、問題のサイトを一緒に見て状況を確認しようということになった。私はそのサイトで、ボールを落とす直前の写真を見て、あっと驚いた。
ふたつのスーパーボールは、同じ大きさではなく、下の方が大きかったのである。私の読みが甘かった。「ふたつのスーパーボール」と言われて、「同じ質量のふたつのボール」と思い込んでしまったのが間違いである。下のほうが大きければ、落とした高さの2倍以上まで跳ね返ることは十分ありうる。そのことを言うと、またもや険悪な雰囲気となり、嫁はもう動画を見せてもくれなかった。
もうしばらくこの話題はやめよう、私はそう思って風呂に入った。
ちなみに、「11個を縦向きに落とせば宇宙まで行く」というのも嘘である。位置エネルギーは11倍だから、せいぜい落とした高さの11倍までしか跳ね返らない。もちろん、下のスーパーボールが上のボールの1万倍の重さだったら、宇宙まで行くかもしれないが。
6月1日 傘を忘れる
私は、傘を失くすことが多い。自慢にならないが、傘を失くした本数は誰にも負けない気がする。
昨日は朝から新木場で太鼓大好会の練習会があり、朝7時前に家を出た。携帯電話のニュースによれば、天気は「雨のち曇り」であり、「傘の置き忘れに注意」と記されていた。
私は「傘の置き忘れに注意」しつつ家を出た。
ところが、新木場に着くと、なんと傘を持っていなかった。あれだけ心の中で傘を失くさないよう念じていたのに、一体どこで忘れたのか。思い出せば、家からの最寄り駅でトイレに入った際、忘れたと思われた。外は、まだ雨が降り続いており、仕方なくコンビニで傘を購入した。
その後、新木場駅改札で他のメンバーを待っていたら、トイレに行きたくなり、駅員に言って駅の中に入れてもらい、トイレに入った。
用を済ませ、駅員に礼を言って改札の外に出れば、またもや傘が無かった。またトイレの中に忘れたらしい。私は、再度駅員に断って中に入り、傘を取ってくるはめになった。
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