2008年
7
月のつぶやき
7月31日 丸明のこと
今日のニュースで、飛騨牛偽装の丸明が、営業自粛の営業指導を受けたにも拘わらず、取引先に牛肉を提供していたことを報じていた。そして解説員は、一連の丸明偽装事件について、中国の農薬ギョーザ事件と絡めた論調で、「食の安全」が崩れかけていることに危機感を募らせていた。
勿論、丸明の行ったことは悪事である。それを弁護する余地は無い。しかし、これほどまでに全国ネットで報じられるべきことであろうか。少なくとも、農薬ギョーザ
と丸明の事件は、全く性質が異なる。丸明の偽装事件は、内部告発により発覚したものであり、海原雄山のような凄い食通に見破られたものでは無い。ましてや、食の安全や栄養に関しても特に問題なく、「生きる」ということの根底を脅かされるほどの話でもない。この事件は、一部の金持ちや食通たちだけが怒っていればいいだけの話であり、大々的に面白おかしく報道するほどの事件ではないと思う。
営業自粛の行政指導には、強制力や罰則は無いという。丸明にも従業員がおり、彼らは自らとその家族のために仕事をする、多くの人となんら変わらぬ立場の人間である。今回の営業自粛後の取引については、従業員の生活のために少しでも売り上げたいとの思いがあったのだと思う。そして、長年お世話になっている取引先に迷惑をかけてはならないという思いもあったであろう。
そういうことを思えば、これほど一方的な論調で攻撃されているのを見ると、なんだか可哀想だなと思ってしまう。
7月29日 職場にて
<サラダうどんとマヨネーズ>
昨日の社食の特別メニューは、「サラダうどん」であった。「サラダうどん」は、冷やしうどんにレタス、きゅうり、シーチキンなどを乗せて食べるものである。暑い季節にぴったりのメニューであり、迷わず食べることにした。
さて、冷やしうどんにはワサビが合うと思っている私がワサビを入れようとすると、後輩の女性がそれを遮った。「サラダうどんにはマヨネーズである」と言う。
まさかと思った。冷やしうどんにマヨネーズが合う訳が無いとも思った。しかし、彼女の口調があまりに断定的だったので、試してみることにした。
食べてみると、いまいちであった。せっかくのかつおだしの風味が消されるだけでなく、マヨネーズの油っぽさが目立ってしまい、さっぱりした感じがしない。後で現れた先輩も、「うどんにマヨネーズかよ」と言った。自称「マヨラー」の先輩S氏でさえも、かけようとしなかった。
色々聞いていると、若い人ほど「サラダうどんにはマヨネーズ」という考えが浸透しているらしい。どうやらコンビニのサラダうどんにはマヨネーズが添付されているらしく、そのあたりから影響を受けていると思われる。
それにしても、マヨネーズは合わないよなぁと思った。
<ジュンメン>
今日、職場で昼食を食べていると、シャツの話になった。後輩のYは、職服のなかのTシャツを指差して、
「これはジュンメンですよ」
と言う。私は、
「ああ。純綿ね」
と答え、そのまま会話が終わろうとしたところ、先輩S氏が
「田所、まさか綿100%だと思ってないよね?」
と言った。思ってないも何も、綿100%のことであろう。綿100%だと着心地も良いだろう。などと思っている間に、「ジュンメン」というブランドであることを教えられた。
「ジュンメン」。非常に紛らわしい。
<アキバスタイル>
今日の帰り、ジュンメンの後輩Yは、ユニクロの私を指差して、
「それはアキバ系ですよ」
と言った。Tシャツをズボンの中に入れ、上にチェック柄の襟シャツを着るのは「アキバ」のファッションであると言う。私はTシャツだけを着る時はシャツを出すが、上にもう一枚着る時は中に入れることにしている。それを伝えたが、Yはあまりにも
「アキバですよ、ア・キ・バ」
と言うので、
「出しゃあいいんだろ、出しゃあ!」
と言って、Tシャツをズボンから引きずり出した。
明日からどうしようか、まだ決めていない。
7月27日 休日出勤と雷と虹
今日は休日出勤であった。テストの立会いである。昨日の大漁太鼓の練習による、全身筋肉痛な身体を引きずって、会社に向かった。
さて、立会いが始まろうとしたその時、停電が起こった。雷によるものらしい。あたりは真っ暗になり、機械は停止した。停電はすぐに復旧したが、すぐにもう一度停電が起こり、今度は機械が壊れた。外に出れば、物凄い大雨と雷鳴である。
なんとついていないことかと思ったが、それほど辛いとか苦しいとかは思わなかった。休日に会社に来るとこういうものである。不思議なことに、立会いをしたときに限って、不可抗力によるトラブルが多い。会社に行く前から、時間通りに終わることはないだろうと思っていたが、予想以上に遅れた。
立会いを終え事務所に戻れば、停電のために駆けつけたプラント技術の人たちがたくさんいた。工場は、彼らによって滞りなく操業しているのだと思った。こういうとき、私のようなプロセス技術にはなす術が無い。
そのとき、誰かの「あ、虹だ!」という声がして、皆で窓に駆け寄った。
窓の外には、これまで見たことも無いような美しい虹があった。虹の後ろでは遠く雷鳴が轟いており、そこにいた男達全員で「すげ〜」を連発しつつ、その不思議な光景に見入っていた。
立会いは、予想以上にうまくいった。遅れたのは不運だったが、それを補って余りある虹と雷の神秘を見ることができ、良い一日だと思った。
7月21日 小倉祇園祭
小倉祇園祭は、7月の第3週目の金、土、日曜日に行われるで、山車の前後に太鼓を据え付け、その前後から太鼓を打ち鳴らしながら市内を練り歩く祭である。メンバーはボンサン、シゲオ、モコ、私の4人。
<7月19日>
昼過ぎ、私たちは小倉駅に着いた。右も左も分からないまま、駅で配られたパンフレットを元に、「太鼓競演大会」をやっている小倉城大手門広場に向かった。
始まる前、夕立が降ってきたので、小倉城に入った。中には、「飛脚とレース」「電動駕籠に乗ってみよう」「昔の天秤で重さを量ろう」などのイベントがあり、職員のお姉さんも暇なのか、とても丁寧に遊び方を教えて下さった。他にも、「殿の一日」では、殿の駄目駄目な暮らしぶりが明らかになるなど、有意義な時間を過ごした。
外に出ると、雨は小降りになっており、競演会が行われていた。そこは、阿波踊りの桟敷席のようになっており、審査員がいる赤絨毯の道を歩きながら太鼓を打つものであった。
よくわからないが、何となくあまり盛り上がっていないなぁと思った。見ている人もまばらである。しかしまあ、太鼓を叩いているところも見れたし、ぶらぶら戻りながら見物しようと思い、駅に向かって歩き出した。
すると、紫川沿いの広場で、さまざまなチームが据え太鼓を叩いていた。その熱狂振りは、先ほどの競演大会とは比べ物にならないくらい盛り上がっていた。太鼓の叩き方は人によって、チームによってさまざまだが、共有するリズムはきれいに聴こえてきて、個性と一体感が同時に感じられる。なによりも、競演会とはうって変わって、物凄く楽しそうである。
更に、アーケードの中では、山車が曳き回されており更なる盛上がりであった。私たちが見たところ、彼らは大きく3つに分類できる。
@町内会 Aヤンキー Bその他
@は、町内会の組織で、近所の人たちが集まって和気あいあいとしており、子供から老人まで世代は幅広いが、特に子供が主役になっている。白系、青系の揃い浴衣を着ており、健全な雰囲気である。
Aは、黒を基調にした衣装を着ており、サングラスにリーゼント、モヒカンなど、思い思いの格好をしている。着ぐるみを着ていたり、山車の上に乗って、シュレッダーのくずを紙吹雪として撒くなど、悪ふざけも好きだが、きちんとほうきとちりとりも準備しているなど、行儀の良い一面もある。
Bは太鼓が好きな人たちのサークルのようなものである。
特に、@とAの対比は、その本質は別として、ビジュアル的には正義と悪くらいにはっきり分かれており、面白い。町内会とヤンキー、水と油ほども違うはずの彼らが違和感なく共存しているところは、他の祭にはない面白さだと思う。
彼らが入り混じったアーケード内は本当に楽しかった。子供も大人もヤンキーも、心から祭を楽しんでいるなぁと思った。
どこの町内会か、山車の先頭で小倉祇園囃子を唱えている女の子の、とても一生懸命な姿に見入ってしまった。
小倉名物太鼓の祇園
太鼓打出せ元気出せ
あっやっさやれやれやれ
小倉祇園さんはお城の中よ
赤い屋根から太鼓がひびく
あっやっさやれやれやれ
太鼓打つ音海山越えて
里の子供も浮かれ出す
あっやっさやれやれやれ
少し涙が出た。何が彼女をこれほど一生懸命にさせるのであろうか。それは、「この町と人が好きだ」ということであろう。小倉の町は彼女にとって、いくつになっても愛すべき故郷であり続けるだろうと思った。

左:道交法に従う山車(写真は信号待ち
) 中:太鼓を叩く覆面レスラー 右:熱心に小倉祇園囃子を唱える女の子
<爆笑神楽>
20日は、まず八坂神社へ向かった。資料によれば、そもそも小倉祇園祭は八坂神社の例大祭らしい。しかし、あまり人はいなかった。やはり祭の中心はアーケードらしい。
お参りしていると、中で奉納神楽が始まった。そして、中に入れてもらえることになった。ここで、神楽の固定観念が覆された。
神楽を見ているうちに、どうやらヤマタノオロチの話であることが分かってきた。ヤマタノオロチは、どんなおぞましい姿で現れるのかと思いきや、ねずみ男のような服に獅子の面をして現れた。そして、酒を飲むとまるでオッサンのようにごろりと寝っころがるヤマタノオロチ。
そこへ現れたスサノオノミコトは、ヤマタノオロチをぐるぐる回ったり飛び越えたりした後、まるで酔いつぶれたオッサンに駅員が
「終点ですよー」
と言わんばかりにぐらぐらと揺り起こした。せっかく酔わせたのになぜ起こすのか。そのあたりで爆笑した。
更に、スサノオノミコトとヤマタノオロチが戦う姿は更に面白かった。始めは神楽ぽく演技するのだが、そのうち取っ組み合いのけんかのようになってきた。スサノオノミコトをバックから羽交い絞めにするヤマタノオロチ。更には客席にまでなだれ込んでの大乱闘となり、
「がんばれスサノオ!!」
などの野次が飛んた。あまりの面白さに、笛の伴奏していた巫女さんも総立ちとなり、神楽はプロレスのような熱気となった。そして、スサノオノミコトの大勝利!
凄いのは、その一部始終ずっと、ぴくりとも動かず戦局を見守っていたクシナダヒメであった。これは一番辛い役柄であろう。
神楽が終わって、私たちは爆笑し続けた。何回思い出しても面白いし、観客もそれを楽しみに来ているようであった。神楽がこんなに面白いとは知らなかった。

取っ組み合いをするスサノオノミコトとヤマタノオロチ
<行政、官憲>
その後は、パンフレットに載っていた据え太鼓競演会を見に行った。昨日と同じく小倉上大手門広場に行き、炎天下、見物した。
昨日も思ったが、ここのイベントはあまり盛り上がっていなかった。パンフレットに載っているイベントはことごとく面白くない。なんとなく、祭が行政によるコントロールを拒否しているように思えた。かろうじてコントロールしているのは、強権を発動できる官憲(=ポリス)だけである。
競演会に飽きて、小笠原庭園に行った。「日本のゲーム展」では、昔の将棋を見て興奮していた。昔の将棋は駒の種類も多く、盤のマス目も多い。「金将」「銀将」のほか、「銅将」「鉄将」「石将」などもあり、歩の上には「仲人」「犬」など、およそ役割の分からない駒もいた。
その後、庭園の縁側に座って小倉城を仰ぎ見れば、その隣に官憲のシンボルマークを付けた高層ビルが建っていた。案内してくれた職員のお姉さんに「あれは酷いですね」と話しかけたら、彼女も「ここにも景観を損ねる建物を規制する条例がなくて、仕方ないんですよ」と言った意味のことを話しており、官憲の建造物には立腹の様子であった。
官憲と言えば、「小倉の警察は若者に厳しい」と、小倉祇園太鼓で知り合ったノブくんが言っていた。確かに、警察は祭のアーケードを10人が1列になって厳しい表情で行進していた。それでも、「祭の時だけは、警察も若者に優しい」らしい。

官憲の立てた看板。休憩すらも厳禁らしい。
<アーケードにて>
ともあれ、そんな風に暑気を払い鋭気を養った後、アーケードを見に行った。祭は夜の11時頃まで行われるのだが、最後の方は見ている方まで興奮するほど盛り上がる。太鼓を叩く少年、リズムに合わせて周りでメチャクチャな踊りを踊っている女の子たち、電車ごっこのようにつながって山車の周りを回る若者、太鼓の轟音と掛け声が一体となって、祭は最高潮を迎えていた。
見に来てよかったと、心から思った。
そんな中、太鼓を叩いていた女の子が、バチが差し出した。「一緒に叩きましょう」と言う。こんなクライマックスでよそ者が叩いてもいいのかと思ったが、とにかく叩いた。最高に楽しかった。

左:一生懸命太鼓を叩く子供たち 中:クライマックス 右:太鼓を叩くシゲオ
本当に楽しい2日間であった。太鼓を叩いている小倉っ子は、子供もオッサンもヤンキーも最高にカッコいいと思った。カッコいいと言えば、ボンサンもシゲオも私も、口を揃えて「小倉には美人が多い」と言ったし、モコは「カッコいい男が多い」と言った。ハレの日であるという錯覚かもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。小倉は美人が多い。
また来年も来たいと思った。
7月13日 ハタハタ漁の歌
民研の現役の子から、「ハタハタ漁の歌」ってどんな曲なのか、というメールをもらった。今年の合唱で取り上げたい、と言う。あまりに懐かしい名前だったので、つい昔のことを色々思い出してしまった。「ハタハタ漁の歌」は、秋田民謡をモチーフにした清水脩氏の合唱曲で、かつてハタハタ漁を行った男達の、掛け声と唄で構成されている。
私にとって、この曲はあまりいい思い出ではない。詳細は省くが、本当にやりたかった曲を出来ず、仕方なくこの「ハタハタ」をやったのである。曲の構成も、ソロとユニゾンの掛け合いで始まる前半は、なかなか良い雰囲気なのだが、中盤にソーラン節の出来損ないみたいなフレーズが来て、後半も盛り上がるような盛り上がらないような、中途半端な進行をし、最後は盛り上がりきれず、唐突に終わる。
やってる分には楽しいかもしれないけどあまり映えないよ、と返信した後、音源を録音して返送すべく、発表会のビデオからMP3にすべく奮闘した。
久しぶりに演奏を聴いて、悪くないじゃないかと思った。確かに曲自体は荒削りで、和声の面白味に欠けるし、構成も斬新過ぎる。しかし、そこに何らかの思いを乗せて演奏していることは確実であったし、それが当時の私たちに合っていたように思えた。
せっかくなので、録音をこのHPに載せることとした。若かれしミヤチの声やミネムラソロの事故などが生々しく、聴き入ってしまった。
聴いてみたい方はコチラをクリック
7月8日 太鼓と神輿の週末
最近、週末があほみたいに忙しい。忙しいとは言っても、好きなことをして遊びまくっているので仕方ない。もういい年なんだから落ち着かねば、と思いつつも全力で遊んでしまう。
土曜日は、太鼓大好会の練習であった。定刻どおりに来たのはシゲオと私のみ、ふたりで冴えない時間を過ごしていたら、セツとモコが現れて、ようやく練習らしくなった。
とにかく、8月の元宮でやる大漁太鼓を練習しなければならない。太鼓は2台。人数は4人。ということで、3人上打ちの1人下打ちで何度も通し練習やらさんとこの練習をした。誰も休めないので、物凄く疲れる。へとへとになったところで、ボンサンが現れた。それでも休めるのは5人にひとりである。4時間半、みっちりと太鼓を練習し、全身筋肉痛となり、さんとこで足の皮が剥けた。
日曜日は、朝6時に起きて小倉祇園太鼓の練習に行った。まだ練習は2回目で、ひたすらドロ(地打ち)の練習をした。ドロの中でも、「横打ち」という簡単な方の練習だが、これがなかなか難しい。「周りにちゃんと合わせろ」と何回も注意された。しかし、不思議なことにただひたすら地打ちをやっているだけなのに楽しい。不思議なくらい楽しい。楽しいが結構ハードで、手の皮がどんどん剥けた。
そして、日曜の午後は元宮の「神輿大好会」の練習会に参加させていただいた。元宮は、太鼓大好会が生まれた原点のような場所である。去年の元宮で、シゲオと「太鼓叩きてぇな」とブツブツ言っていたのが、そのまま「太鼓大好会」になった。シゲオは前々から「元宮で太鼓をやりたい」と言っていた。そして、私たちは、神輿出発の時に太鼓を演奏するという、夢が実現した。
体はボロボロだったが、神輿を担ぐとテンションが上がってきた。その後の飲み会も楽しかった。元宮の人は、本当に暖かくて大好きである。
とにかく、8月のステージは悔いの無いようにしたいと思った。
7月2日 男と女、どっちが偉いか
先週の日曜日、久しぶりに家族で食事をした。メンバーは、母、妹、妹の彼氏、嫁、私の5人である。最近、家族とは全く連絡を取り合っていなかったので、妹が7月からグァテマラへ海外協力に行くなど、驚くべき情報を色々聞いた。そして、近況を語りつつ楽しく飲み食いしていた。
そんな中、母が「男と女はどっちが偉いか?」と聞いてきた。私は即座に「女だ」と答えた。
私は自分自身、女性にはかなわないと思っている。女性には、言葉では言い表せぬ安定感があると思う。そして何よりも現実的であり、「生きる」ということに対して貪欲である。年頃の「夢見る乙女」でさえ、夢見る時と現実の境をわきまえている。対して男は、一銭にもならぬ地位や権力にこだわり、「生きる」という動物として当然の精神が希薄な感じがする。男性主導の社会になったのも、男尊女卑の考えが存在するのも、男性の根源的な弱さの裏返しに過ぎないと思う。
母は、「女は子供を産めるから偉いのだ」と言った。その通りだと思った。前にも書いたが、もし私が妊娠したら、言いようのない恐怖に襲われるだろう。それを幸福なことと受け止めることができ、子供が産める女性は、私にとって尊敬に値するし、強くて偉いと思う。
そんな話をしていると、妹が、「女性の人生最大の痛みは出産にあり、男性の人生最大の痛みは尿管結石である」と言った。女性は人生最大の苦痛を乗り越えて新たな生命を生み出すのに対し、男性は小さな石ころ一個で人生最大の苦痛を味わうらしい。
あまり言うと男女差別にあたるので控えるが、現実はまだまだ男性社会だからこそ、このように考えることは悪くないと思っている。
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