2008年
9 月のつぶやき




9月30日 デリカシーについて

 一般的に、デリカシーの無い男は嫌われる。世の中広しと言えども、蓼食う虫も好き好きと言えども、デリカシーの無い男性が好みという女性は、恐らく世界にひとりもいない。

 かと言って、「デリカシーがある」という表現は存在しない。よって、「デリカシーがある」ことが男性のステータスになるわけでもない。「デリカシー」は、 ある・ない で言い表すものではなく、常に「ない」ものである。不思議な言葉だなぁと思う。

 「デリカシー」を広辞苑でひいてみたところ、「繊細。微妙。鋭敏」とある。「デリカシー」という単語を普通に使っておきながら、その意味をまるで知らなかった。

 なんだか脈絡の無い文章になってしまった。何故こんな文章を書こうと思ったかと言うと、先週末の太鼓大好会の練習の後、みんなで焼肉を食べていると、モコが「うちの男ども(私たちのこと)はデリカシーが無い」と言ったからである。それからデリカシーという言葉が気になり、筆を執った次第である。

 それにしても最近、文章力が落ちたなあ。実は、これを書くのに3日も推敲したのである。


9月24日 続・うまい、うますぎる

 昨日、十万石まんじゅうを買いに行った。友人夫妻に贈り物をしたい、という真っ当な目的の他、埼玉に住む者として、一度は十万石まんじゅうを食べておきたい、という思いもあった。

 ところが、十万石まんじゅうの店舗は、埼玉県の東部および北部に多く分布しており、私が住む付近には見当たらない。嫁と共に、車でドライブも兼ねて「ベイシア日高」へ。


 十万石のお店は、繁盛していた。とりあえず、試食で十万石まんじゅうを食べてみる。これはおいしい。うまい。うますぎる。思わず声に出して、「うまい。うますぎる。」と唱えた。嫁も「うまい。うますぎる。」を唱えた。

 その後、友人夫妻の分、職場の分、自分たちの分を買って家路についた。そして家に着き、早速お茶と共に十万石まんじゅうを食べた。

 一口食べるごとに、「うまい。うますぎる。」を唱えた。なんとなく、「うまい。うますぎる。」を唱えなければという、強迫観念に駆られる。


 次の日、職場に持っていったところ、埼玉県民には好評であった。やはり十万石まんじゅうを知らぬ者はいないらしく、

 「ぶぉ〜(尺八の音) 風が語りかけます。うまい。うますぎる。十万石まんじゅう」

 と、CMをフル・ヴァージョンで暗唱したりしていた。


 改めてCMを見てみたが、取り立てて凄い演出があるものではなく、ごく普通のローカルCMという感じがする。それでもなにか独特のインパクトがあるからこそ、埼玉県民を魅了してやまないのであろう。

 改めて、十万石まんじゅうを食べた。「うまい。うますぎる。」


9月19日 うまい、うますぎる

 「うまい、うますぎる」と言えば十万石まんじゅう、というのは、埼玉県民にとって常識らしい。埼玉テレビのCMで昔からやっているらしく、埼玉県民で知らぬ者はない、とモコは言う。

 会社で聞いてみた。驚くべきことに、埼玉出身の人は、当然のごとく知っていた。それどころか、あまりに当然過ぎて、知ってるかどうか聞かれること自体に違和感を覚えるほどらしい。小学生の頃、給食でおいしくないものが出ると、

 「まずい、まずすぎる」

などと、十万石まんじゅうのCMをもじっていたと言う。埼玉県外の人たちは、当然このCMも知らないのだが、埼玉県民にとっては、むしろこのCMを知らない人がいるということのほうが驚きらしい。


 埼玉は面白いと、最近思う。実際に埼玉に住んでみて、そう思うようになった。東京のベッドタウンとして没個性的なイメージのある埼玉だが、前述の「グーチー」なども含め、意外に独特の文化を持っている。

 うどんがおいしい、というのも埼玉(特に武蔵野)の意外な一面である。水はけの良い武蔵野台地では、稲が育ちにくいため、小麦を栽培し、うどんを食べていた。農家はどこでも自分でうどんを打っており、おいしいうどんが打てることは、良妻の条件でもあったらしい。そのためか、このあたりはうどん屋が多く、どこに入ってもおいしいのである。


 ともあれ、今週末にでも十万石まんじゅうを食べてみようと思った。


 十万石まんじゅうのCMは コチラ


9月18日 「うた魂♪」と「手紙」

 昨日、ツタヤで「うた魂♪」を借りて見た。しかし、あまり面白くなかった。

 「合唱なめてんじゃねぇよ」

 というキャッチフレーズが登場するが、合唱をなめているのは、この映画を作った人たちではないかと思った。全国大会常連の七浜高校女子合唱部の演奏は、特に上手いものではなかったし、傷心のヒロインが心を動かす印象的なシーンで演奏される、ヤンキー合唱部の歌は、聴いていられないほど酷かった。「気持ちを込めて歌う」ということが、間違った方向に行っている典型のような演奏であった。テーマも浅く、ヒロインの成長物語のようになっているものの、一体何が成長したのかもよく分からない。

 にもかかわらず、DVDを2日も延滞してしまい、延滞料金を取られて返却した。


 今日、NHKを見ていると、合唱コンクールを目指す中学生のドキュメンタリーをやっていた。今年の課題曲は、アンジェラ・アキの「手紙」であり、思春期の繊細な気持ちで綴られた歌である。

 アンジェラ・アキの歌も、中学生の歌も、素敵であった。一曲を何ヶ月もかけて作り上げる中高生の合唱部は、プロにはない独特の魅力がある。

 高校になったら離れ離れになってしまう、五島列島の小島の中学生、部員が2人しかいないにもかかわらず、立派に舞台に立った宮城の中学生、そして、現状に思い悩みながら未来の自分に手紙を書く彼ら彼女らは、薄汚れた大人となってしまった私にはすでに無い、繊細さと純粋さがあるように思えた。


9月9日 グループ分けじゃんけん

 子供の頃、じゃんけんは、勝ち負けを決める以外に、グループをふたつに分けるツールでもあった。出せる手を「グー」と「パー」のみに限定することで、例えば10人が5対5に分かれることができる。兵庫県で生まれ育った私にとって、その際の掛け声は、

 「グーッ パーッ でナッスンデ!」

だったように記憶している。東京で生まれ育った後輩Yは、

 「グーパー ジャス!」

だったと言う。その他、

 「グッ と パ!」

などと言っていたこともあるような気がする。


 後輩Yは、ある時期、埼玉の小学校に通っていたらしいのだが、彼いわく、なんと埼玉では「グー」と「パー」ではなく、「グー」と「チョキ」でグループ分けをすると言う。

 「グーチー」

と言うらしい。Yは、「なぜわざわざ複雑な形状のチョキを選んだのか、理解に苦しむ」と、埼玉を見下しているともとれる発言をしていた。私は、「でも埼玉人は、なぜわざわざ全部の指を開く必要があるのか、理解に苦しんでいるかもしれない」と埼玉を擁護してみたものの、やはりグーパーで育っただけに違和感がある。


 それにしても、「グー」と「チョキ」は初耳であった。気になったので、隣の事務の女性(埼玉出身)に聞くと、

 「それは、グーチーですよ」

と、当然の如く言う。そしてその掛け声は、

 「グチグチグチグチ ジャス!」

だと教えてくれた。


 私は面白くなり、宮崎県出身のリーダーに聞いてみたら、

 「そりゃ、オモテとウラだよ」

 と、更に驚くべき証言をした。なんと、手の甲を上にするか、手の平を上にするかでグループ分けをすると言う。グループ分けじゃんけんの常識をまたもや覆された。


 意外に奥深いグループ分けじゃんけんであった。


9月5日 天丼の食べ方

 昨日は、嫁とろばた焼き店「むらやま」で外食した。私たちのお目当ては「むらやま」の天丼である。豪勢な具の天丼に味噌汁、香の物が付いてなんと610円である。

 天丼だが、私は、

  きす →えび → いか → かぼちゃ → ピーマン → なす

の順に食べた。嫁は、

  なす → ピーマン → かぼちゃ → きす → いか → えび

の順に食べていた。私とほぼ逆である。私は好物から食べるのに対し、嫁は好物を最後にとっておくらしい。

 私は嫁に「料理の味は時間の経過と共に劣化するから、好物は最初に食べるべきである」と主張した。しかし嫁は、「好物を食べる楽しみを残しておいた方が、幸せの量は大きいはずだ」と言う。一方で味の経時劣化のことも認めており、そのバランスにより絶妙な食べるべきタイミングがある、と主張する。

 嫁いわく、X軸に経過時間を取り、Y軸においしさを取った場合、てんぷらの味は、経時で味が落ちる右肩下がりのグラフとなる。そして、幸せの量はグラフ上のある点、(x,y)において、そこからX軸、Y軸に降ろした垂線とX軸、Y軸で形成される長方形の面積( x × y )で表せる、と言った。

 私は思わず納得した。すぐに食べてしまえば、食べる楽しみが減り、あとまで残せば残すほど、味が落ちる。そのバランスを取らなければならない。そんな理系の夫婦らしい会話をしつつ、天丼と串焼きを食し、ビールを飲み、仕事後の至福のひとときを過ごした。

 しかし嫁は、えびを最後まで取っておいたために、衣はふにゃふにゃとなった、冷たいえびを食べており、「失敗した」と嘆いていた。


9月1日 古典芸能部交流会

 昨日は、太鼓大好会と古典芸能部との交流会であった。古典芸能部は、民研の先輩、タクミさんの会社の部活動のひとつで、タクミさんの取り計らいにより、交流会が実現した。


 はじめ、景気付けに太鼓大好会による「大漁太鼓」を披露した。すると職員の方が現れ、「他の団体や近隣住民から、相次いで騒音の苦情が寄せられたので自粛してください」との注意を受けた。これにより、太鼓大好会は、あっけなく持ち駒の全てが無効となった。音を出せない太鼓集団ほど弱いものは無い。

 次いで、古典芸能部の女部長、ハマダ氏による能の披露である。地響きのような謡いと、一瞬にしてその場を異空間に変えるオーラが感じられ、鳥肌が立つほど驚いた。後で聞くと、彼女は、大学のサークルで初めて能に触れたらしい。新歓期に、先輩から「能とかって面白くない?」みたいな軽いノリで勧誘されたという。まるで民研と同じノリである。

 続いて、古典芸能部の稽古部長、コバヤシ氏による岩手の郷土芸能「七頭舞」の踊りを見た。彼女は、学芸大の太鼓サークル「結」のOGであり、民研との交流もあったらしく、セツのことを知っていた。本来は7人で踊る踊りを、ひとりで行っていた。最後はへろへろになりながらも、明るく楽しい踊りを披露してくださった。

 他にも、タカナシ氏とタテイシ氏によるよさこいソーラン、新人ミキティによる尺八演奏など、古典芸能部の人たちは、多才であった。そして、皆ひとりでも人前で堂々と演奏できる度胸があるのが凄いと思った。

 私たちは、太鼓をサイレンサー(=毛布)でぐるぐる巻きにして、苦情におびえつつ木遣り太鼓をみんなに教えた。これはこれで楽しかった。


 続いて飲み会へ。タクミさんは「フジワラさん」と呼ばれて親しまれていた。タクミさんは、会社の人と民研の人が一緒にいるのが変な感じがすると言った。私たちが「フジワラさん」と呼ぶと、「フジワラさんって呼ぶな!」と怒っていた。タクミさんは、「フジワラさん」と「タクミさん」の間をさまよっていた。

 古典芸能部の人たちは、元気で明るかった。特に、社員旅行の宴会での出し物の話題が多く、これにかなり念入りな準備をしているらしかった。社員旅行をしたことが無い私には、大変だなぁと思うと同時に羨ましくもあった。

 会社って色々なんだなぁとも思った。彼らは、会社のことや社長のことが好きである。私も仕事はすきだが、彼らの感覚とは違う。こういう交流は、面白いなぁと思った。


 楽しい一日だった。タクミさんと古典芸能部の人たちに感謝!である。そして、いつの間にか日本酒をどんどん飲み、翌朝二日酔いで出社した。

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