2008年
10 月のつぶやき




10月28日 季節感について

 私は、夏が好きである。日本はバランスよく四季が存在すると言われるが、やはり冬が長すぎるのではと思う。私の感覚では、季節と月の関係は以下のとおりである。

 春:4,5,6月
 夏:7,8月
 秋:9,10,11月
 冬:12,1,2,3月

 私の好きな夏は、嫌いな冬の半分しかなく、あっと言う間に過ぎてしまう。もっと夏が長ければいいのに、と思っていた。


 ところが、嫁の職場では、まったく逆の感覚を持っている人がいるらしい。暑いのが苦手な彼の季節感は、なんと以下のとおりだと言う。

 春:3,4,5月
 夏:6,7,8,9,10月
 秋:11,12,1月
 冬:2月

 驚くべきことに、彼にとって現在は「夏」(残暑にあたるらしい)であり、クリスマスや正月は「秋」のイベントらしい。「寒い」という単語は、「冬」である2月に何度か使う程度であり、日本はなぜこんなに夏が長いのかと嘆いていると言う。嫁は、彼とエアコンの設定温度合戦を繰り広げているらしい。


 夏が好きな私には夏は短く感じられ、冬が好きな彼にとっては冬は短く感じられる。なんだか損だなぁと思った。


10月27日 新しいフライパン

 先月の話だが、フライパンを買い換えた。これまでは、嫁が学生時代から使っていたものだったのだが、傷だらけで焦げ付きやすく、ついに買い換えることにしたのである。新しいフライパンは、鉄のヘラで擦っても傷つかず、かつフッ素加工で焦げ付きが無いという、優れものとのことであった。

 しかし、早速炒め物を作ってみたら、上手く水分が飛ばずベシャベシャになってしまった。フッ素コーティングのため水も油も丸くはじいてしまい、水分が残るらしい。

 ちょっと後悔した。前のフライパンの方が、焦げ付きはあるもののはるかに美味しい炒め物が出来た。しかし、決して安い買い物ではないため、これを何とか使いこなさなければならない。

 色々試した結果、炒める時、鍋を振り回すよりも、鍋肌に具が当たるようさいばしでぐるぐるかき混ぜた方が良いことに気付いた。また、はじめは油をひかずに炒め、ある程度火が通ってからごま油を回しかける方法がよいことにも気付いた。そうすることで、ごまの風味がより残るようになった。フッ素加工のフライパンならではの調理法であろう。

 ともあれ、なんとなく使いこなせてきたと思い始めた。

 そして今日、豚レバーの野菜炒めを作ったところ、大失敗であった。鍋がなじんできたためか、今度は若干焦げ付き始めたのである。油をひかずに豚レバーを投入すれば、鍋にくっついて焦げてしまった。最終的にはそれなりの味になったものの、ちょっと焦げ臭い野菜炒めとなった。

 まったく、気難しいフライパンだと思った。


10月26日 音楽会に出る

 今日は、元リコーダー部長のフサコさんが主催する音楽会「STO night」に参加した。1ヶ月くらい前にメールを貰って以来、詳細もよく分からなかったがとりあえず参加することにして、津軽三味線を習っているマサルさんも誘った。

 行ってみれば、とてもざっくりした雰囲気で楽しかった。民研の合唱コンパのような、結婚式の二次会のような雰囲気である。みんなが、色々な楽器を持ち寄って、思い思いの演奏をしていた。間違ったり詰まったりしても全く気にしない。楽器はピアノ、チェロ、サックスから三味線、ティンホイッスル(アイルランドの民俗楽器)まで、色々あった。私は、フサコさんの友人が勤めている会社の後輩さん(!)とリコーダー+チェロの合奏し、篠笛でマサルさんの三味線と共に「麦や節」を演奏した。何回も間違えたが、楽しかった。

 昔は、初めて会う人と話すのが苦手だった。今でも決して得意ではないが、最近は楽しめるようになってきた気がする。これは、ひとえに人に恵まれたからであり、全く感謝感謝である。

 今日知ったのだが、「STO」は「酒と音楽」の略らしい。「STO night」→「酒と音楽の夜」 意外に男らしい名前だと思った。


10月25日 胃もたれになる

 1週間続いた胃もたれがようやく治った。先週の金曜日に、広島焼きを勢い良く食べて以来、胃の調子がおかしかったのである。広島焼きを食べて以来、なんとなく食べたものが胃の中に「置かれている」ような感覚になった。別に痛むわけでもなく、便の調子が悪いわけでもない。しかし、なんとなくもやもやするのである。この症状を「胃もたれ」と呼ぶらしいと知ったのは、ほんの2,3日前である。


 先週以来、「胃もたれ」という言葉を知らない私は、このもやもやする症状を拙い言葉で職場の人に話した。すると、「病院に行った方が良い」と言う。私は、絶対に嫌だと言った。病院が怖いからである。

 家では、嫁が心配して「お粥を作ろうか」と言ってくれた。しかし、私は「お粥は消化に悪いから普通のご飯で良い」と答えた。「一体何の根拠があって先人の知恵を否定するのか」と呆れる嫁に対し、「お粥は柔らかいから、噛まずに食べてしまうため、唾液による酵素分解が進まないはずだ」という私なりの理論を展開し、普通のご飯を炊くことになった。嫁は、かぼちゃや青菜など、油分の少ない食事を作ってくれた。


 とにかく、よく噛んで食べることにした。そして、食事中は水分を摂り過ぎないよう注意した。なんとなく、胃酸が薄まって消化が悪くなるような気がしたからである。食べる早さは、嫁よりも、後輩の女性よりも遅くなった。

 かくして、胃もたれは治った。昨日は中華をがっつり食べ、今日はネパール料理をがっつり食べた。健康って素晴らしいと思った。


10月24日 私のこと

 ふてくされている人を見ると、私もふてくされてしまう。怒っている人を見ると、私も怒ってしまう。

 しかし、私がふてくされていたり怒っていたりしても、ふてくされたり怒ったりせずに私の気持ちを察してくれたり、励ましたりしてくれる人は、本当に感謝するし尊敬する。そして、ふてくされたり怒ったりしてはならないと、その度に思う。


 「人が好きだ」と言える人になりたい、というのは私の目標である。人によっては、自然にこの言葉が出てくる人がいるし、そういう人は魅力的だと思う。だが、今の私は、それには程遠い。前にも書いたが、「人が好きだ」と言うのは、「自分と気の合う人が好きだ」「自分に好意を持ってくれる人が好きだ」という意味では無い。

 どんな人でも、いいところを見つけられるようになりたい。しかし、今の私は、人の嫌な部分ばかりを見てしまい、人を憎らしく思ってしまったり、自己嫌悪に陥ったりする。自分に優しさが足りず、心に余裕が無いことを痛感する。


 今日家に帰ると、職場でやったメンタルヘルス調査の結果が届いていた。いつやったかも覚えていないが、色々私のことについて書かれている。その中のひとつに、「仕事に対する意欲や充実感が、かなり強く認められます。とても幸せな状態ですが、仕事にばかりのめりこみ過ぎないよう、趣味や休息も大切にしましょう」という記載があった。

 「幸せな状態」という言葉がとても良いと思った。確かに言われてみれば、今の私はもの凄く幸せな時間を過ごしているじゃないかと思った。


10月20日 暗号解読

 サイモン・シンの「暗号解読」を読み返している。この本には、暗号作成者と暗号解読者の熾烈な戦いの中で暗号の進化していく過程が、エキサイティングに、かつ驚くほど分かりやすく記されている。サイモン・シンの本は、「フェルマーの最終定理」「ビッグバン宇宙論」など、何度も読み返したくなる名著ばかりである。

 暗号は、古代より軍事行動を秘密裏に行うための重要なツールであった。強力な暗号を持つということで、作戦をより安全、確実に進めることができるし、逆に暗号を解読することで、相手の手の内を読み素早く対応することができた。暗号の歴史は、暗号の発明と解読の繰り返しであったという。

 「暗号解読」では、到底解けないような難しい暗号が登場するが、しばらく読み進めると暗号解読者がそれを解読する方法を編み出す。すると、更にどうしようもないくらい複雑怪奇な暗号が発明され、それもまた解読される。この本の面白さは、そういった不可能を可能にする瞬間が、洪水のごとく何度も訪れることだと思う。第二次大戦中にドイツ軍が使用した暗号機「エニグマ」を解読するくだりは誠に鮮やかである。

 最も印象に残ったのが、鍵配送問題の解決である。暗号には、それを解くための「鍵」が必要である。「鍵」とは、例えば「1番目の文字と2番目の文字を入れ替える」などのように、暗号を作るため、または解くための手順である。そしてその「鍵」は、暗号の送信者と受信者で共有されておかなければならないが、その「鍵」が敵の手に渡ると、敵に暗号が知られてしまう。この「鍵」は、ずっと同じものを使用するとそれだけ見破られるリスクが高まるため、毎日変更しなければならないが、新しい「鍵」はその都度手渡しするなどして配送しなければならなかった。

 しかし、この鍵配送問題は、「非対称鍵」と呼ばれる全く新しい発想で鍵配送の不要な暗号が発明され、解決する。そしてこの「非対称鍵」は、現代のネット社会のいたるところで貢献しているという。

 この件について著者は「これほど直感に反する発見は科学史上も稀であり、暗号界は暗号化の大原則を書き換えざるを得なくなった。」と書いている。「非対称鍵」は、例え「鍵」を他人に知られても、暗号化された内容が決して暴かれることの無い、不思議な鍵なのである。

 「数学は科学のためのツール」と言われる。しかし、暗号は、数学それ自体が利用される稀有の事例であろう。


10月16日 三宅太鼓について

 三宅太鼓は、1820年に三宅島の3人組が伊勢参りに行った際、帰りに寄った京都の祇園祭を見てこのリズムを島に持ち帰ったのが起源とされている。

 これを聞いたとき、かつての私は疑問に感じた。京都の祇園祭と言えば、山車の上で着飾った子供達が雅に締太鼓や鉦を叩くものであって、大太鼓を低い位置で勇壮に叩き込むものではない。いくら島までの道のりが長くても、いくら京都と三宅島で感性が異なっても、そこまでの飛躍はしないであろうと思った。

 合宿の夜、津村さんにそのことを聞いてみたところ、「自分も祇園祭を見たわけではないので何とも言えないが、太鼓の両面打ちの起源は京都らしい」と言う。

 もうひとつ、古い京都祇園祭を起源とすると思われる曲が、小倉祇園太鼓である。小倉祇園祭は、1617年に細川忠興が祇園社を建て、京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたものである。  もしかしたら、かつての京都では太鼓の両面打ちによる演奏で祇園囃子が行われていたのかもしれない。それが今の京都では廃れ、小倉祇園太鼓と三宅太鼓で形を変えて受け継がれているのかもしれない。


以下、三宅太鼓と小倉祇園太鼓の比較。

○太鼓の置き方・・・両方とも横置きの両面打ちだが、三宅の方が低い。ただし、かつての三宅はもっと高い位置で叩いていたらしい。

○地打ち・・・リズム自体はどちらも同じ「タタン タタン」のリズムだが、小倉は裏拍(左手)にアクセントがあるのが特徴

○上打ち・・・三宅「ツクドン ツクドン ツクドンドン」 小倉「スッタ スッタ スッタタン」 リズムは違うが似ていなくもない。

○祭の形態・・・三宅は神輿、小倉は山車。ただし、三宅は道が細く坂も多いため、山車が適さないという地理的理由がある。また、どちらも移動する太鼓を歩きながら叩く、という共通点がある。


 元は同じ曲が、三宅島では腰を落として力強くシンプルに打たれるようになり、小倉では華やかな振り付けと複雑なリズムでおしゃれに叩かれるようになった。土地の風土と気質により太鼓は変わる。私の推測が正しければ、凄く面白いことである。


10月15日 NHK合唱コンクール

 先週末に行われた、NHK合唱コンクール全国大会中学校の部を、ビデオ録画して見た。今年の課題曲である、アンジェラ・アキの「手紙」が聴きたかった。15歳の「僕」が、未来の自分に手紙を書く、という内容の歌詞で、15歳の繊細な心を見事に表現している。

 いい曲だと思った。というか、不覚にも初めの演奏を聴いた瞬間、泣いてしまった。先週の合宿の帰りに買ったほうとうを食べながら、鼻水と涙が止まらなくなり、酷い有様となった。中学生にとって、これほどまでに感情移入できる課題曲は無いであろう。大人の私にとっても15歳の頃を思い出させる曲であった。


 15歳の頃、今では軽く受け流せるような小さなことでも悩んだり、戸惑っていたように思う。そんな15歳に対し、この曲は「自分を信じろ」と励ます。この曲が凄いのは、そんな悩める15歳に対し、「素晴らしい未来が待っている」とは決して言わないところである。むしろ、「大人の僕も傷ついて眠れない」「いつの時代も悲しみを避けては通れない」など、「いつになっても人生は辛いものだ」と言う。「だからこそ頑張れ」とこの歌は励ましているのである。

 2校目以降はなんとか涙も収まり、ある程度冷静に合唱を聴いた。曲の捉え方、深め方がそれぞれによって全く違うのが面白い。この曲の場合、冒頭の「拝啓」という歌詞の歌い方で全てが決まる。フレージングや音色、バランスなどについて、嫁と議論しながら見た。

 ひとつの課題曲をさまざまな合唱団が演奏するのを聴くのは、飽きないし楽しいと思う。学生指揮者をやっていた頃、指揮をやっていて一番辛かったのは、うまく振れないときではなく、みんなの演奏を聴いて、それに対しなにも言うべきことが見つからない時、良いのか悪いのかさえ分からないときである。だから、民研以外のいい演奏を色々聴くようにしたし、曲のニュアンスを聴き取ることを必死に勉強した。そんな経験もあり、今では曲の違いが少しは分かるようになった。


 驚いたのは、郡山市立第二中学校の自由曲であった。ハーモニーの美しさと伸びのある声は、中学生とは思えないどころか、プロの領域にさえ聴こえる。嫁とびっくりし、テレビに向かった拍手喝采を送った。

 コンクールの最後、アンジェラ・アキが「手紙」を歌った。それを聴いていた中学生達は、ほとんどが感動のあまり泣いていた。そりゃそうであろう。と思ったら、NHKのアナウンサーふたりも泣いていた。私もテレビの前で泣いた。

 歌の力はすごいなぁと、改めて思った。


10月14日 三宅太鼓合宿

 先週末の三連休は、シゲオと三宅太鼓合宿に参加した。三宅太鼓は、三宅島の神着地区に伝わる太鼓芸能だが、今では日本中の太鼓団体が取り上げている、最も有名な太鼓曲のひとつとなっている。民研では「木遣り太鼓」と呼んでいた。

 今から9年前に三宅島で教わって以来、大好きな曲となった。この太鼓の魅力は、 体の使い方や振り付け全てが「太鼓を打つ」ということのみのために存在していることだと思う。余計な動きは無く、良い音を出すことのみに全てを集中させる。舞台演出のため多少の変化はあっても、その本質は変わらない。それに加え、独特の土臭さのあるリズムが心地良く、島独特の雰囲気を醸し出していると思った。


 合宿だが、想像以上にハードであった。極端に言えば、食事と睡眠以外はほとんど太鼓の練習であった。民研の部合宿というよりは、高校柔道部時代のハードな合宿を思い出した。そんな合宿に、小2の女の子から66歳の男性、更にはスペイン人やドイツ人の方々など、さまざまな人が参加しており、世の中にはこんなに三宅太鼓を好きな人がいるということに驚いた。

 合宿が終われば、全身筋肉痛で、左のバチの滑走路となる右肩は擦り切れ、右手は皮が破れ、膝にはバチで打った打撲があった。満身創痍である。

 改めて、楽しいと思った。3日かけてやっと、いい音が出たときの爽快感を思い出してきた。定期的な教室に通おうか、少し迷っている。


 今日の会社では、筋肉痛との格闘であった。右手の皮も剥けており、昼食では箸が持てず、左手に箸を持って食べた。両利きをありがたいと思ったのは久しぶりである。


10月9日 顔文字について

 私は、時代遅れである。携帯電話を持つのも人よりかなり遅かったし、携帯電話の電話帳機能も「頭が悪くなる」と言って、かなりの間、使わないように、メモあるいは頭の中で語呂合わせで覚えるようにしていた。

 そして、これまで使わなかったのが、顔文字である。あんな記号を使わなくても、行間から表情が滲み出るような文章を書けばよい。なによりも、チャラチャラしていて私らしくない、と思っていた。

 しかし、人は常に強い刺激を求め続けるものである。テレビが発明された頃、人々は白黒の画面に釘付けになり、熱狂した。今では、フル・ハイヴィジョンでないと物足りないという人もいることだろう。時代が変われば、それに対応していかなければならない。


 例えばメールでお礼を言いたい時、昔は

 「アリガトウ」

と書いていた。当時は、一回のメールでカタカナ10文字程度しか遅れなかった。そのうち、、

 「ありがとう」

と、ひらがなが使えるようになった。この頃、私は、より強い感謝の意と親愛の心を込めて、

 「ありがとう!」

とエクスクラメーションマークを付けるようにした。しかし、しばらくすると、エクスクラメーションマークを付けないと、素っ気ない印象になるような気がした。そして、文章を末尾ごとにエクスクラメーションマークが付くようになってしまった。そのうち、文章の末尾は「!」「〜」「ー」などとなり、ワンパターン化していくと共に、これらの表現が陳腐化していくような気がした。

 顔文字の練習もせねば、と思い始めた。「かお」と入力して変換ボタンを押し、適当な顔文字を見つけて設定する。意外に難しく、なかなか思うような顔が現れない。


 私は、時代遅れな人間である。ようやくこういうことを始めた頃、世間ではカラーの顔文字やアニメーションのように動くマークなども使用しはじめており、全く手に負えない。時代についていかねば。


10月5日 オーケストラを聴きに

 今日は、元リコーダー部長のフサコさんに誘っていただき、戸田交響楽団の定期演奏会を聴きに行った。オーケストラの演奏を聴くのは、多分、生まれて初めてである。演目は、「魔法にかけられた湖」(A.リャードフ)、「ロメオとジュリエット」(S.プロコフィエフ)、「シェヘラザード」(N.リムスキー=コルサノフ)である。


 「魔法にかけられた湖」は、短いながらも幻想的で美しい曲だった。曲解説に「絵画的」とあったが、本当に美しい絵を見ている感覚になった。

 「ロメオとジュリエット」の決闘のシーンは、ソフトバンクのコマーシャルで使われているお馴染みの曲だった。緊張感のある決闘シーンのはずなのに、白い犬が頭から離れず、難儀した。

 「シェヘラザード」は、浅田次郎の小説の題名にもなっているので、名前だけは知っていた。語り部のようなヴァイオリンソロが印象的でかっこいい。これを聴いてから小説を読めばよかったなと思った。


 当たり前だが、オーケストラの演奏は、太鼓の演奏とは全く違うなぁと思った。

 太鼓の演奏は、自分がやりたいようにやるところが原点となる。とにかく、感情に任せて叩きたいように叩く。そこから形を揃えたり、音を揃えたり、振りを付けたりして音楽にしていく。

 オーケストラの場合は、クセを取り除き、純粋なものだけを残すところに原点があるように感じた。正確な指使いが出来、正確な音程がとれるように地道に練習する。そして縦糸横糸をぴったり重ねることにその魅力がある。だからと言って、画一的な演奏になるのではなく、正確な演奏の中に、オケの個性がにじみ出るように現れる。私はまだオケで使われる楽器の種類もよく分かっていないから、残念ながらそれを聴き分けられるだけの耳はまだ無いけれど。


 聴いていると、眠くなってきた。特に、トライアングルの「チーン」という音が眠気を誘う。せっかくの素晴らしい演奏なのに、寝るわけにいかないと思い、必死で起きていたが、一部意識が飛んでいたように思う。これがアルファ波の効果かと思った。  


10月2日 無題

 最近、「1リットルの涙」を読み返している。脊髄小脳変性症という、精神は健常にもかかわらず、徐々に筋力が衰え死にいたるという、残酷な病にかかった女性が記した日記である。

 以前にも書いたが、この本には、病を誰かのせいにしたり、周りの人を傷つけるような記述は全く無く、生きようとする意志と、自分を支えてくれる人に対する深い感謝が、美しい文章で綴られている。この本を初めて読んだ時、私は大きな衝撃を受けたのち、妹にあげた。しかし、また読みたくなって、古本屋で買ってまた読んでいる。


 ものごとに成功したときや、うまくいっているとき、自分のおかげだなんて思わないようにしなければと思う。よく考えれば、うまくいったのは周りの人が助言をくれたり、偶然見つけたことがたまたま功を奏しただけであって、自分がゼロから創造したことがらや、完全に独力で発見したことは、ほとんど無いことに気付く。自分の力を過小評価することはないが、周りの人への感謝を大切にしたいと思う。

 逆に、ものごとに失敗した時やうまくいかないとき、周りの人のせいにしてはいけない。そういうときは、他人のことをあれこれ言う前に、自省しなければならないと思う。

 損な考え方だが、そういう風に考えられるようになりたいと思う。しかし、なかなかいつもそう考えられるものでもなく、自分に酔ってしまったり人を悪く言ったりしてしまうものである。

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