2009年
1月のつぶやき




1月30日 妹に会いに

 1/23から1/29までの1週間、グァテマラ旅行に行った。妹が国際協力のボランティアでグァテマラに住んでおり、母と私で会いに行ったのである。


グァテマラに向かう(1/23)

 今回の旅行の最大のポイントは、「グァテマラに到着する」ということである。グァテマラにさえ着いてしまえば、あとは妹が計画してくれた通りに行動すればよい。しかし、そこに着くまでにアメリカへの入国、デトロイトとヒューストンでの2回の乗り継ぎがあり、旅慣れておらず、英語もろくに喋れない母と私にとっては 不安であった。逆に、グァテマラに到着し、妹に会えさえすれば、旅の半分は終わったようなものである。

 一番ピンチだったのは、ヒューストンでの乗り継ぎであった。ヒューストンに到着したのが18:45であったのだが、なんと次のグァテマラ行きの飛行機の搭乗時刻も同じ時刻なのである。出発は19:15。しかも、次の搭乗口まではシャトルバスを利用するらしい。教えてもらったとおりのところで降りたものの、搭乗口まではやたら遠く、そこから猛ダッシュした。なんとか19:10分頃に搭乗口に着くと、すでに誰もいない。乗り込もうとすると、職員にさえぎられた。たどたどしい英語で事情を話すと、「No problem.」「You are OK.」などの答えが返ってくる。しかし、搭乗時刻を尋ねると、やはり18:45だと言っている。

 なにかおかしいと思い、中1で習う英会話の基本、「What time is it ?」と聞いてみたところ、これまた教科書どおりに「It's 6 o'clock.」という答えが返ってきた。なんと、デトロイトとヒューストンでは1時間の時差があるらしく、私たちは搭乗1時間前に搭乗口で大騒ぎをしていたのであった。

 他にも、デトロイトで私が航空券を失くしかけるなど、トラブルはあった。それでも何とか無事グァテマラ空港に到着し、出口を見れば、笑顔で手を振る妹がいた。


空港にて


グァテマラについて

 グァテマラは、中米(アメリカ大陸の一番くびれた部分)に位置する国で、紀元前よりマヤ系先住民による高度な都市国家が築かれていた。マヤ文明は、滑車も鉄器も用いることなく巨大建造物を建てるなど、私たちの知っている文明とは全く異なるベクトルで進化を遂げており、9世紀頃までに栄華を誇ったが、その後衰退したとされる。グァテマラは1523年にスペインに侵攻され、1821の独立宣言まではスペインの支配下に置かれることとなる。独立後も軍事政権時代、過激テロなどの混乱などの苦労を経て現在に至る。

 グァテマラの人口比率は先住民52%、混血も含めると97%となり、先住民人口が最も多い。先住民は遥か昔にアラスカを渡ってきたモンゴロイド系の人種であり、顔立ちは私たちアジア人にそっくりである。民族衣装も、タイやブータンを思わせるデザインであり、親しみの湧くものが多い。私の感触では、グァテマラに住む先住民と欧州系の人たちは、目だって反目しあってはいないものの、どことなく交じり合えないというか、よそよそしいように感じる。


アンティグア〜パナハッチェル(1/24)

 朝、ホテルで妹のホームスティ先の次男、ポロに会う。初めて接するラテン人である。明るい!テンション高い!母にも「ママー!」と言って抱きついており、その歓迎ぶりに驚いた。そんな彼が環境省の役人だから、更に驚きである。

 そんなポロの案内で古都アンティグアへ。アンティグアは1541年から1776年までの間、グァテマラの首都であった。しかし、火山活動と地震のため壊滅し、首都は現在のグァテマラシティに遷都された。今では世界遺産に登録され、かつて地震で崩壊した建造物がそのまま遺されている。

 ポロによれば、かつてペドロという牧師がいて、多くの貧しい人やハンディキャップを持つ人のために尽くし、民衆の罪を背負うがごとく十字架を背負って町を歩いていたらしい。一方で先住民を虐殺する施設もあり、アンティグアという町が抱えていた矛盾を感じる。


 ポロは、「フォト!」と叫んでは写真を撮り、車の中から外を歩く女性に声をかけるなど、私たちをとても楽しませてくれた。彼は、前日仕事のトラブルで11時まで仕事をしており、しかも私たちを案内するための車が故障していたらしく、朝4時に起きて車を修理してからかけつけてくれたらしい。

 ラテン人の明るさというのは、根っからのものもあるだろうが、その中には人付き合いに対する繊細な感覚があるのだと思った。ポロは無理してでも(もちろん無理してることなど、一切悟らせないように)私たちを明るく歓迎してくれた。更にポロは、アンティグアを案内した後、4時間くらいかけて次のホテルがあるパナハッチェルまで運転して連れて行ってくれた。本当に、感謝感激である。


左:アンティグアの遺跡    中:妹とポロ    右:十字架の丘にて(アンティグアの町が一望できる)


パナハッチェル〜トトニカパン(1/25)

 次の日は、パナハッチェルを観光した。パナハッチェルには、世界一美しいと言われるアティトラン湖があり、モーターボートで横断する。対岸のサンディアゴ・アティトラン村に着くと、物凄い数の物売りに囲まれた。彼らを振り切ると、小さい男の子だけがひとり、いつまでも私たちについて来た。私たちのガイドをしてくれると言う。妹が、私を指差して「何歳に見える?」と聞くと、男の子は「50歳」と答えた。外見上の最高年齢がまたもや更新され、ショックを受けた。ちなみに母も50歳、妹は30歳と言われたらしい。妹が私と母の娘だと思ったのだろうか。

 男の子の案内で、カトリック教会、プロテスタント教会、そしてマヤの神様がいるという民家に連れて行ってもらった。マヤの神様は、一年ごとに民家を移動するらしい。マヤの神様は、タバコをくわえた老人の姿をしており、不思議な魅力があった。移動中、民族衣装を着た地元の人たちでごったがえす市場を通り、いかにも異国に来たという感じがした。

 その後、船で東側にあるサンアントニオ・パロポ村へ。ここでお茶しようと入ったところが、リゾートホテルであった。オウムを見たり、イグアナを抱いたりした。帰り道、物売りの男の子からミサンガを買ったところ、凄い数の子ども達が手にしている土産物を売りに来た。その表情は真剣で、ここでの生活が決して楽ではないことを感じた。

 昼食を食べ、蝶の飼育をしているというアティトラン自然保護区へ行った。しかし、今の時期は卵やさなぎの状態らしく、蝶は2種類しか見当たらなかった。


 午後4時、ホームスティ先のお隣さん「ワヴィート」が迎えに来てくれ、車で妹のホームスティ先、トトニカパンに向かった。「ワヴィート」は、地元でトゥクトゥクの運転手をしている23歳の青年で、妹が言うには「ワヴィート」の発音は物凄く難しいらしい。とても23歳には見えない、愛嬌のある青年である。

 車は、ホームスティ先で「メルセデス」と呼ばれているボロボロの車で、パナハッチェルからの急な坂道を登れば、エンジンがオーバーヒートした。ラジエーターキャップを開けると、水蒸気が物凄い勢いで噴き出した。私たちは驚いたが、ワヴィートは驚く風もなくラジエータに水を補給していた。彼いわく、よくあることらしい。

 グァテマラ人の運転は速い。高速道路でもないのに、100キロくらいは普通に出す。日本では60キロくらいだというと、大抵誰でもずいぶん遅いなぁという反応をしていた。しかも、見通しが悪くてもどんどん追い越しをするため、慣れない私たちには怖く、悲鳴を上げつつトトニカパンに向かった。


 これから2日間、妹のホームスティ先に泊めてもらうことになる。妹の面倒を見てくれているホームスティ先のママは、とても明るく、素敵な人であった。一緒に住んでいる次女も、良く笑う楽しい人である。お土産である日本のがまぐち、千代紙、坂角のえびせん、そして母がお好み焼を作るために持っていったオタフクソースをとても喜んでくれた。

 夕食は、とうもろこしを練って作った「タマリート」、牛肉を骨ごと料理した豪快なもの、そして見たことの無いような小さなじゃがいもであった。どれもとても美味しかった。


左:カトリック教会にて、ガイドの男の子と    中左:市場の様子    中右:妹とイグアナ    右:「メルセデス」に水を補給するワヴィート


ウエウエテナンゴ(1/26)

 ウエウエテナンゴは、トトニカパンから最も近くでマヤ遺跡を見られる場所である。朝8時にワヴィートと彼の友人、アベルとともに「メルセデス」で出発した。

 遺跡は、のんびりした公園であった。地元の人がサッカーをしていたり、デートをしていたりしていた。遺跡は崩れないようコンクリートで固められており、「遺跡らしさ」はあまりなかった。

 最も高い遺跡は、頂上で生贄の心臓をえぐり取ったり、生贄の首を切って転がり落としたりしたものらしい。また、球技場は生贄同士を勝負させ、負けたほうが殺されるという、文字通り命を賭けた戦いが行われていたという。

 マヤ文明を知る手がかりは、遺跡と土器、そして王の歴史が記された象形文字くらいであり、民衆の生活を知る術はほとんど無い。マヤ文明といえば、生贄と戦いのイメージが強いが、個人的には、こんなことは一部の狂気的な王族のみが行っていた愚考であると思いたい。そして、マヤに住む多くの人々は、美しい民族衣装を着て穏やかに過ごしていたと思いたい。


 ホームスティ先に戻ったら、お好み焼を作った。母も妹も私も、お好み焼には特別のこだわりがあり、粉の量が少ないだとか多いだとか、火加減が強すぎるだとか弱すぎるだとか喧嘩になりつつ作った。グァテマラのキャベツは甘く、美味しいお好み焼が出来た。

 その後、アメリカ人ボランティアのリンダ、隣りに住むギターおじさんが現れ、ラテン風のどんちゃん騒ぎが始まった。ギターおじさんは、グァテマラの歌とか、トトニカパンの歌を何種類も歌っており、地元ソングがたくさんあるのに驚いた。私は、日本から持ってきていた篠笛で、コンドルは飛んでいく、おおスザンナなどをギターと合奏した。ホームスティ先のママは音楽が始まると可愛らしく踊りだす。まるで体が勝手に動くようである。そんな風にして、トトニカパン最後の夜を過ごした。


左:ウエウエテナンゴの生贄の塔    中左:アベル・ワヴィート・母・私    中右:踊る母とママ    右:ギターおじさんと篠笛で合奏


トトニカパン〜グアテマラシティ(1/27)

 この日は、トトニカパンの最終日である。次の日には朝飛行機でグァテマラを発つため、実質上グァテマラ最後の日でもある。妹は寂しそうにしていた。この日は、午前中妹の職場に行った。妹の職場は市役所の1階にあり、ここを拠点として村々をまわったり、マニュアルの作成をしたりしているらしい。グァテマラの職場では、以下のように仕事をするという。

  8時:出社
 10時:軽食
 13時:昼食のため帰宅
 14時:再び出社
 16時:帰宅

 日本人からすれば、なんと気楽な働き方かと思うが、生活全体を見ればどちらが楽などとは言えない。10時の軽食を一緒に頂いたのだが、結構たくさん食べるのである。ここ以外でも、グァテマラの食事は全体的に量が多く、常におなか一杯といった感じであった。

 昼食を食べて、ホームスティ先のママ、次女と別れる。妹が元気に過ごせているのは、この人たちのおかげだと思った。


左:妹の職場にて      中:トトニカパンの風景      右:次女・母・ママ・妹


帰宅(1/28〜1/30)

 朝8時の飛行機の乗るため、朝5時起床。今回の旅で2番目のポイントは「無事に帰る」ということである。とにかく、無事グァテマラに来れて無事帰れればほぼ100点満点なのである。結論から言うと、特に大きなトラブルも無く成田に帰ることが出来た。

 トピックスと言えば、アメリカの食事がどれもまずく、かつ多いことであった。空港で食べたナチョスは、この世のものとは思えないくらいまずく、かつ凄い量であった。ホテルで食べたピザはそこそこ美味しかったものの、食べきれないくらいでかかった。一番ましだったのは、マクドナルドのハンバーガーであり、マクドナルドが大人気な訳が分かった気がした。


最後に

 今回の旅の目的は、妹に会いに行くことであった。ついでに、グァテマラがどんなところか見てみたいという思いもあった。妹のたくましさとその行動力は、私などとは比べ物にならない。一貫した考えとそれを行動に移すバイタリティは、学ぶべきところが多い。頑張ってほしいと思うと同時に、私も頑張らねばと思った。



1月22日 すごーい

 今日の会社の帰り、バスの出発まで時間があったのでコンビニに入った。本を見ていると、「男は3語であやつれる」(伊藤明著)が目に留まったので、はじめのほうをぱらぱらと読んでみた。この本によれば、女性が男性を喜ばせるにはとりあえず、

 「すごーい」

と発音すればよいという。すると男性のプライドがくすぐられ、満足するらしい。バカにしてるのと思いつつも、確かにそうだなぁと思った。私の行動のほとんどは、「すごーい」と言われるために行われているのかと自問すれば、あながち違うとも言えない気がしてきた。


1月19日 誕生日

 今日は、誕生日である。誕生日が来ても、まだまだ20代である。

 先週の土曜日、妻は誕生日祝いに酒屋に連れて行ってくれ、好きな酒を選ばせてくれるという、粋なプレゼントをしてくれた。そして夜は、家でカニを食べた。外食するくらいなら、家で豪華なものを食べようと言ったのである。結婚して以来、自宅でカニを食べるのは初めてであり、素晴らしい週末となった。

 そして今日は、妻は職場で女の子飲み会があるということで、食事は各自でということになった。さすがに、誕生日に家の残り物をひとりで食べるのは寂しいと思い、自分の誕生日飲み会を開くことにした。自分の誕生日飲み会を自分で主催するのは、ちょっと恥ずかしいが、背に腹は変えられない。自分で「誕生日おめでとう!」の乾杯を発声し、あとは適当に飲み食いして楽しく話をした。


 話は変わるが、今年の目標が若返りであることは前に述べた通りである。その一環で、メガネからコンタクトに変えたとき、職場の人に話しかけられた。雑談で、私が若返りを目指していること、今週末からグアテマラに住む妹に会いに行くこと、妹はJICAの海外協力でグアテマラに赴任していることなどを話した。

 すると、「妹は世界に羽ばたいて立派に世の中のために活動しているのに対し、兄は若返りなどと下らないことを言ってコンタクトレンズをつけて喜んでいるとは、なんと人間の小さいことか」という意味のことを言われた。

 確かにそうだなぁと思った。そろそろ30代。若返るとともに、器の大きな人間にならなければならないと思った。


1月17日 魔王

 最近、ニンテンドーDSで「クロノトリガー」をやっている。すると、妻が興味しんしんで見ており、やがて妻もやりはじめた。気付くと、妻のほうが先に進んでいたりして、今は追いつけ追い越せ状態である。

 そんな中、「魔王」が仲間になった。詳細は省くが、このゲームでの「魔王」は、色々と不幸な境遇を歩み、致し方無く「魔王」職に就いているわけで、人間をカエルに変えるなどの悪事を働いていたものの、同情の余地は大いにある。「魔王」が単なる悪の枢軸でなくなったのは、ドラクエWくらいからか。ともあれ、「魔王」が仲間になった。

 私が「魔王」と連れ立って歩いたり戦ったりしているのを見た妻は、驚いていた。妻のほうがゲームは進んでいるのに、「魔王」は仲間になっていないらしい。話を聞くと、妻はカエルに変えられた恨みを晴らすべく、「魔王」にとどめを刺したらしい。悔しがってはいたが、なんとなく取り返しがつかなさそうである。

 私は、「魔王だって色々あるんだし、そもそも無駄な殺生はすべきでない」と主張したが、妻は「カエルに変えられた屈辱には変え難い」と議論は平行線であった。しかし妻は、しばらく「魔王・・・」と力なくつぶやいており、ちょっと残念そうであった。


1月14日 ウソバスター

 先週、嫁と「ウソバスター」という番組を見ていた。日本人が信じている「ウソ」を暴く内容の番組であり、「青木ヶ原樹海で方位磁石が効かなくなる」「日本一大きい砂丘は鳥取砂丘である」などのウソが検証されていた。

 しかし、番組内容はかなり怪しい内容も多く、ウソと断言してよいのか疑問に思う点も多い。例えば、睡眠に関する以下の4つの常識のうち、3つがウソで1つが本当だと言う。

 1.お酒を飲むとぐっすり眠れる。
 2.冷え性対策には靴下を履いて寝るとよい。
 3.低血圧の人は寝起きが悪い。
 4.寝つきが悪い時は羊の数を数えるとよい。

 この中で、4.のみが本当であとはウソである、と番組は言う。しかし、その検証を見ていると実に怪しい。

 1.はまあ良い。2.については、きつい靴下を履いて寝ると血行が悪くなり、かえって逆効果とのことである。しかし、番組では、締め付けないようになっている冷え性対策用の靴下というのもあると言っており、「冷え性対策には靴下を履いて寝るとよい」というのがウソと一概に断言するにはちょっと苦しいと思われる。3.についても、低血圧と寝起きの相関性はないにせよ、低血圧が原因で起こる病気との相関性はあるとのことであり、やはりウソと断言するには苦しい。

 4.にいたっては、「単純作業をすることにより、脳の活動が低下するため眠りやすい」とのことであるが、同時に「あまり一生懸命数えすぎるとかえって逆効果」とのことであり、羊の数を数えることが必ずしも効果があるとは言えないことを、番組で言ってしまっている。

 嫁と「詰めの甘い番組だ」と言い合った。あらゆる状況において「例外なく真である」あるいは「例外なく偽である」ことを証明するのは相当難しい。情報番組としての面白さを追求するのはいいが、強力な情報発信源であるテレビメディアが安易に「これはウソ」と断言してしまうのは、良くないなぁと思った。


1月12日 コンタクトレンズ

 今日は、コンタクトレンズを買いに行った。これまでは、レンズを目の中に入れるなんて恐ろしいことできる訳がないと思っていたが、何事も経験だと思い、アイシティに向かった。

 眼科でひととおり診察を受け、コンタクトレンズを装着する練習をしたのだが、これが実に難しい。何回やってもレンズが目の中に入らず、落っこちてしまう。ようやく付けた頃には、目が真っ赤に充血していた。

 付けてしまえば、意外と違和感がなかった。視界の全てがはっきり見えるなんて、小学生の頃以来である。これは快適だと思ったが、メガネに比べてかなりコストが高い。とりあえずは1dayの使い捨てで、たまに使う程度でよいと思った。


1月10日 皇居→銀座→池袋→ファッション雑誌

 今日は、会社の陸上部の練習があり、朝7時に起きて皇居に向かった。また前日の帰り道に軽い気持ちで誘った後輩も来ることになり、合計4人で皇居を走った。

 今年は、本で読んだ「フォアフット走法」を試してみている。足のかかとを地面につけることなく、つま先だけで走ることにより効率的に速く走れるというもので、「賢く走るフルマラソン」(田中宏暁著)が推奨している走法である。簡単に言えば、カンガルーのような走り方である。

 結果、タイムは21分11秒。自己ベストよりも1分以上遅い。しかも、ふくらはぎが酷い筋肉痛になり、ろくに歩けないような状態となった。もっとふくらはぎの筋肉を鍛えれば速く走れるようになるのだろうか。


 その後、後輩が「銀ブラしましょう」と言い、銀座に繰り出した。まずは銀座の「アップルストア」へ。とてもおしゃれなビルである。4階に行くと、インターネットスペースがあったので、うっかり「VISTAを動かしてみるか!」と言うと、「ここはVISTAじゃないですよ!」と後輩にたしなめられた。

 続いて、ルイヴィトン銀座店へ。ジーパンの客はひとりもいなかったが、とりあえず入ってみた。しかし、モノの価値がよく分からず、およそ3分で退場。

 最後は、ヤマハ銀座店に行き、楽器を見たり、マリンバのミニ演奏会を聴いたりした。マリンバの演奏は素晴らしかった。特に、マリンバ奏者であるも安倍圭子氏作曲の「山をわたる風の詩」「竹林」などは素晴らしく、マリンバでこんな情緒豊かな表現が出来るのかと思った。しかし、ここでもスーツまたはセミフォーマルの客がほとんどであり、私服で演奏を聴いている人は私たちだけであった。


 銀座の次は、池袋へ。東急ハンズで今月末にグアテマラ旅行に行くための準備をした。妹によれば、グアテマラシティは治安が悪いため貴重品は分散して持つのがよいという。買ったのは、パスポートや現金を入れられる腹巻、太ももにくくりつける貴重品入れ、そして鼻毛切り機を買った。鼻毛切り機については、特に海外旅行や治安とは関係ないのだが、単に面白そうなので購入。


 最寄り駅に着いて、晩御飯を買うとともに、男性用ファッション雑誌を買ってみた。これが実に面白い。前の方には、さまざまな髪型をした男性モデルやら、おしゃれの解説が清潔感たっぷりと載っているのだが、後半からは「女の子のHなヒミツ」などと称した女性の考え方などを紹介したコーナーがあり、最後のほうには「大開運を呼ぶ」「突然モテモテつきまくり」「金と女に囲まれて!!夢の毎日です!!」などと書かれた怪しいブレスレットの広告が載っている。このあからさまな本の構成に感心した。前半のおしゃれ男たちの目標は、最後のページのような金と女にまみれた生活なんだという感じがして面白かった。

 妻とこの雑誌を読んでいたのだが、男性モデルの服装や髪型がどれもイマイチであり、妻とげらげら笑った。こんな髪型をしている男性はほとんどいないし、ファッションはズボンを腰ではくなどだらしない格好が多く、「こうやいうだらしないのがカッコイイみたいな感覚は理解しかねる」と言っていた。更に妻は、「美容院を設けさせるために、わざと複雑な髪型が流行っているように印象づけているのではないか」と鋭い指摘を入れて雑誌を閉じた。


1月6日 今年の目標

 私の今年のテーマは「若返り」である。昨年末のつぶやきにも書いたとおり、小倉祇園太鼓の忘年会で、「ずっと40歳前後だと思っていた」と言われ、ショックを受けた。それだけでなく、いくら口で28歳とか言われても信じられないとか、こんな年の離れた嫁(実は同い年)を貰うなど犯罪だと思っていたとか、衝撃的すぎて夢に出そうとか言われた。

 そういう時、必ず「落ち着いて見える」と「年を重ねたら若く見えるはずだ」というフォローが入る。しかし、後者については、

 22歳時点・・・見かけの年齢30歳前後
 28歳時点・・・見かけの年齢40歳前後

ということで、見かけの年齢の増加が実年齢の増加を上回っており、このまま放っておくと、ますます実年齢と見かけの年齢がかけ離れてしまう。さすがに、対策を立ててみたいと思った。

 会社での仕事始めの日、必ず年下に見られるという後輩に上記の話をしたところ、「とりあえず美容院にいったほうがいいですよ」と言われた。私は、男が美容院なんかに行くものかと反論したが、今では常識だと言う。確かにまわりの男性に聞くと、大抵は美容院に行っていると答えるため、びっくりした。美容院では、雑誌などを指し示し、「このようにして欲しい」などと要望を述べるのだという。さすがに、ちょっと敷居が高いかなと思った。

 今日の帰り道、とりあえず肌にうるおいをもたらそうと思い、薬局で男性用化粧水を買ってみた。それを見つけた妻は、一体なにがにあったのかと言う。相談してみると妻は「メガネのせいで血流が悪いから、目の下が黒ずんで老けて見えるのだ」と言い出した。そして、化粧をして黒ずみを消してみようということになり、私の顔にコンシーラーとファンデーションを塗った。すると、私の顔は真っ白になり、より老化が促進されたようになった。まるでゾンビである。妻はげらげらと笑い転げ、次は口紅を塗ってみようとか、眉毛を書いてみようとか言い出したので、本題から外れると思い、風呂で顔を洗った。

 更に妻は、私の写真と美容院のホームページのヘアスタイルの写真を合成するなどして遊んでおり、ふたりで笑い転げた。

 とりあえずは、コンタクトレンズを買ってみようと思う。これまではあんな異物を目の中に入れられる訳がないと思っていたが、目標達成のためには聖域を設けてはならない。美容院も、勇気を出して行ってみよう。


 話は変わるが、正月に祖父が尺八をくれた。吹いみると、実に面白い。しかも音を出すのさえ難しく、相当やりがいがありそうである。さっそく、都山流のホームページを見たり尺八教室の検索などをやって、正月休み最後の日を過ごした。

 しかしこれは、若返りとは全く逆の方向だなぁと思った。


1月4日 2008年最初のつぶやき

 あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

 今回の年末年始も、例年通り妻と私の実家をはしごして回った。福岡で2泊、神戸で2泊して帰ってくれば、荷物はより重くなっており、Uターンラッシュの中を自由席で無事品川まで帰ってきた。

 そんな時、妻が「バーゲンに行きたい」と言った。普段は服を買いたいなどとは殆ど言わない妻だが、珍しく気が乗っているらしい。私は、一旦荷物を家に置いてから、近くの店に買いに行こうと主張したのに対し、帰り道に「西武新宿PePe」で買い物をしたいと言う。私は快諾した。年に何回もあることではないし、妻と一緒に妻の服を選ぶのも楽しそうだと思った。

 ファッションに対する感受性の豊かさは、男性と女性では雲泥の差がある。ファッションに疎い私は論外だが、一般の男子であっても、おしゃれを楽しむ術やそのセンスにおいて、女性に敵わない。西武新宿PePeにおいても、女性に引きずられるようにして後ろをついていく、冴えない表情の男性の姿が目に付いた。私もそう映っていることだろうし、ある程度は仕方ないが、理解しようと努力する姿勢は必要である。

 私たちはと言えば、ああでもないこうでもないと言いながらうろうろ歩き回っていた。帰省した際、妻の高校の友人たちと食事した時に覚えた「サイケ服(=サイケデリックな服)」「ギャルギャルしい(=生足を露出するなど若々しい服装)」などのファッション用語(?)を連発しながら服を見て回った。

 結局、妻がワンピースとそれに合わせたインナーを購入したほか、ユニクロで必要なシャツなどを購入した。私は、ユニクロではやりの「ヒートテック」と、意外に愛用者が多い5本指靴下を購入した。

 更に、最寄り駅でお好み焼の材料を買って家路についた。神戸で購入した、珍しいお好み焼ソースの味を試したかったのである。かばんは更に重くなり、腕がちぎれそうになりながら家に帰った。

topへ