2002年
9・10月のつぶやき
10月27日 星野先生のこと
この日は民研のOBOG総会があった。私は出席するのは初めてだったので、どういうことをやるのかも全く分からなかった。前で古い人たちがいろいろな話をしていたが、あまり聞いておらず、寿司ばかり食べていた。その中でも、星野先生の奥さんの話だけは真剣に聞き、星野先生のことを思い出していた。
星野先生の葬式を、私は一生忘れないであろう。星野先生の遺言で、葬式で八木節を踊ることになり、皆で会場に向かった。先生の棺の前では常に合唱が鳴り響いていたのを覚えている。
出棺に先立ち、奥さんが挨拶をしたとき、おそらくそこにいた民研人全員が泣いたと思う。普段は絶対に泣いたりしないであろう人も間違いなく泣いていた。奥さんは、その挨拶の9割がたを、先生と奥さんの、民研に対する思いを涙ながらに語るのに費やしたのである。私はそれまで、星野先生にとって民研は、数あるうちのひとつだと思っていた。しかし実際は、民研は星野先生の人生だったんだということに今更ながらに気付いたのである。
そのとき私は二年生の冬を思い出していた。先生は、発表会の木遣り太鼓の構成を短くした方がいいとおっしゃったにもかかわらず、私たちは今のままで行くと言い張り、ついにはろくに連絡もとらずに押し通してしまった。発表会当日のリハーサル後、みんなのまえで、笑顔で
「こうなったら勢いでがんばりましょう!」
と言ってくださったときには、心から申し訳ないと思った。結果はどうあれ、もっと納得の出来る形まで話をしておけばよかったと思った。そしてそれが、先生とできる最後の民研活動となった。
出棺のとき、先生の棺の前で八木節を披露した。いざ八木節が始まると、さっきまでの感傷が吹き飛び、非常に楽しかった記憶がある。八木節が終わると、先生の棺は会場から運び出されていった。
葬式が終わると、不思議と悲しみがなくなり、逆にちょっと楽しい気分になって、昼間からファミレスでビールを注文して乾杯した。普通なら非常に不謹慎なことかもしれないが、私たちはそれこそが星野先生の力なんだと思い込んでいた。
とここまで書くと、星野先生を知らない人は「凄い人だったんだ」と思うだろう。確かに凄い人だが、面白い人でもある。よく思いつきでものを言っていたのを覚えている。銚子大漁囃子の最後のキメで、「ボルト締めを片手で持ち上げて決めろ」と言ったとき、当時の部長が「それはムリです」といっていたのを覚えている。私たち以上のテキトーさを持っている。民研が何でも思いつきでやりたがるのは、案外星野先生の影響かもしれない。
10月25日 接待を受ける
この日、私は生まれて初めて接待というものを体験した。私にとって接待とは、テレビの中や人の話の中に出てくるだけで、自分自身が体験するようなものじゃないと思っていたので内心戸惑っていた。周りの人はおいしいものが食べられるということで喜んでいたが、正直私はあまり気が進まなかった。意味もなくもてなされることがなんとなく嫌だったのである。
午前中に工場を出て、宇都宮へ向かった。相手先の工場に行く前に、せっかく宇都宮に来たからということで、「みんみん」で餃子を食べた。私は朝ごはんを食べてなかったので、焼き餃子3皿とライスを食べたところ、かなりの満腹になってしまった。
午後、工場見学などを済ませ、夕方頃、「この後別の場所で懇親会を用意しておりますので」という話になり、車に乗り込んだ。車中で、「宇都宮だから接待も『みんみん』じゃないか」などと冗談を言っていたところ、車は本当に「みんみん」の駐車場に止まり、びっくりした。
その後は、「みんみん」の裏手にあるステーキ屋で酒を飲み、楽しく話をしながら、おいしい肉を食った。生まれて初めて食べるくらいおいしい肉だったが、昼に食った餃子のせいであまり腹は減っておらず、無理矢理詰め込む形となったのが悔やまれた。あまり乗り気ではなかったが、つまらなさそうにしている方が失礼だと思い、楽しげに話しているうちに、本当に楽しい気になってきて、いろいろな話をした。
ほろ酔い気分になってトイレに立って、このステーキ屋が「侍ステーキ」と全く同じ匂いがすることに気付いた。ステーキ屋はどこもおなじ匂いがするのだろうか。気付くと同時に、民研の発表会の前日のあの緊張感と一体感、そしてどことなく漂う寂しさを思い出していた。これからもステーキ屋に行く度にこのことを思い出す気がした。
店を出ると、手土産として菓子折りを持たされた。結構高そうな菓子だった。そうこうしているうちに、なんだか自分が悪いことをしているような気分になってきた。やはり接待は私の体質に合わないなあと思った。
10月20日 北の国からを見る
昨日の話になるが、「北の国から2002」をビデオで一気に見た。以前に実家で撮っていたものを持ち帰って見たのである。
内容は非常に感動的で、見ながら何度も感涙した。感涙しすぎてか、前編を見終わった頃に頭痛がしてきた。かなり疲れていたが、一気に後編も見ようと決心し、見続けた。
何度か登場人物がしみじみと酒を飲むシーンが出てきたが、それを見ていると私もそうやって飲んでみたくなって、芋焼酎をコップに注いで、真似して飲んだ。そのうち首が疲れてきて、起きて座っていても、寝っ転がって枕にもたれかかっても首が癒されず、我慢しながら見た。
私にとって一番衝撃的だったのは、唐十郎がトドを討ち取って流氷を上に現れる最後のシーンであった。すごく迫力に満ちていて、思わずテレビにかじりつきながら見た。その後の飲み会では、狩猟民族と農耕民族の気質の違いがよくでてるなあと思いながら見たところ、やはりそういうセリフが出てきた。見ながら、どちらかというと自分は農耕民族だなあと思った。
ついに見終わり、充実感した気分で眠った。
P・S私の好きな曲に新しい曲を追加しました。クラシックギターの名曲です。癒されたい人は是非聴いてみてください。
10月15日 キーボードとパソコンがつながる
最近買ったキーボードだが、パソコンにつなげられるようになっており、せっかくだからつなぐ為のケーブルも買っておいた。家に着いて、とりあえずパソコンとつなげてみたものの、どうやって使うかもよく分からなかったので、つなげたまま放っておいた。
今日は仕事が少し早めに終わったので、その使い方を研究しようと思い立ち、いろいろいじくり回していた。
しかし、なかなか理屈はわからず、パソコンで鳴らしたはずの音が勝手にキーボードから聞こえてきたり、音色が勝手に変わったりして、なかなか進まなかった。
四苦八苦後、なんとか使い方が分かり、リアルタイム入力が出来るようになったときは狂喜した。リアルタイム入力というのは、簡単に言えば鍵盤で弾いた音の情報をパソコンが読み取り、そのまま楽譜にして鳴らしてくれるという入力方法のことである。
久しぶりに心から楽しいと思った。適当に気分で弾いた音が記憶され、何度も再生でき、どんな音を弾いていたのか分かるのである。今までは、せっかくいい音を弾いたと思っても、すぐに忘れてしまい、もったいない思いをしていたのでこの機能は非常に嬉しかった。
ただ、残念なのは、私がろくにピアノを弾けないということである。ただ鍵盤を弾くのが好きというだけで、ちゃんと学んだことはない。これでピアノが弾けたらどんなに素晴らしいことだろう。幼稚園のときに、エレクトーン教室があまりにつまらなくてすぐ辞めてしまったことを、今になって後悔している。
10月15日 芸術の秋を堪能する
今回の三連休はいろいろな音楽を聴いたり、詩を見たりと、まさに「芸術の秋」にふさわしい三連休だった。
流星放浪楽団の演奏
実家に帰る前に、HPでたまたま流星放浪楽団が大和で演奏をするということを知り、聴きに行った。流星放浪楽団というのは、民族楽器をはじめさまざまな楽器を用いて、世界の音楽や、オリジナル曲を演奏する音楽集団で、心にしみる素晴らしい音楽を演奏する。
私が最初に流星放浪楽団を知ったのは、たまたま下北沢でライブをやるということで聴きに行ったときである。そのときはどんな人がいるのかすら全く分からずただ行っただけであった。そのときに初めて流星放浪楽団の演奏を聴き、思わずCDを買ってしまった。
とにかく、大和駅前でやるという情報だけを頼りに行ったところ、そこは障害者たちの作業所が集まって主催しているバザーのようなイベントであった。そのイベント自体もなんともいえない温かみに包まれていて、いいところに来たと思った。
そんな中での演奏は、すごくよかった。小さなステージだったが、周りの人たちは、歌を一緒に口ずさんだり、体を揺らしたりして楽しんでいた。初めは午前の演奏を聴いてすぐに歌会に行く予定だったが、思わず午後の演奏も聞いてしまった。
山下公園の大道芸人
流星放浪楽団を聴いたあと、山下公園に向かうと、外人が大道芸をやっていた。片言のトークが面白く、つい見入ってしまった。彼はチェーンソーと火のついたたいまつでジャグリングをしており、びっくりした。しかし、それ以上にこの外人のトークが面白いと思った。多分何もしゃべらない人が黙々とチェーンソーをたいまつでジャグリングをしていてもここまですごいとは思わなかったであろう。大道芸はトークで決まるんだなと思った。
詩のボクシング大会
NHK教育で、「詩のボクシング大会」と言う番組をやっていた。リングの上で詩を読み、トーナメントを勝ち進んでいくという、不思議な番組である。
この番組で、私は生まれて初めて詩というものに興味を持ち、真剣に聞いた気がする。これまで俳句や短歌にもあまり興味はなかったし、教科書に載っているような詩もあまり真剣に見ていなかった気がする。この番組でいろいろな詩を聴いて、詩もなかなかいいもんなんだなと思った。
その中でも特に異色だったのが、準決勝まで行った作曲家の詩であった。彼は、言葉を一切使わず、意味の分からない奇声をリングの上で発し続け、ついに準決勝まで行ってしまったのである。「何を表現したいわけでもないが、とにかく耳にとっておいしい音を作りたい」という彼の詩は、どちらかというと音楽に近く、意味も分からないのに思わず笑ってしまったり、どきどきしてしまうような、そんな力を持っていた。
合唱コンクール全国大会
月曜日はNHKの合唱コンクール全国大会の高校の部を聴きに行った。どの学校もハイレベルで、素晴らしい演奏ばかりであった。同じ課題曲を歌うのでも、暖かい声、明るい声、透き通った声など、学校によってすごく個性があるんだなと感じた。課題曲は作詞:大岡信、作曲:木下牧子の「なぎさの地球」という曲で、深く、思い入れのしやすい曲だと思った。
自由曲は課題曲以上にどの学校も思い入れが深いように感じられた。原爆の悲劇を歌った「水ヲ下サイ」は聴いているだけで悪寒が走ったし、10校中3,4校が歌っていた日本民謡合唱はどれも味わい深かった。
そして、優勝は福島県立安積黎明高校であった。この学校の演奏を聴いたとき、非常な衝撃を受けた。他の学校も十分素晴らしいのに、この学校はケタが違っていた。それはもちろん声のレベルもあるが、曲の解釈がすごく伝わってくる気がした。他の学校が、曲の解釈を考え抜いて、それでも答えが出ていないところに輝きがあるのに対して、安積黎明高校は、曲の解釈の結論まで出して、納得して歌っている気がした。他のどの高校よりもテンポはゆったりしており、かつ常に揺れ動いていた。そして、自由曲は「何でこんなに難しい歌を歌えるんだ」と思うほど変態的な歌を歌いこなしていた。正直ちょっと卑怯なんじゃないかと思ってしまったほどである。
このコンクールで一番感動したのは、審査結果を発表した後に出場者みんなで課題曲を歌う「全員合唱」であった。課題曲はこのためにあったのかと思うほど、素晴らしい演奏であった。おそらくこのコンクールが終わったら、受験勉強一筋にならざるを得ない人もいるだろう。涙ぐんでいる人もおり、私も高校時代にこんな経験をしたかったなあと思った。高校時代に合唱部をバカにしていたことを反省した。
10月11日 キーボードを買う
先週の話になるが、キーボードを買った。以前に近くのリサイクルショップで買った安物があったのだが、いい音が鳴って、パソコンにつなげるようなキーボードが欲しかったのである。
買うに当たり、最も重視したのがピアノの音色であった。私はピアノの音が好きである。ピアノは弾けないが、鍵盤を鳴らしているだけでいろいろイメージが湧いてくる。本当なら本物のピアノか、電子ピアノが欲しいところだが、さすがに手が出せないので、楽器屋でいろいろなキーボードを弾き、店員にしつこいくらいに話を聞き、3万5千円のところが2万円というキーボードを買った。
家に持ち帰り、困ったのが「どこにキーボードを置こうか」ということである。寝ながらでも弾きたいし、ちゃんといすに座っても弾きたい。ずっと考え続けたが、答えが見つからなかった。
私の家は部屋がふたつあるのだが、私は狭い場所に生活のすべてを詰め込んで、狭い思いをしながら過ごすのが好きである。これまでは隣りの部屋で寝ていたのだが、これを機に模様替えを行い、キーボードも布団も机もテレビもすべて一部屋に詰め込んでしまおうと思った。つまりもう一部屋は、全く使わないのである。
「もったいないじゃないか」と思うかもしれないが、福島の長く厳しい冬を乗り切るにはこじんまりしていた方がいいだろうし、手の届く範囲にすべてがあった方が過ごしやすい。キーボードも手軽に弾けるだろう。
とここまで書いて、この文章を読み返してみると、あまりうまく書けていない気がする。実は最近ある人から、「せっかく毎日見てるんだから更新しろ」と言われて強引に書いてみたのである。毎日見てくれている人がいるのはとても嬉しいことなので、出来るだけこまめに更新しようと思った次第で、筆をとることにしたのであった。
女性恐怖症
上の文章を書きながらふと思ったのだが、私には女性恐怖症のような一面がある。民研の後輩に「怖い」と言ったら物凄く怒られたし、会社の同期の女の子にも「怖い」と言ったらあとでへこんでいたらしい。会社で何が一番緊張するかと言うと、検品をする部屋に測定器具を使いに行くときである。検品の部屋にはパートのおばちゃんや若い女の子が大勢おり、パートのおばちゃんとは普通に話せるが、若い女の子の方はやはり怖いと思う。「何が怖いんだ」と聞かれてもよく分からないが、なにか得体の知れない怖さがあるのである。
10月8日 最近感涙したもの
最近感涙することが多い。元来涙もろい性格で、素晴らしい映画や音楽を見たり聴いたりして、よく感涙している。今日はその中でも最近感涙したことについて話したい。
グリーンマイル
これは金曜ロード賞でやっていたものをビデオにとって、しばらく放っておいたものを最近になってようやく見た。奇跡の力と天使のような心をもつ黒人死刑囚ジョン・コーフィーの物語である。
映画を見ながら何度も見るのをやめようと思った。それでも歯を食いしばってなんとか見ていた。この映画を見ていると、人間の憎しみや苦しみが痛いほどに伝わってくる気がした。おそらくこの映画を作るにあたって、フランクダラポン監督は寿命を何年も縮めたことだろう。見るのも苦しいが、作るのはさらに苦しいだろうと思う。
最後、ジョン・コーフィーが死刑になるシーンは常に感涙し続けながら見た。おそらく30分くらいは声を出して泣いていたであろう。とても心に残る映画だった。
しかし、アメリカ映画というものは、どんな映画でも必ず善と悪があるんだなあと思った。善と悪は相反するものであり、この映画でも善玉は最後まで善玉、悪玉は最後まで悪玉であった。これは国民性の違いなのだろうか、どちらかと言うと、私は善悪を決め付けて欲しくないと思ってしまうたちである。
安積黎明高校の合唱
先週末、NHKの合唱コンクールの東北大会をビデオ予約で撮ったものを見た。さすがに高校の部となると、課題曲も難しく、自由曲も変態的な曲で勝負している。ただ、ビデオだと、どの合唱も同じに聴こえてしまい、面白みは半減しているように思われた。
しかし、その中でもすごいと心から思ったのが、福島県の安積黎明高校の合唱であった。ユキが高校時代に所属していた合唱部で、毎年のように優勝している。
課題曲の最初のフレーズで思わず感涙してしまった。なぜ感涙したかはうまく言い表せない。あえて言うとしたら、「日本語が深い」のである。
「なんにも思い出すものがなくなったとき」と言うフレーズで始まるのだが、そのフレーズに万感の想いが込められているような気がしたのである。表情も特に大げさに演じるように歌っていると言うよりは、自然ににじみ出る表情だけで歌っているように思われた。
いいものを聴いたと思った。安積黎明高校は東北大会で金賞をとり、全国大会に出場する。来週の月曜にその全国大会を見に行く予定なので、今からとても楽しみである。
10月1日 ついに9月はほとんど「つぶやき」を書かずに終わってしまった。10月はもう少しがんばろうと思う今日この頃です。
レオロジーの話
今日会社の勉強会で「レオロジー」について少し学んだ。内容はあまりよく分からなかったが、とにかく物質の粘性や、流動性に関する学問らしい。そもそも物体の触感や、硬さなど、人が五感で感じる感覚を数値で表現しようというものである。その中の事例で、面白いエピソードについて話していたので紹介したい。
某食品会社が周富徳のチャーハンをなんとか再現しようとして、周富徳がチャーハンを作っている周りに大勢の技術者が囲んで周富徳の調理を分析したらしい。コショウは何回振ったとか鍋を何回かき混ぜたとかいうことを細かく記録し、その通りに作ってみたらしい。
結果は「周富徳の味は出せない」ということであった。しかも、周富徳の調理は毎回同じではなく、毎回変わるというのである。
ここでレオロジーが重要になるというのである。周富徳が感じている手の感触や見た目の感覚を米の物性の変化などの数値に置き換えることにより、より周富徳の味に近づけることが出来るらしい。
話はあまりよく分からなかったが、なんとなくどんなに努力しても完全に周富徳の味にはなれないし、なって欲しくないと思った。これを音楽に置き換えると、素晴らしい演奏家の音楽をどこでどんな音をどのくらい弾くかなどを細かく分析して、機械に演奏させても完全にその演奏家の音楽にはなれないし、何か決定的なものが足りないと思うのである。
9月30日 秘湯に行く
先週の話になるが、会社の先輩のS氏に温泉に連れて行ってもらった。S氏が以前からとにかくすごいと何度も言っていた温泉である。仕事が終わった後、車で連れて行ってもらった。
車でしばらく走っていると、国道をそれてどんどん暗い道へ入っていった。そして暗い道の中でもとりわけ真っ暗で幽霊の出そうな道を行ったところで、車は止まった。何でもその温泉は、以前温泉旅館だったところが火事で焼けて、温泉だけが残ったというところらしい。もちろんただで、24時間入り放題、その代わり、混浴で、脱衣所もなく、明かりもないので懐中電灯を持っていかなければ歩けない。車を降りて暗い道をしばらく歩くと、その温泉はあった。
すでに数人が入っており、私たちも早速入った。人は入れ替わり立ち代り入って来て、人が絶えることはなかった。S氏の話でも、「何時に来ても、人が一人もいないということはほとんどない。」そうである。
温泉からは遥か下に黒磯市の夜景を望め、この日は曇っていて見えなかったが、天の川も見えるという。しし座流星群のときはすごかったらしい。私はこんな天然の温泉に入るのは初めてだったので大いに感動し、ずっと「すごい、すごい」と言い続けていた。
温泉から上がると寒かったが、帰りの車の中では不思議といつまでも温かく、温泉効果を思い知った。
またもや「いむらや」に行く
先週の金曜の夜、そろそろ帰ろうかと思っていると、上司から「今から長野に行ってくれ」と言われ、突然長野に出張することになった。何でも、最終の特急で松本に行き、そのまま深夜仕事をして次の日の午前中には終わるだろうとのことである。メンバーは十数名いる。
私はこういうとき、あまりだるいとか嫌だとか思わない性格である。その得意先の工場に行くのもなんとなく楽しみだし、大勢で電車に乗ったら小旅行の気分だとか考えていた。
そして、長野といえば「いむらや」である。「いむらや」とは、甘いかたやきそばで有名なラーメン屋である。私たちにとっては美味しくないが、長野人の味覚に合っているらしく、昼時は満員である。私もこの味にハマリつつあり、夏合宿に長野に行って食べて以来、美味しいと思ってしまった。長野に行くからには、ぜひ「いむらや」でかたやきそばを食べようと誓った。
結局仕事は次の日の10時ごろに終わり、タクシーで松本駅まで行った。そのまま松本観光をしようかと思っていたが、雨が降っていたのであきらめた。電車に乗る前に、会社の金で買った釜飯が支給された。「いむらや」まで腹を空かしておきたいと思ったが、せっかくだから全部平らげ、その後いむらやでかたやきそばと餃子を食べた。
なかなか楽しいもんだと思った。思いながら、どんな状況でも楽しめるという得な性格は民研でつちかわれたものなのかなと、ふと思った。
9月19日 自転車で会社に行く
今日は自転車で出社することにした。長く厳しい冬が来る前に、秋を全身で満喫しておきたかったからである。距離的には15キロほどあり、車では20分くらいの距離である。そして工場は山の上にあるので、最後にかなりハードな坂を登らなければならない。
会社の先輩には自転車好きの人がいて、その人の話によれば、マウンテンバイクで40分、そして名前はカタカナで、よく聞き取れなかったが、とにかく走る用の物凄い自転車だと30分で着くという。まずは何よりもそのマニアぶりに驚いた。そして私の自転車はギヤ変則も何もついていない9800円のママチャリである。
出発すると非常に気持ちがよかった。私の住んでいるところはこんなに素晴らしいところだったのかと改めて感動した。そして、自転車に乗っているだけで、メロディーが浮かんできた。せっかくだと思い、携帯に録音した。
車と比べて何がいいかというと、においと空気を感じられることだと思う。景色を見ただけでは、秋だという実感はいまいち湧かなかったが、稲穂のにおいがすると、季節が実感として感じられる。ひんやりとした空気を感じると秋であるということを実感する。
最後の坂は想像以上にハードだった。何度も降りて歩こうと思ったが、なんとか根性で工場までたどり着いた。着いた後、若干疲れた。
帰り道は本当に怖い思いをした。工場を出るとあたりは真っ暗で、自転車のライトをつけても5メートル先は真っ暗闇であった。山を降りるときは一気にノンブレーキで降りようなどと思っていたが、あまりに怖くて徐行した。
そして国道に出ると、歩道もない道を大型トラックがびゅんびゅん走っていた。そのとき私は黒いシャツを着ており、もっと目立つ服を着ておけばよかったと後悔した。同時に、この辺の中学生が通学時に蛍光ラインの入ったヘルメットを着用している理由がよく分かった。
帰り道は体力的にもきつく、過酷な道のりとなったが、とても有意義だった。道中ふと空を見上げると、星空がこの上なく綺麗だった。多分普通の状態だったらこんなには感動しなかっただろう。人はある程度つらい状況の方が、いろいろな感動やら発見ができるのではないかと思った。
とりあえず今のところ週ニくらいのペースでやろうと思う。あまり毎日やっていると、体力的に限界が来るし、何よりもこまめに車を動かさないと、動かなくなってしまうかもしれないからである。
9月17日 忙しかった三連休
久しぶりの更新となる。なんとなく特筆すべきこともなく半月を過ごしてしまい、わざわざ足を運んでくださっている方々には申し訳なく思う。とりあえず、この三連休はいろいろなことがあったので、少し長めに語ろうかと思います。
・土曜日
この日は、福島県出身のユキとステツが来ることになっており、朝から掃除をしていた。ここで一人暮らしをしていると、たまの客人を心からもてなしてしまいたくなる。また、客でも来ない限り、あまり掃除をしようという気が起こらないため、部屋をきれいにする意味でもよいことだと思った。
掃除が終わると暇になったので、近くの湖まで走ることにした。月曜には鎌倉から走ることになっており、そのための体力づくりにも丁度いいと思ったのである。
ところが結構近いと思っていたその湖が実は結構遠く、往復で8キロ位走ってしまった。走り終わった後、背中が痛くなり、ウォーミングアップにしてはきつ過ぎた。
ユキとステツが来たので、温泉に行って酒が飲みたくなるコンディションを作ってから飲みに行こうということになった。地図を見ると、ステツの生まれた西郷村というところに温泉があったので、そこに向かった。
ところが、温泉はすべてホテルと一体化しており、宿泊客以外は入れてもらえなかった。仕方なく受付で、夜遅くまでやっている唯一の温泉を教えてもらい、そこに向かった。
車で看板の示す方に走っていくと、どんどん道なき道のようなところに入っていき、あたりは真っ暗になった。本当にこんなところに温泉があるのかと思いつつ走り続けたら、かなり巨大な温泉施設が現れた。
一番印象的だったのが、そこで貸してくれるパジャマのような衣服である。男は青、女はピンクで、幼稚園の園児服のような印象があった。あたりを見回すと、その園児服を着たおばちゃんたちが大勢ゴロゴロしたり、マッサージされたりしていた。それを見たステツが「久しぶりに福島を感じた」とポツリと言った。
温泉に入った後は、広大な駐車場を持つつぼ八で飲んだ後、家に帰って明け方まで飲んでいた。やはり人が来るというのは楽しいことだと思った。
・日曜日
朝まで飲んだ後、十時ごろ起きた。この日は仙台までNHKの合唱コンクールの東北大会を見に行くつもりだったのである。電話で問い合わせたところ、午前が中学の部で、午後が高校の部だったので、高校の部だけ見れればいいかと思っていたので、三時間かけてのんびり鈍行で向かった。
ところが着いてみると、高校の部は午前中に終わっており、午後は中学の部であった。まあいいかと思い、中学の部を見ることにした。
合唱は、どの学校も非常に素晴らしかった。課題曲を聴いていると、学校によって合唱の音色が違うことがよく分かった。合唱団の気質によって、その声や歌い方にも個性があるんだということをはっきり知ることができた。
すごいなあと思ったのが、ほとんどが女子で構成されている合唱団の中に、男が一人、ぽつんといる合唱団が結構あったことである。相当肩身の狭い思いをしているに違いないが、よっぽど合唱が好きなのであろう。私はひそかに彼等を応援した。また、たまに混声で、汚らしい中学生男子が真剣に歌っているのを見ると、心を打たれるものがある。
すべての学校が歌い終わると、どうやら恒例行事らしく、出場者全員で課題曲を合唱するという余興をやった。この演奏は本当に素晴らしかった。舞台で歌っているよりも声が明るく、のびのびしているような気がした。しかも、人数が多いのにぴったり合っており、びっくりした。と同時に、合唱というのは競い合うものじゃないんだなということを感じた。
そしてその後は審査結果発表である。私の印象では、飛びぬけて上手い学校が二校、いまいちだった学校が一校、後はあまり分からなかった。などと思っていたら、上手いと思った二校が金賞と銀賞をとっていた。そのときは読みが当たったと思い、ちょっと喜んだが、後でそれは私の好みと審査員の好みがたまたま似ていただけなのかも知れないと思った。
合唱は素晴らしかったが、音楽に順位をつけるという発想はあまりよくないのではないかと思った。
・月曜日
この日は鎌倉から横浜まで走ることになっており、今回は幹事のナオを含む七人で集合した。鎌倉に着くと、すでに雨が降っており、かなりモチベーションは下がったが、決行することにした。
雨はかなり強く降っており、過酷な道のりとなった。休憩すると体が冷えてしまうが、かといってノンストップで走るわけにもいかない。銭湯のことだけを思いながら走った。
しかし結局は雨がひどく、上大岡で地下鉄に乗って帰ることにした。行きの電車賃は330円、帰りの電車賃は260円。一時間半で十キロくらい走ったが、電車では70円分だけ走ったことになる。
スカイスパに行って風呂に入り、飯を食べたらぐったりしてしまったが、せっかくだから徹底的に遊ぼうと思い、ゲーセンに行った。
この日はゲーセンに行って、久しぶりに面白いと感じた。というのはあまりにばかばかしいゲームが多かったからである。
一番印象的だったのは漫才をやるゲームだった。ゲーム機の横に人形が置いてあり、頭を叩くと「やかましいわ」、でこを叩くと「わけわからんわ」胸を水平チョップすると「あほちゃうか」と、三種類のツッコミを入れることができる。話の筋を読んで相槌を打ったりツッコミを入れたりするという、ばかばかしいゲームである。
始めにナオがやったところ、
「はよつっこめや」
「つっこむとこちゃうやろ」
などと、画面上でさんざん怒られ殴られ、途中で漫才終了となった。
ミヤチがかなり上手く、絶妙なタイミングで人形に突っ込んでいた。どうしてもカオリにやってほしかったが、どうしても嫌だということであきらめた。
その後は初部会があるということなので、先に飲んでテンションを上げておこうということで、飲み屋に行った。テツと「二度と初部会に呼ばれないくらい暴れよう」と言い合っていたが、かなり疲れていた。
結局記憶をなくしかけるくらい飲み、次の日二日酔いで出社することとなった。
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