2009年
5月のつぶやき




5月31日 山中湖一周マラソン

 今週末は、山中湖を一周するマラソン大会に出場した。職場の陸上部のイベントとして参加した。

 土曜日に高速バスで山中湖に行き、ほうとうを食べて練習をした。練習は山中湖一周(13キロ)走った。日々の練習と言えば、通勤の約1キロを軽く走る程度であり、13キロも走るのは久しぶりであった。練習を終えて、11時頃まで飲んで寝た。

 夜中、トイレに行きたくなって目を覚ますと、足が痛い。本番当日だというのに、けっこうきつい筋肉痛になってしまった。びっこをひくような形でトイレに行き、二度寝した。

 当日は、すごい人であった。今、特に女性の間でマラソンがブームらしく、女性ランナーが多い。スタートの合図があってもなかなか動き出せず、走り始めてからもすし詰め状態であった。結局、ゴールまでかなりの人口密度の中を走った。最後までこんなに混んでいる大会は初めてである。

 不思議なことに、ゴールをしてしまえば、楽しい記憶だけが残る。実際はしんどい思いをして走っているはずなのに、素晴らしい景色の中を、清々しく走ったような気になっている。

 結局、昨日よりもさらに酷い筋肉痛になって帰宅した。一緒に行った後輩Mはちゃっかり有給をとっているらしい。ずるいと思った。


5月29日 壬生義士伝

 浅田二郎の「壬生義士伝」を読み返している。映画で泣きたいなら「三丁目の夕日」、小説で泣きたいなら「壬生義士伝」である。「壬生義士伝」は、新撰組隊士、吉村貫一郎の生涯を、本人のつぶやきと周りの人の回想を交互に散りばめて描かれた独特の小説である。

 この本は、字面からして美しい。この本を読めば、日本人に生まれてよかったと、心から思う。こんなにも美しい日本語を解することが出来てよかったと思う。

 恥ずかしながら、電車の中で何度も落涙してしまった。何度でも読み返したい本である。


5月25日 100円の地球

 ダイソーで、地球儀を買った。前から欲しかったのである。ちょうど、ダイソーで太鼓台の滑り止めを探していたところ、地球儀が目に留まったので、迷うことなく購入した。もちろん、ダイソーなので100円である。

 さすがに100円だけのことはあり、北極や南極は貼り合せミスで歪んでいるし、ジャマイカが「ヅャマイカ」になっていたり、フィリピンが「フィリビン」になっていたり、バンコクが「パンコク」になっていたり、多少の難はあるものの基本的には問題ない。

 地球儀をぼんやりと眺めれば、私たちの住む地球は、見慣れたメルカトル図法の平面世界とはずいぶん異なることに気付く。ロシアは意外に小さく、インドは意外に大きい。カナダとアメリカを比べれば、カナダの方が圧倒的に大きいと思っていたのに、意外と同じくらいの大きさである。そして、かつて世界をリードしたヨーロッパ世界は、凝縮したような小国の集まりである。

 眺めているだけで楽しい。100円にしては楽しい。またダイソーを買い叩きに行こう。


5月24日 オグリ・チエミ二次会

 今日は、午後から民研の後輩、オグリとチエミの結婚式二次会に参加した。ここのところ、めでたい話が続く気がする。

 久しぶりに、民研人同士の結婚式と言う感じであった。披露宴では八木節などを演奏したらしい。二次会では大漁歌いこみなどの合唱を歌った。

 民研にいた4年間というのは、下手をすれば親兄弟よりも民研人と一緒に居た時間の方が長い。久しぶりに会えば、同期の子どもが立って歩くようになっていたり、頼りなかった後輩が立派に二次会を仕切っていたりする。変わったなぁという思いと、いつまでも変わらないなぁという感慨が交錯する。

 楽しいひと時であった。こうやって時々会えるのは本当に嬉しい。ともあれふたりの幸せを祈る。


5月18日 落ち着いてらっしゃいますね

 今朝、直行で外出したら、ばったり後輩Yに会った。彼は、開口一番

「スーツだと老けますねぇ」

と言った。4月の異動で毎日スーツで通うようになって以来、若返りの努力が水泡に化した気がする。20代にして40歳近くに見られた昨年末から改善を重ね、今年の3月ごろにはなんとか32歳に見られるようになったのだが、それらの努力も吹き飛んだ。

 「おいくつですか?」と聞かれて年を答えれば、誰もが判を押したように「落ち着いてらっしゃいますね」と言う。「老けてらっしゃいますね」を婉曲に表現したものであろう。

 まあ、若造に見られるよりはよっぽど良い。しかし、もう少し頑張ろうと思う。


5月17日 太鼓大好会練習会

 今日は、太鼓大好会の練習であった。カトウさんという、小倉出身の方が来てくださり、一緒に太鼓を叩いた。カトウさんは、妻の友人の旦那の友人、という非常に縁遠い人である。妻の友人の旦那から紹介されて、連絡を取ったのである。

 カトウさんの祇園太鼓を見て、「祇園太鼓だなぁ」と思った。なにか、味わいがあるなぁと思った。

 小倉祇園太鼓は、色々な叩き方がある。「これが小倉祇園太鼓」という定義など無く、どんな風に叩いたっていいのではないかと思うほど、人によって、団体によって叩き方は違う。しかし、不思議なことに、私たちが適当に叩いても小倉祇園太鼓に見えないのである。地元の人が持っているなにか根底に流れるものがあるのだろうと思うのだが、それがなかなか見つけられない。

 三宅太鼓を習っている時、地打ちのリズムについて教わったことが印象深い。地のリズムには、方言のようなものがあると言う。三宅太鼓をの地のリズムは、「ダダンダダン」を繰り返すものだが、「ダダン」と「ダダン」の間に絶妙な間がある。他にも、屋台囃子でも八丈太鼓でも、地元の人が自然に行っていることがなかなか出来ないということは多い。だからこそ太鼓は面白い。

 その他、秩父屋台囃子と石狩太鼓を練習した。6月6日の「STOnight」に向け、最後の練習である。なんとかぎりぎり仕上がったかなという感じである。ちなみに 「STOnight」は、「酒と音楽の夜」という意味で、音楽の好きな人たちが行う音楽会である。詳細はコチラ。入場無料。酒と音楽が好きな方は是非お越しくださいませ。


5月16日 おくりびと

 「おくりびと」を見た。これまで何度かツタヤに足を運んだが借りられず、今日なってようやく借りることができた。

 かなりシリアスな映画だと思っていたのだが、意外にユーモラスなシーンが多い。事業者向けの納棺DVDを撮影するシーンでは爆笑した。また、美味しそうに鳥の唐揚げ食らうシーンは、どことなくコミカルでありながら「生き物は生き物を殺して生きている」という社長のセリフを映像化したものであり、味わい深く、そして不思議と笑える。ふぐの白子を食べながら「困ったことに美味い」というセリフも絶妙である。「死ぬ」ということは、「生きる」ことと同じくらいごく自然なことであり、あまりに特別に考えたりシリアスにとらえたりするものではない、と言っているようにも思える。

 この映画を見て、納棺師を目指す人が増えたらしい、と妻が言っていた。いくらなんでもそれは違うだろう、と思った。この映画でも、納棺の場面で遺族に感謝されるシーンもあれば、死後2週間経った孤独死の老人を引き取るシーンや、首吊り自殺した死体を引き取る話が出てくる。やりがいと同じかそれ以上に辛い場面がある。

 この映画は、納棺師という仕事がいいとか悪いとか言っているのではなく、もっと自分の仕事を見つめよと言っているように思える。仕事は、夢などではなく厳然とある現実であり、生きるためにするものである。厳然とある現実をしっかりと見つめなさいと言っているように思えた。

 ともあれ、いい映画だと思った。まだ新作なのですぐに返したが、また見たいと思った。ちなみに次に見たい映画は「おっぱいバレー」。CMで見た、タイトルと試写会の感想のギャップの激しさは秀逸だと思う。


5月9日 レッドゾーン

 真山仁の新刊「レッドゾーン」を読んだ。「ハゲタカ」「ハゲタカU」の続編である。「ハゲタカ」については、何度か「つぶやき」で書いているが、企業買収を描いた小説で、NHKによりドラマ化された放送は数々の賞を受賞している。私は、「ハゲタカ」シリーズが大好きで、小説は2回読み返し、ドラマDVDも購入して何度も見返している。

 さて、アメリカの軍産ファンドによる日本の大手電機メーカーの買収劇を描いた「ハゲタカU」に続き、「レッドゾーン」では中国の国家ファンドによる日本最大の自動車メーカーの買収劇が描かれている。

 小説は今回も本当に面白い。「レッドゾーン」の冒頭は、マカオのカジノでバカラに興じている主人公、鷲津政彦に、謎の中国人が「一緒に日本を買い叩きませんか?」と話しかけるところから始まる。「ハゲタカU」も、アメリカの戦闘機が、地対空ミサイルの迎撃ロックを振りきるデモンストレーションに失敗し、打ち落とされるところから小説が始まる。その他にも、重要な商談は必ず最高級ホテルのスィートルームで行われ、飲まれるシャンパンにもいちいちこだわりがあり、いちいちスケールが大きいのが面白い。

 そして、この小説の醍醐味はなんと言っても交渉の緊迫感である。交渉の描写は誠に鮮やかで、かっこいい。そして、ネゴシエーションの重要性を感じる。

 6月6日にこの小説は映画化される。是非見ようと思った。


5月6日 ハンドフルート

 今日、パルコに買い物に行ったら、ハンドフルートとピアノのデュオ「Childhood」が演奏していた。ハンドフルートとは、両手を組んだ状態で息を吹き込んで音を出す奏法で、奏者の森光弘氏が独自で編み出した方法らしい。「行列のできる法律相談所」に出演しているのを一度だけ見たことがあった。

 初めて聴く生演奏は、驚くべきものであった。楽器を一切使わず、手だけで暖かみのある愛らしい音色が出るのである。音域は3オクターブあり、ロングトーンから早いパッセージまでなんでもこなしていた。これまでちくわやドングリなどを楽器にしている人は見たことがあるが、まさか手がそのまま笛になるとは思わない。しかも、珍しいだけでなく、演奏も素晴らしい。

 CDを購入したら、サインをしてくれた。どこにでもいるような、普通の青年だし、握手をした手も普通の手であった。本当に不思議である。家に帰り、ハンドフルートを試してみたが、全く音は出なかった。とりあえずは、もっとリコーダーを頑張らねばと思った。そして、尺八の音がうまく出ないくらいでさじを投げてはならないなと思った。

Childhoodの動画はここをクリック


5月5日 GWのこと


5/2
 この日は柔道部OBの飲み会へ行った。私が柔道をやっていたと言うと、その体型と風貌から意外な顔をされるが、中学・高校と柔道部で毎日のように練習していた。たいして強くはなれなかったが、中学校に入学した時点で体重35キロの吹けば飛ぶような体だったことを思えば、柔道をやってよかったと思う。OB会は毎年行われているものの、なかなか都合がつかず久しぶりの参加となった。

 10年以上ぶりに会う先輩や後輩がいた。全然変わっていない人もいれば、名乗られるまで分からない人もいた。私はと言えば、老けたなぁとほうぼうから言われた。最近は、あまりに言われ過ぎていちいちショックも受けなくなったし、何せ最後に会ったのは高校時代だから、老けたのは当たり前だろうと思うことにした。

 それにしても、目上の人を「○○センパイ」と呼ぶ感覚は懐かしい。いくら年を重ねても、先輩後輩の関係は変わらない。これからも出来るだけ参加しようと思った。


5/3
 前日の柔道部飲みを終えて帰宅したのは、夜中の1時半であった。次の日は、6時半に起きて小倉祇園太鼓の練習へ。この日は、朝9時から夕方5時までびっしり練習をして、その後飲み会というハードなスケジュールである。

 いくら太鼓が好きでも、一日中練習すれば疲れる。そして、9時ごろまで飲んでへろへろに疲れて帰宅した。


5/4
 朝5時半に起床し、妻と静岡の「掛川花鳥園」へ。なんか、休む暇もなしという感じである。

 「掛川花鳥園」は、「さまざまな鳥と遊べるふれあい型のテーマパーク」で、鳥好きの私たちにはたまらない場所である。そこで、インコ等にえさを与えて手に乗せて遊んだ。一見、肩にインコが乗って仲睦まじげなふれあいだが、そこには人間と鳥の思惑が交錯している。

人間・・・インコを愛でたい。ただし、えさの消費は最小限にしたい。
インコ等・・・えさは欲しい。ただし、出来る限り人間には近づきたくない。

 その絶妙な駆け引きに勝った人間だけが、インコ等を肩に乗せることが出来、その絶妙な駆け引きに勝ったインコだけが、枝に止まったままえさにありつくことが出来るのである。GW中だけあって、入場者数は格別に多いらしく、早々にインコ等の食欲は満たされたため、人間側が不利な展開となっていた。

 そんな中、「エミュー牧場」は大いに楽しかった。「エミュー」は、ダチョウに似た鳥で、オーストラリアの国鳥らしい。性格はおだやかで、直接手でえさを与えることが出来るし、人を恐れることなくどんどん近づいてくる。そして、その食欲は底無しである。

 えさを持ってさえいれば、エミューにモテモテであった。エミュー相手に大いはしゃぎ回り、花鳥園を後にした。その後は、掛川の名物である自然薯料理を食べて帰った。疲れたが大変充実した一日であった。


5/5
 今日は、母の招待でクラシックギターのコンサートに行った。クラシックギターを聴くのは久しぶりである。

 アンコールで「ラグリマ」(F・タレガ)を聴いたとき、突然心が揺さぶられて落涙した。私が子供の頃、母は毎日この曲を練習していた。休みの日に家でごろごろしていた時の感触を思い出した。両親と妹、そして小鳥とともに暮らしていた日々の空気を突然思い出したのである。決して楽しいことばかりではなかったはずだが、この曲によってそれらの思い出が美化されて思い出された。

 コンサートには、明石の小学校時代の友人「しゅう君」の母も来ており、恐らく15年ぶりくらいに会って話をした。

 明石では、友人の両親は「おっちゃん」「おばちゃん」と呼んで、いわゆる「タメ語」で話すのが普通であった。神奈川に引っ越してきた時、「おじさん」「おばさん」と呼んで丁寧語で話をするのにカルチャーショックを受けた記憶がある。「しゅう君のおばちゃん」と、久しぶりに関西弁でトークし、楽しいひと時を過ごした。

 そして、しゅう君の連絡先も教えてもらい、これまた15年ぶりくらいに連絡を取った。機会があったら会いたいと思った。


 以上、急がしいGWであったが、暇でごろごろするよりはいい。全体的には、「久しぶり」の多いGWであった。明日はのんびり過ごそうと思う。


5月2日 釣りバカ日誌

 昨日、テレビを付けたら「釣りバカ日誌12」をやっており、妻と見た。釣りバカ日誌を最初から最後まで通してみるのは、よく考えたら初めてである。正直、これまであまり興味が無かった。

 映画は面白かった。これは会社に入る前に見ても、面白くないなと思った。主人公の浜ちゃんは、サラリーマンならば誰もが憧れるスーパーマンである。ろくに働かなくても職場での人間関係は良好、家族にも愛されており、大好きな釣りにまい進するという、ストレスフリーな人間である。多くの男は、こんな風に生きたいと思いながら見るのではないかと思った。西田敏行は浜ちゃんを演じていると言うよりも、素のままである。そして、風景やセリフひとつひとつが不思議なくらい味わい深い。

 ストーリーとしては、特に劇的な場面も無く終わる。まるで日常の生活を切り取って映画にしただけのようであり、それもまた味わいだなと思った。


5月1日 秋葉原へ

 今日は、午前中会社のイベントのボランティア清掃をした。昼食を食べた後、せっかくだから遊ぼうということになり、会社の後輩M,Y,Sの3人とともに秋葉原へ行った。


 ヘッドフォンを探していると言うMは、「7重の塔と言われるオーディオショップに行きたい」と言った。彼によれば、そこは7階建てのビル各階全てがオーディオショップとなっており、階が上がるにつれマニアック度が増し、敷居が高くなっていくという。

 1階は、普通にバイト店員と思われる人が応対しており、普通の雰囲気であった。そこで、私は1万円のヘッドフォンと6万円のヘッドフォンの聴き比べをしてみたが、まったく違いが分からなかった。Mは、「1万円の方が音が薄っぺらい」と肥えた耳を持っているようであった。

 続いて2階に上がって一歩踏み入れたところ、いかにも場違いな空気であった。「素人は入ってくるな」という無言の圧力がかかり、私たちは店を後にした。ある程度オーディオの勉強をしなければ、ここに入る資格はなさそうである。「7重の塔」頂上への道のりは遠い。


 私はYに、「せっかくだから『アキバ』ぽいものをを見たい」と言った。Yは、マンガやフィギュアを売っている店に連れて行ってくれた。

 フィギュアをしっかり見るのは初めてだが、よくできているなぁと思った。高価なフィギュアは、肌の質感や光沢感、全体のバランスなどが整っており、熟練した職人が精魂込めて作ったものだということを感じる。私の勝手な想像では、この道35年くらいの町工場の職人が、原材料の選定から金型の制作まで、こだわりを持って作ったものだと思った。自分がこれらを購入することは無いだろうが、購入する人の気持ちは分からなくもないなと思った。

 その他、見たことも無いようなマンガが置いてある店にも行った。本当に色々なマンガがある。そして、よく売れているなぁと思った。18禁のフロアへも行ったが、とても居られる空気ではなかった。


 秋葉原をうろうろしながら、かつてアニメーターを目指したことのある自分を思い出した。小さい頃、アニメーションは一枚一枚絵を描いてそれを連続で映し出すことで動いているように見えるということを父から聞いたとき、大きな衝撃を受けた。それまでドラえもんやサザエさん「そのもの」がテレビの中で動いているものだと思い込んでいた私は、それが人による膨大な作画作業の結果だということに驚いた。そして、一瞬の絵のために精魂込めて絵を描くアニメーターに畏敬の念を抱いた。それから、マンガを描いてみたり、アニメーションの本を読んで勉強してみたりしたが、全く上達せず諦めた。

 マンガやアニメーションの独特さは「線」で描くことであろう。万物を「線」でとらえて再現することに原点がある。しかし、いつの間にかそれが当然となり、それだけが進化し、巨大な目を持つ極度にデフォルメされたとても人間とは思えないキャラクターが生まれた。それは、ラーメンを似せようとして作ったカップ麺がそれ自体で進化することに似ているし、秩父屋台囃子や三宅太鼓が、各太鼓団体に広まるうち、現地の雰囲気を忘れてしまい、多くの演奏が現地の雰囲気を全く残していない創作曲に成り下がってしまったことにも似ている。そして、「メイド」がその元々の意味を失ない、秋葉原で独自の進化を遂げていることにも似ている。

 これらを本当に「文化」と呼んでいいのだろうか。それとも「文化」というもの自体がこういう性格ののものなのだろうか。分からないが、少なくとも私にはしっくりこない。

 なんだか、書き進めるうちに訳の分からないことになってしまった。この「つぶやき」を書き始めた当初は、秋葉原に行ってそれなりに楽しんだということを書くつもりであった。現に、それなりに楽しんできたのであるが、書いているうちにいつの間にか上記のようになってしまった。


 帰り道、後輩Sに「今日は入門編でした」と言われた。まだまだディープな世界があるらしい。そして、彼のしきたり通り、秋葉原駅構内のミルクスタンドで牛乳を一気飲みして秋葉原を後にした。

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