2009年
8月のつぶやき




8月31日 だるい有給

 今日は、有給であった。昨日は小倉祇園太鼓の先生たちとジェットスキーに行く予定であり、計画休を入れるならここだと思い休みを取っていた。更に今日は、三宅太鼓の練習も入っておりちょうど良い。しかし、なんとなく体がだるく、昨日のジェットスキーも欠席した。今日も、何もやる気が起きず、私としては珍しいくらいごろごろした。

 テレビをつけ、イモトアヤコの活躍と衆議院選挙の結果を交互に見た。テレビに飽きるとドラクエを取り出して冒険した。誰にも負けないくらい強くなったのに、レベル99の洞窟にいるボスには全く歯が立たず、撤退する。

 ゲームをしながら、韓国などで社会問題化しているゲーム中毒について考えた。こうしてドラクエをしていても、うきうきと楽しいという感覚とは違う。どちらかというと、かったるい作業である。それでもゲームから離れられなくなっていしまうゲーム中毒者は、さぞかし苦しいであろう。

 だらだらしていると、シゲオから「昨日ジェットスキーに轢かれ左大腿部を痛打。」というメールが届く。私がごろごろしている裏で、シゲオはハードな週末を過ごしていたらしい。

 更にごろごろしていると、「台風のため三宅太鼓の練習は中止です」という連絡が入る。どうせこの状態だと練習にも行けないから丁度良い、と思う。

夕方以降は、さすがに何かしようと思い、洗濯物をたたんだ。そして、夕食の支度をして嫁の帰りを待った。明日からがんばろう。


8月29日 実物大ガンダム

 太鼓大好会の練習会の後、シゲオが「お台場にある実物大のガンダムを見に行きたい」と言った。展示は今月一杯らしく、見に行くなら今日しかないという。練習場所は新木場であり、お台場までは近い。コンドウサンの車にボンサンとナツイが、シゲオの車に私が乗り込んで5人でお台場を目指した。

 しかし、事前にナツイが調べた情報によれば、道は非常に混んでいるらしく、1時間くらいかかるという。ボンサンから「ガンダムは諦めて別の場所に行かないか」という打診があった。私は即座に同意したが、シゲオはガンダムを諦めきれない様子であった。結局ガンダムを見に行くことになり、私たちは大渋滞のお台場に突入した。私は「そんなにガンダムが見たいのかよ」と言うと、シゲオは語気を荒げて

「見たいに決まってるじゃねぇか!!」

と言った。シゲオにとって実物大ガンダムは、奈良の大仏と同じくらいの価値があるらしい。

 何とか駐車場に車を止め、ガンダムのある潮風公園に向かった。シゲオの足取りは軽く、他の4人はシゲオについていくので精一杯であった。

 そしてついに、ガンダムが目に留まった。確かにすごい。ガンダムは思った以上に大きく、精巧であった。ひとつひとつの部品は、町工場の熟練した板金工が丹精込めて作ったものに思えた。この何ら生産的価値の無いオブジェに対し、ここまでの労力を注ぐ無意味さに圧倒された。夜の7時を過ぎているのに、ガンダムの周りには大勢の人が群がり、ガンダムを見上げたり写真を撮ったりしている。シゲオも「すげ〜」を連発している。

 ボンサンは全く興味が無いらしく、「確かにガンダムを見たが、『見た』という行為以外になにか遊ぶべきことがあるのか」という意味の文句を言っていた。そして、ボンサンとコンドウサンは喫煙所で休憩し、シゲオとナツイと私はガンダムの周りを一周した。シゲオの目は子供のように輝いており、柵から身を乗り出して見物していた。

 その後、お台場で全員2人前ずつ食事をし、解散した。


8月26日 ヤッチク

 郡上踊りの中でも私のお気に入りは「ヤッチク」であった。太鼓と唄だけの素朴で単調なこの曲は、なにか古代から受け継がれる生粋の日本の音楽という感じがする。振り付けも郡上踊りの中でも特にシンプルで、いつまでも踊っていられる。唄が4拍子でその後に入る合いの手が5拍であり、西洋音楽の影響を全く受けていないと思われる。

 郡上踊りから帰った後、CDを購入したのだが、歌詞カードを見て驚いた。その内容は、民謡ではこれまでに聴いたことがないほど凄惨である。以下その歌詞の一部抜粋。


 (前略)
♪所は濃州郡上の藩に 領地三万八千石の その名金森出雲の守は
♪時の幕府のお奏者役で 派手な勤めにその身を忘れ すべて政治は家老に任せ
♪今日も明日もと栄華に耽る
 (中略)
♪哀れなるかな民百姓は あれもこれもと課税は増える
♪分けて年貢の取り立てこそは いやが上にも厳しい詮議
♪下の難儀は一方ならず かかる詮議に甚助殿は
♪守の噂をしたとの罪で すぐに捕われ水牢の責め苦
♪責めた挙句が穀見ヶ原で 哀れなるかな仕置きときまる
♪かくて苦しむ百姓衆を 見るに見かねて名主の者が
♪名をば連ねて願いだすけれど 叶うどころか詮議は荒く
♪火責め水責め算盤責めに もだえ苦しむ七十と余人
♪飢え死にする者 日に増すばかり
 (中略)
♪江戸に下りて将軍様に 直訴籠訴を致さんものと
♪みなに計れば大勢の衆が われもわれもと心はひとつ
♪わけて気強い三十と余人 道の難所と日数を重ね
♪やがて着いたのが品川表 されど哀れや御用の縄は
♪疲れ果てたるその人々を
♪一人残らず獄舎に繋ぐ 一人残らず獄舎に繋ぐ
♪下手で長いこた先生やに失礼 やめろやめろの声なきうちに
♪ここらあたりできり止めやする


 このように、救いようの無い形で唄は終わる。「ヤッチク」は、1754年から4年に渡って続けられた「宝暦郡上一揆」を唄ったものだったのである。250年もの間、歌い踊り継がれてきたと思えば、このシンプルな唄の持つ力強さに驚かされる。

 このほかにも、郡上踊りの唄は一癖ある歌詞が多い。もっとよく見てみようと思った。

↓ヤッチクの動画
http://www.youtube.com/watch?v=-WwhtzGiImM


8月23日 ドラクエにはまる

 ドラクエにはまってしまった。電車に乗ればずっとドラクエをし、布団にもぐれば寝るまでドラクエをする日々が続いている。クリアをした後は、延々とクエストをやったり宝の地図を見ながら洞窟を探したりしている。こんなことをする時間があったら読書をしたり、マニフェストを読んだり、音楽を聴いたりしたほうが、はるかに人生の糧となるに決まっているのに、ついついドラクエをやってしまう。

 この前、ドラクエをやっている元上司に「すれ違い通信」と「Wi-Fi」なるものを教えてもらった。「すれ違い通信」とは、すれ違い通信の設定をしたDSをかばんに入れて持ち歩けば、同じ設定をしている人とすれ違ったときに、コメントを残し合ったり宝の地図を交換したりできるシステムである。一度の設定で3人まで通信できるらしく、早速やってみた。

 驚いたことに、通勤中の電車の乗換えなどでほんの数分歩けば、3人以上とすれ違っていた。世の中にはこんなにドラクエをやっている人がいるんだと思った。

 「Wi-Fi」については、専用のコネクタを購入しなければならないのだが、元上司によれば「マクドナルドに行けば無料で出来る」とのことであり、早速マクドナルドに行ってみた。

 残念なことに、最寄り駅のマクドナルドは非対応であり、新宿のマクドナルドでは同じことをしている人が多すぎるせいか、通信エラーになってしまった。一番残念なのは、こんなことのために一日に2食もマクドナルドで食事をしてしまったことであった。


8月22日 合唱に触れる

 今日は、会社のオーケストラに行き、合唱団の見学をした。来年の2月に第九を歌うらしく、合唱部員を募集していたのである。オケに所属している後輩に誘われて、見学に行ってみた。

 最寄り駅で降りれば、無条件に気が重くなった。休日に会社にいるという感覚自体が気だるい。そんなことを考えながら歩いていると、知り合いの部長とすれ違った。部長になれば当然土日も無く働くものらしい。

 さて、今日は初練習である。合唱部員の人たちも初顔合わせのようである。色々な人がいた。明らかに経験者の人から、全然音が取れない人、いくら教えてもオクターブ下で歌ってしまうオジサンもいた。それでもカデンツをやれば、それなりに揃った音が出て、暖かみのあるきれいな和声になる。これだから合唱は面白い。楽器だとこうはならないであろう。本当に不思議である。

 学生時代の合唱をしていた頃のことが思い出されてきた。高らかと歌うソプラノ、ちょっと控えめなアルト、ひいひい言うテノール、個性溢れるベース、どこの合唱団でも傾向は同じなんだと思った。

 見学していると、無性に歌いたくなった。歌いたいが、さすがに毎週土曜日を割くことは出来ない。今はやりたいことが多すぎる。


8月15日 郡上踊りへ

 お盆休みは太鼓大好会のメンバーで郡上踊りに行った。郡上踊りは、岐阜県郡上市に伝わる盆踊りで、日本三大盆踊りに数えられる。祭り期間は1ヶ月半も続くのだが、なかでも8/13〜16は徹夜踊りであり、郡上踊りのクライマックスである。メンバーはボンサン、シゲオ、モコ、セツ、マサルサン、キエ、イッチ、私の8人。12日深夜に出発し、14日深夜に戻るという、0泊3日の強行軍であった。


8/12 行く
 深夜の12時半にシゲオと私の車で横浜に集合し郡上へ。私たちのメンバーで旅行をする場合、サービスエリアにこまめに止まり、腹が減っていなくても何かしらの食事をする。民研の頃からの習性というか、礼儀作法というか、とにかくなかなか変えられないことである。

 道は東名高速のがけ崩れの影響で若干渋滞していた。渋滞のさなか、セツに運転を任せて助手席に乗っているシゲオが、先週の銚子で買ったおもちゃの拳銃を取り出して私の車を撃った。すると、私の後ろの車が急に車間距離を空けて走り始めた。そりゃ怖かったであろう。その他、「エロしりとり」などをしながら眠気と戦いつつ、13日朝に郡上のスーパー銭湯に行き、仮眠をとった。


8/13 踊る
 2時間くらい寝て、食事をしてすぐに郡上八幡に向かった。郡上の町は本当に美しい。きれいな水と古い町並みの風景は、いつまで見ていても飽きない。私たちは、早速ビールを買って観光した。すると、いかにもガラの悪い観光客の如き様相となり、恥ずかしくなった。

 続いて夜の踊りに向けてゲタを購入した。郡上踊りはゲタを鳴らしながら踊るため、大量のゲタがバーゲンセールのように積まれており、どれも安い。早速ゲタを履いて河原で遊んだ。キエがシゲオのゲタを川に投げ捨てたり、セツとシゲオがキエを橋の上から投げ捨てようとしたり、私たちらしい旅の時間を過ごして踊りが始まるのを待った。

 踊りが始まるのは夜の8時半からであった。この日は4日間続く徹夜踊りの初日であり、明け方の4時まで踊りは休むことなく続けられる。

 踊りは簡単である。5分も一緒に踊れば誰でも踊れるようになる。そして、踊りを見物している人など殆どおらず、観光客も含めて殆どの人が踊っている。というか、誰が観光客で誰が地元の人かもわからないくらい、みんなが郡上踊りに溶け込んでいる。

 さすがに、途中休憩を入れたり鰻を食べに店に入ったりしながら休み休み踊った。キエは日本酒を飲みすぎて若干おかしくなっており、ふらふらどこかに消えていき、最終的にシゲオの車で寝ていた。シゲオは、休憩も取らずに踊り続け、途中みんなで食事をしているときも冷やしパインだけを口にして踊り続けていた。何たる底なしの体力かと思っていたら、「疲れたので車で眠る」という内容の電話がかかってきた。しかし、結局寝付けなかったらしく、帰ってきて最後まで踊り続けていた。

 明け方の3時過ぎからは、これまで聞いたことの無い伴奏が流れた。「郡上甚句」「古調かわさき」「まつさか」と3曲続けて踊り、徹夜踊りは終わった。これらの曲は、唄のみで伴奏は無い。踊りもシンプルでひっそりとしており、どことなく厳かである。見れば、地元の人たちは皆、徹夜で踊り明かしたとは思えないほどの、とても晴れやかな表情であった。盆踊りが単なる大騒ぎの場ではなく、先祖を迎える伝統行事であるということを感じた。

 本当に楽しい時間であった。個人的には「春駒」の掛け声がかけられうようになったこと、猫の子が踊れるようになったことが嬉しい。


8/14 帰る
 踊りが終わってすぐに車で郡上を発ち、仮眠を取るべく岐阜市内のスーパー銭湯に向かった。ここでは千円で仮眠室に入れるのだが、オバチャンの計らいにより、男4人は開店まで食堂で寝ててよいと言われ、食堂の座敷でごろ寝した。ここでも2時間ほど寝て、帰路についた。

 朝の10時半頃郡上を発ち、横浜に着いたのは夜の11時頃であった。この時間、常に眠気と疲れとの戦いである。

間宮芳生12のインベンションを熱唱

越中おわら節を熱唱し、歌詞がエロイと議論する

嘉門達夫「怒りのメドレー童謡編」で爆笑。

 そして最後はバリ島の伝統音楽「ケチャックダンス」であった。これを聞けば必ず目が覚める。ブラックブラックよりも眠眠打破よりも効果は高い。海老名SAからは、これをこれを聴いて絶叫したところ、ばっちり目が覚めなんとか横浜まで帰った。

家に着いたのは深夜1時前。疲れたが充実した旅行であった。


左:ゲタ売り場             中:郡上の風景(新橋より)            右:郡上踊りの様子




8月10日 廃線めぐり

 今日は、午前中は何をするにも億劫でごろごろしていたのだが、午後に思い立って、妻と川越にある廃線「西武安比奈線」を歩きに行った。西武安比奈線は、入間川の砂利運搬を目的とした貨物線で、1967年に休止となって以来、事実上廃線となっている。最近では、NHKドラマ「つばさ」のオープニングで一瞬だけ映っている。

 出発点となる南大塚駅から廃線を辿れば、気持ちの良い田舎の風景となった。線路は駅前の住宅街を通り、道祖神のある田んぼの風景を抜け、森のトンネルを通り、小さな橋を渡って入間川に伸びていた。草や土に埋もれた線路の風景は情緒的で、なぜかどことなく懐かしい。歩いている最中、「夏草の線路」のメロディが頭の中を回り続けていた。

 結局、3キロほど先の入間川まで行き、引き返してきた。いい運動である。


8月9日 銚子みなと祭り

 今日は、シゲオ、モコと銚子みなと祭りに行った。前日から民研現役生の合宿に合流していたコンドウサン、キエと合流し、まずは巨大なネタの回転寿司で有名な「しまたけ」へ。

 店は混んでおり、一瞥すると並んでいる寿司ネタは大して大きくないように思えた。しまたけもついに落ちたかと思いながら席に着いてしばらくすると、巨大なタコの足が流れてきた。そんなタコの足と、その下で押し潰されるようにちんまりと佇むシャリのバランスは、およそ寿司とは呼べない代物であった。これでこそ「しまたけ」だと喜び勇んでいると、巨大なサーモンや見たこと無い形のアナゴが次々と流れてきた。タコを食べるだけでほぼ腹一杯になった。会計のとき、シゲオとコンドウサンは300円皿4枚を賭けてじゃんけんをし、負けたシゲオは5千円程度支払って店を後にしていた。

 続いて銚子の祭りへ。久しぶりに見る銚子のお祭りは本当に面白い。いかにも海の曲という感じのする、アップテンポで直線的な篠笛のメロディーと「オーラードシタイ」の威勢の良い掛け声は、聞いていてわくわくするし、神輿の揉み方も半端無い。神輿を担いでいる人は、殆どの人が辛そうである。神輿は、ある程度やせ我慢をすることに面白さがある。

 そして、本場の銚子大漁囃子や跳ね太鼓は本当に凄い。銚子大漁囃子はメリハリがあってかっこいいし、跳ね太鼓も凄い迫力であった。あんな風に叩きたいなぁと思うし、見ているとすぐに出来そうな気がするが、それがいかに難しいかはこれまで何度も経験したとおりである。


左:跳ね太鼓の様子             中:祭りの様子            右:ありえない寿司




8月8日 扇風機、ソファー

 今日から夏休みである。我が家ではいまだにエアコンは一度も使っておらず、扇風機だけで夏を乗り切ろうとしている。

 そんな中、扇風機が壊れた。前面のカバーが壊れて取り付けられなくなり、羽が剥き出しの若干危険な状態でしばらく使用していたのだが、今日、妻が新しいのを買おうと言い出し、近所のリサイクルショップ「トレジャーファクトリー」へ。

 扇風機売り場をしばらく見て目星をつけた後、2階のソファー売り場に向かった。かなり広いスペースを使って、大量のソファーが並べられている。妻と片っ端から座ってみた。

 私は生まれてから一度もソファーのある暮らしをしたことがないのだが、ソファーというのは本当に気持ちが良い。座ってみれば、まさに極楽である。座るたびに、二度と動きたくなくなる。一瞬欲しいと思ったが、やめた。もしこんなものが我が家にあったら、私は一日中ソファーに座り続け、仕事にも行かず、太鼓も叩かず、本当に駄目な人間になるだろう。

 結局、今の扇風機も紐やガムテープなどで補強すれば十分使えるという結論に至り、何も買わずに帰宅した。さっそく紐で前面カバーを取り付け、これを書いている現在、扇風機は機嫌よく回っている。

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