2009年
9月のつぶやき




9月29日 枕を買う

 昨日は妻の誕生日であった。私は妻へのプレゼントとして枕を買うことにしていた。妻の枕はかなり年季が入っており、ボロボロだったからである。日曜日の朝、近所のパルコへ開店と同時に入り、寝具売り場に向かった。

 枕を物色していると、店員のオバチャンが話しかけてきた。私が妻の枕を選んでいることを告げると、オバチャンはそれなら奥さんを連れてきて色々試して決めたほうが良い、枕選びはとても重要で枕ひとつで安眠や健康に大きく影響するから、という意味のことを言った。

 私は、これは妻への誕生日プレゼントであり、出来れば私が選んでプレゼントしたい。それに「寝る」ということについて妻が問題を抱えたことは一度も無く、妻に限ってはどんな環境でも寝られるから大丈夫だという旨を告げ、自分で選ぶことにした。

 店に設置されているベッドに横になり、選んだ枕を次々と試していった。正直よく分からないが、もっと高い枕のほうがいいし、あまり沈まない硬い枕のほうがいいと思った。あまりに枕が低く感じたので、「この枕を二つ折りくらいにして寝るのが丁度良いです」と言ったところ、オバチャンは「そんなことをしたら頚椎を圧迫してよくない、若いうちはいいがいくらなんでも高すぎる」と言った。

 そんなやりとりをしつつ、結局真ん中にくぼみのついた「ドーナツ型」と言われる枕に決めた。私にとっては少し低いが妻はこのくらいでも十分だろうと思った。続いて枕カバーを選んだ。和柄の風流なカバーがあったので「これにします」と言ったところ、「それは座布団用です」とあっさり言われた。客は私ひとりであり、オバチャンは私につきっきりで色々教えてくれる。オバチャンも面白くなってきたのか、私が「妻」と呼ぶのを真似してオバチャンも「奥様」とかではなく「妻」と呼んでカバーを選んでいた。無事、枕とカバーを選び、プレゼント用に包んでもらい帰宅した。

 プレゼントをして一夜明けた次の日、妻が「枕が高い」と言った。もっと低いのを選ぶか、高さ調節の出来る枕を選ぶべきであったか。後悔したが、高いということが安眠を妨害したり健康を害したりするほどのことではないのが救いであった。


9月28日 地球環境問題めも(追記)

 2020年、もしも鳩山首相の掲げた目標にしたがって25%の温室効果ガス削減を達成したとしたら、下に書いたとおり、日本は化石燃料の購入量を25%減らしたことになる。そして、世界の国々も自国の削減目標を達成したとしたら、それだけ化石燃料の購入量を抑えることになる。すると何が起こるか。

 当然予想されることだが、化石燃料がだぶつくことでこれらの価格暴落が起こると思われる。すると、エコカー減税などの政府補助でようやくインセンティブを得ていた環境対策が揺るぐことになる。エコカーを買いたいとか、太陽電池パネルを取り付けたいというインセンティブは失われる。化石燃料の暴落により環境への政府補助が圧迫され、制度を持続できなくなる。

 むしろ、化石燃料に関税をかけて化石燃料に対する割高感を認識付けることが大事なのではないか。ガソリン価格がべらぼうに高くなったとき、私は自然とアイドリングストップをする癖がついた。これは、二酸化炭素排出量を抑えたいというよりは、単にガソリンが勿体無いからである。もしガソリンが水道水のように安ければ、私はアイドリングストップをしないだろう。

 暫定税率を廃止することは構わない。ただし、代わりになる税金をかけるべきだと思う。それも、ガソリンだけでなく化石燃料全体にかけることで価格維持(または現状よりアップ)を試みる必要があるのではないか。それにより、私たちのライフスタイルは自然と変わる。エコカーが良い、断熱住宅が良いなどという画一的な価値観を押し付けるのではなく、自然発生的に化石燃料を節約する術が生まれるし、その術は補助金などで生み出すよりも永続的になる気がする。

 もちろん、飴とムチどちらかひとつにするべきではなく、そのバランスが大事であろう。私の感覚では後者にもっと重きを置いてもよいのではないかという気がする。そしてその他、だぶついた原油をかかえるアラブ諸国の経済はどうするのかとか、心配しだすときりが無い。この問題は本当に難しい。そのくせ、何か本質をぼやかされている気がしてならないのである。


9月25日 地球環境問題めも

 鳩山氏が気候変動サミットで2020年までに1990年比25%の二酸化炭素削減を表明し、国際社会からは評価を得るとともに国内では賛否両論分かれている。今、世界では「地球環境問題」=「二酸化炭素削減」という考え方が浸透している。

 しかし、そもそも地球環境への影響を二酸化炭素の排出量で計るべきなのだろうか?例えば、私が自家用車で近くの西友まで買い物に行って帰ってくるとする。その際に、私の車から何gの二酸化炭素が排出されたかは誰も測定していないので、わからない。すなわち、「排出量」と言っても、二酸化炭素の排出された量を集計しているのではなく、国内のガソリン消費量などのデータから割り出していると思われる。

 また、私がそこら辺に生えている木を切って焚き火をしたとする。ここで発生した二酸化炭素は、排出量としてカウントされない。なぜならば、「カーボンニュートラル」という考え方があって、植物はもともと大気中に存在していた炭素を取り込んで形成されたものだから、それらを燃やしたり腐食させたりして発生した二酸化炭素は、排出量として数えないのである。

 要するに、地球温暖化問題と言うのは、「地中深くに埋まっている炭素を掘り出してきて大気中に排出する」ことに集約される。木々などの、元々ごく表層に存在する炭素について議論するものではないのである。

 そう考えれば、CO2排出量で目標を立てるべきではない。むしろ、各国における化石燃料の の使用量で目標設定すべきである。そのほうが圧倒的に計算しやすいし、シンプルである。また、前述のカーボンニュートラルの考え方からすれば、森林によるCO2吸収分は考えてはいけない。CO2削減と森林破壊は全く別の問題であることを明確にすべきである。むしろ、これをわざと混同させて問題の焦点をぼやかしているようにさえ思える。


 そもそも、地球温暖化問題とは何であろうか?それには以下の手順で考察する必要がある。

 @そもそも、地球は温暖化しているのか?
 A温暖化しているとして、それは人為的要因なのか?
 B人為的要因だとして、人類にどれくらいの悪影響を及ぼすのか?

 私がこれまで調べた限りでは、@については、地球はむしろ寒冷化していると主張する一部の科学者がいるものの、概ね温暖化している傾向はありそうだ。(寒冷化していると主張する人に限って、現状の温暖化対策が間違っているということも主張しており、自己矛盾していたりする。寒冷化しているのなら、温暖化対策が間違っているほうがありがたいはずなのだが) Aについても、地球のダイナミックな気候変動の一部に過ぎないと主張する人もいるが、人類が排出した温室効果ガスによる影響が支配的だとする考えのほうが妥当な感じがする。

 Bについては、メディアが大げさに伝えているほどの悲劇は起こらないだろうとする考え方が、最も正当に思える。海面上昇により都市が飲み込まれるような悲劇は起こらないし、農業の作付け地域が多少北上するものの、基本的には温暖化により収穫量は増加するように思える。(農業で言えば、寒冷化するよりはましであろう) ただし、熱帯病の北上や天災の増加などは想定される。人類にとって、「多少の暮らし向きの悪化が発生する」というのが地球温暖化による影響の妥当な理解だと思う。


 むしろ、気候変動の問題は「地球温暖化を阻止する」のではなく、「化石燃料を節約する」方向にシフトすべきだと思う。化石燃料は太陽が育んだ生命の死骸が長い時間をかけて変性したものであり、そういう意味では太陽エネルギーのかたまりである。それらが生成されるペースは、人類が使用するペースと比較して極端に遅いため、持続可能でない。化石燃料の可採年数はまだまだあるし、これからも減ることは無いという主張は間違っている。持続可能でない以上、いつかなくなってしまうし、これを次世代に押し付けるべきではない。

 日本で言えば、「CO2を25%削減する」ことと「化石燃料の輸入量を25%減らす」ことはほぼ同義である。そして、後者の方がイメージが湧きやすいし、やるべきことも明確になる気がする。


 以下は私の独断と偏見。

○太陽光発電
 推進すべし。風力、水力も広義で言えば太陽光発電に数えられるので同じく推進すべし。(もっと広義では石油、石炭火力も太陽光発電と言えるがここには含まれない)

○ハイブリッド車
 推進すべしだが、公共機関を使うほうがよりベター。

○燃料電池、電気自動車
 微妙。これらは電気が化石燃料で作られている限り意味が無い。太陽光発電が推進されてはじめて意味を持つ。

○ごみ分別
 分け過ぎも分けなさ過ぎも良くない。プラスチック容器包装は燃えるごみにしたほうがよい。缶、瓶は分別したほうがいい気がする。

○レジ袋
 意味なし。絶対量が少なすぎる。また、地域指定のゴミ袋を使うくらいならレジ袋でごみを出したほうがリユースになる気がする。

○PETボトルリサイクル
 賛否両論あって不明。だた、レジ袋と同じく絶対量が少ないため影響は少ない気がする。


 上記は、本当に正しいかどうかわからない。私は、どういうわけか幼い頃から地球環境問題に興味を持っていた。しかし、色々調べれば調べるほど、何が正しいのかよくわからないのである。それでも、少しずつ理解を深めていかなければならない。


9月23日 久石譲、歌、リコーダー

 最近見た「R25」のロング・インタビューでの久石譲の言葉が印象深い。久石譲いわく、「基本的に感性は信用しない」という。以下引用。

「音楽っていうのは、96%まで技術です。やりたいものがあってもそれをかたちにするには徹底的な技術力が必要です。それは日々の努力の中で確実に身につく」という。

 私は、感性豊かな曲を多く生み出してきた久石譲からこのような言葉が飛び出すことを意外に思うと同時に、この考え方に強く共感し、また救われる思いがした。要は練習、勉強、努力が大事という、極めてシンプルな話なのである。私が最近リコーダーを上手に吹けないのは、単に練習をしていないからであり、練習をすれば上手に吹けるようになるという、極めて単純な話なのである。

 先日、妻の歌の発表会を聴きにいった。民研の現役の人は、パートリーダー等、民研の女声を引っ張っていく人たちだけあって、堂々とした歌いっぷりであった。妻や妻と同世代のメンバーは肩の力を抜いて楽しんでいると言う感じがした。そして、もっと年配の方々は、その人生経験の豊富さから深い味わいがにじみ出ているようであった。

 聴きながら、久石譲の言葉を反芻した。歌だって、その殆どが技術力で決まる。ピアノやバイオリンやオーボエの伴奏に負けない声量を出すだけで、大変な技術力が必要である。思いを込めたからと言って上手に歌えるわけではない。彼女らは、少しずつ技術を磨き、確実に前進し、こうして舞台に立っているんだということを思った。

 演奏を聴いて、これからはきちんとリコーダーを練習しようと決心した。


9月19日 シルバーウィーク

 今日からシルバーウィークが始まったが、今ひとつ長期休暇のときめきが無い。下記の通り、長期休暇だからこその予定は無く、「週末が5日続く」感が強いからであろう。

19日 リコーダーレッスン
20日 小倉祇園太鼓ステージ+アユミ結婚
21日 妻の歌の発表会(通称柴コン)
22日 特になし
23日 太鼓大好会

 今日はリコーダーのレッスンであったが、いまいちうまく吹けなかった。ここのところ忙しく、なかなか練習が出来ていないためである。合間を見つけてちゃんと練習しなければ。

 夜は広島焼きを作り食べながら妻と「カンフーハッスル」を見てげらげら笑った。この映画は、伝えたいことなど何も無い。とにかく極限までばかばかしさを追求した映画である。映画を見た後、妻も影響を受けており、映画の技を再現したり「カンフーの手合わせ」をしたりするなどした後、このつぶやきを書くに至っている。ともあれ充実した休日を過ごすよう努めなければ。

 あと、柴コンに行く人募集中である。


9月17日 酒井法子のこと

 今日のニュースは、民主党政権発足に先んじて酒井法子の保釈が報道されていた。庶民の興味は、高速道路無料化よりも、公立高校無料化よりも、酒井法子のほうに向くらしい。

 シゲオいわく、今回の薬物騒動について、私たちの世代を境に上の世代は極めて同情的であり、下の世代は冷淡は反応をしているという。確かに酒井法子をアイドルと捉えるか否かは、私たちの世代あたりに境界がある気がする。別の言い方をすれば、「のりピー」と「酒井法子」の境目が私たちの世代あたり(或いは少々上)にある。

 酒井法子は、私が始めて好きになった女優であった。10代の私は芸能界に疎く(今でもそうだが)「好きな芸能人は誰か」と聞かれても芸能人そのものを知らないために何も答えられなかった。しかし、「星の金貨」というドラマを見てからは、その質問をされると「酒井法子」と答えるようになった。ちょっと憂いのこもった手話の演技にかつての私はときめいていたのである。しかし、私の同級生等は、もっと若い世代のアイドルに興味を示していたようであった。

 少々恥ずかしい話をしてしまった。ともあれ彼女の復活を祈る。


9月13日 太鼓を積む

 今日は、太鼓大好会の練習であった。シゲオが10月から岩手に異動になるとの話があり、10月以降、私の車での太鼓の運搬が出来るかの確認を行った。

 私の車はサニーであり、積載量はそれほど多くない。下手をすれば、後部座席に太鼓を入れることすら出来ないのではないかと思われた。そして、私にとっては、「やっぱりおれの車では太鼓は積めないね」という答えを期待していた。

 練習後、一番大きい尺六のくりぬき胴を後部座席から入れてみたところ、まずいことに、太鼓を回転させながら入れると絶妙に積み込めた。これはまずいと思ったが、これに味をしめたシゲオは、手際よく私の車に太鼓および器材を積み込んでいった。後部座席と助手席に合計3台の大太鼓を積み込み、トランクに締め太鼓とバチケースを入れた。

 私が呆然と立ち尽くしている間、シゲオは目をきらきらさせながら私の車に器材を押し込んでいる。それは感心するほど手際がよかった。そして私は、太鼓によって自分のプライバシーが侵害されていくのを感じた。これでは妻とドライブに行くことすらままならないではないか。

 結局、運転するのに必要な場所以外は全て太鼓およびその器材で埋め尽くされた。私の私生活が、太鼓によって大きく制限されることを感じた。そんな私を尻目にシゲオは、自分の車がすっきりしたことを喜んでいる。

 帰路、当然予想していたことだが、パトカーに呼び止められた。自分は怪しい者ではないとの由を告げ、無事開放されたが、これからも官憲に目を付けられる日々が続くと思えば、若干気が重い。


9月12日 ミヤザキ、ショウコ結婚パーティー

 今日は、民研の後輩であるミヤザキとショウコの結婚パーティーであった。パーティーのメインはなんと言ってもビールかけである。プロ野球の優勝チームが毎年やっているので誰もがテレビで見たことのあるビールかけだが、実際にやったことのある人はほとんどいない。楽しみにして、会場に向かった。

 事前に来たメールには、ビールかけ後の手順が記されている。

1.まず、会場で簡単にホースでビールを洗い流して頂きます。
2.簡単に水気をふき取って頂きます。
3.荷物を持って・・・
4.徒歩10分の銭湯に行って頂きます。

 会場は天王洲アイルである。ビールまみれの状態で都心を徒歩10分も歩いていいのか?ビールまみれの人々を銭湯は受け入れてくれるのか?なにせ人生初めての体験であり、これまで養ってきた経験や道徳観が通用しないことを感じた。

 ビールかけは屋外で行われた。ちょうど雨がざんざん降り始め、雨の中、ビールをかけあった。日本酒やコーラのほか、パイなども用意されており、正装した新郎新婦もビールおよびパイまみれになっていた。

終わったあとは、手順どおりホース(+雨の水)でビールを流し、銭湯に向かった。ビールかけが終われば、寒い。ぐしょ濡れのまま銭湯に突入したが、有り難いことに暖かく受け入れられた。

 風呂から上がって新しい衣類に袖を通せば、この上ない心地よさであった。衣類が乾いているということは、こんなにも幸せなことなのかと痛感した。そのまま二次会に行き、終電で帰宅した。

 本当に楽しいパーティーであった。ミヤザキとショウコの、みんなと一緒に楽しみたいという思いを感じたし、ふたりのサービス精神はすごいなぁと思った。これは、文字通りの「笑いの絶えない家庭」になるなぁと思った。本当におめでとう!   


9月7日 跳ね返りについて

 陸上部合宿の夜、みんなで「世界一受けたい授業」を見ていたところ、液滴の跳ね返りについての実験を行っていた。液面に液滴を垂らすと「はごろもフーズ」などのCMで見られるような跳ね返りが起こるが、この跳ね返った液滴は降ってきた液滴の成分なのか、または液面側に存在していた成分なのかの検証である。

 私は直感的に、液滴はそのまま下に沈み、その反動で周囲の液面側の成分が跳ね返るのだと思った。そして、そうあって欲しいと願った。

 しかし、結果は逆で、降ってきた液滴「そのもの」が跳ね返るらしいのである。実験は、透明な水に黒いインクを垂らし、跳ね返った液滴の色を確認するという方法だったのだが、跳ね返った液滴は黒いインクであった。

 更に番組では、私が抱いていた懸念にも言及していた。すなわち、上記のような結果が出たと言うことは、トイレで男性が小用を足した際の跳ね返り成分は、小便「そのもの」だということである。番組では、追加実験で液滴が跳ね返る範囲は私たちが想像している以上に広いことを検証し、「洋式トイレでは男性も出来るだけ座って用を足したほうが良い」と結ばれていた。

 これはショックであった。私は29年間、便座の周囲に尿を撒き散らしながら生きてきたらしい。しかし、これからは座って用を足そうと思いつつも、なかなか面倒くさくて実行できないのであった。


9月6日 陸上部合宿

 今週末は、会社の陸上部合宿でああり、新幹線で福島県の泉崎村へ向かった。ここには会社の工場があり、近くには宿泊施設もある。普段のランニングと言えば、家から最寄り駅までの約1キロをスーツ姿のまま軽く走っている程度であり、本格的な練習は何一つしていない。

 宿泊場所のコテージに着くと、早速着替えて走る。スケジュール表を見ると、まずは工場まで走り、工場の周りを1週した後「烏峠」と呼ばれる峠まで走って戻ってくるコースであった。ちなみに工場は小高い丘の上にある。

 小高い丘を登りきって工場を見れば、なぜ私は休日に会社の工場前まで、よりによって走って来ているのだろうかと、自分に問いかけていた。更に、正門前で記念撮影をした上、予定を変更して工場を2周した。私も引きずられるように2周した。

 続いて「烏峠」へ。ここは1.3キロの山道を延々と登るコースであり、あとで調べたところでは約160mの高低差がある。かなりキツい。もう限界だと思ったところで頂上に着いた。頂上の烏峠稲荷神社は、鬱蒼とした雰囲気で少し怖い。

 そんなこんなで、ヘロヘロになって宿舎に帰宅した。おいしい食事を食べ、少し宴会をして私は9時半に就寝。非常に健康的である。

 2日は、6時半に起きて近くのグラウンドを周回してから朝食を食べ、続いて昨日と同じく烏峠を往復した。筋肉痛で登れないと思っていたが、意外にも昨日より楽に登れた。続いてグラウンドに戻り、なぜか裸足で200mダッシュを5本やって終了した。裸足で走るのもトレーニングになるらしい。

 へろへろのまま昼食を食べ、帰宅した。ハードな二日間であった。

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