2009年
11月のつぶやき
11月29日 洗濯機を買う
昨日、洗濯機を買った。今まで使っていた洗濯機は妻が学生時代から使っていたものであり、引越しを機に買い換えようと思っていた。
せっかく買うのなら、すごい洗濯機が欲しいと思い、しばらく前から色々な人にヒヤリングをしていた。すると、意外にも「2槽式がいい」という意見があった。衣類ごとのきめ細かいカスタマイズが出来るなど、こだわる人には2槽式がよい、と言う。
実は、昔コマーシャルを見てからずっと気になっていた洗濯機があった。そのCMでは、洗濯機の中にぬいぐるみや革靴を入れ、水を使わずにオゾンの力で洗っていた。洗濯機の常識を覆す感じがして、衝撃を受けた。こんな洗濯機が欲しいと思った。
そして昨日、近所の電気屋3件を何回も行ったり来たりして、じっくりと検討した。結果、売れ筋の洗濯機は、大体以下の4種であった。
・サンヨー電機・・・「AQUA」オゾンの力で洗う(上記のCMの機種)
・パナソニック・・・「ナノイー」の力で洗う
・シャープ・・・「プラズマクラスター」の力で洗う
・日立・・・「ビッグドラム」とにかく洗濯槽がでかいらしい。
日立はかなり売れ筋らしいのだが、大きなドラムで洗濯物を叩きつける力が強いなど、物理的に洗う発想が強く、面白みに欠けると思った。「ナノイー」は、洗濯機自体がかなり割高なのと、「革靴をナノイーで洗ったらべしゃべしゃに濡れた」というコンドウサンの話も聞いていたので、やめた。
「AQUA」と「プラズマクラスター」で迷った。店員は「プラズマクラスター」を推していたが、以下の理由で「AQUA」に決めた。
・やはり「AQUA」のCMを見たときの衝撃が忘れられない。
・「プラズマクラスター」は、3〜4年ごとに部品交換が必要である(数万円するらしい)
・「AQUA」は、輸出できないらしい。(オゾンは有毒であり、海外の規格に適合しない)それほど危険な洗濯機なら、さぞかし汚れも落ちるだろう。
そして今日、早速洗濯してみた。洗濯物が回る様子が気になって、洗濯中何度も洗濯機を確認しに行った。そして、乾燥を終えた洗濯物はふんわりして気持ちよかった。しばらくは洗濯が楽しみである。
11月28日 ローマの休日
「ローマの休日」を借りて見た。見る前は、あまり期待していなかった。先週の「風と共に去りぬ」もあまり共感できず、昔の映画はもう感覚が合わないのだろうと思っていた。オードリー・ヘップバーンが美人だと言っても、50年以上も前の美人は私の好みではないだろう。まして私は、西洋人はそれほど好みではない。
映画でオードリー・ヘップバーンを一目見て、その虜になった。なんという美しい人であろうか。その美しさは、いくら時代が変わっても褪せることの無い普遍的なもののように思えた。モノクロでも、というかモノクロだからこそ、その美しさは際立つように思えた。テレビに食らい付くように映画を見て、共感したり感涙したりして、見終わった。
奇跡のような映画であった。今更知るのも遅すぎる気はするが。
11月24日 おっぱいバレー、風と共に去りぬ
週末、ツタヤで「おっぱいバレー」と「風と共に去りぬ」を借りて見た。組み合わせとしては不思議だが、見たい映画を物色したらこうなったのである。
テレビCMで、試写会を見た観客が号泣しながら感想を述べた後、おもむろに「おっぱいバレー」とタイトル表示された時の衝撃が忘れられない。ふざけたタイトルと、号泣する観客の対比が凄まじかった。私がこの映画を見ようと思ったのは、ひとえにこのテレビCMで受けた衝撃のためである。
私も、試写会の観客のように号泣してしまった。映画は、古い北九州の町を舞台に素朴に進行していく。そのノスタルジックな風景を見るだけで、私の涙腺は緩んだ。そして、先生のおっぱいを見るために目の色を変えて練習に打ち込む男子中学生の姿は、どんな男にとっても共感を得るものであろう。程度の差こそあれ、
男の本質はこんなものだろうと思われる。
「風と共に去りぬ」は、だるかった。4時間も続くのに、進展が早い。少しでも気を許すとついていけなくなるのである。一生懸命見ていると、頭痛がしてきたが、それでも見ていた。中盤くらいから、早く終われと念じながら見ていた。
スカーレット・オハラは、女性の本質かもしれない。彼女の行動や発想は、私には全く理解できなかった。彼女はバトラーさんを好きなのか嫌いなのか、友人のエミリーのことをどう思っているのか?彼女の言動からなにも読み取ることが出来ず、結果的にただストーリーを追うだけ、という非常に下らない4時間を過ごしてしまった。
まあ、英語の教科書にも載るくらいの名作であるから、私の理解力が足りないだけの問題だと思われる。
11月21日 若者よ
先月の話だが、民研のOBOG総会で妙な歌に出会った。「若者よ」というタイトルの歌詞は下記のようなものであった。昔の民研で歌われていたらしい。
「若者よ」(ぬやまひろし作詞・関忠亮作曲/昭23)
♪若者よ 体をきたえておけ
♪美しい心が たくましい体に
♪からくも 支えられる日が いつかは来る
♪その日のために 体をきたえておけ
♪若者よ
歌、というか音楽は、通常感情に訴えかける性質が強い。恋愛感情や世界平和、信仰心など、形の無い概念が主題になることが殆どである。ところがこの歌は、「体を鍛える」という、極めて実質的で具体的なことをテーマとしている。「筋トレをしなさい、走り込みをしなさい」と言っているようなものである。
シンプルな歌だが、その歌詞は独特で、なにか当時の思想的なにおいがする。と思って調べてみたら、作詞者のぬやまひろし氏は、かなり過激な共産党員であったようだ。この歌は、かつて歌声喫茶などで歌われていたらしい。
まあ、民研の性質からして驚くにはあたらないだろう。それにしても、妙に印象に残る歌である。
11月20日 耳鼻科へ
5日ほど前からどうも頬骨が突っ張るような違和感を感じていた。まあ放っておけば治るだろうと思い放っておくと、今度は耳の後ろが痛くなってきた。そして2日前のこと、社員食堂でラーメンに豆板醤をかけて食べたところ、急激に痛みが増してきた。これは病院にいったほうがいいと思い、地元の人に教えてもらった耳鼻科に向かった。
私は、耳鼻科が怖い。あらゆる医者の中で最も苦手なのが耳鼻科である。小さい頃、頻繁に中耳炎を起こしていた私は「セッカイ」と呼ばれる鼓膜に穴を開ける荒療治をされていた。今は逆効果ということであまりセッカイされないらしいのだが、これがめちゃくちゃ痛く、手足を押さえつけられながらセッカイをされていたトラウマが消えない。耳鼻科に並んでいる医療器具を見ただけで、そのトラウマがよみがえる。
耳鼻科に行くと、かなり高齢の先生が頬の辺りを触り、痛い部分を触りながら、「唾液腺の炎症だ」と言った。「辛いものを食べると痛みが増す」とも言っており、私の今日の症状とぴったり当てはまる。先生は、その説明をしながらずっと患部を触り続けており、早く手を離してくれと思ったが言えなかった。
そして、「おっぱれ風邪はやったことあるか?」と聞かれた。初めて聞く名前なので知らないと言ったところ、一応おっぱれ風邪の検査をしようということになった。そんな風邪もあるのかと思いながら更に話を聞いていると、おっぱれ風邪は大抵子供の頃にかかり、一度かかると一生かかることは無いという。そしてその症状は、高熱が出てほっぺたが腫れるらしいとのことであった。
そこまで聞いてようやく気づいた。「おっぱれ風邪」は、おたふく風邪のこのあたりの方言だったのである。おたふく風邪ならやったことがある、と言うと「ならば検査は不要」ということになり、診察は終了した。
もらった薬を飲み、ほっぺたに湿布を貼っていれば、すぐに痛みは治まってきた。耳鼻科に行ってよかったと思った。
11月15日 太鼓フェスティバルinふたば
今日は、福島の双葉町というところの太鼓フェスティバルを見に行った。車中で聴いていたラジオでたまたま知ったのである。知ったのは前日だが、福島の太鼓も見てみたいと思い、行くことにした。
福島は広い。同じ福島県とは言っても、白河から双葉までは100キロ以上あり、思わぬ長旅となった。しかも、昨日は会社の人とかなり飲んでおり、二日酔いであった。行くのはやめようと何度も思ったが、双葉へ向けて出発した。
双葉に着けば、小さな町に「太鼓フェスティバルinふたば」ののぼりが大量に立っている。どうやら町を上げてのイベントらしい。そして、至るところで子供たちが太鼓を素振りして演奏の最終確認をしている。
演奏は、残念ながら全て創作太鼓であった。創作太鼓はどれも同じに聴こえてしまう。全国にある伝統的な太鼓やお囃子のオリジナリティーに比べれば、創作太鼓はあまりに没個性的である。それにしても同じに聴こえるなぁ・・・いくらなんでもあまりに同じだと思ったら、各団体の前半は課題曲であった。
そんな中、相馬高校相馬太鼓部という団体があった。殆どが女の子だったが、きびきびして声も張っており、体育会系のノリである。そういえばキエは高校時代、相馬で太鼓をやっていたことを思い出し、メールしてみると、まさしくキエが所属していた団体であった。
キエはそのときの顧問の先生を慕っているらしく、ぜひ話しかけて携帯アドレスをゲットしてほしい、と言う。ふと見れば、太鼓部のメンバーが演奏を終えて客席にいる。その中に50歳くらいのオッサンがひとり座って見物している。このオッサンが顧問に違いない、昼食休憩に入ったら話しかけようと思っていたら、休憩に入る前にどこかに行ってしまった。
昼食休憩中に控え室に行き、部員に先生に会いたい旨を告げると、部員の一人が先生を連れてきてくれた。先生は上記のオッサンではなく、若い先生だった。キエが言うとおりの気さくな方で、携帯アドレスを教えてもらい、ついでに写メまで撮らせていただいた。
結局、最後まで見ずに帰路についた。やはり創作太鼓しか見られなかったのは残念であった。それでも、思いがけない出会いがあったのが楽しかった。
11月2日 KURE5−56
今日、ホームセンターで「KURE5−56」を買った。「クレ556」という響きは小学生のときからよく馴染んだものであり、自転車のチェーンに噴きかける潤滑剤の代名詞である。それも「セメダイン」とか「アクロン」などのような消費者向けのネーミングではなく、いかにも社内用語として用いられていた名称がそのまま商品名になった感じがするあたり、個人的にはかなり好感が持てる。
久しぶりに使った「KURE5−56」の効果はやはり絶大であった。黄土色に錆び付いた私のママチャリのチェーンに噴きかければ、まるで新品のような軽やかさとなった。自転車が勝手に進んでいるようにさえ感じられた。
呉工業のHPによれば、「KURE5−56」が日本に登場したのは1962年、当時はスプレータイプの防錆剤はなく、圧倒的な支持を得たらしい。「5−56」の由来は、これを開発したCRC社の創立時の所在地の番地が1−16だったことから、最初の製品を1−16と名付け、5番目に開発された製品として5−56と命名された。
しかし、色々見ていると、「自転車にKURE5−56は使わないほうがよい」というコメントが目立つ。乾きが早いため、頻繁に噴きかけないと逆に錆びやすくなってしまうらしい。色々な意見があるなぁと思った。まあそれでも、5年もメンテナンスされていないママチャリにとっては「KURE5−56」は絶大である。
11月1日 寄生獣、祇園太鼓、父
最近、岩明均の「寄生獣」を読み返している。もう、何回読み返したか分からない。私は昔から気に入った漫画は何回も読み返すのだが、「寄生獣」はその回数が最も多いほうに属する。
やっぱり面白い。メッセージ性がありながらエンターテイメント性もあり、読んでいると夢中になってしまう。そして、地球を汚す人類に対する警鐘という観点から始まったこの漫画が、最終的にもう一歩踏み込んだところで完結するあたり、秀逸でもありこれに達するまでの作者の苦悩が感じられる。
寄生獣を読みながら、久しぶりに小倉祇園太鼓の練習に向かっていた。西武線が人身事故で止まっており、かなり疲れた状態で浅草に到着した。
久しぶりの練習は、ハードだった。小倉祇園太鼓は、もともとがかなりハードな太鼓である。私の中では三宅太鼓に次ぐハードさである。そんなハードな太鼓のカンやらドロやらをエンドレスで延々と叩かされ、へとへとに疲れた。先生がこっちを見ていない間、適当にサボったりしつつ、なんとか練習は終わった。練習後、右肩があまり上がらなくなった。
練習後は、父と所沢で食事をした。父は会津、日光と旅行して所沢にたどり着いたらしい。恒例の餃子と格安北京ダックを食べまくった。食事をしながら父いわく、
・日光にて、徳川家康の墓は拝まない。(関西人たる者、秀吉側に付くべし)
・土産物は、住所欄が「製造者」なっているものしか買わない(「販売者」になっているものは、他県で大量生産されたまがい物)
この独断と偏見に満ちた感性は田所家特有のものだと思った。そして、祖先から脈々と受け継がれた田所家の血が、このホームページを形作っているのだと思った。
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