2009年
12月のつぶやき




12月28日 1年を振り返って

 今日は、仕事納めであった。今年は、例年感じるようなばたばたとした雰囲気も無く、落ち着いて退社し、みんなでお好み焼きを食べて帰宅した。

 今年は、長かった。2回の異動があり、昨年の今頃が大昔のことのように思える。私服で空いた電車に乗る生活から、スーツ姿で満員電車に揺られる生活となり、気付けばマイカーで気楽に通勤する生活となっていた。プライベートでも色々な祭に行ったり、太鼓を叩いて遊んだり、本当に充実していた。

 今年は、若返りがテーマであった。一昨年の暮れに小倉祇園太鼓の先生から「40歳かと思った」と言われたことがショックであり、1年かけてさまざまな試みを行ってきた。コンタクトレンズの着用、美容院での整髪、化粧水の塗布、髪染め剤の使用等、周りの人から助言されたことは、自分でも信じられないくらい素直に実施した。

 結果、悪意のある一部の輩による戯言を除いては、40歳などと言われることはなくなったように思う。そのことが嬉しいと言うよりは、テーマを持って取り組んだ結果、さまざまな新しいことを体験できたのが嬉しい。「自分はこういう人間だから」などと言った変なこだわりを捨てることが出来、世界が広がったように思う。

 下にも書いたように、来年こそは子供が欲しいなぁと思う。しかし、こればっかりは天のみが知るところであり、目標を立ててどうこうするものではない。まあ、のんびり気楽に暮らそうと思う。


12月24日 聖夜

 今日は、10時まで働いて、松屋でカレーを食べた。その後、家の周りを約3キロ走った。風呂に入り、年賀状の準備をしてからこの「つぶやき」を書いている。特別なことは特に無いが、しいて挙げれば松屋のカレーを食べるのは5年ぶりくらいであろうということくらいか。

 私は特にキリスト信者ではないが、ここまでクリスマスを意識しないのも珍しいと思った。


12月23日 ハンドベル、民研発表会

 この日は、まーさんの所属している「プロアルテ・ベルリンガーズ」のハンドベルコンサートと、民研の50回発表会が重なっていた。ハンドベルのコンサートを終えてから発表会に行き、民研の発表会は途中から見る形となった。

 ハンドベルは今回で3回目だが、何回聴いてもすごい。どうしてこんな芸当ができるのか、本当に不思議である。すっかり我が家のクリスマスの恒例行事となった。

 その後、民研発表会へ。会場に着くと、「当日券は売り切れました」の貼り紙がしてある。受付の人に福島からわざわざ来たから入れてくれという意味のことを言い、なんとか会場に入った。

 中は、ものすごい人であった。とても座れる状況ではない。50回という節目であり、多くの民研人が押しかけたようである。

 私が見たのは、器楽ステージ(銚子大漁囃子、秩父屋台囃子)からであった。いずれも凝っており、大変人目をひくような構成であった。私たちの頃では到底たどり着けないような、魅せる構成となっており、演奏も上手い。なんとなく、今流行りの創作太鼓を思い起こさせるような構成であった。もう一歩踏み込めば、郷土芸能の性格を失ってしまいそうな感もあり、ぎりぎりの線だと思われる。

 第3部の合唱からOBOG合同合唱は、いまいちであった。不思議なくらい、伝わってくるものが無かった。

 発表会後、東京駅で新潟に帰る田沢と共に食事をして帰路についた。


12月14日 流れ星

 今日、仕事を終えて車に乗ろうとすると、車に付いた水滴が凍っていた。もうすっかり冬である。それでも、下に書いたとおり家に帰ったら走ろうと決めていた。

 エイヤッと外に飛び出せば、満天の星空であった。その美しさに驚いた。オリオン座は、よく知られている星の形の間に無数の星が見え、全体が明るく輝いていた。北斗七星とカシオペア座が指し示す先には、教科書どおりに北極星が輝いている。それらの星を見上げながら、ゆっくりと走った。

 しばらく走ると、星が流れた。そういえば、ニュースで今日あたりにふたご座流星群が見られると言っていた気がする。もう一度星が流れたら、次のように願い事を言おうと思った。

「子供を授かりますように」

 次に星が流れたら、これを言いたい。それだけを考えながら走った。そして、これで子供を授かったら男の子なら「流星」女の子なら「星子」だななどと、くだらないことまで考え始める始末であった。

 すると突如、巨大な流れ星が落下した。その時間は長く、上記の願い事を心の中で唱えるのに十分であった。流れ星に願い事ができたのは、生まれて初めてかもしれない。それだけで、今日はいい日だと思った。


12月12日 坂の上の雲

 一番好きな小説はなにか、と聞かれて迷うことなく挙げるのが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」である。二番目は、無い。私の中で「坂の上の雲」だけは別格である。

 「坂の上の雲」は、伊予松山に生まれた秋山好古、秋山真之、正岡子規の視点から明治日本を描いた時代小説である。明治維新で生まれた日本という小国家が日清、日露戦争に勝利するさまは痛快である。古風でありながら常に新鮮で、何度読んでも色あせることが無い。

 そんな「坂の上の雲」がNHKでドラマ化された。ドラマ化されることを知ったのは、2年くらい前であった。その頃から、放送されるときには絶対見ようと思っていた。音楽は久石譲で、明治日本の初々しい雰囲気が出ている。映像も念入りで、CGで再現されたらしい軍艦は、当時はこうであったろうと思わせるほどリアリティがある。単に小説をなぞっているだけではない、ドラマなりの面白さがある。それと共に、小説の持つ晴れ晴れとした雰囲気がとても大事に再現されている。

 以下、小説「あとがき一」より引用

「このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」

 小説は、美しい文章と膨大な資料に基づいた考察、そして司馬遼太郎のエネルギーで満ちていた。ドラマもこれに負けないようにしたいという気迫を感じる。欠かさず見たいと思った。そして、小説ももう一度読み返したいと思う。


12月10日 走り始める

 昨日から、帰社後、家の周りを走ることにした。来年の2月に会社の駅伝大会があり、そのためのスケジュールが回ってきたのである。スケジュール表によれば、平日は毎日「自主トレ」で休日は全て「皇居タイムトライアル」であった。

 福島は、寒い。そして、「走る」という行為は、特に楽しいわけではない。というか、寒く辛く苦しい。よって、家に着くなり「エイヤッ」と外に飛び出さなければ、家でまったりと過ごしてしまう。

 昨日、こうして家を出れば、雨が降っていた。戻ろうかと思ったが、初日からこれでは先が思いやられるため、30分ほど家の周りを走った。

 今日は遅くまで働き、帰りにラーメンを食べてきたが、それでも家の周りを走った。横っ腹が痛くなったが、とりあえず当初の目標どおり走った。とりあえず二日連続ではなんとかなっているが、これからも継続できるかどうか、恐らく途中で飽きる気がする。


12月9日 家電について

 高性能洗濯機を買ったことは先月の「つぶやき」に書いたとおりだが、最新の家電はさすがにやりすぎではないかと思われるものもある。

 矢沢永吉の宣伝している「おまかせ丸録」は、見たい番組を勝手に推測して勝手に録画しておいてくれると言う。テレビCMの中の矢沢は、予期せず見たい番組を録画してくれたことに感心し、喜んでいる。

 すかさず妻と「余計なことせんでよろしい」と突っ込んだ。家電製品にそこまでおせっかいを焼かれると、違和感を感じる。

 便利とか豊かとは何かと考える。交通機関の発達により、私たちは強靭な脚力を失った。冷暖房の発達により、暑さ寒さに弱くなった。また、パソコンの発達で漢字能力や暗算力が低下したし、携帯電話の電話帳機能が発達して、人は電話番号を覚える能力を失った。ものごとが便利になればなるほど、私たちは怠け者になる。そして、企業においては、ものごとが便利になればなるほど、省人化が進められ、雇用機会は失われる。

 あまり便利すぎるのもどうかと思う。多少不便でも「愛着」「愛用」のほうが重要な気がする。

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