2010年
5月のつぶやき




5月31日 先週末

 先週末は、妻と上京した。私はリコーダーの、妻は歌のレッスンのためであった。車で妻と交代で運転しながら東京に向かった。妻にとっては初の高速道路であり、相当不安に感じているようであった。私も不安であった。果たして生きて東京にたどり着けるであろうか。

 妻は高速道路で固まっていた。ハンドルを持つ手には力が入り、文字通り手に汗握り、肩もこったらしい。それでも概ね問題なく運転し、無事に到着した。

 私はレッスンを終えて、池袋に行き、福島では食べられない本格長浜とんこつラーメンを食べた。そして、妹の友人から薦められた本「身体知」「現代霊性論」(いずれも内田樹他共著)を購入した。宮崎駿の「折り返し点」も購入した。いずれも大きな本屋でなければ置いていない。

 その後、銀座に行き、フルートを修理に出した。私のフルートは、10年以上前に母が友人からもらったもので、それ以来殆ど使われることなく眠っていたものである。このたびフルートを習い始めたので、一度オーバーホールしてみようと思ったのである。

 その後、妻と合流して福島に向かった。帰りはだいぶ安心して運転を任せられるようになってきた。ふたりとも運転できるというのは、とても楽である。


5月28日 午前休

 先週の金曜の話だが、午前休を取って妻と一緒に産婦人科に行った。

 待っている間、近くの雑誌を手に取れば、妊婦用のファッション誌であった。女性にとって、おしゃれというのは相当の優先事項なんだなぁと思いながら、ぱらぱらとめくった。

 続いて置いてあった絵本「ぐりとぐら」を読んだ。ぐりとぐらが森で大きな卵を発見し、それで巨大なカステラを作って森のみんなでに振舞う話であった。妻は、子供の頃にこれを読んでときめいたと言っていた。私はカステラがあまり好きではないので大して魅力を感じない、例えば森に巨大な広島焼きか、巨大なするめが落ちていたほうがはるかに嬉しいと話したら、笑われた。

 そうこうするうちに、呼ばれた。エコーで我が子を見れば、我が子は妻のお腹の中で絶え間なく動いていた。心臓の音は数ヶ月前に聞いたときよりもゆっくりになっており、私たちの鼓動に近づいてきた感じがする。早く我が子に会いたい、と思った。

 病院から戻り、昼食のため、運転免許を取った妻の初運転で近所の蕎麦屋に向かった。妻は、絶叫しながらショッピングセンターを突っ切り、坂道発進をし、片側二車線の国道を二速で突っ走り、目的の蕎麦屋を通り過ぎ、パチンコ屋の駐車場でUターンして蕎麦屋に到着した。

 蕎麦を食べて、私は会社に向かった。妻はのんびり散歩をしながら帰宅した。


5月26日 論理的思考

 普天間の問題をニュースで見るたびに、違和感を感じてきた。不思議なことに、誰も解決案を提示しないのに、解決案を提示できない首相を批判している。これは、私が何かを重要なことを見落としているからではないか。私は、現代史にも社会科学にも全く詳しくないので、純粋に論理的に考えてみる。

 まず、これは国と国の交渉事である。交渉事であるからには、日本は自国の利益を最大化すべくことを運ばなければならない。アメリカへの配慮などは不要であり、日本の国益のみを考える。当たり前のことである。(もしアメリカに配慮することがあるとすれば、アメリカに配慮することによって結果的に国益が向上する場合のみである)

 その上で、まずは米軍基地は必要なのか不要なのか、そしてそれぞれについて理由を考えなければならない。その答えは、論理的には以下の3つしかないだろう。

1.日本は、国土を米軍に守ってもらわなければならないから、米軍基地は必要である。
2.日本は、自国の国土は自国で守るから米軍基地は不要である。
3.日本は、国土を他国に侵略されても抵抗するつもりは無いから米軍基地は不要である。

 1.を選択した場合、米軍が日本を守るための能力を最大化できる土地を選択するべきである。地元の人には、日本を守るために最もふさわしいのがここだから、と言って納得してもらうべきである。

 2.3.を選択した場合、米軍基地を全てなくすべきである。たとえ、海兵隊が路頭に迷っても、それはアメリカ人が考えるべき問題であって日本には何も関係が無い。もしも米軍基地を残すとすれば、代わりに他の恩恵を供与するとアメリカが提案してきた場合のみであり、その時は、その恩恵と基地による不利益を秤にかけて判断すればよい。

 ここに、私の意見は特に無い。単に、論理的思考をしてみただけである。多分、ことはもっと複雑だから解決しないのだろう。


5月23日 いわきへ

 昨日は、パパママ教室で知り合ったフジタ夫妻とドライブした。フジタ夫妻とは年齢も近く、偶然にも出産予定日が同じで、今年に他から引っ越してきて地元に知り合いが少ないなど、私たち夫妻と境遇が似ている。奥さんのあーさんがランチを誘ってくださったのである。そして、ランチをいわきまで食べに行くことになり、ドライブとなった。

 車に乗ってすぐ、公開鍵暗号方式や非対称鍵、楕円曲線の方程式の話で盛り上がった。フジタさんは前の仕事でこのあたりを研究していたらしく、私たちのほうはサイモン・シンの「暗号解読」を読んで少しかじっており、話題として成立した。いきなりこんな会話で盛り上がれる夫妻も珍しいであろう。

 小名浜に着いて、海沿いの市場食堂でランチを食べ、ら・ら・ミュウでぶらぶらしたり、ほっき貝アイス(!)を食べたりして帰路についた。帰りは村上春樹の話からライトノベル、昔読んだマンガの話まで幅広く絶え間なく話しながら楽しい時間を過ごした。

 ランチのつもりがとても素敵な一日となった。子供が生まれたら、家族ぐるみの付き合いになりそうである。


5月20日 一安心

 10:13。母より妹と電話がつながったとのメールが入り、一安心した。ようやく普段どおり、仕事に打ち込むことが出来た。22:34。妹よりメールが入る。状況は落ち着き、明日からは出社できそうだとのこと。妹はメールで、タクシン支持から始まったこの反乱も、根底には都市と農村の格差がある、反政府軍のやったことは酷いことだが、話し合いでは解決できなかった今の状況は悲しい、農民出身の反政府軍にもっと知識や教養があれば、双方にとってWin-Winの解決策があったと思うと述べていた。

 確かにそうかも知れない。ただ、私にとって今は、そう述べられる妹が「いる」ことのほうがはるかに大きい。


5月19日 妹が心配

 今日、帰宅してニュースを見たら、バンコクから真っ黒な煙が立ち昇っていた。過激派の一部がいたるところで放火しているらしい。そして、妹の住む日本人街方面も暴徒が押し寄せているようであった。心配になり慣れない国際電話をしてみたが、私の操作が間違えているのか、タイ情勢の問題なのか、とにかくうまくつながらない。仕方なく、パソコンメールを送ろうとパソコンを立ち上げると、19:56に妹より無事とのメールが来ていた。

 心配だが、何も出来ない。とにかく無事を祈るしかない。


5月17日 外食にて

 今日は、妻の自動車教習が夜間だったこともあって、近くのサイゼリヤで外食した。私は、サイゼリヤへ行けば、ほぼ必ず「真いかとアンチョビのピザ」と「イカ墨パスタ」を食べるのだが、今回もそれを注文した。妻はペペロンチーノとサラダを注文した。以下、食事中の会話の概要。

私:「イタリア料理は美味いなぁ」
妻:「トマトとチーズが美味しいのかなぁ」
私:「やっぱ。カロリーでしょ。カロリーって美味いなぁ。カロリー最高!」
妻:「そういや、北海道ではご飯にバター乗せて食べるらしいよ。やっぱ寒いからカロリー必要みたい」
私:「それに酪農とか盛んだしな」
妻:「ところで日本には昔から牛いるんだっけ?」
私:「いるんじゃない?ほら供養唄でも『♪ヤ〜ホレィ供養は牛馬の為じゃ』ってあるし」
妻:「そっか。農作業とかで使ってたんだね」
私:「そういや昔ながらの日本料理で牛肉とか牛乳とか使うのないよね。人間だっておっぱい飲んで育つんだから、牛のおっぱいだって飲めるんじゃないかって自然と考えてもいいような気がするんだけど」
妻:「牛乳を使った料理では『酥』(そ)っていうのがあるらしいよ。でも、昔の牛って今でいう車みたいに大事なもんだったから、肉はなかなか食べたり出来なかったんじゃない。」
私:「ヒンドゥー教で牛を神聖視するのも原点はそこにあったみたいよ。牛は食べるよりも労働力として使ったほうがより合理的だっていう生活の知恵が宗教に結びついたみたい。ところでなんでこんな話になったんだっけ??」
妻:「確かカロリーは美味いなぁってところから・・・」

 このように話はどんどん壮大になっていき、終わった。私たち夫婦の会話は、無駄に知的なことが多い。そして気付けば、口はイカ墨で真っ黒になっていた。


5月16日 パパママ教室(第三回)

 昨日は、「パパママ教室」の第三回であった。最終回の今回は、新生児についての講義と沐浴の仕方である。

 妊娠・出産のことを知れば知るほど、私たちは一人の人間である以前に一匹の哺乳類だということを感じる。赤ちゃんが生まれたら胎児は、お腹の中で羊水を飲み、それを羊水中に放尿する循環をしている。便については10ヶ月間腸の中に「胎便」として蓄積され、誕生してから体外に放出される。生まれた赤ちゃんは「産声」を持って初めての呼吸を行う。そして、赤ちゃんが生まれたら、母親のおっぱいからおっぱいが出て、それを与える。これらは、自分たちの根源的な営みにもかかわらず、話を聞くたびに不思議でならない。

 沐浴の練習は、楽しかった。もうすぐこの作業を自分の子供で出来ると思えば、夢のように楽しみである。


5月15日 かえるの声

 家の前は田んぼである。それらの田んぼに水が張られ、かえるの声が聞こえ始めた。その声は小さく、もののけ姫に登場する「コダマ」の声に似ている。小さい頃、明石に住んでいたときに聞いたかえるの声はもっと大きな大合唱であり、ノスタルジックな騒音として記憶されているのだが、ここのかえるの声は、まるで鈴虫の声を聞くように風流な気分で聞くことが出来る。

 これから夏に向けて大合唱が始まるのかもしれないが、それはそれで嫌いではない。


5月12日 邪悪なものの鎮め方

 内田樹氏の「邪悪なものの鎮め方」を読み終えた。「日本辺境論」に続いて内田樹氏の本を立て続けに読んでいる。これらの本は、文章構成は極めて論理的で、難しい内容にもかかわらずとても分かり易い。

 この本では、「邪悪なもの」の構成条件として @「それ」とかかわるときに、私たちの常識的な理非の判断や、生活者としての倫理が無効になる。即ち「どうしていいか分からない」もの。 Aだからといって何もしないで手をつけかねていれば必ず「災厄」が起こるもの。と定義している。そして「どうしていいか分からないとき(即ち「邪悪なもの」に遭遇したとき)に、正しい選択をする」ために必要なことは「ディセンシー」(礼儀正しさ)と、「身体感度の高さ」と、「オープンマインド」であると結論している。

 以上が「まえがき」で、上記の結論にいたる内容が300ページにわたってトピックス的に述べられている。内容は「1Q84」の書評から対米関係、裁判員制度まで幅広く、上記の結論に対し、ド直球ではなく、わずかにかすめるように絶妙に描かれている。そして、内容は多義にわたるものの根底に流れる考え方は首尾一貫しており、インパクトがある。

 なかでも印象に残ったトピック「労働」について、以下「『おせっかいな人』の孤独」より引用。

 「仕事」には「私の仕事」と「あなたの仕事」のほかに「誰の仕事でもない仕事」というものがある。そして、「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考え方をする人のことを「働くモチベーションがある人」と呼ぶのである。
<中略>
 ビジネスの現場において、「私の仕事」と「あなたの仕事」の隙間に「誰の仕事でもない仕事」が発生する。
 これは「誰の仕事でもない」わけであるから、もちろん私がそれをニグレクトしても、誰からも責任を問われることはない。しかし、現にそこに「誰かがやらないと片付かない仕事」が発生した。だれもそれを片付けなければ、それは片付かない。そのまましだいに増殖し、周囲を侵食し、やがてシステム全体を脅かすような災厄の芽となる可能性がある。
<中略>
 誰もが「自分の仕事」だと思わない仕事は「自分の仕事」である、そう考えるのが労働の基本ルールである。


 ここを読んで大いに共感した。確かに日々の業務は「誰の仕事でもない仕事」で満ちている。そして、そのような仕事について、ある人は文句を言いながら自分で片付ける。またある人は「仕組みが悪い」と言い、その仕事を誰かの仕事にするための仕組みを作ることを提案する。経験的には、場合によるものの後者のほうが面倒臭いことが多い。文句を言いながらも10分程度で片付くはずの仕事が、「仕組み」なるものを作ると担当者や上長の判の押された書類を回すなどするはめになり余計に手間がかかる。

 「誰の仕事でもない仕事」を進んで片付ける。誰もがそのようになれば、「社会はどれほど制度設計がろくでもないものであっても『結構住みやすく』なってしまう」と著者は言う。確かにそうかもしれない。  


5月5日 山形旅行記

 今年のGWは山形へ一泊二日の旅行へ行った。妻も安定期に入り、夫婦でのんびり出来る旅行はこれが最後かも知れない。車で米沢へ北上し、蔵王を経由して帰ってくるという、近場の小旅行であったが色々楽しめた。

<愛の町 米沢>
 米沢に着けば、昨年の大河ドラマで直江兼続が取り上げられたためか、いたるところに「愛」と書かれたポスターやのぼりがあった。土産物屋では、直江兼続をかたどったマスコットキャラクター「かねたん」などが「ゆるキャラ」として売られていた。直江兼続もまさか400年以上も後にこんな扱いを受けるとは、夢にも思わなかったであろう。この日は丁度「上杉まつり」が行われており、最上川の河川敷で「川中島の合戦」が行われていた。人々はそれをのんびりと観戦していた。

 しかし、本当に米沢市民から尊敬されているのはなんと言っても第九代藩主、上杉鷹山公であった。上杉博物館に行けば、その多くが鷹山公の偉業についての展示であった。私は、米沢に来るまで鷹山公のことは知らなかったのだが、その施策の素晴らしさは驚嘆に値する。

 「なせばなる なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という有名な言葉を残した鷹山公は、質素倹約・殖産興業により財政危機に陥った米沢藩を建て直し、天明の飢饉で一人の餓死者も出すことが無かったと伝えられる名君である。それだけでなく、「領内に無人販売所が立ち、誰一人勘定をごまかす人がいなかったと記録されているように、経済と精神の二本立ての復興に成功した」(米沢市長の送る言葉より)という、まさに領民のよりどころとなるような藩主であったらしい。

 「国家人民の為に立ちたる君にして 君の為に立ちたる国家人民には これ無く候」(伝国の辞より)

 妻と「鷹山先生は偉いなぁ」と何度もつぶやきつつ米沢を歩いた。鷹山公の圧倒的な支持に比べれば、上杉謙信や直江兼続は一時的なブームにしか見えない。

 鷹山公の施策のひとつに、「かてもの」の研究がある。鷹山公は、凶作に備えて米・麦以外で食べられるものを研究し、書物「かてもの」してまとめ領内に配布した。これが米沢の郷土料理として伝えられている。

 夕食は郷土料理の鯉尽くしを食べて就寝した。鯉を食べる習慣も、鷹山公の施策により鯉の養殖が奨励されたためだという。これらの料理が「かてもの」に載っているかどうかは知らないが、恐らく載っているだろう。そんなことを考えながら鯉料理を食べ、ホテルに戻って就寝した。


左:川中島の合戦。満開の桜の元、戦っていました。     中:上杉鷹山公。米沢の英雄です。     右:愛の戦士 直江兼続の山車。



<冬を味わう 蔵王>
 二日目は蔵王に向かった。蔵王地蔵山頂付近にある「蔵王地蔵尊」と神秘的な水を湛える「お釜」を見ようと思った。蔵王を縦走するエコーラインは5月にようやく開通されたとのことであり、まだ若干寒いかと思われた。事前に観光協会に電話すると、「お釜はガイドブックに載っている様なエメラルドグリーンの湖とはちょっと違うものかと思われます」とのことであった。また、気象の変化によってはお釜まで行けない可能性もあるとのことであった。

 ロープウェイで蔵王地蔵山頂駅に着けば、そこはまだ冬であった。しかし、だいぶ雪は溶けており地蔵尊は全身が見えた。かつてスキーで来たときは上半身しか見られないため、新鮮であった。蔵王地蔵尊が作られたのは200年も前の江戸時代だという。これが作られてから不思議と遭難者が減った言い伝えられている、ありがたい地蔵尊である。こんな荒涼たる土地に微笑みを絶やさず200年も座り続けていると思えば、畏敬の念を覚える。

 お釜は、もっと激しかった。下の駐車場から一人乗りのリフトで山頂に着けば、まるで台風のような暴風の吹き荒れる荒涼とした世界であった。まるで賽の河原のごとく、いたるところに石が積み上げられており、不気味な光景である。私たちはかなりの防寒対策をしていったので大丈夫であったが、春の装いのままリフトで運ばれてきてしまった人も多く、彼らは寒さに震えていた。

 お釜の水は凍っており、エメラルドグリーンどころではなく、白であった。ガイドブックによれば、「お釜」は天気により水の色を変えることから「五色沼」とも呼ばれている、とのことであったが、その5色の中に「白」も含まれているのかと思った。

 無事生還して、帰路についた。車で東進すれば、どんどん暖かくなってきた。今日は夏日である。真冬の寒さから夏日までを一気に楽しめた一日であった。


左:蔵王地蔵尊。初めて全身を見ました。     中:お釜 湖水は凍ってました。     右:展望レストランにあった写真。夏はこうなるらしい。



5月2日 パパママ教室(第二回)

 昨日は、パパママ教室の第二回に参加した。第二回は妊婦体操と妊婦体験であり、妊婦体操はママが、妊婦体験はパパが行うこととなった。

 パパは別室に集められ、7〜8ヶ月目くらいの妊婦の重量が体験できるという前掛けを順番に付けた。そして、落ちているものを拾ったり、高いものを取ったり、爪を切る動作をするなどした。順番を待っている間は、赤ちゃんの人形を使っておむつを替える練習をした。

 その間、ママは体操と呼吸法を練習していた。出産の際、これを知っていると不安や苦しみを和らげることが出来るらしい。陣痛のときでも、息をし続けることが大事とのことであった。痛いからといって息を止めると余計に苦しくなってしまう。そして、息をし続けるために大事なことは、息を吐くことらしい。息を吐くことさえ出来れば、吸うのは無意識にでもやる。

 呼吸法というのは大事なんだなぁと思った。そして、奥が深い。呼吸法の大切さは、妊婦に限ったことではないと思った。何気なくしている呼吸だが、このやり方で落ち着いたり、逆に不安になったりする。呼吸法ひとつで精神や身体のパフォーマンスが向上するし、もしかしたら感じられないものが感じられたりするかもしれない。呼吸法を本格的に勉強してみようか、と思ったくらいである。


 パパママ教室が終わり、ぶらぶら散歩をしつつ昼食をとっていると、シゲオから電話がかかってきた。岩手から埼玉に引っ越す際、福島を通るから顔を出すとのことであり、夕方頃現れた。せっかくだから飲もうと、近くに住むステツに電話をしたところ、高校時代の友人2人も集まり、計6人で飲んだ。

 ステツの高校時代の部活の友人、キブさんはガンダムが好きであり、初対面のシゲオとガンダム話で大いに盛り上がっていた。ガンダムという分野は特異である。認知度は高いが適度にマニアックなため、その盛り上がり方は、例えばジブリ作品やドラえもんなどとは比較にならない。キブさんが、私に「逆襲のシャー」という作品を薦めたところ、すぐにシゲオが制止した。シゲオによれば「ナントカガンダムとナントカガンダムを見てからでないと、逆襲のシャーの良さを理解することは出来ない」とのことなのだが、なんとそれらを合計すると30分アニメが100回ぶんになるらしい。

 ひとつの作品を理解するのに3000分も費やさなければならないとは、ガンダムは誠に奥が深いと思った。そして、飲み会が終わると、シゲオは我が家で泊まり、朝の5時半に起きて引越しをすべく埼玉に向かっていった。

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