一泊二日で、相馬へ旅行に行った。来月には妻も臨月となり、遠出は難しくなる。夫婦でのんびり出来る最後の旅行であろう。
「県内で一泊二日くらい」で考えており、相馬か会津に行こうと考えていた。パパママ教室で知り合ったフジタ夫妻や、相馬出身の会社の後輩、ナナマルなどに聞いても、皆一様に「相馬は何もないからやめたほうがよい」と言う。会津のほうが面白いとのことでった。
あまりに皆が「何もなくてつまらない」というので、逆に妻は行ってみたくなったようであった。私は、2003年8月のつぶやきに書いた通り、一度行ったことがあり、とても満喫できた記憶がある。そんなこんなで相馬に行くことになった。ホテルは前日の夜に予約するという、相変わらずの行き当たりぱったり旅行である。具体的なプランも、殆ど無い。
<百尺観音>
「相馬といえば百尺観音」。それほど、過去に見た百尺観音に対する印象は強烈であった。相馬についてすぐに、百尺観音の参拝に向かった。
7年ぶりに見る百尺観音は、相変わらずのド迫力であった。奇跡のような光景である。一人の男が「感ずるところがあって」作り始め、親子3代に渡って現在も未完成の磨崖仏は、見るものを圧倒させる。
「参拝のしおり」によれば、百尺観音は昭和六年に荒嘉明氏により着手されたらしい。彼は「千体の仏像を作るよりも生涯で一体の超巨大製作をなし、ながく後世にこれを残そうと決意した」のである。世間の人々はこれを「誇大妄想狂として冷評雨の如く、ほとんどそれを信ずるものとてなかった」らしいのだが、不屈の意思で一人岩場でつるはしをふるい続け、62歳で完成を見ることなくその生涯を終えた。
そして、その遺志を引き継ぎ、現在3代目が完成に向けてがんばっているとのことである。現在八十八尺で、完成すれば百十八尺となり、日本一の巨大仏像彫刻となるらしい。この圧倒的な迫力の仏像と男のドラマに感動する。感動のあまり、世界遺産に登録されてもよいのではないかとさえ思う。
それにしても、地元の人の認知度は低い。民研の後輩で相馬出身のキエによれば、小学生の頃に遠足で百尺観音に行き、指差して「鼻水観音」と揶揄したそうである。確かに、顔の部分が鼻水を垂らしているように見えなくもない。現在でも「冷評雨の如し」である。

百尺観音像
<松川浦>
百尺観音を拝んだ後は、松川浦へ。松川浦は、砂州により外洋と隔てられて出来た汽水湖で、独特の地形をしている。松の植えられた美しい小島を散策したり、カニや貝などの生き物を観察したりしてのんびり楽しんだ。
松川浦には、「ふるさと相馬」という歌の歌碑があり、これに近づくと自動演奏が始まるという、ハイテク歌碑があるのだが、ここでのんびり「ふるさと相馬」を聴いた。「ふるさと相馬」は、同じ歌詞で「フォーク調」と「演歌調」の二種をの歌を持つ、世界でも珍しい歌なのである。
メロディを聴き比べれば、フォーク調はふるさとの大事な人への思いが重視され、演歌調は漁師町の雰囲気が重視されているようであった。確かに、どちらがいいとも言えない絶妙な作りになっていた。編曲だけでなく、メロディも大幅に異なることに妻が驚いていた。

左:松川浦の風景 右:「ふるさと相馬」の歌碑
<相馬盆踊り大会>
「百尺観音を見たよ」とキエにメールしたら、今実家にいるので会いましょうということになり、キエと3人で相馬盆踊り大会へ。
盆踊りは、味わい深かった。殆どの地域の盆踊りは、地元の盆唄を持っておらず、炭坑節やアラレちゃん音頭などのテープをかけて、地元のオバチャンが踊っているだけだが、相馬盆踊りはやぐらの上で相馬盆唄を生演奏して、これを延々と踊るのである。しかも、輪は幾重にもなり子供から老人まで思い思いに踊る。決して大きなお祭ではないが、素朴で味わい深いこの民謡は、歴史の風格を感じさせる。
♪ハアーアーイヨー 今年ァ豊年だよ
(アーコーリャコリャ)
♪穂に穂が咲いてヨー
(コリャショ)
♪ハアー道の小草にも
♪ヤレサー米がなるヨー
しばらく一緒に踊っていると、一旦区切られ、「仮装盆踊りコンテスト」なるものが始まった。これは可哀想なくらい盛り上がっておらず、10名程度の人たちが着ぐるみ等の派手な衣装を着て、寂しく踊っていた。ずっと盆踊りをやっていればいいのにと思った。
仮装盆踊りを尻目に、キエの実家にお邪魔して歓待を受けた。父A型、母B型、キエO型、妹AB型というバラエティに富んだ家族の話はとても楽しく、深夜までおしゃべりをして楽しい時間を過ごした。

左、中:驚くほど盛り上がる相馬盆踊り大会 右:仮装盆踊りコンテスト。驚くほど盛り上がらない。
<二日目>
朝起きたら、チェックアウト寸前であった。慌てて準備をして、ナナマルが刺身が美味しいと教えてくれた「斎春」へ。ブランチに刺身定食とエボダイ定食を食べたのだが、本当に美味しい。満腹になったところで、南下した。今日の目的は、浪江町の大聖寺である。
途中、原町でナナマルと落ち合い、軽くお茶をした。本当に、全国色々なところに知り合いがいて楽しい。
その後、浪江町の大聖寺に行った。大聖寺は居酒屋の箸袋などで有名になった「親父の小言」を作った暁仙和尚がいた寺らしい。確かに、我が家にある「親父の小言」の額を見れば、「相馬藩大聖寺暁仙僧正」と書いてある。
大聖寺には、「親父の小言」についての情報は何もなかった。しかし、美しい寺の風景は心が落ち着いた。

左:大聖寺の参道 右:入り口
ちょうど寺を後にするとき、雨が降ってきた。この小旅行も終わりである。本当に、よいタイミングで雨が降るなぁと感心し、そのまま帰路についた。なんとなく、良い出産が出来そうな気がしてきた。
家に帰れば、民研の先輩、トイダさんから暑中見舞いが来ていた。矢吹に住んでいるらしい。本当に近くに知り合いが多いなぁと思った。ともあれ予想以上に楽しい最後の小旅行であった。
8月11日 走る