2010年
9月のつぶやき




9月26日 世代

 今週末は、相次いで家族がサチコに会いに来た。木曜日に母と妹が、土曜日に父が来た。

 娘と対面した瞬間、妹は「おばちゃん」、父母は「おじいちゃん」「おばあちゃん」となった。父母は、まるで演歌の歌詞にあるように慈しんでくれた。妹は最初は恐る恐る抱っこしていたが、やがて抱っこしたまま眠っていた。

 急激に年を取ったわけでもないのに、呼び名が変わるのは実に不思議である。そういえば、私も妻も「おとうちゃん」「おかあちゃん」である。子供が生まれれば、家族の世代がひとつ上がることを実感した。


9月22日 時代を生き抜く力

 子供を育てるにあたり、何が重要かということを考える。もちろん、親の思うとおりに育つとは始めから思っていない。親の意図しないように育つから面白いのだと、今から自分に言い聞かせている。それでも必要なことはあるだろう。私はそれを「時代を生き抜く力」だと思っている。

 例えば、イチローの何が凄いかを突き詰めれば、「直径70mm程度の高速で向かってくる球体を木製の棒で打ち返す能力」に集約することができる。(他にもあるだろうが、とりあえず割愛)イチローは、たまたまこの能力が秀でていることが過度に賞賛される時代に生まれたから、莫大な富と名声を手に入れたと考えることもできる。少なくとも、この能力に汎用性はないであろう。

 親として伝えるべきことは、汎用性の高い能力である。それ以外については、子供が好きなことをすればよい。そういった観点で、「時代を生き抜く力」とは何か。思いつく限り箇条書き。

・暴力に対抗する力(格闘技、護身術など)
・泳ぐ力(キエの父が仰っていた。確かに重要である。地球の7割は海だから)
・走る力(脅威から逃れるため)
・学力
・家事
・自動車免許(MT車)

 ・・・考えていると、だんだんよく分からなくなってきた。とりあえず、楽しく子育てしよう。


9月21日 サチコへ

 君は、夜になると目が冴えて手足をじたばたし始める。

 昨日は、さんざん君を抱っこしたり、あやしたり、電気を付けてみたり消してみたりしたが、全然眠ろうとしない。昼間はあんなにぐっすり眠るのに、夜は目をぱっちりさせて、じたばたしている。まるで、私たちには見えない妖怪と戦っているようだ。

 最後は、「父母が夜の過ごし方の見本を見せてやろう」ということになり、眠るふりをして放っておいたら、しばらくして君も眠った。

 君は今日、沢山の大便をした。君は少し、大便を溜め込む性格のようで、特に母さんは心配していたが、君が大便をしてくれて私たちは嬉しかった。

 そんな君を見ていて思う。糞尿を思う存分、垂れ流してもよく、それがむしろ歓迎されるのは、人生のごくわずかな期間だけだ。例えば、君が二十歳になって同じことをしたら、君にとって最も忌み嫌うべき人生の汚点となるだろう。

 今のうちに、思う存分するがよい。


9月20日 松茸ご飯もどき

 今日の夕食は、妻の母が作ってくれた「松茸ご飯もどき」であった。松茸の代わりにエリンギを使い、永谷園の「松茸の味 お吸い物」を使用することで、松茸ご飯のような味の炊き込みご飯ができるらしい。「松茸の味 お吸い物」は、濃い茶色のパッケージのアレである。

 妻の母によれば、作り方は極めて簡単である。炊飯器に通常通りの量の米と水を入れ、更にエリンギとご飯3合に対し二袋の「松茸の味 お吸い物」を入れて、普通に炊くだけである。炊いているときから松茸の良い香りがする。

 食べてみれば、松茸ご飯そのものであった。永谷園すごいと思った。香料の技術もすごいと思った。このほか、エリンギのお吸い物と、エリンギの土瓶蒸しを作れば「松茸もどき尽くし」になるであろう。

 更に妻の母は、エリンギに「松茸の味 お吸い物」を水で溶いたものを塗った後、網で焼いて「松茸もどきの網焼き」も作ってみたことがあるらしく、そこそこそれらしい味になるという。

 「松茸もどき尽くし」。庶民でも贅沢気分が味わえるあたり、夢があって実によい。ぜひやってみたい。


9月18日 サチコへ(ミルクの味について)

 今日は、君がいつも飲んでいる粉ミルクを飲んでみた。飲み残しのミルクを、哺乳瓶を洗う前に少し失敬してみたのである。

 残念ながら、私には全然おいしくなかった。変に甘ったるく、ぬるくて薄い。よくこれを全身食欲の塊のようになって飲んでいるものだ。それでも君は、ミルクまでまだ時間があるにもかかわらず不快感を表明したとき、ミルクと偽って白湯を与えたら、すぐにミルクではないと分かって嫌な顔をしていた。ちゃんとミルクと白湯の違いが分かる、「違いの分かる女」なんだと感心した。

 世の中には、ミルクよりもおいしいものが沢山ある。いつか君とビールを飲み交わしながら語り合いたいものだ。


9月18日 サチコへ

 君が来てから、我が家は大きく変わった。我が家のほとんど全てが、君を中心に回るようになった。

 君を見ていると、本当に面白い。君はまだ、快、不快の2種類の感情しかないように見える。もちろん君は、その小さな頭の中で色々なことを考えているのかもしれないが、私たちにはまだそれが分からない。君が不快感を表明したとき(泣いたとき)、その要因は、@食事、A排泄、Bその他のみっつであり、私たちは順番に要因分離を行って不快を取り除く。逆に快いときは、何もしない。

 これからしばらくの私たちの仕事は、君の不快を取り除くことに集約されるであろう。

 そういえば昨日、君は我が家で初めて大便をした。まる一日以上出ていなかったので、心配になった母さんがでん部を刺激したところ、固めの大便が出てきたのである。私たちは嬉しくなり、君の前でバンザイをしたら、君も一緒にバンザイをしていた。

 その後はしばらく興奮してなかなか眠らなかった。君も嬉しかったのであろう。


9月15日 保育器を出る

 今日ついに、サチコが娑婆の空気を吸った。保育器を出たのである。妻はサチコを抱っこして、ミルクの与え方ととおむつの替え方の練習をしたらしい。

 サチコが元気でいることを、改めてかみしめて思う。生まれる前と、小さく生まれてきたときの不安が嘘のように、サチコは元気である。病院の先生や、看護婦さんたちには、いくら感謝してもし足りない。そして、小さいサチコの力強い生命力にも驚く。

 明日は退院である。どんな日々が待ち受けているのであろうか。


9月14日 退院間近

 今日、サチコの体重が2500グラムを超えた。明後日の退院となるらしい。今朝、病院に行けば、サチコの後ろには最近生まれた新生児がいて、顔を真っ赤にして泣いていた。

 その新生児に比べれば、先輩のサチコはずいぶん大人びて見える。サチコは「何を騒いでおるのだ」と言わんばかりに、堂々と眠っている。

 ずいぶん大人びてきたなぁと、妻に言ったら、妻は笑っていた。


9月13日 これからの「正義」の話をしよう

 マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」を読み始めた。著者のマイケル・サンデルは、ハーバード大学の政治哲学者で「白熱教室」と呼ばれる超人気講義を行うことで有名である。

 本書は、「5人の命を助けるために1人の人間を殺すことは正しいか?」「命に値段はつけられるのか?」「経営破たんした保険会社のCEOが巨額のボーナス受け取ることは正しいか?」などの難問に対し、理論的な筆致で展開される。ポイントは、幸福、自由、美徳の3点である。いずれの視点を採用したかによって、同じテーマでも論理展開が変わる。

 読みながら、さまざまな空想が湧く。仕事において、私たちは会社の利益を最大化させるための手段は常に正しいと考えているが、本当に正しいかについて。会津藩校日進館の「什の掟」の最後に記された「ならぬものはならぬものです」という言葉の重みについて。そして、先月NHKで見た、山形の山奥にある集落で一年に一度、一族が集まるお盆を楽しみに待つ老夫婦について。

 何が幸せか、そして何が正しいか、ということに答えを出すことは、本当に難しい。私の頭で考えても何も見えないかもしれないが、考えることは大事な気がする。

 今日のサチコの体重は2450グラム。2500グラム以上が退院の目安のひとつとなっているらしく、退院の日は近い。


9月11日 冴えない名刺入れ

 今日は、妻とジャスコに名刺入れを買いに行った。社会人としてはありえないことだが、私は入社以来9年間、名刺入れを持っていなかった。正確に言えば、入社祝いで頂いたルイビトンの名刺入れがあるのだが、全面に「LV」と書かれたデザインがどうも好きになれず、代わりに手帳を名刺入れ代わりにしていた。

 今日、急遽名刺入れを買おうと思い立った。出来れば、おしゃれなどには気を使わず仕事に没頭する真面目な技術者を演出したい。そのためには、シンプルで冴えない名刺入れがふさわしいであろう。

 まずは、ジャスコ内の100円ショップ「キャン・ドゥー」へ。ここでも100円の名刺入れらしきものはあったが、テロテロでビニール製のような外観であり、冴えないというよりはみすぼらしかったので、買わなかった。

 続いて紳士服のコーナーに向かった。そこで丁度よい名刺入れがあった。茶色くてオッサン臭い名刺入れである。シンプルで地味で、どこにでもありそうである。私は嬉しくなり、妻に「あったよ!冴えない名刺入れ!」と言ったが、今思えば失礼な客であろう。


 名刺入れを購入した後は、サチコの見舞いへ。今日は2360グラムまで増えていた。ミルクを飲んだ後なのか、お腹は大きく膨らんでおり、可愛い目でこっちをみるようになった。そして、たまに笑ったような顔をする。来週中には退院できそうである。

 早く、ミルクを飲ませたりうんちを世話したり風呂に入れたりしてみたい。


9月4日 ドコモショップへ

 今日は、妻の携帯電話を買いに行った。妻は現在PHSを使用しており、福島では圏外が多いことや、私との家族割引が適用できるなどの理由でドコモに変更することにした。電話帳の変更や知り合いへの連絡など、煩雑な作業があるため、サチコが退院するまでに買ったほうがいいだろうということになり、今日買いに行った。


 はじめ、サチコの見舞いに行き、凄い勢いでミルクを飲んでいる姿を見学した後、その近くのドコモショップに行った。特に最新である必要はなく、お手ごろ価格の携帯電話を求めていた。

 その旨を店員に伝えたところ、驚くべきことに、今ある携帯電話はそこに並んでいるものだけです、安いものをお求めならば電気屋さんなどで購入されたほうがよいでしょう、と言われた。私たちは驚き、ではドコモショップで携帯電話を購入するメリットはなんでしょうかと尋ねたところ、ドコモショップでは割高な代わりに40分ほどで携帯をお渡しできるのに対し、電気屋さんでは2時間程度かかりますとのことであった。たったそれくらいの差なら電気屋さんで買おうということになり、電気屋に向かった。ドコモショップと言えば、一流のサービストークで顧客を誘導するイメージがあったので、この商売気のない対応に思わず笑ってしまった。

 続いてコジマ電気に行って同じ質問をしたところ、確かに昔は0円ケータイなどもあり、ショップよりも電気屋のほうが安かったが、今ではショップと電気屋の差はほとんどないんですよ、と悲しげな表情をした。

 それならやはりドコモショップで買おうということになり、再び別のドコモショップへ。


 2件目のドコモショップは、はじめに行ったドコモショップとは全く違っていた。私たちが店内をうろうろしているだけで、何をお求めですか、と声をかけられ、一瞬にして店内の携帯電話を安い順から5機種程度紹介され、それぞれのメリットとデメリットが流暢に語られた。私たちは、ほぼ一瞬で機種を決定した。そして不思議なことに、ナントカ割引などが複数適用され、5万円以上するはずの携帯電話が3千円以下になった。懸念していた電話帳の一括移動もでき、電話帳に登録されている人たちへの変更連絡も一括でメール送信できるとのことであり、携帯乗換えに伴うあらゆる労苦が排除された。しかも、SDカードやイヤホンなど、豪華な粗品までついてきた。

 初めてドコモショップらしいドコモショップに来た妻は、狐につつまれたようになり、こんなに安くしてもらって店は大丈夫なのか心配していたが、これがドコモショップの手口だから大丈夫だと言った。


 かくして妻は、ドコモショップの一流のサービスを存分に浴び、携帯電話を手に入れた。それにしても、最初に行ったドコモショップはなんだったのであろうか。
 

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